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   昔とは違う自分

   ◆  ◆  ◆



 ダットの街に訪れた闇を、月が淡い光で優しく包みこんでいた。


 宿屋のカーテン越しにも、月はおぼろげに部屋へ光を送る。

 瞼を閉じているのに、マテリアの視界がぼんやり白ける。


(……眠れない)


 体は疲れている。なのに、引いては押し寄せる思考のさざ波が、眠気を感じた途端に追い出してしまう。


 頭に浮かぶのは、昼間のことばかり。


(何だったんだ、あれは……剣を振るうことが気持ち悪いなんて)


 まだ記憶は完全に戻っていないが、剣を振るうのは楽しかったはず。

 ただ剣で遊ぶだけじゃなく、狩りで獣の命を奪ったこともある。

 昔はそれが当たり前だと思っていたのに……今は剣が何かを傷つけ、命を奪うと考えただけで吐き気がする。


 嫌悪している、大好きだった剣を。

 こんな気持ち、知らない。


 けれど、これから百年経ったこの世界で生きなければならない。

 今さら昔に戻りたいと言っても、無理な話。


(でも……こんな自分、知らない)


 寝返りをうち、マテリアは月の微光に背を向ける。


 いつの間にか目にたまっていた涙が、頬に流れた。

 マテリアはあわてて涙をぬぐい、息苦しくなった鼻を、ズッとすする。


 隣でベッドがきしみ、布団のめくれる音がした。


「あーあー。やっぱり昼間のこと、吹っ切れてなかったな」


 ぎちりと、もう一度ベッドが鳴り、足音が二歩。

 マテリアが目を開けると、ビクターが枕元に立っていた。


 部屋の中は薄暗かったが、闇に慣れたマテリアの目は、ビクターの顔をしっかりと映す。

 いつも通りの笑みを浮かべた顔だが、心なしか表情は柔らかい。


 体を起こしながら、みっともない顔は見せられないと、マテリアはしきりに顔をぬぐう。


「すまないな、起こしてしまって」


「隣で女の子に泣かれりゃ、男だったら誰でも起きるって。そして慰めるのがお約束。気にすんな」


 ぽんぽん、とマテリアの頭を優しく叩き、ビクターがベッドに腰かける。

 ベッドは大きく鳴り、彼の座ったところがたゆんだ。


「ま、泣きたくなるわな。オレだっていきなり生き返って、百年後の世界だって言われたら心細くなるし。調子狂うのは仕方ないことだろ」


 マテリアはビクターの顔をまじまじと見てから、激しく首を横に振った。


「心細い? ……違う! わけがわからないんだ。昔も今も、私は私のはずなのに……昔は当たり前にしていたことが、どうしてできない? 何で好きだったものが、汚らわしく感じるんだ?」


 考えていたことを言葉に出すと、次から次に戸惑いが出てくる。

 高ぶるマテリアとは逆に、ビクターは静かにこちらを見つめ続ける。


「こんな私は知らない! でも私は私でいる……今の私は一体何なんだ!?」


 頭の中は目まぐるしく動くのに、言葉が追いつかない。


 気が狂いそうだ。

 我知らずにマテリアは己の両肩をつかみ、爪を深く食いこませる。


「やめろ、マテリア! 自分を傷つけても意味ないだろ」


 ビクターがマテリアの手首をつかみ、動きを止めた。


 不意に見上げたビクターの顔には、いつもの笑みは消えていた。

 真顔の彼は、どこか思い詰めたような顔をしている。


「……お前は、オレを責めないんだな」


「え? 何でビクターを責めなきゃいけないんだ?」


「マテリアが今こうして苦しんでいるのは、オレが秘薬をまいて、お前を生き返らせたからだろ? オレがお前を苦しめる元凶を作った。違うか?」


 普段から飄々として、おどけた言動ばかりの男が、まさかそんなことを考えていたなんて。

 人は見かけによらないな、とマテリアはビクターの見る目を変える。


「ひょっとして、今の今までそれを気にして……」


「当たり前だろ。そうでなかったら、自腹切って宿代やら、食事代やら払わないって」


 確かにロンドと違って、他人に尽くすという男ではない。

 不覚にもマテリアは吹き出して咳きこむ。


 ビクターはがくっ、とうなだれた。


「何でこの場面で笑えるんだぁ? オレはこんなに真剣なのに」


「ゲホッ、ごめん。ビクターらしくないなーと思ったら、つい……気にしなくていいよ。済んだことを責めても意味がないし、責める気もないよ」


 再びビクターは顔を上げ、わずかに苦笑する。


「不器用なヤツだな。オレを責めれば、もっと楽になれるだろうに。だから自分の中にいろいろためこんで辛くなるんだ」


 はっきり「違う」とマテリアが言おうとした瞬間。

 肩をつかんでいたビクターの手が、マテリアの背へ回される。


 昼間より柔らかな抱擁。

 慣れない扱いが、妙にくすぐったい。


 でも、こんな抱擁を知っている。

 一体どこで、誰が? 


 マテリアが体を強張らせていると、ビクターがさらに抱き寄せて、忍び笑う。


「襲う気はないから安心しろ。こうやってオレの顔を見ないほうが、言いやすいだろ?」


「言いやすいって、何を?」


「弱音とか不安とか、いろいろだ。言ってみろよ。オレはできた人間じゃないが、それぐらいは受け止めてやるから」


 そんなこと、しなくてもいい――そう言おうとして、マテリアは言葉に詰まる。


 今まで胸にためこんでいたものがあふれていく。

 やっと言いたかった言葉が、マテリアの口から出た。


「記憶を思い出せば、昔の自分に戻れると思ってたのに……昔の私は今の私と食い違ってばかりだ。この記憶が私のものなのか、わからなくなってくる。どっちが本当の私なんだ?」


 震える声に嗚咽が混じりそうになる。

 マテリアはビクターの胸元にしがみつき、言葉を続けた。


「百年経ったダットの街は、見覚えのないものばかりだった。知っている人もいない。そのうえ、自分のことさえわからないなんて……」


 優しくビクターがマテリアの背をなで、耳元でつぶやいた。


「ひょっとしておびえているのか? 昔と違う自分自身に」


「……そうかもしれない。ビクター、どうすればいい? どうすれば昔の私に戻れるんだ? こんな私なんて……」


 声が詰まって、次の言葉が出せない。

 しばらくしてから、ビクターがうなった。


「んー……なあマテリア、どうせ昔に戻れないなら、今さら昔の自分に戻ろうとしなくていいんじゃないか? 昔の自分と違うって、誰だってそうだろ。子供は大人になっていくし、考えだって変わる。何かひどいことが起きて、性格そのものが変わるヤツもいる。昔のままでいられるってほうが無理な話だ」


 ビクターの言葉に、マテリアは目をまたたかせる。


「それはそうだけど……」


「変わるっていうのは悪いことじゃない。こう見えてオレは昔、不幸のどん底だったが、今は自由に旅ができるから幸せ真っ最中なんだ。不幸なヤツは、ずーっと不幸でいなくちゃいけないのか? 違うだろ?」


 言われてみると、確かにうなずける。

 マテリアの胸中で暴れていたものが、次第に鎮まっていく。


 剣が思うように振れないのは悔しいけれど、昔の自分に戻ろうとしなければ、気は楽になる。


 楽になりたい。

 けれど、何かがマテリアの中で引っかかった。


「……本当に私は、今を受け入れていいのか?」


「いいに決まってるだろ。せっかく生き返ったんだ、人生楽しまなきゃ損するぞ」


「本当に?」


「オレがいいって言ってるんだ。それで納得しとけ」


 強引に押し切られた気もしたが、誰かにそれでいいと言われるだけで嬉しい。

 自分を受け入れてくれる言葉と抱擁が心地よい。


 強張っていた体から力が抜け、マテリアはビクターへ体を預ける。

 包みこむ腕が温かくて、眠気が一気に押し寄せる。


(ホッとする。でも――)


 意識が薄れていく中、マテリアは一瞬自分の心と向き合う。


(――私は本当に、楽になっていいのかな?)


 ずっと胸に巣食っていたもやもやは消えた。

 それでも胸の奥がうずいて、再び涙がマテリアの頬を伝った。


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