第二話 拾う
倒れかけた標識の下に、それは落ちていた。
黒く、少し擦り切れた小さな鞄。
誰かが持ち歩いていたものらしく、形はまだ崩れていない。こんな世界でも、物は簡単には消えないらしい。
僕は少し迷ってから、それを拾い上げた。
軽い。
中身は多くない。
鞄を開くと、埃の匂いがした。
財布のようなもの、鍵、折りたたまれた紙切れ。どれも見覚えはない。けれど、不思議と「他人の物」という感じがしなかった。
鍵を指で転がす。
金属の冷たさが、はっきりと伝わってくる。
生きている。
その感覚だけが、妙に現実的だった。
紙切れを開くと、短い文章が書かれていた。
文字は読める。
意味も分かる。
でも、それが何なのかは分からなかった。
メモなのか、手紙なのか。
誰に向けたものなのかも、分からない。
それでも、胸の奥が小さく痛んだ。
「……知ってる気がする」
思わず、そんな言葉が漏れる。
理由はない。ただ、そう感じた。
僕は鞄を閉じて、肩にかけた。
持ち主を探そうとは思わなかった。この世界に、探す相手なんていない。
それに――
なぜか、手放したくなかった。
街を歩きながら、何度も信号を見上げる。
赤、青、黄色。
誰も見ていないのに、規則だけが正しく動いている。
人がいなくなっても、世界は続いている。
その事実が、少しだけ怖かった。
「……僕は、ここで何をすればいいんだろう」
問いは、宙に溶けて消えた。
答えは返ってこない。
それでも、歩く。
鞄の重さを確かめるように、肩に力を入れながら。
まだ何も思い出していない。
けれど、何かが始まった気がしていた。
この死んだ世界で、
僕はようやく「何かを持った」のかもしれない。




