三章 道の途中で
一行が早朝にダットの街を出て二刻ほど。日は山の尾根から顔をのぞかせ、淡い蒼天に光を送る。
つい一か月前まで萌黄の若芽を生やしていた木々も、今は緑を深くして日差しにきらめく。
愛馬に乗って山道を登りながら、ロンドは冴えた空気を吸いこむ。
後方からは馬に乗った数名の僧侶たちと、徒歩で護衛につく者たちの足音が聞こえた。
今日は人手が足りず、ガスト以外の警護隊は教会の警護に回っている。
その代わりに酒場などで雇った、腕に覚えのある者たちが護衛についている。その中にはマテリアとビクターの姿もあった。
背筋を伸ばして空を眺めていると、前でロンドの馬の手綱を引いて歩くガストが振り向いた。
「ロンド様、疲れていませんか?」
「僕は大丈夫です。それよりも、ガスト様たちは大丈夫ですか? 街を出てから、ずっと休みを取らずに歩いて……」
ロンドは並んで歩くマテリアとビクターを交互に見交わし、様子をうかがう。
自分を護衛するために来てくれたのは嬉しいが、馬の都合がつかなくて、護衛についた者を歩かせるのは申し訳なかった。
「私は大丈夫だよ。ひと山歩いて往復するなんて、いつもやってたから」
「オレも同じく。馬車賃ケチって山越えするのが当たり前だったからな」
気づかっているのかと思ったが、二人の表情は晴れ晴れとして血色がいい。
後ろを振り返って、馬に乗った僧侶たちを見ると、彼らのほうが白い顔をして疲れを見せている。
「しかし……情けないなあ。これぐらいの距離、大人も子供も歩いてたのに。百年経って弱くなったなあ」
マテリアも後ろを振り向いて、肩をすくめる。
「そう言われると何も言えません。僕は非力だから、もっと筋肉をつけたほうが……ガスト様、教会へ戻ったら僕を鍛えてください。お願します」
本気で鍛えるつもりで口にしたが、なぜか三人は困ったように眉根を寄せ、珍妙な面持ちでロンドを見ていた。
「……ロンドはそのままがいいと思う」
「確かに。私もそう思います」
マテリアとガストがうなずき合う。
そんなに変なことを言っただろうか? 首をかしげるロンドへ、ビクターが「だってなあ」と苦笑を向ける。
「鍛えて筋肉ムキムキのロンドなんて、お前らしくないぞ」
三人に言われて、ロンドは筋肉がついた自分を想像し……確かに似合わない気がしたので、あきらめがついた。
マテリアが小さく笑い、ロンドの脚を叩く。
「やっぱりその歳になると、そんなこと気にするんだな。アイツも体格のよかったアスタロと比べて、自分の細い腕を気にしてたな」
「マテリア様のご友人ですか?」
少しでも記憶が戻ってよかった。ロンドがそう思った矢先。
――突然マテリアが頭を抱えてうずくまった。
「大丈夫か、マテリア!」
あわててビクターがマテリアに駆け寄る。
ロンドも馬から降りて、彼女の様子に固唾を呑む。
「頭が痛い……アイツって、誰だ? 顔が出てこないのに、胸の中がもやもやする」
「無理して考えるなよ。こういうのは苦しんで思い出さなくても、何かボーッとしてたらポンッと思い出すって」
いつも通りの口調で話しかけながら、ビクターはマテリアの背をなでる。
その顔から普段の軽さは見当たらず、なぜか彼も苦しげに目を細めていた。
後方からの一行もこちらに追いつく。僧侶たちや警護についた者たちも、疲れで表情が強張っている。
早く村に行って用事を済ませたいが、みんなに無理をさせるわけにもいかない。
ロンドは辺りを見渡し、木陰を指さした。
「皆様、木陰で休憩を取りましょう」
誰もロンドの意見に反論する者はおらず、各々に助かったと言わんばかりのため息が出てきた。
ビクターとロンドでマテリアを立ち上がらせ、道ばたの木陰へと連れていく。
地面に腰を下ろした彼女は、うつむきながら何度も深呼吸をくり返す。
「マテリア、水だ。飲めるか?」
馬を木にくくりつけた後、ガストが革の水筒をマテリアに差し出す。
息を整えてから、彼女はしっかと水筒をつかみ、見ているほうがむせそうな勢いで水を飲んだ。
「ありがとうガスト、助かった」
水筒をガストに返すと、マテリアは両手を後ろについて木々を仰いだ。
「急に痛くなったから、びっくりした。今までこんなことなかったのに」
「元気とたくましさが取り柄ってか? 少し弱ってたほうが、かわいげが出てちょうどいいかもな」
笑いながらビクターが彼女の頭をなでる。
不本意そうにマテリアは唇を尖らせたが、その顔にはずいぶんと元気が戻っていた。
「まだ目的地まで距離がありますから、ゆっくり休みましょう」
「ありがとう、少し甘えさせてもらうよ」
気づかうロンドに笑顔を返し、マテリアは「そういえば」と言葉をつなげる。
「あんまりゆっくりしてると、山賊に襲われるんじゃないか? 百年前はこのあたりによく出没して、子供の頃から遊びついでに撃退してたな」
「何だぁ、その嫌な遊びは。子供なら子供らしく、人形遊びでもしてろよな」
もっともなビクターの意見に、マテリアは不思議そうに目をまたたかせた。
「人形を動かして何が楽しいんだ? 自分の体を動かしたほうが、よっぽど楽しいじゃないか」
マテリアから水筒を戻されたガストが「そういう問題じゃないだろ」とつぶやき、呆れたように大きなため息を吐いた。
まだ知り合って数日だが、マテリアらしい子供時代だ。
ロンドは苦笑しながら、彼女の隣に座る。
「最近もたまに話を聞きますが、そんな頻繁に現れるものではありませ――」
ザッ。
ロンドが話をする最中、一行が通った道から、何かの歩く音がした。
誰もが一瞬体を強張らせ、元来た道を見る。
そこにはつぶらな目をした愛くるしい雌鹿が、藪から現れて道を横断していた。
「何だ、脅かしやがって。まあ今どき山賊と言っても、もっと商人やら旅人やらが通る街道に出るからな」
「確かに。この通りで山賊が現れた話は、聞いたことがない」
かなり緊張したのだろう。ビクターに同意しながらも、ガストは細く息を吐き出し、額ににじんだ冷や汗をぬぐった。
「出てこないなら、それでいいんだけど……あれ?」
マテリアが横を向き、調子外れな声を出す。
「なあロンド、人が増えてないか?」
「……え?」
言われてロンドも、彼女と同じほうを向く。
確かに人が増えている。
手に手に剣やナタなどを持った、十数人ほどの男たちだ。