あきらめの微笑み
奥の間の祭壇に向き合い、教皇ヴィバレイは胸の前で手を組んで祈りを捧げていた。
今日はハミルが甦る、特別な日。祈りにも気合が入る。
ふと廊下から足音が聞こえてきた。
ヴィバレイは祈りをやめ、出入り口に顔を向けた。
(誰だ? 儀式の成功を、私に報告しにでも来たのか?)
秘薬の儀式は成功している。後は秘薬をハミルの亡骸にかければいいだけの話。失敗しようがない。
ヴィバレイは気分よく来訪者を出迎えようと廊下へ向かう。
廊下をのぞくと、一人の秀麗な青年僧が立っていた。
見覚えのない顔だったが、人とは思えぬ清楚な美貌と、背まで伸びた銀髪は、文献で読んだ通りの姿。
「おお……ハミル殿か」
「貴方が現教皇のヴィバレイ様ですか。初めまして」
丁寧な口調だが、ハミルの顔には一切の表情がない。それがかえって壮麗さを増している。
「ロンドには離れてもらいました。そうでもしないと、貴方は本当のことを話してはくれないでしょうから……彼は純粋すぎる。真実を話すには、彼の目は後ろめたいのでは?」
「本当のこと? 何のことだ?」
わざとヴィバレイがとぼけてみせると、ハミルはため息をついた。
「私を甦らせた目的です。この世に死人還りの秘薬があるのは知っていましたが、ライラム教に存在するとは意外でしたよ。教皇であった私でさえ知らない秘術を使い、なぜ私を甦らせたのですか?」
どうやら見た目のように、大人しく清らかな教皇ではなさそうだ。
ヴィバレイは目を細め、白い顎髭をなでた。
「伝書に違わぬ賢明なお方だ。ではさっそく本題に入ろう。ささ、中に入られよ」
ヴィバレイに招かれ、ハミルが奥の間へと足を踏み入れる。
彼は金色の祭壇を見やると、軽く目を閉じて長息を吐く。
「昔と変わっていませんね。無駄にハデな祭壇は」
「ハミル殿がそれを言うか。この祭壇は、かつての王がハミル殿のためにこしらえた物。作らせたのは貴殿では?」
ハミルは微笑みながら目を細め、首を横にふる。
「私は何も……王が私へ入れこみ、民の金を使って職人に作らせた物。要は貢ぎ物です」
「物は言い様だな。私の前できれいごとは言わずともよい。私は知っておる。この国の誰も知らない、百年前の真実を」
ヴィバレイは法衣の懐から、臙脂色の表紙に豪華な文様が施された、古びた書物を取り出す。
その刹那、ハミルの眉間に皺が寄る。
「それは……」
「清廉な教皇を演じながら、その裏では王を操り、この国を支配していた――私が若い頃、書庫でこの国最後の王の手記を見つけ出してな。王を手玉に取ったその英知を、ぜひとも借りたいと思ったのだ」
皺からのぞく目を、ヴィバレイは鋭くさせた。
ハミルの涼しい顔が崩れたのは一瞬だけ。すぐに彼は表情を消す。
「一体、私に何をお望みで?」
多少の反発を予想していただけに、彼の態度が投げやりになっているように見える。
ハミルが亡くなったのは二十歳の頃。
まだ青二才かと、ヴィバレイの気分が大きくなる。
「実はな、貴殿にロンドの後見人になってもらいたいのだ」
「後見人がご希望なら、わざわざ私を生き返らせなくてもよかったのでは?」
淡々と話しながら、ハミルはヴィバレイに冷ややかな視線を向けた。
おそらく「そんなことのために、人を甦らせたのか」と言いたいのだろう。
そんな冷視をもろともせず、ヴィバレイは理由を告げる。
「単にロンドが一人前になるのを見届けるだけなら、よほど高齢の教皇でなければ、誰でもよかった。だが……それだけではライラム教は廃れるだけ。私は最盛期のライラム教を取り戻したい。ハミル殿の時代の、国さえも操ることができたライラム教を」
次期の教皇に定められてから、ずっと心に秘めていた大望。
王の手記を見つけたとき、ハミルならば望みを叶えられると思った。
そして――死人還りの秘薬の作り方を探した。
技法を見つけたとき、大望は夢ではなく、現実に浮上していった。
ライラム教は本来、いかなる理由があろうとも、生と死の流れに逆らってはいけないという教え。
それをすり替えるために、古の経典が見つかったとして、秘薬の技法をライラム教の教典に紛れこませるのは容易かった。
生死を行き交うことに触れた部分は、ほんの少し言葉をつけ足し、『生死の流れを、むやみに逆らってはいけない』と意味を変えた。
過去に秘薬が使われた事例もでっち上げ、信憑性をもたせた。
当時は首をかしげる者もいたが、今ではこの教えが浸透し、僧侶の誰もが疑っていない。
そして秘薬を作れるだけの法力を持つ者を根気よく育て、力を身につけたのがロンドだった。秘薬を作るためだけに、次期教皇の肩書きを与えたようなもの。
ヴィバレイはハミルに近づき、濁った目で笑いかける。
「ハミル殿なら、ロンドを意のままにすることも容易だろうて。どうかね、悪い話ではあるまい? 貴殿の居場所は教会しかない。教皇として育てられ、教皇として生きてきた貴殿に、教会を離れて生きていく術などあるわけがない」
しばらくハミルは沈黙し、ヴィバレイを見つめ――抑揚のない声で「わかりました」とつぶやいた。
「どうぞ私をお好きに使ってください。私にとって百年後の世界など、何の意味もありませんから」
あきらめにも似た言葉を吐きながら、ハミルは微笑む。
しかしそれははかなげで、今にもこの世から消えてしまいそうな笑みだった。