燕は青空を飛ぶ
神社から帰ったらもう夕方。
森に包まれているこの町では見えないが、きっと空は赤く染まっていて山の端は濃紺に染まっているのだろう。
今日は良く晴れていたし街中を行かずに移動する時は、森の上を通るので良く見る風景だから間違いないだろう。
長い白塗りの漆喰の壁を伝い、家に帰りつくと朝同様に遠くから稽古の声が聞こえる。
もうすぐ晩御飯だから奥さんが呼びに来るかもしれない。
だから私は離れの部屋に行くと、今日の買い物の日記を机の引き出しにしまう事にした。
机の一番下の引きだしを引き日記を入れようとしたとき、以前の日記を見つけふと手に取った。
『夏休みも半分まで過ぎた。
突然話を変えるけど、先生は謎だ。
師事する事、半年近く。
今更だけど、私は何一つあの人の事を知らない事に気付く。
そう気付いたのはこの間、日記に書くにはマズイと思うけど事務所を襲撃しに行った時だ。
今じゃ私の標準装備になった戦闘服を、浮浪者みたくお金を持ってなさそうなのに何処からともなく持ってくるわ。
平然とヤクザに喧嘩を売って壊滅させる、そしてそれらは何かしら目的を持った行動………。
何よりも謎なのは、最近私にとって当たり前になってしまったあの異常なまでの戦闘力。
薬の話や目的も含め、全て謎。
一体、先生は何者なのだろう。』
昔の日記、まだまだ青かったあの時。
いまだに先生の事は良くわからない、だけどコレだけは解る彼は何かを探しているのだ。
私は日記をパタンと閉め鍵を掛ける。
「本当に先生って謎だよねー。んー」
椅子の背もたれに体重をかけて固まった身体を伸ばす様に背伸びする。そんな時、私の耳に聞き慣れた鳥の声。
ホォホォ、ホォホォと高見原の森にだけ住むと言われる『賢人梟』の鳴く声が、離れにある私の部屋に響く。
「梟も鳴いているし、明日は登校日だから早く寝よう」
この鳴き声を聞くと私はとても落ち着いて眠くなってしまう、はっきり言って条件反射だ。
クーラーの設定を切りタイマーに切り替え、押し入れに入っているラックから淡い黄色のパジャマに着替え、布団の上にコロリと転がった。
天井を見上げ、天井をつかむ様に手を挙げる。
(私、強くなったのかな?)
半年前と余り変わらない自分の体格、変わったのは少し剣ダコの出来た手を見て、自分の力に疑問を持つ。
先生に言わせれば、私はまだまだであるが着実に強くなっているらしい。
教え子としては実感が無いのが悔しい所。
確かに実戦稽古時の油断も減っていたし、青あざ等の怪我も減ってはきている。
(確かに強くなってるのかも知れない…けど、何か足りない。)
基準がないのと最近マンネリ化している所為かも知れないなぁと声も無く呟く。
(…今頃、師匠も寝ているのかな?)
ふと、寝ているであろう師匠の姿形を思い浮かべる。
白いレインコートに身を包んだ長身、年は幾つか解らない。
(ボウボウに伸ばした髭や髪、あれで毛が白かったら仙人みたい…それ以前にあの恰好は浮浪者だよねぇ……)
最初出会った頃と余り変わらない姿、ベンチに寝ている師匠を思い出す。
(でも…あのままじゃいけない…浮浪者が師匠ってのもちょっとマズイ気がする。この間も少し臭かったし)
この間抱きしめられながらの脱出劇を思い出しながら、その浮浪者同然と言う姿に私は少し落ち込むが…。
(…よしっ決めた!!)
一度決めれば、私の考えはドンドン拡がる。
そして明日の為に。
(まずは見た目から!!)
私は前々から温めていた計画を、実行に移すときが来たと考えた。
「と言う訳で、銭湯と美容院と洋服を買いに行きましょ!!」
私の言葉に目を丸くする二人。
岩長ちゃんは兎も角、師匠が目を丸くするのは初めて見る、大金星で意味もなく初勝利の予感がした。
心の中で思わず小躍りしつつ二人の反応を待つ。
「なんだ突然?」
いち早く返して来たのは師匠、流石に早いが、今日は負ける気がありません。
私は二人の目を正面から見返す。
「ハッキリ言います。・・・二人とも汚いです!!!」
「うっ!!」
「むう」
激しく言葉につまる岩長ちゃんと、そっぽを向いてすっ呆ける師匠。
「いいですか二人とも、人間として生活する以上身嗜みは必要です!!」
「しかしのう、わらわは神ぞ。人間のしがらみ等とは関係ない。それにわらわには自然と浄化する力が…」
「駄目です!! そんな一昔前に流行った新興宗教の教祖みたいな主張は却下します!!」
私は言い訳をする岩長ちゃんを一言で切り捨てる。
「それに前も言ったが、わらわは『不変』を司る大地の神。身嗜みはいらん!!」
売り言葉に買い言葉、更に切り込む。
「駄・目・で・す!! 私、図書館で『古事記』読んで、ちゃんと調べましたよ。格好や身嗜みを気にしないからニニギさんに振られるんです!!」
「ぐぅ…お主は言ってはならん事を!!」
「…今日はいつになく凄いな」
嘆息の入った先生の呟きを無視しつつ、怒りと過去の羞恥に身を震わせる岩長ちゃんに返す刀で畳み掛ける。
「いくら『不変』と言っても限度と言うものがあります!! だから今日は私と一緒に出掛けて服を買って、美容院に行って、綺麗になって見た目しか見なかったニニギさんを見返しましょう!!」
「へっ!? …まっ待て待て、お主一体何を言っておる!?!?」
岩長ちゃんは顔を真っ赤にしながら鳩が豆鉄砲を喰らった顔をしている。
(ニニギさんの事で動揺したと言う事は…やっぱり。ふふふ、これで岩長ちゃんは逃げられない)
事の起こりは半年前、先生に岩長ちゃんを紹介して貰った日。
紹介された時には驚いた。
いきなり『この神社の神様だ、敷地を使わせて貰っているから筋を通しておけ。』とか言うものだから。
最初は自分も能力者と言う立場上、神の存在は半信半疑だったが、姿を消したり『神通力じゃぞ』と風を吹かしたり私を何も使わず宙に浮かしたりされて手放しで信じた。
そして岩長ちゃんとの顔通しの後、神社の縁起が気になり立て札を見たのが始まり。
『ニニギに醜いと言って捨てられた。』
余りの書き方に驚き、悲しくなり、疑問が起きた。
酷い言い方かもしれないけど、確かに汚い感じはするが、岩長ちゃんは決して醜い訳ではない。
少し汚れているが白石の様な肌。
優しさと強さを併せ持つ細い眼と筋の通った鼻。
手入れを怠っている為バサバサの髪。
華奢な四肢とあいまって遠目に見るとお化け見たいに見えるが、近くで良く見ると実は日本風の美人さんだ。
神社の縁起と何か違うと思い私は学校の図書館で調べて、私なりの結論をだした。
『実はニニギさんは潔癖なのでは?』
そう思い、今私は真実を知る為に岩長ちゃんにカマをかけ賭に勝利した。
「うっうう~」
顔を真っ赤にして驚きで言葉が出ない岩長ちゃんに畳み掛ける。
「…別に岩長ちゃんは醜くないよ。ニニギさんは見た目の綺麗さだけを見ていただけなんだから、岩長ちゃんが綺麗にしたら多分…ううん、ちゃんと見た目だけじゃ無く選んでくれたはずよ」
「………」
ポカンと口を開いて驚いたままの岩長ちゃんが肩を振るわせていた。
あれ、思ったのと反応が違うなぁ? と思った次の瞬間、彼女は笑い出した。
「おぬしがタギリと同じ事を言うとは思わなんだ…ハッハハ、思わなんだぞ!! これも血か、不思議じゃのう。よし」
「へっ!?」
突然、私に指を突き付ける。
「お主の策略に乗ってやろうぞ。しかし、わらわ一人だけと言うのものう?」
ニンマリと笑う岩長ちゃんの視線が師匠に移る。
「ぬしも当然一緒じゃ。」
「私もか?」
「二人と言っておったじゃろう? 当たり前じゃ。我等が汚いや臭い、みすぼらしいとか言われているんじゃぞ、ぬしは悔しくないのか!!」
「しかしだな、私は…」
「しかしも案山子もない!!」
そう言うと岩長ちゃんは師匠の右手を掴み抱え込んだ。
「問答無用!! そちらの腕を持て、強制連行じゃ!!」
「へっ? あっはい」
岩長ちゃんに習って私は左腕に取り憑く。
「おっおい…」
私達はそのまま先生を引きずり目的地へと向かう。
腕を抱きしめながら、遥か上にある先生の困り顔を見上げ、笑いそうになる顔を悟られないよう引き締める。
(結果としては大金星。一番拒否しそうな師匠は岩長ちゃんを巻き込んで正解)
困り顔の先生に満足感を得ながら、私は迫る暗雲に気付いていなかった。