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   現実と向き合って

   ◆  ◆  ◆



 空一面に広がった茜色は、ダットの街中を往来する人々にも色を落とす。

 宵が近くなっても賑わう大通りは、昼間に歩くときよりも熱気が漂っているような錯覚を生む。


 ロンドたちと別れた後、マテリアは宿屋への道を鼻歌混じりで進んでいく。


「ハミルと会えてから上機嫌だな。わかりやすいヤツ」


 後ろを歩いていたビクターが、マテリアの隣に並ぶ。


「当たり前だろ。まさか私が死んで百年経った後に、ハミルと会えるなんて思わなかったんだから」


「その割には、会う寸前まで忘れてたよな」


「人が気にしていることを……」


 マテリアは恨めしさをこめてビクターをにらむ。


 自分自身が信じられない。あれだけ一緒にいたハミルを忘れるなんて。


 今は忘れていたことが嘘のように、ハミルとの思い出が胸に詰まっている。

 彼を思い出せて、本人とも会えた。

 百年後に甦ったことを、心の底から嬉しく思う。


(まだ自分が死んだ辺りは思い出せないけど、まあいいや。ハミルを思い出せたから)


 左の獣傷をなでながら、マテリアは破顔した。


「明日もハミルと夕方に会う約束ができたし、またいろんな話ができる。ビクターも来るか?」


「オレはやめとく。せっかくの再会を邪魔しちゃあ、ハミルに恨まれそうだからな」


 いつもの軽い調子だが、ビクターの目は笑っていない。

 様子がおかしい。探るようにマテリアが彼の瞳をのぞきこむと、


「あー、やっとオレを見てくれたな」


 そう言ってビクターは頭をかいた。


「ハミルと再会してから、ずーっとハミルのことしか見てない。本人がいなくても、頭の中で延々とハミルのことを考えてるんだろ? ちゃんとオレをかまってくれないと、いじけるぞ」


 マテリアは「勝手にいじけてろよ」と、ビクターの腕を小突いた。


「しょうがないだろ、会ったばかりだし。それに百年前も、ハミルが教皇になってからは会えなかったし……」


 一介の農民が教皇に近づくことは叶わず、もし近づくことができても、多忙な執務を邪魔するだけで迷惑をかけてしまう。


 それに、自分からハミルへ「教皇になってほしい」と言ったのに、会えば「昔に戻りたい」と言ってしまいそうで会えなかった。


 今日みたいな日がずっと続くといいのに。

 マテリアが顔をゆるませていると、目の前でビクターが神妙な顔つきに変わる。


「なあ……真面目な話、マテリアはこれからどうするつもりだ?」


 急に話を振られ、マテリアはまごつく。


「どうするって、せっかくハミルと会えたから……」


「これからどう生きるつもりだ? ハミルと一緒にいたいと思っても、アイツはお前と違って、教会に望まれて甦ったんだ。今はロンドたちの協力があるから会えるが、ずっと続けるわけにはいかないだろ?」


 考えないようにしていた現実を、ビクターから突きつけられる。

 思わずマテリアは視線を逸らして言葉を探す。


 けれどいい考えも、現実から逃げる言葉も浮かんではこない。

 低くうなっていたマテリアの肩に、ビクターが手を乗せた。


「ハミルと会うときが一番嬉しそうなのは認めるが、あんな教会に囲われて、百年後の世界をよく知らない箱入り男が、お前に何をしてやれるんだ? そう思うから、正直オレはハミルを好きになれねぇ」


 思わぬ言葉に、マテリアはビクターの目をじっと見つめる。


「ビクター……」


「オレが甦らせた手前、お前には幸せになってもらいたい。そのためなら、何でもつき合ってやる。この世界で生きていく手段も、知識も、必要なだけ教えるつもりだ」


 ビクターの声は静かで優しいのに、気圧されて何も言い返せない。


 浮かれていたマテリアの心が、急に落ちこんでいく。

 ただハミルと会って話ができれば、それでいいとしか思っていなかった。


 一体、自分はどう生きたいのだろう?


 マテリアが考えを巡らせている最中、ビクターが「もしよければの話だが」と、歯を見せて笑った。


「オレと一緒に世界を旅しないか? 面白いぞー。前に言った汽車にも乗れるし、見たことのない食べ物もいっぱいある。街も、建物も、そこら辺に生えている雑草でさえ全然違う。一生かけても全部楽しみ切れないんだぞ。どうだ?」


 世界を旅する……すごく魅力的だ。想像しただけでも胸がワクワクする。

 マテリアは思わず瞳を輝かせる。


 この国を出たことがないから、外の世界には興味がある。

 小さい頃、街で流行っていた旅行記をハミルから読み聞かせられたときも、今みたいに胸を高揚させていたのを思い出す。


 一度だけ自分がうなずけば、それで外に行ける。


 けれど、ハミルと離れなくてはいけない。


 不意にぼんやりと、マテリアの脳裏に記憶が浮かんだ。


「行ってみたいけど、またハミルを置いていくなんて――」


 また?

 自分で言っておきながら、自分の言葉にマテリアは驚く。


 また、ということは、昔もハミルを置いてどこかに行こうとしていた?


 だんだん頭が痛くなってくる。鋭くなっていく痛みが、浮かぼうとしていた記憶を沈めていく。

 マテリアは顔をしかめ、額を押さえる。


「焦るな焦るな。時間は十分にあるんだ、これからゆっくり考えればいいって。でも、これだけは忘れるなよ。過去は過去だ、大切なのは今なんだからな」


 そう言いながら、ビクターはマテリアの頭をなでる。

 まるで兄妹……いや、親子のやり取りだ。くすぐったいところが、ひどく安心できた。


「ありがとうビクター。しっかり考えておくよ」


 肩から力を抜くと、頭痛は一瞬で消える。

 深呼吸をして気持ちを落ち着けると、マテリアは元気に笑ってみせた。


 ビクターが安堵したように、大きく長い息を吐く。

 と、おもむろにビクターがマテリアの手をにぎる。


 急に手が温もりに覆われて、マテリアは目を丸くした。


「ビクター? 別に手をにぎらなくても、私ははぐれないぞ? 小さな子供じゃないんだから」


「この流れで、どうしてその言葉が出てくるんだ。本っ当に色気のないヤツだな。そういうつもりじゃない」


 ビクターは一度苦笑してから、ふと真顔になった。


「ちょっと、渡したくないと思ってな」


「……何を言ってるんだ、ビクター?」


「いや、何でもない。さあ早く宿に戻ってメシ食うぞ。腹が減りすぎて調子が出ねぇ」


 腑に落ちないマテリアを無視して、ビクターはにぎった手を強く引き、人の洪水へと身を投じる。


 すれ違う人と、どれだけ肩がぶつかっても、行く手を遮られても、はぐれる気はしなかった。


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