美しき友情
私は、骨折していると診断された。胃潰瘍が治ったらベッドとはおさらばだと思っていたのに、残念である。
はっきり言って、拳は痛くなかった。だが、よけるために下がろうとしたため左足を捻挫して、それを庇おうとした右足を骨折したと言うことだ。
そして、倒れるときに、ひびが入った肩に衝撃がかかり、右腕を骨折したらしい。
いつひびが入ったか。時は四カ月ほど前にさかのぼる。
電車に跳ねられた。それが発端だった。あの時も痛みは全くと言っていいほど感じなかった。
だが、四カ月の時を経て、私に牙を剥いたのだ。
私は松葉杖はおろか、車椅子で生活する羽目になった。
はっきり言ってかなり不便である
それでも、優しさを向けられたのだから、悪い気は全くしない。
ふと今頃になって疑問が浮かんだ。なぜ、春菜さんはこんな罪を犯したのだろう。
罪さえ犯さなければ、数美を傷つけることも、数美に殺されることもなかっただろうに。
今にしてみれば愚かである。後先考えない阿呆な殺人だ。
彼女は何か利益を得たのだろうか。もし得ていたとしてもそれは一時のみだ。すぐ警察に連れて行かれて罰を受けるのだから。
逆に損失は大きい。この事件のせいで、数美や香奈が悲しんだ。
どうして独りの喜びが二人の悲しみに勝ることがあろうか。
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私は愚かだ。私さえ春菜の凶行をいち早く察知して止めていればこんな事にはならなかった。
それだけではない。気を遣ってくれた翼ちゃんを殴り倒してしまった。
愚かな私に数美ちゃんの人生に口を出す資格などない。
どっちみち彼女の心の闇に埋葬されるほかはないのであろう。
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昼過ぎ、幸華の遺品であるケータイに着信があった。
「もしもし、藤井さんでしょうか。」
心にまた一つ、稲妻がはしる。
「いえ、友人です。」
「藤井さんはどちらに…」
「亡くなりました。」
「なら、品物の方は…」
私は、この淡白で薄情な返しに腹が立った。
そんな私を気遣ってくれたのか、変わりに香奈が応答してくれた。
「もしもし、親友の京野香奈と申します。先ほどの処置は何を考えていたのですか?」
「ただ注文された品についての対応について…。」
「私が聞いているのはそういうことではありません。あなたは先ほどの翼の返答を受け流しましたよね?まさか、他人が亡くなったことなどどうでもよいとお思いですか?……どうなんですか。答えて下さい。」
「すいません。せがれに変わります。」
「もしもしお電話変わりました。」
「なぜあなた様の親父様はあなたにお電話をおかわりになられたのですか?」
「俺の親父は、とても優しいです。幸華さんがお亡くなりになったことが悲しくて反応が出来なかったらしいっす。」
「私、勘違いしてたみたいですね。すいません!!」
「すいません……。」
私の声は聞こえなかっただろう。それもそのはず。私が呟くように発した声など、電話越しに聞こえるわけがない。
「では、塩ラーメン一つと醤油ラーメン一つと台湾ラーメンネギ増し一つでよろしいですか。」
「はい。」
「では、三十分後には配送します。」
「わかりました。ではこの辺で。」
電話は切られた。それと同時に涙がこぼれた。
「翼、どうしたの?」
「好物、だったんだ。」
「え?」
「台湾ラーメンネギ増し。好物だった。」
私の思い出のメニューだ。ラーメンまつはしに行くと必ず食べた。
前幸華が倒れていた近くの店。その店こそがラーメンまつはしだ。
私達は一緒に食事をする時、必ずこの店に行くのだ。
店主は気さくだった。いつも色んな話もしてくれた。
その店主はもういない。一昨年広島旅行中に事件に巻き込まれ、死んだのだ。
その事件はニュースで大きく取り上げられ、世間を騒がせた。
それから一度も食べていなかった。
だが、今こうして止まった時は動き出した。
ひとしきり泣いた頃、ラーメンが届いた。
私は久しぶりの味を感じた。母親に抱かれるような心地よい瞬間。
「そうでした、藤井さんの方から酒井さんに渡したいものがあると言われていました。これです。」
それは手紙だった。
私は里奈さんを呼んだ。
そして、手紙を開いた。
『里奈さんへ。いつもありがとうございます。
私は普段の感謝を込めて、私達の思い出の物をプレゼントしたいと思い立ち、こうしてラーメンを送りました。
皆の前で読まれるのは恥ずかしいので、出来れば仕事が終わった後にでも。あと二カ月間、よろしくお願いします。
もし私が死んでいたら、それはきっと外部の人間が故意にしたものです。
一応アドバイスしときました(笑)。』
最後の三行を読んだ瞬間、息が詰まりそうになるのと同時に、気味が悪くなった。
幸華は誰かに殺されたのだ。だけど、誰だかわからない。とりあえず里奈さんに声をかけた。
「里奈さん…」
「わかってるわ。多分、防犯カメラには記録されてると思う。とりあえず医局長に聞いてみましょ。」
ということで、医局長に防犯カメラのデータを要求した。
だが、拒否された。
「ほ、ほら。あれだよあれ。患者のプライバシーには関われないんだ。泣いてるかもしれないし、夜な夜な自慰でもしてるかもしれないじゃないか。」
という、あまりにも辻褄が合わない論理を持ち上げられて。
私は里奈さんにこう言った。
「医局長が幸華を殺したんじゃないかと思います。」
里奈さんも同じことを思ったらしく、
「やっぱり。」
とだけ答えた。
「私、もしもあいつが幸華を殺したなら、私は幸華の友達としてあいつを許しはしない。」
香奈は完全に殺意を向けていた。止める気はない。むしろぶちのめして欲しいとすら思った。
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私達は医局長が出勤する時を見計らって医局長を問い詰めた。その結果、
「藤井幸華は確かに俺が殺した。」
と認めた。
その時、私の心の奥で、巨大な何かが爆発した。
「ふざけるんじゃねぇよ。なぁ。何で殺したの?答えて。」
「黙れアマァ。」
何ていう態度なのだろうと思ったが、それを口に出すことは出来なかった。
医局長が放った拳は見事に私の頭部にクリーンヒットし、私は気を失った。
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私は更に怒りを増した。
冷静になれ。乱暴な言葉遣いは駄目だ。だが、何か決定的にダメージを与えないと幸華が浮かばれない。
「何を考えているのですか?翼はあなたに答えて欲しかっただけなんです。それに、言葉を暴力で返すような人間に、翼をふざけた呼び方で呼ぶのは許せません。」
「だから何だ。」
「だから何だ?あなた、日本語不自由なのですか?親友を殺したあなたを罪から免れさせてやろうと考えた少女の優しさを踏みにじるのはいかがなもんかと思います。
はっきりいいましょう。あなたは二川や二階堂よりもより一層ゲスな人間です。追い詰められたらすぐに薄情するあたり、あいつ等の方がまだましです。
確かに見方によっては軽く済まそうとしているようにもとれるかもしれません。ですが、それができるだけあなたよりあいつ等の方がましなのです。
凶悪犯罪者と一緒にされたくなければ――まあもう手遅れですが、事を構えたくなければ自首して下さい。これが最後の情けです。もし拒否したら、その時はもう容赦しません。」
その時、私は勝利を確信し、笑顔を浮かべた。
「すまなかった。私は医局長をやめて自首しよう。」
これで、幸華が殺された件については法的には解決した。
だが、内面的にはまだだ。
そして、内面的に解決するには時間がかかるだろう。
だから、私は翼と一緒にいられるあと半月ほど、全力で翼を支えようと決意した。




