マテリアの罪
未だ地に突き立ったままの槍の群れ。
その地から甦ったマテリア。
ここに書かれているのは、自分の知っているマテリアだと認めざるを得ない。
ロンドは思わず息を呑み、眉根を寄せる。
(一体マテリア様は何を……)
はやる気持ちを抑え、ロンドは続きを読んでいく。
マテリアの罪が、目に留まる。
(……嘘……だ)
信じられなくて、何度も読み返す。
しかし彼女の罪が変わることはない。
この罪が本当ならば、百年前に『永劫の罪人』と呼ばれ、語りつがれても仕方のないこと。
思わず信じそうになり、ロンドは頭を振る。
(あのマテリア様が、そんなことをするはずが……)
ロンドの脳裏に浮かぶのは、一点の曇りもない彼女の笑顔。
こんな罪を犯して、あれだけ鮮やかに笑えるわけが――。
(――そういえば、マテリア様はこのことを覚えていないんだ。きっとハミル様も……だからあんな風に笑えるんだ)
おそらく事実を伝えれば、今まで見てきたマテリアは消える。
いつも自然体で、のびのびとして、見ている者に元気を分けてくれる彼女が。
そんなマテリアを変えたくない。
あわててロンドは本を閉じ、一番奥の棚に戻す。
ランプの灯りは届かず、黒い本は闇に溶けて姿を消した。
(このことは僕の胸にしまえばいい話……マテリア様やハミル様を甦らせてしまったのは、死人還りの秘薬を作ってしまった僕なんだから)
明日になれば、マテリアに「何もわからなかった」と伝えよう。
そうして罪を思い出させぬよう、今まで通りにしていこう。
答えは出ている。けれど心は晴れない。
何とも言えない吐き気が、ロンドの胸に広がる。
立っているのも辛くて、己の身を抱えて耐えた。
コンコン。書庫の扉を誰かが叩く。
「ロンド様、失礼してもいいですか?」
ガストの声だ。ロンドの身は強張り、顔から血の気が引いていく。
(自然にしなくちゃ、自然に)
小さく自分の頬を叩き、ロンドは笑顔を作る。
「どうぞガスト様。お入りください」
「失礼します」
辺りに音が響かぬよう、ゆっくりガストは書庫に入って扉を閉めると、ロンドへ近づいてきた。
彼の手にあるランプが顔を照らし、普段の強面を穏やかに見せていた。
「お調べ物をしている最中に申し訳ありません。家に故郷の家族から、アスタロのことで手紙が届いていましたので」
「な、何かわかりましたか?」
唇が震え、ロンドの声はぎこちなくなる。
いぶかしげにガストは首をかしげたが、そのまま話を続ける。
「おそらくそうではないかと思っていましたが……アスタロは私の血縁です。話によると曾祖父だということでした」
「そうなんですか? すごい偶然ですね」
「しかも信じられないことに、まだ生きているそうです。今はダットの外れにある森で生活しています」
ガストの報告に、ロンドはがく然とする。
「……生きて、いらっしゃる……」
本当ならアスタロの長寿は喜ばしいこと。
喜びたいのに、喜べない。
彼はマテリアの大罪を知っている生き証人だから。
ロンドの鼓動が早さを増し、頭の中をかき乱す。
「明日にでもアスタロを尋ねようと思っています。ハミル様やマテリアたちにも声をかけるつもりですが――」
「や、止めてください!」
思わずロンドはガストの袖へしがみつく。
「ロンド様?」
「……三人を会わせてはいけないんです。きっとアスタロ様に会えば、マテリア様たちは今までのようにはいられない。今を変えたくないんです」
「どういうことですか?」
ガストに答えようとするが、ロンドの唇は震えて言葉が出せない。
言ってしまえば、本当にマテリアへ『永劫の罪人』の烙印を押してしまう気がした。
身を強張らせていたロンドの肩へ、ガストが無骨な硬い手を乗せる。
「言いたくなければ、無理に言わなくともかまいません。ただ……私に何かできることはありませんか?」
「……明日、アスタロ様のところへ、僕だけを連れて行ってください。どうかマテリア様や、ハミル様には、ご内密に――」
やっとの思いでロンドは口を動かしたが、息が詰まって声は切れていく。
目頭が熱くなり、視界がぼやけていく。
こんなところで泣いたら、無用な心配をさせてしまう。
そう思えば思うほど胸が締めつけられ、ロンドの頬に涙を伝わせた。
「わかりました、おっしゃる通りにしましょう。ですから、その……泣くのはお止めください」
ロンドの頭を、ガストは壊れ物にでも触れるように、優しく何度もなでる。
彼の気づかいがよくわかる。だからこそ自分が情けなくて、己の弱さを痛感してしまう。
応えられないことが悔しくて、ロンドの流れ落ちる涙が大粒に変わっていった。
月夜に誘われ、ハミルは中庭へと足を運ぶ。
おもむろに自分の手を見つめる。
月の光を浴びて、青白くなった手を冷たく感じる。
だからこそ、昼間の温もりが忘れられない。
ハミルは強く手をにぎりしめる。
(……マテリアが、ここにいる)
彼女の弾けんばかりの元気な声を、もう一度聞けるとは思わなかった。
この世界にマテリアがいる。
それだけで虚ろだった世界が、鮮やかに見えてくる。
(教皇になって失ったものが、こんな形で戻ってくるなんて)
ハミルは静かに目を閉じ、昔に思いをはせる。
小さい頃は、年の近い者が教会にいなかったから、マテリアたちと遊ぶことが一番楽しかった。
それがいつからだろう。
会えば会うほど、自分とは違う世界の人間だと気づかされ、苦しくなったのは。
ずっとマテリアの隣にいたかった。
けれど教皇になる前日、彼女に道を断たれた。
だから――。
(もうマテリアを……失いたくない)
月が雲に呑まれる。
最後まで届いていた月光が消える一瞬、ハミルの笑みを妖しく照らした。




