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カスミ・ツバキ  作者: 翠野みとこ


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15/19

第15話 確信へと至る

 日記を閉じる手は震えていた。彼女の煮え滾るような愛、その重さで潰れそうになりながらも、本能が身体を責め立てる。

 ――咲良くんに、伝えなくちゃいけない。

 その思いとは裏腹に、急いで立ち上がろうとしたわたしは体勢を崩し、すっ転んで机の角に膝をぶつけてしまう。


「っ……」


 激痛に悶え苦しんでいたら、別室から咲良くんが飛んできた。


「おねーさんどうしたん! って、何しとん」


 呆れ笑いしつつも、彼の手を取って起き上がる。

 その目を見つめながら、わたしはこの真実をどう咲良くんに伝えればいいか逡巡した。


「日記、読み終えたよ」

「ん。……どうやった?」


 言葉が、声が出ない。この期に及んでわたしは――伝えることを恐れている。

 ダリアがわたしのために香澄くんを犠牲にしたという、その真実を。

 ――でも、伝えなきゃ駄目。そう約束したんだから。

 勇気を奮い立たせて、わたしは告げる。


「咲良くんも、読んでくれないかな。日記」

「え? ……ほんまに、ええんか」

「……わたしには、到底言葉にできそうにない、から」


 思いついた案はそれしかなかった。起きてしまった出来事はもうどうしようもない。謝るべき相手である香澄くんはもうこの世にはいないのだ。わたしのせいで、と嘆くのは全て終わってからにさせてほしい。


「わかった。ちょい待ち、読んでくる」


          *


 日記を読み終えた咲良くんは開口一番に小さく「アホ」と呟く。それは嘆きではなく、打ち震えるような怒りからくるものであるように見えた。


「香澄のドアホ、バカ! 何流されてんねん」


 咲良くんは拳を振り上げたが、それはキーボードに叩きつけられることはなかった。行き場を失った指が解けていき、力なくずるずると画面の上を滑り落ちていった。


「なあ、香澄。なんで、おれに何も話してくれへんかったん……?」


 咲良くんは前にも言っていた。どうして自分に相談してくれなかったのかと。

 ダリアがわたしを守るべき対象と見なしていたように、香澄くんにとっては咲良くんがそうだった。

 でも、咲良くんが憤っているように……わたしは、守られた側のわたしたちは、ただ守ってくれてありがとうで終われない。わたしだって、故郷のイタリアでダリアに何があったのかなんて何も知らなかった。一度は愛した人がいたことも。それをわたしが傷つかないためだったって言われても納得はできない。

 ……わたしはダリアの全てを知りたかったのに。


 咲良くんは目尻を拭う。その姿を見て、咄嗟に謝罪が口をついて出てしまった。


「……ごめん」

「おねーさんが謝ることないやろ。たとえダリアさんが香澄を利用したんやとしても、おねーさんは何も知らんかったんやから」


 優しい咲良くんは、きっと本心からそう言ってくれている。


「……うん、わかってる。でも謝らせてほしいの。もういないダリアの分も……」


 わたしの意図を汲んで、彼は静かに謝罪を受け取ってくれた。気持ちを落ち着かせるように深く息を吸い込んだ後、咲良くんは話し始める。


「むかつくよなあ、何も知らされへんっちゅうのは」

「それは、その。香澄くんの友人だったっていう人のこと?」

「せや。けども……今思えばいつか起こってしまったことかもしれん。リオウさんの姿勢は感心するけど、流石に芸能界の闇に入らずとも視界に入れたまま過ごすっちゅうのは、難しいやろうからな」


 香澄くんはメンバーに守られていたと言っていた。わたしは芸能界に明るくないけれど、あの輝かしいスポットライトの裏に影があることくらいは理解できる。


「ミカゲ曰く、リーダーのリオウはそういうことを絶対に許さへん人。汚い金で手に入れた、泥にまみれたステージになんて立ちたくない――だから枕や裏金の類を全部断った結果、一度は芸能界を干されてたらしいんよ。

 でもリオウさんは箱に閉じ込められても光が漏れるほど……才能がある人やってなあ。事務所にグループ組んで活動しろ言われて、ほな自分でメンバー選ばせろって所長に直談判したんやって。で、そうして生まれたんがプリンスリーっちゅうわけや」

「そ、それはすごい人だね」

「プリンスリーも活動自体は三年前からや。でも人気が出だしたんはここ一年やな、事務所の上が変わったんがええ様に働いたって香澄は言うとったけど」


 そんなリオウについてきたカスミとミカゲは、所謂【芸能界の闇】を知らずにアイドルとして活動したきた。


「じゃあ、香澄くんの『守れなかった友人』って」

「……ちょっと聞いたことがある。お前友達おらんのかって。そしたら、一人だけ友達と呼べるなら呼びたい人がいるって言っとった。もしかすると、そいつは耐えられなくなってしまったのかも、しれへんな」


 唯一の友を失い、巨大な力の前に屈してしまった。

 ダリアと同じく、もう逃げられないと気づいてしまった……。


「香澄はおそらく約束通り公園に行った。そこでこの……ええと、ダリアさん曰くあの人に出会って殺された。それは多分合ってるはずや」


 この状況ではそう考えるのが妥当だ。

 香澄くんの身体に執拗な刺し傷があったことを見ても【あの人】は強い怨恨を持って彼を殺したのだろう。


「香澄くんに関してはそうだね。でも……」

「――ダリアさんを殺した犯人は、あの人じゃないかもしれない。おねーさんはそう言いたいんやろ?」


 わたしはこくりと頷いた。


「あの人はダリアと一緒に……つまり心中したかったんだよね。だったらダリアを歩道橋から突き落としたとして、そのまま放置したりするかな」

「おれもそう思う。そもそもいつ人が通るかもわからんとこでやるやろか」


 二つの事件現場が近いとはいえ、心理的な要因が解決への道を阻んでいる。

 かといって、ではダリアは誰が突き落としたのかと言われれば、これは日記にも書かれていないので見当もつかない。

 考え込んでいたわたしがふと顔を上げると、咲良くんがこちらをじっと見つめていた。どうしたのかと聞くと、彼にしては珍しく遠慮がちに尋ねてきた。


「おねーさんは、まだダリアさんのことが好きなん?」


 それは、多分聞かれるだろうなと思っていたことだった。実際に日記を読み終えたわたしは、先ほどから何度も自分の心に問いかけていたのだ。

 ――わたしがダリアをどう受け止めるべきか、と。

 咲良くんに、そして自分に言い聞かせるように答える。


「確かに、日記にはわたしの知らないダリアがたくさんいた。勿論驚いたし、正直ショックだった。……でもね、やっぱり嫌いになんてなれないし、今も、あ、愛していることには変わりない、かな」


 言ってる途中で恥ずかしくなってきた。紅潮する頬を冷まそうと手をぱたぱたさせていると、その様子を見た咲良くんがフッと笑った。


「そうなんや。すごいな、おねーさんは。……あっ、馬鹿にしとるんとちゃうで、おれやったら多分、大好きやった人の暗い一面を見てしもたら三日は引きずると思う」


 それでも三日だけなんだ。きっと彼は相手に幻滅しつつも、自分の気持ちを切り替えられる人なんだろうな。


「咲良くんも好きな人ができたらこの気持ちがわかるんじゃないかな」


 私がそう言うと彼は苦い顔をした。


「あれ……ごめん。もういるとか?」

「おらんわ! 第一、好きになってくれる人もおらんっちゅうのに」


 そう言って目を逸らす姿に、不覚にも可愛いと思ってしまう。


「そんなことないと思うけどな……例えば柏木さんとか。榎本さんの勘違いじゃなくて、本当にあなたが好きだったけど恥ずかしかったから嘘をついた、とかかもしれないよ?」

「ないない、一回付け回すんやなくて言いたいことがあるならはっきり言えって伝えたことあるけど、あいつが聞いてきたんはおれが好きな漫画や菓子のことやったし」

「好きな人の好きなものは知りたいんじゃないの?」

「……おねーさん、楽しんどるやろ?」

「ごめんごめん。……今度柏木さんに会ったら謝ってほしいんだ。あの子、わたしを見てものすごく怯えてたみたいだったから」


 そう言えば、何故柏木さんはわたしにあんな態度を取ったのだろう。自分の友達が勘違いで他人に詰め寄ったことに対する罪悪感でもあったのだろうか。


「……怯えとった? 柏木が?」

「うん。まるで幽霊を見たとでも言わんばかりの驚きようと逃げっぷりでびっくりしたよ」

「……」

「咲良くん?」


 彼は一瞬考え込んだかと思うと、顔を上げた。声のトーンを下げて、真剣な顔で尋ねてきた。


「おねーさん。ダリアさんが亡くなってから今までのどんなことでもいい。なんか覚えてることがあったら話してほしい」


 唐突なお願いに疑問符を浮かべながらも了承する。

 わたしは話した。ダリアが亡くなり、咲良くんに出会うまでに起きたことを整理するように語り尽くした。

 聴き終えた彼は、わたしに向き直る。


「……あのな、おねーさん。一つ、言わなあかんことがあるんや。イタリアでダリアさんに何があったのか、裏が取れたんよ」


 ――そして咲良くんは告げた。わたしが……ダリアにも知らされていなかった、とある出来事を。

 それを聞いたわたしは一瞬、どういうことだかわからなかった。けれどすぐに気づいてしまう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()、と。


「……う、嘘。そんなわけないよ、だって確かに――」


 ……あれ、でも。そういえば。

 わたしは、()()()

 記憶を呼び起こそうと頭に手を添えて。手繰り寄せる、あの日のやりとりを。

 ……そして思い至った。ああ、そうだ。


「……そう言ったのは、わたしだ」


 わたしがそう決めつけてしまったんだ。


「それが、答えだったんだ」


 全てはあの時から始まっていた。そのことを今更知った。

 愕然とするわたしに対して、咲良くんは膝をついて立ち上がった。


「よっしゃ。そうと決まればやることは一つやな」

「……え?」


 彼は不敵に笑い、右の拳を左の掌に叩きつけた。


「おれたちもやるんよ。香澄とダリアさんのように――誰かさんを欺くための演技を、な」

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