表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/42

   欠けていた記憶




 次の日。マテリアの目覚めは、いつになく爽快だった。


 目の周りが少々腫れた感じはするが、気分は雲のように軽い。

 ベッドから体を起こし、背伸びしながら窓際へ向かう。


「今日もいい天気だぞ、ビクター」


 マテリアは勢いよく、水色の空を透かした窓を開放した。

 ほのかに暖かい風と、いつもより賑やかな街の喧噪が部屋に入りこむ。


「た、頼む……寝させてくれ」


 朝から元気なマテリアに対し、ビクターは未だベッドに横たわり、枕から頭を離そうとはしなかった。


「昨日マテリアが俺の腕の中で眠った後、オレの服をつかんで離さねぇし……その間ずーっと抱えてたから腕がダルいし、オレは眠れないし……大変だったんだからな」


 ビクターは、頭まで布団を被って寝ようとする。


 そんなの知ったことか。

 マテリアは無骨にふくらんだ布団ごと、ビクターを激しく揺さぶった。


 が、ビクターは動かない。そっちがその気ならばと、マテリアは布団に埋まったビクターの上へ乗り、勢いよく布団をはぎ取った。


「おはよう、ビクター」


「ったく何なんだ、その無駄な元気は? どうせ上に乗るなら、そんなガキ大将みたいじゃなくて、もっとこう悩ましげに色気出しながら――」


 マテリアの背筋に悪寒が走り、はぎ取った布団をビクターの顔に押しつける。


「寝ぼけたこと言うな。そんなに寝たいなら、一生寝てろ!」


「わ、わかった、起きる。起きるから手をどけてくれ! く、苦しい……」


 マテリアが軽やかにベッドから降りると、ビクターは目を閉じたまま、のっそり体を起こした。


「どうせ働いてないんだから、もっとゆっくり寝ればいいだろ。元農民だから早起きってか? ……うん? 外が騒がしいな」


 外の賑わいに気づき、ビクターは目をこすりながら窓を見る。


「そうなんだ。祭りでもあるのかな?」


 マテリアは窓から身を乗り出して外を眺める。

 宿の前の通りでは、両脇に多くの人が集まり、間近にいる者と談笑していた。


 真下の声を拾おうと、マテリアは耳をすます。野太い中年の声と、しゃがれた老婆の声が聞こえてきた。


『どうしたんだ、この騒ぎ?』


『あんた知らないのかい? 教会がこの間、百年前の教皇様を生き返らせたんだよ。その方を見せるために、これからパレードをするんだよ。ありがたや、ありがたや』


『百年前の教皇様だって?』


『ああ、そうだよ。教会で復活の儀式を見た者たちが、あの方を街の者に見てもらいたいと言い出してなあ。ま、アタシもそのうちの一人なんだけどねぇ』


『その教皇様がここを通るのか。そりゃ楽しみだ』


 百年前の教皇……その言葉に、マテリアの鼓動が大きく脈打つ。


(私が小さい頃の教皇は、ヨボヨボの爺さんだったな。その次は……あれ、誰だっけ?)


 まったく馴染みもない老教皇は思い出せるのに、自分が大きくなってからの教皇は思い出せない。

 マテリアが何度も首をかしげていると、後ろからビクターに肩を叩かれた。


「どうしたんだ?」


「教会で百年前の教皇が生き返ったらしい。これからパレードで、ここを通るみたいなんだ。でも、どんな人だったか思い出せなくて……」


「ふーん。これから前を通るなら、ちょうどいいじゃねぇか。顔を拝めば思い出せるだろ」

「それもそうか」


 素っ気ない口ぶりとは裏腹に、マテリアは窓枠に腰かけ、食い入るように通りを見つめる。

 人々の歓声が、左手から聞こえてきた。


「あ、来たみたいだな」


 早く顔を見たくて、マテリアは首を伸ばし、片手を窓枠に引っかけて体をギリギリまで外へ出す。


「馬鹿! そんなに出るな、落ちるだろうが」


 ビクターがあわててマテリアの腰を引き寄せ、しっかり体を固定してきた。

 ムッとマテリアが目をすわらせると、ビクターは呆れ顔でこちらをのぞきこむ。


「マテリア、そんなにヨボヨボ白髭じいさんに会いたいか?」


「いやいや、それはさらに前の教皇。じいさんではなかったよ」


 これでもかとマテリアは首を振る。ビクターは「はいはい」と気のない相づちを打ち、マテリアと一緒に通りを眺めた。


 しばらくして、通りの向こうから馬車が現れる。人々の声が一段と大きくなった。


 マテリアは目を細めて、通りの真ん中を進んでくる馬車を見る。


「ん? あれは……」


 まだ遠くでよく見えないが、天蓋の外された馬車に二人乗っているのがわかる。

 一人は銀色の長髪の青年。宿とは反対側の通りを向き、手を振っている。


 もう一人は小柄で髪の短い少年……うつむいて顔は見えなくとも、あれがロンドだとわかる。

 ビクターもロンドに気づき、気の毒そうな声を出した。


「ロンドの奴、かわいそうになあ。緊張して真っ赤になってやがる」


「こういうの苦手そうだもんな、ロンドは……うーっ、さっきから百年前の教皇が、向こう側ばっかり見て、こっちに顔を見せないな」


 馬車はもう少しで宿屋の前を通りすぎる。まだ百年前の教皇は、マテリアに頭しか見せていない。


「おーい、こっちにも顔を向けてくれよ!」


 これだけの人だ、自分の声なんか届かないだろう。期待せずにマテリアは声を張り上げる。


 手を振っていた長髪の教皇の動きが止まり、素早い動きでこちらを振り向く。


 マテリアと目が合う。

 彼の澄んだ蒼の瞳が丸くなっていた。


 絵空事のように美しい教皇。そんな彼の姿を見ても、感嘆のため息は出てこない。

 馴染みがありすぎて、その姿を見るのが当然だったから。


(どうして忘れていたんだ?)


 マテリアの手が震える。


 ふざけて遊ぶ自分を、いつも彼はにこやかに微笑んで見守っていた。

 アスタロと、彼と、自分と。いつも三人で遊んでいた。


 大好きで、大切な人。

 左の獣傷がうずき、マテリアは手を添える。


(この傷だって、アイツをかばって作った傷なのに!)


 今まであった胸の空白が、嘘のように満たされていく。


 ずっと足らなかったのは、彼の記憶。


「ハミル!」


 マテリアは窓枠から降り、踵を返す。


「どこに行くんだ、マテリア!」


 驚いたビクターの声を聞きながら、マテリアは立ち止まらずに部屋から出ていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ