女騎士は敗戦国の王女と逃亡する
その花は1000年に一度しか咲かない。
花弁は白く大きく、周囲に目一杯広げて咲いている姿は美しく、どこか儚い。
今咲いたばかりなのに、既に一枚ずつ散り始めている。
1人の少女が森を駆け抜けていく。
追手から逃げようと必死に走る。
走って走って気がつくと森の中の少し開けた場所に出て、目の前にその花があった。
「はぁ、はぁっ…」
少女は何故かその花の事が酷く気になった。
背後の森から野蛮な声がする。
もうすぐ追いつかれてしまう。
急がなければ。
だが目が逸らせない。
少女はゆっくりと花に近づいた。
そしてその花弁にそっと指先が触れると、彼女の姿は消えたーーーーー
♢♢♢
ダルガン帝国は戦によって国土を広げている大国だ。
ある時、新たに属国となったハルジオン王国からフローラ王女がやってきた。従順の意を示すための花嫁として。
しかし帝国は花嫁を帝都から外れた小さな森の中にある塔に閉じ込めた。
その塔を守るのは女騎士であるクラウディア・ノートン。
今日も彼女は食事を運ぶメイド以外誰もやって来ない塔の前で花嫁を守っている。というより脱走しないように見張っている。
そろそろお茶の時間だ。いつも通り塔の2階の窓が開け放たれ頭上から声がした。
「ねえ、そろそろ上がって来ない?クッキー美味しく焼けたよ!」
「いえ、私は結構です。」
「もう〜ほんとに靡かないんだからっ」
閉じ込められているとはいえ、この塔の中には台所があり、出入りするメイドに注文すれば好きな材料を送り届けて貰える。
なぜ王女様がクッキーを焼けるのかは謎だが。
毎日毎日ご苦労な事だ。私は単なる護衛なのに、同じ女性だからだろうか、ひとりで寂しいからだろうか、こうやって何かにつけて私に声を掛けてくる。
「今日も暇ね〜」
花嫁のはずなのに皇帝の夜のお渡りなど一度も無い。
そもそも城でも離宮でもない、こんな塔に追いやってる時点でハルジオン国をどうするつもりか、凡人でも分かってしまう。
しかしここでの日々はいたって平和そのもの。
今日も開けっ放しの窓辺に腰を軽くのせて、王女は話し掛けてくる。普段私が返事をあまりしないので、ほとんど独り言になっているのだが、今日のそれは少し違った。
「私ね、国ではあまり役に立たない王女だったの。上に2人お姉様がいて、下に可愛い弟がいてね。お姉様たちはとても優秀で美しくて、皆んなに愛されてたわ。婚約者もいたの。だから、今回の花嫁を選ぶ時にお父様もお母様も何も迷わず言ったわ。お前が行きなさいって。」
「………」
王族なのだから政治のコマとして扱われるのは当然の事。恐らくは属国としてでも国として継続し、弟に王位を継承させたかったのだろう。
「でも、ここにずっと居て、何も分からないほど愚かでもないわ。私の命はいつ取られてもおかしくないのでしょう?」
「私には答えることが出来ません。ただの一護衛なので。」
そう返事をしながら思わず下唇を噛み、彼女の行く末を案じている自分に気づく。
きっと帝国はハルジオンを完全に自国のものにするはず。属国のメリットがない。今はきっと戦力の補充をしているだけだ。そうなれば彼女はーーーー
「ねえ、覚えていて。私がここにちゃんと居たことを。何の取り柄もない私だけど、貴方に覚えていて欲しい。」
その言葉にクラウディアは必死で逃げる幼い頃の自分を思い出す。もう忘れようと決めたあの過去を…。
その時だった。
前方から帝都の騎士達が5人ほどやって来た。
聞けばフローラ王女を城へ連れて行くのだという。皇帝がそう命令したのだ。一体何のために…?
その理由は騎士がフローラの腕を乱暴に掴んだ時に放った言葉ですぐに判明する。
「ハルジオンの密偵が城に入り込んだ。よって属国の意は無かったとしてお前を連行する。」
「…承知しましたわ。」
フローラは動揺ひとつ見せず優雅に返事をした。
なんてことだ。ハルジオンが先に仕掛けてしまった。
彼女はこのまま城へ連れて行かれ、皇帝の前で裁きを受け、処刑されるだろう。
ーー覚えていて…
彼女の先ほどの言葉が、遠い記憶の中の言葉と重なる。
こんなのは間違ってる。
いつもの自分らしくない。
でもどうして。
自分でもわからない衝動に、身体はもうすでに動いていた。
クラウディアは騎士たちを次々と斬り倒し、フローラの手を取りその場から逃げ出した。
2人は息が続く限り走った。
フローラが限界を迎えてしまい、足がもつれて地面に転けた。
「まっ…ごめ…はぁ、はぁ」
「……南へ…」
「……え?」
息を整えてクラウディアは言った。
「南の森に、きっとあるはずだから。」
「何が…?」
「時渡りの花が…」
♢♢♢
そこから2人は偶々通りかかった荷馬車に同乗させてもらい、途中の街で馬を借り、2人乗りをして南へ進んだ。
その道中でクラウディアは自身の過去についてフローラに話していた。
「私の本名はクラウディア・クロノス。」
「クロノス…ってあの千年前に滅んだ幻の国…?」
「そう。クロノス国は神の力を借りて繁栄した国で、周辺国からは畏れられていたの。でもいつしか、周辺国が手を組んで一気に攻めてきて…。私は母と共に逃げた。でも途中で母は矢に打たれた。」
その時に言われた言葉がフローラの言葉と重なったのだ。
ーー覚えていて。クロノス国が、私たちが、ここに確かに存在したことを…
「私はひたすら走った。走って走って…突然森の中で開けた場所に出て、そこに一輪の花が咲いていた。白くて不思議な…何故だか私は目が離せなかった。早く逃げなきゃダメなのに。そしてそれに触れた途端、視界が歪んで意識が飛んだ。次に目が覚めた時、ノートン伯爵家のベッドの上だった。」
「そう…貴方にそんな過去が…。お母様の事も、辛かったわね。でも貴方は拾われて助かった。……というか貴方、クロノスの王族という事よね?」
「ええ。千年前のね。」
「じゃあ時渡りの花は実在するのね!すごいわ、なんだか、こんな大変な時なのにドキドキするわ!貴方って凄い存在じゃない!」
命を狙われて逃亡中だというのに、千年前から時を超えてやって来た話に興奮気味な王女様。
そんな姿にクラウディアもふっと肩の力が抜ける。
クロノスが滅びてから今日までちょうど1000年。
帝国の南端の森でノートン伯爵に拾われたあの場所に、きっと咲いているはずだ。
♢♢♢
そうして2人は目的地の森が眼前に見えるところまでやって来た。
だが追手もまた、そんな2人に追いついてきたのだ。
「いたぞ!放て!」
矢が上空の風を切って飛んでくる。
「ふせて!!」
「きゃあ!」
2人は何とか矢をかわし、馬を走らせる。
しかし次の矢が馬に直撃し、2人は馬上から振り落とされた。
クラウディアもフローラもボロボロだ。
それでも何とか森の入り口まで辿り着いたが、そこでついにフローラが捕まった。
「観念するんだな。」
その言葉を言った兵士は次の瞬間には息絶えていた。
クラウディアが首を切り裂いたのだ。
あまりにも鮮やかで素早い動きに周りの兵士達が少し怖気付く。
「走れ!!」
クラウディアの声にフローラはハッと我に返り森の中に逃げ込む。
クラウディアも行方を阻む兵士達を次々と倒し、自身も森へと入って行った。
怯んだ兵士達もその後を追い、クラウディアは過去の記憶と同じ状況になったことで嫌でも昔を思い出してしまう。
ーーーお母様!
ーーー逃げるのよ!クラウディア!振り向かないで!
涙を堪えて走り続けた。
私達が何をしたと言うの?
自国も周辺国も、豊かになるように尽力したのに。
あまりにも理不尽だった。
幼い心には抱えきれないものだった。
お父様とお母様と笑顔の絶えない日々。
優しい執事や侍女たち。
町に行けば気軽に声をかかえもらえるほど国民と距離が近く、彼等の生活のために、王族として必死に勉強していた。
そんな何でもない日々は、ある日突然終わりを告げた。
そして今も森の中を追手から逃げて走っている。
足の関節がギシギシ鳴っている。
身体の感覚はとうに無いほど全力で森を駆ける。
前方にフローラと、その更に先に光が見えた。
ーーあそこだ!
気が緩んだその一瞬、クラウディアの顔の横をかすめて後方から一本の矢が飛んで来た。
その矢は前を走るフローラの肩に当たり、彼女は光の中へ倒れ込んだ。
「フローラ!!」
クラウディアは急いで駆け寄り彼女を担ぎ上げ、光で満たされた森の中の不思議な空間に入った。
兵士達はすぐそこまで迫っている。
だが花がない。
どこを見渡しても白い花弁のあの花が無いのだ。
「そんなっ…」
腕の中でフローラが苦しそうに呻く。
「…ラウ…ディア…私…いいからっ、に、げて…」
「馬鹿なこと言わないで!」
何でみんな私に逃げろと言うの。
私はもう強いのよ、そう、強いのよ!
フローラをそっと地面に置き、クラウディアは追い付いてきた兵士達に剣を向ける。
だが人数が多い。
クラウディアは懸命に戦った。
1人で何人倒したのだろうか。
もうそろそろ限界だ。
兵士がクラウディアの剣を弾き飛ばした。
その場で両膝をつき、自分の命の終わりを悟る。
後ろを振り向くと、フローラもまた自身の終わりを感じているのだろう、表情は穏やかだった。
白い光に満たされた不思議な森の中の空間で、クラウディアは天を見上げた。
ーーあぁ、これで終わり。でも悔しいな。こんな理不尽に私たちの命は奪われてしまうの?
ねぇ神様。時の神様。私は結局誰も守れずに、この生を終えてしまうの……?
兵士が剣を振り下ろす。
その瞬間、膝をついている地面が眩しく輝き出した。
兵士達はその光に目が眩んで後退する。
フローラとクラウディアの真ん中に突然ひとつの植物が地面を割って芽吹いた。
二葉から始まりあっという間に蕾になり、白くて大きな花弁をまるで伸びをするように広げて開花した。
「時渡りの花…」
「これが…」
クラウディアとフローラは同時に花弁に触れた。
2人の姿が薄くなる。
クラウディアは知っている。同じ時に同じ花に触れても、同じ時間に飛ぶことはできないと。フローラとはここでお別れ。
最後の一瞬でクラウディアはフローラに言った。
「さようなら、元気でーーー」
フローラもまたクラウディアに言葉を発していた。
「ありがとうーーーー」
花の力だろうか、フローラの傷がキラキラと光って消えているように見えた。
ーーー良かった…
クラウディアはそう思ったのを最後に意識を手放した。
♢♢♢
クラウディアは廊下を走っていた。
すると侍女長にそれを見られて怒られた。
庭ではお母様がお茶をしている。
「お待たせしました、お母様!」
「ふふ、今日も元気ね。」
後ろからお父様もやって来た。
「やあ、可愛い天使たち。僕もちょっと休憩しようかな…」
「お父様!」
クラウディアは父親に飛びつき首に手を回してハグをした。
最初は夢かと疑った。
あの時あの森の中で2度目の時渡りをした。
目を覚ますと、そこはクロノス国で自室のベッドの上で、なんと1度目に時を渡ったあの幼い日の身体のままだったのだ。
起きて状況を理解するため頭をフル回転させている時に、ふと声が聞こえた。
ーーすまなかった
クロノス国は、時の神クロノスを祀っている。
あれは、神の声だったのではないか、そう思っている。
私はすぐに両親に周辺国の襲撃について話した。
その後は彼等の手腕に頼るしかなかったが、神の力も働いたのだろうか、不思議と周辺国の対応は柔和で、攻め込まれることはなく時が過ぎ、私も成人となった。
今でも時々思い出す。
ハルジオンの王女は助かったのだろうか、と。
でもきっと大丈夫だと信じている。
「フローラ、忘れないわ。どれだけの時を経ても、あなたの事を。」
風が吹いた。
白い花びらが宙を舞う。
一人の女性がそれを見ながら微笑む。
後ろから声がした。
「身体が冷えるといけない、中に入ろう」
「えぇ、あなた。」
女性は夫と屋敷の中に入っていく。
ふっくらとしたお腹に優しく手を当てて夫が囁く。
「君に似た可愛い女の子だろうね、フローラ。」
「強い女の子に育ってね」
「え?」
「何でもないわ」
風が強い。
庭に咲く白い花たちが花びらを手放し、空へと見送る。
青い空を高く高く飛んで、どこまでも。
ーー終ーー