共にいるための口実
◆ ◆ ◆
夕日は山際に隠れてしまったが、まだ外は明るかった。
いつもなら酒場へくり出して、他の客と酒を酌み交わしながら会話を楽しむところだが、今日はそんな気になれない。
ビクターは宿屋のベッドへ体を横たえ、ぼうっと天井を見つめる。
窓を閉め切り、街の喧噪を追いやっているためか、部屋が静かすぎて落ち着かない。
(マテリアに会う前は、これが当たり前だったんだよな。一人っていうのは、こんなに空しいものだったか?)
いっそ眠りについて、やりすごしたい。
ビクターがヤケになって目をつむると、胸奥から不気味な黒い靄が湧き出た。
思わずビクターは顔を歪め、目を開ける。
(おいおい、勘弁してくれ。一人で夜をすごすのが寂しいだなんて、そこらのガキよりも情けねぇ)
体を起こし、ビクターは頭を振る。
(まあ……だからと言って、マテリアに「行くな」とは言えんしな)
昨日、ハミルと夕方に会う約束を交わした後のマテリアは、ずっとそわそわしていた。
明日になるのを楽しみにしているのが、手に取るようにわかった。
本当に嬉しそうだった。それが悔しい。
(オレじゃあ、マテリアにあんな顔はさせられない)
ビクターは頭を乱暴にかき、奥歯を強く噛みしめた。
ふと、駆け足の音がまばらに聞こえてくる。ビクターは扉を見つめ、様子をうかがう。
コンコンと、遠慮がちなノックの音。
ビクターはベッドの縁に腰かけ、髪を手ぐしで整え、来客に備えた。
「ロンドだろ? 遠慮せずに入れよ」
ドアが弱々しく開き、フードで顔を隠したロンドと、厳つい顔で突っ立っているガストが姿を見せる。
ロンドは部屋へ入るなり、しきりに中を見渡す。
「あ、あの、マテリア様は?」
「見ての通り外出中だ。ハミルに会いに行っているぜ」
別段おかしなことを言ったつもりはないのに、ロンドは小さく息を呑んだ。
「大変だ! どうしましょうガスト様。お二人が争うなんてことになったら……」
頭のフードを外しながら、沈んだ顔でロンドがつぶやく。
さっきまで泣いていたのか、目は少し赤くなり、未だに潤んでいた。
「まだ二人に記憶が戻っていなければ、問題はありません。ロンド様、あまり考えすぎないほうがいいですよ」
後ろからガストが、ロンドの肩に手を置く。
いつも無愛想な顔だが、今日は一段と厳つくなっているように見える。
どうも様子がおかしい。ビクターは身を乗り出す。
「どうした? 何かあったのか?」
一瞬こちらの問いかけに、ロンドの体が小さく跳ねる。
それから意を決したようにおずおずと話し始めた。
「……実は、ビクター様にお話したいことがあるんです。マテリア様のことで」
「もしかして、マテリアの過去か?」
少し間を置いて、ロンドはうなずいた。
「はい……」
ロンドの声がみるみる沈んでいく。話をしようと口を動かそうとしているのに、声がかすれてうまく出せない。そしてついには口を閉ざして、下を向いてしまった。
目の前でそんな風に落ちこまれてしまうと、自分がロンドをいじめている気になってくる。
今日は何でこんなに気分の悪い思いをするんだ、とビクターは心の中で肩を落とす。
一歩ガストが前に出て、ロンドの隣に並ぶ。
「ロンド様、私が話しましょう」
弾かれたようにロンドが頭を上げる。
「いえ、僕が――」
「私もまだ動揺していますが、倒れそうになるほどではありません」
しばらくロンドは無言でガストを見上げる。が、諦めて力なくうなずいた。
ロンドに目配せしてから、ガストは口を開く。
「まず……アスタロが俺の曾祖父で、実はまだ生きていた。さっき会いに行ったばかりだ」
ありえないだろう、と思いながらマテリアへ言ったのに、まさか本当に生きていたとは。
ビクターは驚きを隠さず、肩をすくめた。
「そいつはすごいな。じゃあ、アスタロから何か聞き出せたのか? どうしてマテリアが『永劫の罪人』って呼ばれるようになったんだ?」
マテリアだけじゃなく、自分も一番気になっていたこと。
少しは心が晴れるかと、ビクターはわずかに好奇心をのぞかせる。
しかし、なぜかガストも言いよどむ。
さっきから眉間の皺は寄りっぱなしで、ことの深刻さを物語っている。
「察するに、あんまり明るい内容じゃなかったみたいだな」
「ああ。結論から言おう。マテリアは百年前の教皇を……ハミル様を殺したんだ」
うまく言葉が頭に入ってこない。
ビクターは片手で頭を押さえ、めまぐるしく動こうとする思考に歯止めをかける。
「アイツは人を殺すようなヤツじゃないぞ。理由は何だ?」
こちらの問いに、ガストは首を振った。
「それはアスタロも知らなかった。ただ、教会の警護隊に入っていたアスタロの目前で、マテリアにハミル様を殺され……アスタロがマテリアを殺したそうだ」
「親友同士でか……キツいな」
あれだけ再会を喜び、昔のやり取りを楽しく語っていたマテリアに、この事実は辛すぎる。
言うべきじゃない、というより言いたくない。
考えるだけでビクターの胸中に、言いようのない吐き気がこみあげる。
「……わからないんです」
ロンドが今にも消え入りそうな、か細い声でつぶやいた。
「マテリア様もハミル様も、お互いを大切に思っているのは見ていてもわかるのに……ハミル様を殺す理由が、まったく見えてこないんです」
目の前にいるビクターへ、ロンドはすがるような眼差しを投げかける。
「私もずっと考えていますが、わかりません」
次いでガストもビクターを見た。
「いや、だからといってオレに聞かれても……」
わからないのはこっちも同じだ。
知りたかったことを知ってスッキリしたかったのに、余計に胸の中がもやもやする。
ただ、己のすべきことはわかっている。
ビクターは立ち上がると、壁に立てかけてあった剣を手に持った。
「ちょっとマテリアを迎えに行ってくるぜ。まだ記憶が戻っていなくても、いつ思い出すかわからないからな。オレが様子を見てくる」
「じゃあ僕も……」
鈍い動きで踵を返そうとしたロンドを、ビクターは肩をつかんで留まらせる。
「そんな状態で、いつも通りハミルと会えるのか? 動揺したままじゃあ無理だろ。ここで頭を整理させてから教会に戻れよ」
扉の前に立っていた二人を迂回し、ビクターは扉の取っ手をつかんだ。
「正直言うと……オレはマテリアがハミルを殺した理由なんて、今さらどうでもいい。昔はどうであれ、今から生きていくほうが大事だしな」
そう言い残し、ビクターは二人を置いて部屋を出た。
廊下を歩くビクターの足は早まり、異様に心が高揚する。
わずかに口元へ笑みが浮かんだ。
(これで理由ができたな。ハミルと一緒にいても、マテリアは苦しむだけだ。だったらもう我慢はしない、ハミルなんかに渡してたまるか)
鼓動がひとつ、ビクターの全身を大きく叩いた。
(マテリアは、オレのものだ)
頭ではなく、胸奥からそんな思いが浮かぶ。
ハッと我に返り、ビクターは頭を振って理性を取り戻す。
(危ない危ない。己を見失ったらお終いなんだ、オレたちは――)
昂る心を抑えようと、ビクターは立ち止まり、深い呼吸とともに心を落ち着かせる。そうして一気に床を蹴り出した。




