小雀は空に浮かぶ雲と出会う 7月26日改訂
「ガッ」
叫び声を無理やり潰した声。
私の足の裏に残る破壊する感触、正確に表現すると私の踵に残る顎の砕ける感触と共に私の身長より大きい男が口から血を吐きながら吹き飛ぶ。
この街は本当に犯罪者が多い、私の日常を大きく崩す犯罪が。
今囲んでいるチンピラ風の暴力団構成員の予備みたいな連中はゴロゴロいる。
本当に…
「消えてしまえばいいのに」
誰も聞こえないような私の小さな呟きは、誰に聞こえる事もなく夜の街に消える。
それとは対称的なのは。
「てめえ、何処の鉄砲弾だ!! あ!?」
「ヨシオッ俺のダチをこんなにしやがって、それなりの覚悟をしてるんだろうな?」
「ああん!? あんのかてめえゴラァァ!!」
騒がしいのは目の前の小悪党共だ。
自分達は何も出来ないくせに、善良な人間を暴力で脅して生きているダニのような奴ら。
そんな奴らが私の世界を、日常を侵してくるのはとても許せない。
夏の日の蚊柱の様に鬱陶しく、潰しても潰しても何度も何度も沸いてくる。
目の前の奴らは散らした羽虫と同じ、先ほど吹き飛んだ男と同様になる事を恐れて近寄ってこない。
賢明な判断だ。
しかし、何も知らぬ愚者でもある。
私を中心に半径3メートルの円を描く様に包囲してくる。
私の腕の長さは大体が80cm、私の持つ黒塗りの木刀が90cm。
踏み込みを入れても遠い間合い、剣道で言う所の遠間と言う奴だ。
ダニにしては考えた方だろう。
「だけど、甘い…甘すぎる」
身体に使っている『励起法』の術の深度を一・二割上げた位まで落とし、身体を強化すると一気に踏み込む。
あの人から最初に教えられた歩法『雷』。
この歩法は特殊な足首の使い方で、相手に一直線に踏み込むと言う単純だが、励起法がなければ馬鹿みたいに身体に負担がかかる歩法だ。
簡単に見えるし自分から見れば普通に踏み込んでいるようだが、相手にとっては違う。
相手はおそらく、私の姿が一瞬ブレたとたんに消えた様に見えるだろう。
私も練習の時に一度やられ、そう見えた経験があるので間違いない。
チンピラの一人の懐に入り込み先ほどと同じように蹴り上げる。
「ガブッ」
また一人、砕けた顎と血まみれになった顔で沈む。
それを見たチンピラ達はさっきまでの余裕は何処に行ったのか、静かにおびえの色を浮かべてこちらを伺っていた。
腹が立つ…怯えの色を浮かべたその目は…何も出来なかった昔の自分を思い出させるからだ。
青天の霹靂や寝耳に水なんて言葉は、今の私にとってはとても弱い言葉だった。
少なくともあの時、父と母が死んだ直後の私にとって解りやすい諺なんか薄っぺらい紙のように軽いものにしか感じられない。
『あの子の面倒、誰が見るんだ?』『家は義母さんだけで精一杯よ私の所は見られないわ、兄さんの所は?』『俺の所もうちの子で手一杯だ、そんな事より………』
周りの親族の言葉もそうだ。
陳腐と言うより見るも無残な三文芝居を見せられている…それが父と母の葬儀で、形ばかりの親族達の言葉を聞いた感想。
世界は当時10歳の私にとって、父と母と学校がそうだった。
朝は父さんと母さんと食事して学校に言って勉強して、友達と遊んで、帰って父さんと母さんと楽しく話しながら食事をしてお風呂に入って寝る。
何処にでもあるような日常、その半分が喪われたのだ。
だからそんな三文芝居を見たくもないし、聞きたくはなかった。
周りから、そんな言葉をかけられる事や同情に満ちた目で見られる事も。
だから私は親戚の中でも、何も言わずに厳しい目で見る遠縁に当たる老夫婦の元に厄介になる事に同意した。
思えばそれが、今の私を形付ける始まりだったと思う。
○○県 高見原市。
父と母の葬儀が済んで、あからさまな他人事な物言いの親族に囲まれるのが嫌だった。
大好きだった父と母を過去にしてしまうのも、同情の目で私に接するのも、死んだ母を見て何も出来なかった自分も何もかも。
だから…私は一番遠くに住む老夫婦の家に厄介になる事になった。
この国では未成年には保護者がいないといけない。
そんな当たり前の事があるのに若干10歳の子供が選べるはずがない
引き取るには色々な条件があるのだが、なのに私が選べたのにも訳がある。
簡単な事だ。
私の引き取り先について話し合っている時に、私は言ってやった。
親族達が言っていたそんな事の…続き。
遺産の管理、他所の親族の悪口や不満、大人の醜い部分を事細かに淡々と語ったのだ。
私は小さい時からの特技が合った。
小さな音から大きな音、すべての音波をどんなに小さかろうとも聞き分けて、なおかつ頭の中で形に出来る。
私はその特技を使い、親族が集まった家の中の音を把握して、分析して話を聞いていたのだ。
彼らの目にはとても不気味に映っただろう、私がいた場所からは遠く離れた場所で話していた内容を事細かに話して見せたのだ。
結果、静寂と不気味なものを見るような目の元、私はそんな事を気にしていない老夫婦の元に引き取られる事となった。
そんなどうでも良い憂鬱になるような事柄を思い出しながら、私は景色を見ていた。
当時の私は、石上神社の裏手に広がる公園から見渡せる海を、日がな一日眺めて暮らしていた。
遥か遠くまで続く水平線、そこへ沈み込むように消えていく船。
町の近くにあるにもかかわらず遠くから聞こえるはずの町の喧騒もなく、冷たい海風にさらされながらもボオッと眺めるだけの一日。
本当の所は転校して学校に通っていなければならないのだけど、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されていたので比較的自由に行動していた。
あながち間違いではないとは思う。
今思い出してみれば、あの頃の私の心は疑問にまみれながらも何も考えられなかった。
心が麻痺…いや死んでいたのだ。
何もかもどうでも良い、そんな状態の私だったからかも知れない。
「なあ、死ぬのか?」
そんな風に声をかけられたのは。
海を臨む高台の公園、遥か下は崖になっていて転落防止用の高い柵があって絶対に自殺なんか出来ないようなつくりにも拘らずそう聞いてきた。
それだけ私は自殺志願者のような顔をしていたのだろう。
それにしても、変な言い回しの聞き方だなと思いながら私は振り返る。
振り返った私の視線の先には、妙な人物がいた。
冬の寒空だが雨も降ってもいないのに、黒い光沢のある漆黒といっても差し支えないレインコートを羽織っている人物がいたのだ。
身長は私よりも遥かに高く、二・三歳ぐらい年上のような感じはしている160cmより少し高い痩せ型の長身。
年が解らない顔つき、造詣は整っているのだが…妙に口元の笑顔が癇に障った。
「別に…」
だから私はなんでもない風に言葉を返してくる。
なのに相手はそんなのお構いなしに、楽しそうに話し続ける。
「本当か?なんか今にも死にそうな…いや違うな…飛び降りそうな顔してたぞ」
それは余計なお世話で、胡散臭い笑顔も伴ってとても苛ついた。
激変した周囲と、私を守ってくれていた父と母が死んだ今となっては死ぬのが一番良いという考えが確かに何度も浮かんでいた。
でも、それは一方では間違いだ。
私は今でも覚えている、母さんが死ぬ間際に言った言葉。
そんな浮かんでいた、やってはいけないと思っていた考えを言い当てられ私は何故だか苛ついた。
「だから? 別に良いじゃない。私が死んでも貴方には迷惑はかからないでしょ」
「ふーん」
気のない返事に更に苛つきながら、これで終わりかと思いながら心はまた落ち込んだ。
しかし、私の希望は裏切られる。
「なあ、君は何がしたいんだい?」
そいつは空気を読まずに私にまた話しかけてきた。
「どうだって良いでしょう!? 私にかまわないで!!」
私は、その話を打ち切るようにその場を離れる。
それが、その日の彼と私との出会いの終わりであり………私の運命の始まりだったかもしれない。