仕事を探して
ひと通り街を巡り、ロンドやガストと別れた後。
マテリアはビクターに連れられて、一軒の古びた酒場らしき店の前に来る。
よく見ると木造の店の隅は、雨水が染みこんで腐りかけていた。そのせいで一帯に澱んだ空気が漂っている。
「マテリア。ひとつ聞くが、お前剣を使えるみたいだが、昔は何をしていたんだ?」
突然ビクターに質問され、マテリアはうなって思い出してから答えた。
「ダットの街からひと山越えたところにある村の農民だったよ。それは覚えてる……って、ビクター。何だその変な顔?」
ふとビクターを見やると、彼は口の端を引きつらせ、目を生温かくして笑っていた。
瞳からは「嘘だろ?」という嘲笑が、ヒシヒシと伝わってくる。
「そんな腕っ節の強い農民なんて、オレは見たことないな。女だけど、戦士や騎士の後継ぎとか言われたほうが信じられるって」
「百年前のあの頃は、農民は兵士と兼ねていたんだ。私よりも強い農民なんてゴロゴロいたさ。それに、アスタロと剣を交えて遊ぶのが楽しくて、結構練習してたんだ」
ビクターの視線を無視して、マテリアは子供の頃をなつかしむ。
「それに、私は親の畑を手伝ってたけれど、むしろ山で剣の素振りをしたり、夕飯に食べる獣を狩ったりするほうが多かったな」
「本っ当にやることが女らしくないな。ひょっとして左顔の傷、狩りのときに作ったのか?」
言われてマテリアは左頬に手をやる。
「これか? これは……あれ、覚えてない。結構小さい頃に作ったような気がする」
ロンドに街を案内してもらったおかげで、少なからず記憶は戻っている。
けれど、思い出すのは周囲の風景ばかりで、自分自身のことがあやふやなままだ。
考えこむマテリアの背を、ビクターが軽く叩いた。
「まだ生き返って一日も経ってないんだ。しばらくすれば思い出すって。気楽に行こうぜ」
わざとらしく、ゴホンとビクターが咳をはらう。
「元が農民でも、あれだけ剣を使えれば立派な剣士だ。その剣技、オレに貸してくれ」
「何をするつもりなんだ? まさかここに押し入ろう……なんて言うつもりか?」
「あー違う違う。とにかくオレについて来てくれ」
怪しむマテリアの肩に手を回すと、ビクターは強引に酒場の中へ入る。
薄暗い店内には、木のテーブルがいくつか並べられていた。
奥のテーブルでは男たちが酒をあおり、カードゲームに興じている。
「マダム、ちょっといいか?」
ビクターはマテリアを押してカウンターまで行くと、コップをぬぐっていた女主人に声をかけた。体つきは細いが胸は大きく、左の泣き黒子が艶かしい。
「いらっしゃい。あら、この街に来てすぐに……やるわね。こんなかわいい子を連れて」
「そんな色気のある関係じゃない、仕事の相方だ。それにしても、昨日の仕事はタチが悪かったぜ。大変だったんだぞ」
女主人は二人に水を差し出しながら、ビクターの苦情を微笑で受け止める。
「だって貴方、すぐにできる大きな仕事を探してたんでしょ? それに私は応えただけよ。で、今日は飲みに来たの? それとも仕事を探しに来たの?」
「剣技を活かせる仕事を探しに来たんだ。強い相棒がここにいるからな」
誇らしげにビクターは断言し、水を飲んでいたマテリアの背中を強く叩いた。
「んぐっ!」
ちょうど水を飲んでいるときに背中を叩かれ、マテリアは思わず咳きこむ。
恨めしげにビクターを上目づかいでにらむが、彼は女主人から目を離さない。
「用心棒の仕事はいくつかあるわ。依頼書を見てみる?」
「ああ、頼むよ」
女主人は流れるような動きで後ろを振り返り、いくつも小さな引き出しが並ぶ戸棚を探り始める。
しばらくして、女主人が茶色い紙を何枚か取り出し、ビクターへ手渡す。
「結構あるな……さて、どれにしようかなーっと」
ビクターは軽快に紙をめくり、内容を確かめていく。
途中で「ん?」と手を止め、マテリアへ紙を見せてきた。
「見てみろよマテリア。教会から護衛の依頼が入ってるぜ。三日後に次期教皇……ロンドがどっかの村に行くから、臨時の護衛を募集してるんだと」
「ロンドの護衛なら私も賛成だな。これも何かの縁だし」
マテリアがつぶやくと、ビクターはニッと歯を見せて笑った。
「じゃあ決まりだな。マダム、この依頼引き受けるぞ」
子供じみた表情を見せたと思ったら、ビクターはすぐに表情を引き締め、ほかの依頼書を女主人へ返す。
(こんなに表情をころころ変える知り合い、周りにいなかったな。面白いヤツ)
ちょっとだけ興味が出て、マテリアはビクターをぼうっと見上げる。
「それは今日届いたばかりの依頼よ。教会に騒ぎがあったみたいね。警護隊の人が何名かケガをして、人手が足りなくなっているらしいわ。少なくとも確かな仕事だから安心して。その紹介状を持って警護隊のところに行けば、話だけでも取り次いでくれるから」
女主人の言葉に、ビクターは忌々しげに頭をかいた。
「わかった、そうさせてもらう。マテリア、ちょっと依頼書を持っていてくれ」
ビクターはマテリアに紙を渡すと、懐から銀貨を一枚取り出し、「これ紹介料な」と女主人に差し出した。
受け取った依頼書は、マテリアが想像していた物よりもなめらかな感触だった。
紙の端っこを親指と人さし指の間に置き、何度もこすって触り心地を楽しむ。
「ありがとな、マダム。さっそく明日にでも行ってみる。さ、行くぞ」
ビクターにうながされ、マテリアは紙をいじりながら酒場を後にする。
外に出てからもマテリアは紙に飽きず、指でこすり合わせていた。
ビクターが子供をあやすように、マテリアの頭をなで回す。
「そんなに紙が面白いのか、ん?」
「昔はもっとゴワゴワして分厚かったから。羊の革だったし」
「今じゃ羊の革を紙がわりにするなんて、奥地の遊牧民くらいしかやらねぇぞ」
「……ふーん」
関心しながらマテリアは依頼書を広げ、ジッと眺めた。
書いてある文字に、いくつか知らない言葉がある。前後の文字を読めば意味はつかめるが、違和感は消えない。
マテリアが時の流れを感じていると、ビクターがマテリアの肩に手を置き、紙をのぞきこんできた。クセのある髪は、紙面に載った影にも映りこんでいる。
「報奨額は安めだが、これで三か月ぐらいは金に困らないな」
マテリアが見上げると、ビクターは楽しそうに笑っていた。
「世話になっている身だからな。私なりに頑張らせてもらうよ」
「いい心がけだ」
今度は力を入れてワシワシと、ビクターはマテリアの頭をなでくり回した。