第一話 歩く
世界が終わった。
いや、死んだ。
そう言い切ってしまうには、目の前の景色はあまりにも穏やかだった。
崩れたビルの隙間から、朝の光が差し込んでいる。ガラスの破片が道に散らばり、風が吹くたびに小さく音を立てた。遠くで鳥の鳴き声が聞こえる。生きているものは、まだ残っているらしい。
人間以外は。
「……ここは、どこだ」
声に出してみる。
誰に届くわけでもないのに、そうしないと自分が消えてしまいそうだった。
名前を思い出そうとした。
だが、何も浮かばない。
自分が誰なのか。
どこから来たのか。
なぜ、ここにいるのか。
どれも分からなかった。
それなのに、不思議と混乱はなかった。恐怖も、焦りも、思ったほど湧いてこない。ただ胸の奥に、重たい何かが沈んでいる。
理由のない重さ。
無人のバスが通り過ぎていくのが見えた。
運転席に人影はない。それでもバスは止まらず、決められた道を守るように走り去っていった。
僕は歩き出す。
信号が青に変わった横断歩道を、反射的に渡る。誰もいないのに、交通ルールだけが律儀に残っているのが妙だった。
街は、完全に壊れてはいない。
ただ、人がいなくなっただけだ。
まるで、世界そのものが人間を必要としなくなったみたいに。
「……生き残った、のかな」
口にしてみても、実感はなかった。
生きているというより、置き去りにされた感じがする。
歩き続ける。
行き先なんてない。
それでも足を止めなかったのは、立ち止まると、この世界と一緒に終わってしまいそうだったからだ。
遠くに、倒れかけた標識が見える。
その下に、誰かが落としたらしい小さな荷物が転がっていた。
僕は、そこへ向かって歩いた。
理由はない。
ただ、この死んだ世界で、何かに触れてみたかった。




