一章 死人還りの秘薬
リンゴーン、ゴーン……ゴーン……。
一日の終わりを告げる鐘とともに、僧侶たちは一斉に言霊をとめる。
誰一人の息づかいさえ聞こえぬ静寂。
皆が壺からあふれてやまない光を確かめると、一様に胸をなで下ろした。
そんな中、少年はそっと壺を抱えて奥の間へ立ち去ろうとする。
扉の前で足を止めると、後ろをふり返り、若いながらも凛とした声を張りあげた。
「今日はありがとうございます。皆様のおかげで、無事に儀式を終えることができました。これをもって解散といたします」
「ロンド様、儀式が滞りなく無事に終えられたこと、心からお喜び申し上げます。さすがは次代の教皇となられるお方でございます」
近くにいた僧侶に一礼され、ロンドはあわてて首をふる。
「い、いえ、そんな……まだ修業中の身ですから」
「ご謙遜を。まだご成人されていないのに、近年誰も成功させたことのない、この秘薬作りの儀式を成功させるとは……感服いたしました」
別の僧侶が、新たに賞賛の声を送る。
次期教皇という地位になってから、こんな声をよく聞くようになった。
が、未だに慣れず、ロンドは頬を赤くする。
思わず周囲の頬がゆるむ。
誰かが「本当に謙虚なお方だ」とつぶやき、まばらに僧侶たちがうなずいた。
顔どころか耳まで赤く染まり、ロンドはたどたどしく口を動かす。
「あ……、み、みなさん、私はこれから壺を教皇様の元へ運びますので、これで失礼します」
焦りつつもロンドは僧侶たちに頭を下げ、硬い足取りで扉の向こうへ姿を消した。
奥の間へ続く廊下に一歩足を置くと、硬いタイルから、赤い絨毯の優しい感触に変わる。
アーチ状の天井と、均等に並んだ窓が奥まで続いており、突き当たりに奥の間の入り口が小さく見える。
横幅のある廊下は広々しており、窓からは手入れされた中庭が見える。荘厳ながらも重苦しさを感じさせない廊下だ。
扉の近くで待機していた教皇の側近シムが、ロンドへ寄ってくる。
コシのない灰色の髪。目も、手足も、体全体がやけに細い。気弱な印象を受ける僧侶だが、こちらを見下ろす目はどこか冷ややかだ。
シムと目を合わせないよう、ロンドはわずかに視線を落とす。妙に緊張して唇が乾いた。
「ロンド様、どうぞ奥の間へ」
恭しく頭を下げるシムに内心怯えながらも、ロンドは誠意をもって一礼しようとする。
「は、はい、ありがとうございます」
「やめてください! 万が一、壺の中身がこぼれたらどうするんですか!」
シムの鋭くなった声に、ロンドは身を固める。
ゆっくり視線を下ろして壺の中を見ると、中の光が傾いて、危うくこぼれそうになっていた。
思わず「すみません」とシムに再び頭を下げることを何とかとどまり、ロンドは慎重な足取りで廊下を歩きだした。
廊下の中ほどへさしかかったとき、ふとロンドは壺の光を見つめる。
小さな太陽が入っているかのような、生命力を感じさせる光。思わず感嘆のため息が出てしまう。
しかし、この光がもたらす奇跡を思うと、ロンドの胸がさわぐ。
(どうして、この秘薬を作ることになったんだろ? ……死人還りの秘薬なんて)
自分たちが信仰しているのは、光を崇拝するライラム教というもの。この教会では、世を照らす光を崇め、悩み苦しむ者に光の道筋を教えている。
そんな人生に窮した者を救うために、光の法術を使い、癒しと加護を与える――それがライラム教だ。
始祖ハーヴェイが提唱したライラム教は、光を唯一の神とし、光の精霊の力を借りた奇跡で人々を救い、世の理を説くというもの。
教えの一説には、こう記されている。
『人は光の元に生まれ、いつか闇に還る。御魂は闇に光を奪われ、静かに闇へなじむ。そうして光を失いし御魂は光を求めて、再び光の元へと生まれ出る。
むやみに闇を拒むことなかれ。闇は再び光へ戻るための行程である』
光は生、闇は死。
光と闇を魂は行き交っており、その流れを恐れ、意味なく逆らってはいけないという教え。
しかしロンドが手にしている秘薬は、その流れを変える物。
(何を考えていらっしゃるんだろう? 教皇ヴィバレイ様は……)
気がつけば長い廊下は終わり、ロンドは奥の間へたどり着いていた。
奥の間に扉はなく、入り口からは金色にきらめく華麗な祭壇が見える。
部屋の中央では、胸元で両手を組み、ひざまずいて祭壇に祈りを捧げる老僧侶の姿があった。
祈りの言葉を言い終えた頃を見はからい、ロンドは教皇の名を呼んだ。
「あの、ヴィバレイ様……」
ロンドに気づいた教皇ヴィバレイは立ち上がり、足早にロンドの元へ歩み寄った。
齢を経て曲がった背筋。幾重にも顔へ刻まれた皺。腹部にまで伸びた立派な白髭は口元を隠しており、うまく表情がつかめない。
しかし、今は小さな目がゆるやかに曲線を描き、機嫌のよさが読み取れた。
「おおロンド! 儀式は成功したようだな」
「はい。無事に秘薬を完成させました」
背筋を正してロンドが答えると、ヴィバレイは満足そうにうなずいた。
「見事だ。予定よりも少々量は多くなったが、まあいい。よくやってくれた」
ヴィバレイが顔と同じ皺ばかりの手を差し出す。ロンドは壺を落とさぬよう、ヴィバレイに手渡した。
尋ねるなら今しかない。
満足そうに壺をのぞくヴィバレイへ、ロンドは上ずった声で尋ねる。
「あの、ヴィバレイ様。ひとつお聞きしてもよろしいですか?」
「別にかまわぬが、何を聞きたいのだ?」
「僕たちは『むやみに光が闇へ還る流れに逆らってはいけない』と教えられてきました。秘薬の作り方は伝わっていますが、過去に作られたのは数えるほどです」
死人還りの秘薬を作る前に、ロンドは教会の文献に何度も目を通していた。
容易に生死を操ってはいけない、という教えのほかに――秘薬には副作用もあると書かれていた。
文献では、徳の高くない者に秘薬を使えば、生前よりも凶暴性を帯びたとも、破壊欲が強くなるとも書かれている。
中には、世を乱そうとする輩に変わってしまった者もいるらしい。
人格者でなければ、副作用を抑えられない。
そのため教えの中では、容易に秘薬を作ってはいけないと戒められている。
ロンドは胸騒ぎを覚えながら、おずおずと口を開いた。
「ヴィバレイ様は、一体どなたを甦らせようとしているのですか? どうして今、死人還りの秘薬を使わなければいけないのですか?」
小さくヴィバレイはうなると、声を低くして語りかけた。
「うむ……私はな、教皇ハミルを甦らせたいのだ」
ライラム教は千年の歴史を持っており、徳と法力が高い者を代々教皇としてきた。
そんな歴代の教皇の中でも、最も徳が高く、法力が強大と謳われた教皇。
それが百年前に没した教皇ハミルだった。
しばらくヴィバレイは沈黙し、悲しそうに目を細めた。
「本当はな、私の力が枯れるまでにロンドが成人となり、教皇になってくれればと願っていた。だが、今の私ではそこまで体がもたぬ……死期が近づいておる」
ふっ、とヴィバレイの顔がくもる。
「ロンドよ。お前の法力は申し分ないが、それだけでは教皇は務まらぬ。誰もが認める徳と貫禄を身につけなければいかん。その間、私の代わりに教会の象徴となってくれる者が必要なのだ。今より民衆の信仰心を失わぬようにな」
「僕が未熟なせいで……申し訳ありません」
それ以上ロンドは何も言えず、うつむいた。
昔は王の寵愛を受け、国の教えとしてライラム教は民衆に浸透していた。
しかし百年前、絶対王政を覆す革命が起きた。
革命の成功により王政は終わり、それまで国教として扱われていたライラム教は後ろ盾を失った。
民主政になったこの国で、今もライラム教は根づいている。
だが、以前よりも人々は教会に足を運ばなくなり、熱心に信仰する者も少なくなった。都合が悪くなってから、法術を頼って駆けこんでくる者ばかりだ。
一度冷めてしまった民衆の心を、元に戻すことなどできない。
現状を維持することが、どれだけ難しく、教会を存続させるために必要なことか。そんなヴィバレイの深慮がよくわかった。
(すべては僕の力が至らないから……)
ロンドは心を痛めながら、話題を切り替える。
「歴代の教皇様の中でも、どうしてハミル様なのですか?」
「秘薬は人を生き返らせるが、肉体まで若返らせぬ。歴代の教皇はほとんどが老衰で亡くなられている。そんな中、若くして命を落とし、名高かった教皇。それが教皇ハミルなのだ」
ロンドは口に手を当て、ハミルについて書かれた文献を思い出す。確か二十歳の若さで、流行り病で亡くなったと書かれていた気がする。
一体どれだけ素晴らしい人だったのだろうか? 会えるならば、ぜひ色々な話を聞いて学びたい。しかし秘薬の副作用をハミルに背負わせたくない。
そう思うと心苦しくなり、ロンドの息が詰まった。
ヴィバレイが踵を返し、祭壇へゆっくりと向かい壷を置いた。零れる金色の光に窓から射す光も混じり、輝きが増した。
「ロンドよ。ガラスの小瓶を三つ持ってきて、シムに渡してくれぬか? 秘薬を分けなければな」
「……はい、ただ今お持ちします」
ハミルの復活に、どうしても罪悪感を覚えてしまう。ロンドは晴れぬ心のまま頭を下げ、奥の間を出た。




