カモメは嵐を予感する
夏休みが始まって益々気温が上がる中、私は図書館の読書室で本を読んでいた。
高見原市立図書館は、県立図書館以上の蔵書を誇る場所。
それを利用した私は、積み上げられた本は揃いもそろって科学系の本や雑誌ばかりを選でいた。
『波動学』『流体工学』『免疫学』『遺伝工学』『生物学』等の専門書。
「やあ、こんにちは」
振り向けば甘いマスクに、髪にややウエーブが掛かった貴公子のような男が居た。
見知った顔なので私は軽く会釈だけ返すと、再び専門書に目を通した。
彼はそんな私の態度に気を悪くした様子も見せずに、私の横に腰掛ける。
「ひどいな、僕は嫌われるような事したかい?」
私は小声で別にと返す、彼はそうかい? と楽しそうな顔をしながら優雅に返してくる。
正直言って、その優雅な雰囲気や貴公子然としたキャラクターが苦手なだけだけど…。
「本当になんでもないわ、ただ貴方のファンクラブとやらが鬱陶しいだけ」
彼の名前は『神松寺 輝彦』、高見原東高校の生徒会長をしている有名人。
家は財界などに顔が利く有数の名家『神松寺』家の跡取り、『頭脳明晰』『容姿端麗』など四文字熟語を体現したような人物で、東校の人間で知らぬものが居ないぐらい。
さらに一年生の頃にボクシングでインターハイ優勝をもぎ取ったなどと華々しい記録を打ち立てている。
そんな彼だからか、彼の周りにはいつも女の目があったりする。
彼のファン達による、抜け駆け防止策という話だけど少々私は辟易している。
「違う高校まで来ていいにくるってのは一寸ね、別に私は好きで貴方に会っているつもりはないわね」
「そうかい? 僕としては話が合う友人としてみているのだけども」
「結構だわ」
彼との出会いは、ただの偶然。
私がここで読書をしていると、同じ様にここで読書をしている彼と出会っただけだ。
話の切欠は単純で、私が読んでいる本を彼が探していたに過ぎない。
問題は彼が悩んでいた問題に、見るに見かねて答えてしまったからだ。
それから彼は色々と悩みがあったら此処に来て色々聞いてくる。
「で、何? また悩み?」
「見抜かれてるって事か、まあいいや。君とはそこそこに付き合いが長いからバレるかな?」
ヤレヤレと演技かかった様に言ってくる彼にイライラしながらも、私は話を続けろと無言で促す。
ここで聞いてやらないと言う選択肢もあったのだけども、ここで聞いてやらないと逆にこの男は落ち込んでファンクラブが怒鳴り込んでくる事があるのだ。
めんどくさい。
「や、なんだ。最近、正義とか悪とか考える事があってね?」
「生徒会の方で何かあったの?」
「ん、まあそんなものかな? まあ、そんな感じで知り合いが相手が悪気があったわけじゃなくて、犯罪に手を染めていると知ったら君はどうする?」
中々重い話を持ってきた。
彼の役職上そんな問題まで来るのか? と疑問に思えるが、目の前の彼は近隣の高校にまで音に聞こえた『正義の生徒会長』である。
「犯罪とはまた物々しい。高校生にしちゃ度が過ぎてる気がするけど?」
「いや、子供でも人は人さ。大なり小なり犯罪は犯すときは犯す。ただ、僕としてはその人を救いたくてね」
「…お人よしね。私なら止めるわ、それこそぶん殴ってでも」
思わず地が出てしまった、学校では昔からの素の喋り方で癒し系とか言われているが私の考えは意外と過激だと自覚している。
その証拠に意外だと彼は目を丸くしていた。
「意外そうね」
「いやいや、少し納得しただけさ。………気を悪くしないでくれ、こちらの話だ。まあ君の答えは中々にバイオレンスだが、それは己自身が犯罪に染める事になってもっと言う事かな?」
「そうとっても貰っても構わないわ、そうじゃないと…」
あえて最後は言わなかった。
その答えだけで満足したのか、彼は納得すると『ありがとう』とにこやかに笑いながら去っていった。
やっと静かになったので私は再び読書を始める。
私には力が必要なのだ、力だけの実力ではなく知識もあるようなしっかりとした実力。
彼に言わなかったが、世の中にはあるのだ悪に成ってでも犯罪に手を染めたとしても倒さないといけないモノが………。
「………でもまあ。あの話は、テレビの話かな?」
彼の小脇に挟まれていたのは、最近では見ない子供向けの戦隊物の雑誌や絵本。
彼のイメージとはかけ離れていたので、その時はあまり気にしなかった。
この時の会話が後々のアレに繋がるとは、私は露にも想像していなかった。
数年前高見原森林公園
「ふう~」
色んな意味で身体が熱くなる。
いつも通り朝四時ぐらいの走りこみ兼戦闘訓練を二時間行い、それから一時間の座学で朝の修行は終わる。
身体の切れが良くなった事と、半年前に比べてあまり疲れなくなったので体力はまだ持つ。
が、それでも運動量が半端ではないので座学が終わっても身体は火照っている。
ただそれだけではなく、私は顔が熱くなっている。
原因は目の前の先生、正確には不精髭がなく浮浪者みたいな格好ではない先生だ。
話は半月前のお風呂に行った日まで遡る。
何時まで経ってもお風呂から出てこない先生。
待ち合わせの時間を言ってなかった事を忘れていた私は、受付の人に頼んで『外で買い物をしている』事を書いたメモを渡して貰うように言って岩長ちゃんと外へ出た。
とまあ、それからは岩長ちゃんの髪を美容院で今風に切って貰って洋服を買うために色々な店を回った。
「しかし、今の時代は楽じゃの。こんな板一枚で何でも買い物が出来るとは」
「あはは、一応クレジットとカードって言って預けているお金を使って買っているんだけどね………」
そう言いながら私は手元にあるカードを見て手を振るわせる。
先生からあまり使わないから使えと渡されたカードは、恐ろしい事に黒なのだ。
噂では利用限度額無制限、年収五千万以上の人間しか持てないと言われる最上級のクレジットカードだ。
こんな物を持っているだけで、はっきり言って手が震える。
正直な話、初めて戦ったヤクザの事務所以上だったり。
「何をしておる?」
「はははっ何でもないよ~一寸謎が増えただけ~」
そう更に謎が増えた。
噂でしかないが、浮浪者みたいな格好をして何の仕事をしているか解らない先生が、こんなカードを持っている意味が解らない。
なんとなく酷い事言っている気がしないでもないが、偽りざる心の声だ。
「ところで、次は服だけど…なんか良いの見つかった?」
町の中を歩きながら私は岩長ちゃんに聞く。
今の彼女はばさばさの髪の毛が艶やかな髪に変わり、シルクのような髪が綺麗に流れている。
前と違った姿が気にいったのか、彼女は終始嬉しそうに笑っている。
そんな時、店を見回していた岩長ちゃんが感慨深げに呟く。
「しかし昔と違い、こう華やかになったものじゃの」
「そうなの?」
「当然じゃ。昔は生きるだけで精一杯、この様に着飾るのは生活に余裕がある一握りの者達だけ」
横を見ると複雑に嗤う岩長ちゃんの顔。
「…私達は生きる余裕がある」
唐突に気付く。
私達が裕福である事が。
世界からこの日本を見ると世界水準を上回った、物と食べ物が溢れ返った町。
要らなくなったら捨てて、食べれなくなったら残す。
食べれない人や持たざる人が見たら、目を剥いて驚きそうな世界。
そう考えると、途端に恥ずかしくなってきた。
「そうじゃ。じゃがな、恥ずかしがる事は無い。わらわは責めている訳ではないぞ。他の国から見れば、この国が罰当たりかも知れぬが、この世界はお主達の世界でお主達が作った世界じゃ、他の国がどう思おうが気にするでない、誇れ。ただ必要なのは、他者を知ってそれを救おうとする事が出来るか出来ないかじゃ。お主は恥じた、それでよい」
「へ? 良いの?」
「当然じゃ、他の者は他の者で精一杯生きておる。それは精一杯生きていた結果、否定できる物ではあるまい。…ただわらわは、変化を嫌いお主に連れられるまで知る事までも拒否し続けた己に腹が立っただけじゃ」
寂しそうに笑う岩長ちゃんに私は声がかけれなかった。
私では悠久の時を生きる神を癒やせないと言われた気がした。
私達の間に少し重い空気が漂う。
こんな重い空気はどうすればいいの、と弱音を吐きそうになった時、それは起こった。
「ん、なんじゃ? 騒がしいのう」
「人だかりが出来ているね~。何かあったのかな? もしかしてテレビ撮影かも」
何だろうと思いながら二人で見ていると、人だかりが段々近づいて来る。
おかしいなと思っていたら、人だかりの中心から人が出てきた。
着流しの和服に綺麗に切りそろえられた黒髪、女性のような綺麗な顔つきながらも男性の力強さを持った顔。
一番の特徴は切れ長の、鋭利な刃の様な眼。
見覚えがある、ありすぎる。
「せっ先生?」
そう呼ぶと先生は困ったように笑い、突然私達を抱えその場から走り出した。
「コラ霧島の、いきなりなんじゃ」
「この格好で出歩いていたら、どうも映画かTVの撮影と思われてな……こう言う時はさっさと逃げる」
それだけの理由じゃありません、と私は言いたい。
とまあ、そんなこんなで二週間。
結局、洋服は買えずじまい謎は解けずじまいで時は過ぎていきました。
そして話を戻すが、要するに先生はとんでもない美形なのだ。
しかも女顔に見えるのにもかかわらず、男らしい顔つきの美形………なんか、ずるいと感じてしまう。
だけどそのお陰で先生が、あんな浮浪者みたいな格好をしていたのかが何となく解った。
恐らく目立ちすぎる外見を消すための物だろうと思う。
そして私が今、顔を火照らせている原因は。
「聞いているのか?」
「聞いていますっ」
岩長ちゃんとの会話で微妙な意識している上に、座学中に真剣に見てくる髭を剃って整った先生の顔を見れないからだ。
別に恋愛感情とかじゃないとは思ってみても、岩長ちゃんのせいで何か顔がまともに見れない。
「まったく…まあ、いい。大方の事は、この半年で大体教えたからな。後は、自己の修練があるのみだ…と君に少し話しておきたい事がある」
突然先生が話を変えてきた、雰囲気も少し変わっている所から何か重大な話かもしれない。
私は居住まいを正して、先生へと向き直る。
「何ですか?」
「いや、そこまで重要な話ではないのだがな。君は今の状況をどう思う?」
「今の状況ですか………少し焦っていると思います。私には私の目的があるので」
私には目的がある。
私の日常を壊した原因を打ち倒す目的。
その為ならば原因にどんな意志があって、どんな正義があろうともそれを遂行する。
私は以前そう先生に答えたのだ。
そう目線で答えると、先生は溜息混じりに肩を落とす。
「鍛え上げた私には言えた義理はない。が、私の本心としては傷つかずにいて欲しいし、戦って欲しくはない」
「先生………」
一体どういう意味で言ったのだろうか私には解らない、しかし先生は私にはあまり戦って欲しくない………それだけが解った。
「だから、最低限として私は君にちょっとした贈り物をしようと思った」
「え?」
「これからの君に役に立つものだ…が、遅いな」
「誰か来るんですか?」
「ああ、友人だが………遅い。すまんが、一寸見てくる」
先生は腕時計を見て時間を確認すると、珍しく少し苛立った声で席を立つ。
チャンスだ、私は先生が見えなくなったのを見計らって、先生の座っていた神社の縁側の下から取り出したナップザックの口を開く。
着替えや本やサバイバルツールが放り込まれたナップザック、岩長ちゃんから頼まれた紙袋は見つからない。
「………………あった」
中々見つからない、早くしないと先生が帰ってきちゃうと慌てていると、それは一番下かなり奥底にあった。
結構厚い紙袋、ズシリと重いそれをとりだす。
糸で封がされているのでそれを解いてみると、紙束がゾロリと出てきた。
「折紙 奈緒美…だれ?」
紙束の表紙には『折紙 奈緒美』と名前があった、題名は『能力者の歴史と生態』。
いやな予感がする。
そう思いながら、私はページをめくった。