飛び続ける事を決めたカモメ
「馬鹿者!!」
霧島葵と言う男にしては珍しいと、岩長を叱責する葵を見て細長い木箱を担いだ男は思う。
男は先日、葵から注文された物を届けるために来た。
こんな瞬間を見られるとは思っていなかったので、男は少々脱力気味である。
「よりにもよって彼女に、あの資料を見せるとは…」
「すっすまぬ」
「葵、一体何の資料を見られた?」
「写しの折紙レポート」
「よりにもよって、あの『ザ・ビースト』の項が書かれている奴か!!」(前話参照)
二年前、とある研究所をつぶした際に手に入れた書類。
男もその一件に関わっているので、資料の重要性を良く知っている為に難色を示す。
レポートのコピー、その一部と言えどもかなりマズイ。
「それをあの娘に読ませたのか?」
「ああ、しかも持っていかれた」
「マズイどころじゃあない、あのレポートがあいつ等に渡ったら何が起こるかわからん。早く取り返すぞ葵」
男は『七凪紫門』は、持って行った彼女の事を知っていた。
彼は『八方塞』と呼ばれる組織の中で探索や監視、潜入工作を得意とする能力者。
実はここ半年近く、とある人物を監視していたのだ。
そう葵の弟子を。
しかし、それは彼女がやましい事をしていたからではない、むしろ身の危険が起きないようにしていたのだ。
事の始まりは半年前、紫門の元に『第二種暴走体・大蛇』に襲われた家族が居たと聞いたところから始まる。
生き残りの彼女の家庭、調べれば調べるほど暴走体になる要因がなかったのだ。
しかし残された家を調べていた見つかったのは、とある製薬会社の紙袋。
そこを遡ると一つの事実を突き止める、行方不明の父親に薬を渡していた男が勤める製薬会社の名前が『雉元製薬』――敵対する組織、桃山財閥の下部会社。
推理し後付した事実は、残酷なものだった。
しかも父親が暴走体となるという事は、娘も能力者かそれに準じると予想される。
もしそうであれば、ここ数年能力者を狩って不穏な動きをする桃山財閥からの何らかのアクションがあると容易に考えられた。
そのような理由で監視をしていたのだが、
「ようやく背後関係や、実行犯が解りはじめて戻った時にこんな事態とはな」
「すまない紫門、私の落ち度だ」
「気にするな、お前だけの責任じゃあない。それよりも問題は………」
「ああ」
ザワザワザワと森が騒いでいた。
岩長がいつの間にか身体を抱いて座り込んでいるのを見て、二人は苦虫を噛み潰したかのように顔をしかめる。
「相手も本気で来た、暴走体の団体さんだ。葵、やれるか?」
「やれん事もないが………この量だと、マズイな」
「お前の弟子が…だろ? 解っているさ。岩長、少し頼みがある」
「なっなんじゃ、罪滅ぼしじゃ。何でも聞いてやろう言ってみよ」
苦しそうな顔で見上げる岩長に、紫門は手に持っていた細長い木箱を岩長に渡す。
「暴走体の神域結界でキツイかもしれんが、これを彼女に渡してくれ。この暴走体の数からいって間違いなく、相手はここ数年頭角を現した『ビーストテイマー』。彼女が相対していたら少々拙いことになる。そうだとしたら、コレがないとキツイ筈だから持っていってくれ」
「わかった……」
色々聞きたい事があったのかもしれないが、彼女は何も言わずに頷くと木箱を持って森の中へと消える。
「さて葵?」
「準備はいい」
その言葉を皮切りに、葵は白銀のレインコートのフードを目深に被り、紫門は何処からともなく取り出した二刀を構える。
「殲滅の時間だ」
「アッグウゥッ」
叩き飛ばされる事、通算五回目。
励起法で強化した身体にもかかわらず、相手の攻撃は軽減しない。
身体中に痛みが走り、ガードした腕からは血が滲んで滴りはじめた。
励起法で回復力を上がっているのだが追い付かない、完全な満身創痍。
そんな中、目の前の蛇人間、第二種暴走体の大蛇は身体を揺らし喉を鳴らせながら、こちらをうかがっている。
裾は擦り切れボロボロに薄汚れたズボン、薄汚れたネクタイと襤褸きれと化した黄ばんだシャツの隙間から緑色をした鱗が見える。
あのシャツとネクタイには見覚えがある。
二年前にお母さんと一緒に、父の日の贈り物でネクタイとセットで買ったワイシャツ。
父さんは少し派手じゃないかとか言いながら絞めていたネクタイ………あれは、私が選んだ物。
暖かい日だまりの様な、日常の象徴の一つ。
それを笑う奴がいる。
近くにあるベンチに座り、私と大蛇の直線上に隠れ笑う奴が。
「くははっ、粘るねぇ。流石、『雷神』霧島葵って事か?」
「『雷神』?」
「はぁ!? お前知らないの? ダッセェな、お前が師事したあの男は裏の世界じゃ最強と名高い『ファントムミスト』『雷神』『殲滅者』の通り名で有名な能力者だぜ?」
意外な所で先生の秘密が解る。
そのせいか流れる血のせいか、私の頭は少し冷えてきた。
「………その口調だと、あなた先生を前から監視していたのね」
「その通り!! いやいや、大分冷静になったじゃないか? 実を言えば君の事は二の次なのさ。本命は『雷神』に暴走体を当てての威力偵察と、俺の『能力』がどこまで使えるかの実験」
「………まさか、先生の事?」
「正解ー。本当に冷静になったみたいだ、もうちょっと怒っていても良いんだぜ?」
舌を出しながら器用に喋る男の姿に、再び怒りが振り返しそうになる。
しかし今、私は先生の事を聞き先生の言葉を思い出した。
『取り乱すな冷静になれ、恐怖や怒りや慢心もあるだろう。だがそれを抑え込んで、大変な時こそ冷静になるんだ………それが、君の力となる』
ふふふと思わず笑いが込み上げてくる。
怒りはまだ止まらない止まるはずがない、悲しみだって、胸の苦しみもある。
だけど私は、先生の言葉通りに感情を抑え付ける。
「………? 狂ったか?」
「違うわ、怒りや悲しみの感情を抑えたら、残ったのが情けない自分だけだった………あれだけ言われてたのに簡単に我を忘れる私自身に笑ってたの」
私はユックリと身体を持ち上げ、大蛇に向かい構える。
息を整え、励起法の深度を最大限にまで上げる。
「おかしいよね。あれだけ悲しみや苦しみがあったのに、それと同じだけ楽しい事もあった。それに」
身体の治癒力を最大限まで引き上げる。
戦いの仕方、心の持ち方、身体の動かし方、すべて教えて貰った。
それこそ能力者としての戦い方まで、だから聞こえた。
喉を鳴らしこちらを窺う大蛇の声。
『死……にたい。天……子。かわ……いい、私……の娘。誰か、殺し……てくれ』
身体が変異して、まともな思考が出来ないはずなのに喋れない筈なのに聞こえてしまった。
だから、
「今、私が出来る事をする……行くよ、父さん」
私が今出来る事、父を眠らせることだけだ。
それが父の頼みだから。