かすかに残る面影
◆ ◆ ◆
宿屋から一歩外へ出ると、あまりの様変わりにマテリアは目を見張った。
通りには見たこともない道具や服を並べた店や、彩り鮮やかな装飾品を売る露店などがあった。
威勢のいい声が飛び交う果物売りの店には、まだ見知った面影がある。しかし、昔と比べて売り物の鮮度はいい。
どう見ても厳かな宗教都市には見えない。人々で賑わう商業都市だ。
「何だここは? これがダットの街?」
自分の知っているダットの街は、城下街として立派な館がいくつも並び、貴族や王族が住まう閑静な街だった。
教会の聖誕祭や、戦からの凱旋でもない限りは静かなもので、人の熱気というものには縁がなかったはず。
そして王室の象徴である城が、どれだけ街を見渡しても見つからない。
首を左右に激しく動かすマテリアを、外套のフードを頭にかぶり直したロンドが苦笑する。
「やっぱり百年前とは違いますか?」
驚きで口を半開きにしながら、マテリアはロンドを見た。
「違うもなにも……別の街だよ。だって城がない」
「革命によって王政がなくなったときに、市民の手によって城は壊されたそうです。その後みんなで力を合わせて、ダットの街を造り直したんですよ」
街並みに圧倒されながら、マテリアは目の前の現実を確かめるようにゆっくり歩く。
と、靴から伝わる感触が硬くて、ふと顔を下に向ける。
昔は土だった道には、延々と赤レンガが敷かれていた。
「何でわざわざレンガなんか敷いてるんだ? 硬すぎて歩くの疲れるのに……」
「そんなところから違うのか、そりゃあ戸惑うわな。マテリア、ちょっと向かい側を見てみろ」
ビクターに言われ、マテリアは通りの向こうを見る。
すると簡素な馬車が、悠々と通りすぎていった。
カラカラと回る大きな車輪に目が行き、マテリアは馬車を見送る。
振り向いた先の光景には、馬車が何台も道の脇に停まっていたり、遠くを走っているところが見えた。
身動きしないマテリアに、ガストから呆れたような長息がもれる。
「まさか馬車が珍しいのか? 百年前にもあっただろ」
「確かにあったけど……馬車なんて王族しか乗っていなかったんだ。何でこんなにたくさん走っているんだ?」
何度も小首をかしげるマテリアへ、ロンドが教えてくれた。
「時代が進んで、馬車が国中に普及したんです。今なら市民の誰もが、安いお金で乗れるんですよ。道にレンガが敷いてあるのも、土がむき出しだと、馬車が頻繁に往来して土ぼこりが舞って困りますし、ひどい轍ができてしまいますから」
ロンドの説明にいったんは納得したが、やっぱりマテリアの違和感は消えない。
「そんな簡単に馬車へ乗らなきゃいいのに。歩かないと体が鈍るだろ」
隣でビクターが、派手にふき出した。
「辺境の田舎者のセリフだな。旅人が歩く街道でさえ、レンガの整備が進んで、馬車が走ってるっていうのに。別の大陸には、馬よりも早く走って、大勢を運ぶ鉄の箱……汽車なんていう物も走ってるんだぞ」
かろうじて馬車はわかったが、さらに未知の乗り物をビクターに言われ、あ然とマテリアの口は開く。
(何だそれ……百年後のダットの街なんて嘘だろ。全然知らない世界だ)
いっそこれは夢だ、異世界だと言われたほうがマシだ。
マテリアがそう思っていると、どこからともなく、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
「この匂い、もしかして……」
マテリアは鼻を動かし、匂いの出所を探る。
行く先の左側に並んだ露店のひとつから、匂いが流れている。
ロンドもそれに気づき、露店に視線を送る。
「あのお店は、パルグを作っているみたいですね。ダットの街の名物ですよ」
馴染みのある名前に、マテリアは表情を輝かせた。
「やっぱりパルグなんだ。街に来たとき、よく買ってたよ」
パルグは近隣で採れる芋を粉にして、練り上げ、油で揚げたものだ。店によって砂糖をまぶしたり、ハチミツをかけたりして、甘く仕上げている。
今すぐ買って食べたいところだが、手持ちの金がない。
マテリアは視線を前に戻し、あきらめて店を通りすぎようとした。
すると、露店の前でビクターが足を止めた。
「名物なら食べておかないとな。すまないが、パルグを四つもらえるか?」
声をかけられ、汗を流してパルグを揚げていた青年が笑顔を向けた。
そして素早くパルグを紙にひとつずつ包んで、ビクターに手渡す。
青年に銅貨を四枚渡すと、ビクターはマテリアにパルグをひとつ差し出した。
「オレのおごりだ。どこかで座って食べようぜ」
「ありがとう、ビクター」
パルグを受け取り、マテリアは鼻を近づけて匂いをかぐ。
なぜか懐かしさがこみ上げて、目が潤みそうになる。
あわててマテリアは首を振り、気持ちを切り替える。
頭を上げると、ビクターはロンドにもパルグを渡していた。
「ありがとうございます、ビクター様」
頭を下げるロンドへ笑いかけてから、ビクターはガストの前に立つ。
そしてガストにはパルグでなく、手を差し出した。
「おっさんからは金取るぞ」
「……お前におごられても、気味が悪いだけだからな」
眉根を寄せながらつぶやくと、ガストは懐から銅貨を一枚渡し、パルグを受け取った。
「ちょうど近くに公園がありますから、そこへ行きましょう」
ロンドの提案にマテリアたちはうなずき、前へ歩き出す。
大きな十字路に差しかかると、街角にある一軒のさびれた店が、マテリアの目に入ってきた。
店先には、古めかしい壺や椅子、石の置物などが置かれている。
奥のほうまで物にあふれており、店内をうす暗くしている。どうやら骨董店のようだ。
そんな店先の隅に、見覚えのある物を見つけた。
大きな木の彫り物。異国からの品らしく、縦につながった奇妙な顔が五つ並んでいる。
(あれ、見たことある。店の前を通りすぎるとき、いやでも目についたもんな。はは、ここが百年後のダットの街なら、百年も売れてないってことか)
マテリアは小さくふき出してから、はたと思い出す。
(ここが私の知っている店なら、確かこの近くに公園があったな。造ったばかりで、柵に這わせるツタの苗が植えられていたっけ。確かレムリムっていう――)
視線を骨董店から前に戻すと、行く先に緑豊かな公園が見えてきた。
公園を取り囲む柵には植物が這わされ、薄紅色の小さな花をたくさんつけている。
ロンドが声を弾ませ、マテリアに笑いかけた。
「ちょうどレムリムの花が見ごろですね。公園の柵に這わせてあって、きれいなんですよ」
「……へえー、楽しみだな」
笑い返しながら、マテリアは息を呑む。
知らないものばかりの中に、ほんの少しだけ知っているものが混じっている。
それが自分の知っているダットの街と、今いるこの街をつないでいく。
公園へ近づくにつれ、レムリムの花がはっきりと見えてくる。
昔は柵の足元にレムリムが絡まる程度だった。
しかし目前の公園は、レムリムが柵を完全に覆ってしまい、満天の星空のように花を咲かせていた。
(やっぱり……ロンドが言った通り、ここは百年後のダットの街なんだ)
不意にそれを理解してしまい、マテリアは感嘆の息を漏らす。
百年前よりも活気があって、行き交う人々は誰もが笑顔だ。
昔は王宮から、街で騒がしくしてはいけないと命令が出され、みんな息をひそめ、暗い顔で歩いていたような記憶がある。
にぎわっている街のほうがいい。
素直に嬉しく思う反面、マテリアの中によどみが生まれる。
(ずいぶん変わったなあ、ダットの街。でも何だろう? 街に愛着があったわけじゃないのに……寂しい)
胸の奥が、ひどく焼けついた。
(こんな街……知らない)
マテリアは表情を失う。
「あの……マテリア様、どうしましたか?」
いつの間にかロンドが近づき、フードの下から顔をのぞかせ、心配そうにマテリアを見つめていた。
「いや、あんまり見事に花が咲いてるから、驚いただけだよ」
今は深く考えないでおこう。そう思い、マテリアは笑みを浮かべて公園へ向かった。