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カスミ・ツバキ  作者: 翠野みとこ


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第10話 初めからいた刺客

 ダリアと初めて出会ったのは三年前の、高校一年生の時だった。

 梅雨に入ったばかりの六月の初め。ダリアはわたしのクラスに留学生としてやって来た。

 日本人離れした白い肌、濃い夕焼けのような赤い髪。顔立ちも大層整っている所謂美少女だった。


「こんにちは。私の名前、ダリア・シャネル」


 しんしんと雨が降り続ける仄暗い教室において、わたしを含めた生徒たちの目には、ダリアは梅雨に濡れる鮮やかな紫陽花のように映っていたことだろう。

 生徒たちが固唾を呑んで見守る中、ダリアは手元の紙をゆっくりと読み上げる。


「日本語、まだ上手く喋れません。でも、頑張ります。よろしくお願いします。私は――」


 ダリアは顔を上げた。教室を見渡しながら一人一人に、そして自分に宣言するかのようにその言葉を口にした。


「私は幸せになりに来ました」


 その時のわたしは一番後ろの席にいて、彼女の宣言を随分大きな目標だなと軽く考えていた。

 ホームルームが終わってからはダリアは質問攻めに合い、委員長のグループとよく話すようになっていった。笑顔が可愛くて一生懸命な彼女に皆好印象を抱き、邪険にする者など誰もいなかった。


 わたしがダリアとまともな会話をしたのは、夏休みに入る直前のこと。

 終業式後のホームルームに残っていたのは、その日の日直だったわたしと、何故か一人で教室に残っていた彼女だけだった。

 彼女……ダリアと全く話をしたことがなかったわけではない。何度か授業のペアを組んだことだってあった。けど二人きりで話をするような仲ではなかった。

 わざわざ話しかけたら鬱陶しいと思われるかもしれない。そう思い、わたしは黙々と日誌を書き綴る。ふと顔を上げた時に――彼女と目が合った。

 いつの間にか彼女はわたしの目の前にいて、日誌をじぃっと見つめていた。


「百合乃さん、きれい」


 ありきたりな表現だけど――その微笑みは天使のような神聖さがあった。

 息を呑んだ。字を褒められていると頭では理解しているのに、まるでわたしのことを言っているのだと勘違いさせるくらいには、その微笑はいとも容易くわたしの心を射抜いた。


「……あ、それ、そのAstuccio(ペンケース)、ついてる、知ってる」

「ゴロ丸のこと?」


 彼女はわたしのペンケースに付けられていたマスコットを見て目を輝かせた。正直、彼女がそれを知っていることに少し驚いた。ゴロ丸は世界的に有名なゲームのキャラクターではあるものの、その中ではマイナーな部類なのだ。


「可愛い」

「……よかったらあげるよ。わたし、家にもう一つ持ってるから」

「いいの?」


 ペンケースからゴロ丸を外して渡すと、彼女は日本語でありがとうと言ってくれた。

 それからわたしが日誌を書く間、ゴロ丸を掌の上で遊ばせていたダリアにわたしは尋ねた。


「夏休み、あなたは故郷に……イタリアに帰るの?」


 ちょっとした世間話のつもりだった。

 彼女に転がされていたゴロ丸がぴたりと制止する。


「……ううん。帰らないわ」

「そう、なんだ」


 聞いてはいけないことを聞いてしまったのかも。そう思うわたしに彼女は続けた。


「だって私は……幸せに、なるためにこの国、来たんだから」


          *


「幸せになりに来た……?」

「ダリアはそう言ってた。だからわたしは、一緒に幸せに……うう」

「おねーさん真っ直ぐ歩いて、はよせな終電無くなんで!」


 公園を出た後、色々と吹っ切れたわたしは、咲良くんにダリアとの出会いを語って聞かせながら歩いていた。

 けれどもとぼとぼ歩きすぎたみたいで……なんとか蜜の宮駅に止まる終電には間に合ったけど、咲良くん家の最寄りまでの電車はもう無かった。

 だから、一人で高校生を帰らせるわけにもいかないから、うちに泊まってと提案したのだが。


「いや、色々とまずいやろ」


 確かに年頃の男女が同じ家で寝るのは問題があるだろう。けど明日は日曜日で高校は休み。ダリアの日記が入ったパソコンはわたしの家にあるのだし、持ち出すよりも見に来てもらった方が早いという思いもあった。


「じゃあ寝室には鍵をかける。これで大丈夫だよ」


 と言うと咲良くんは渋々了承してくれたので、わたしたちは急ぎ足で家に帰った。


 家の前のファミレスで食事をした後、咲良くんを部屋に招き入れる。とりあえずリビングのソファに彼を座らせた。

 足の踏み場もないほど酷い有様だった部屋だけど、この前の掃除から少しは綺麗になったと思う。

 咲良くんがキョロキョロと辺りを見回す。彼はおもむろに立ち上がり、テレビを置いている台に近寄った。


「何か気になる?」

「いや……うちのテレビとは形ちゃうなあと思って」

「確実に咲良くん家のよりは安物だと思うよ」


 テレビへの興味というよりは、何かを探すように目を凝らしているように見えるのは気のせいだろうか。


「……おねーさんは、家にいることが多いん?」

「ちょっと前までは籠もりきりだったよ。やってたバイトも辞めちゃったしね。今も大学に行ったり買い物に出る時以外は大抵家にいるかも」


 彼はふぅんと言ったきり、特に会話を続ける気はないらしくまた静かになった。スマホを真剣に見つめ、何やら長文を打ち込んでいる様子だが、大方家族にでも連絡しているのだろうと気に留めなかった。


「物置にしてる部屋があるから、布団を敷いてそこで寝てもらってもいい?」


 布団は多分、その部屋のどこかにしまったはず。そう考えながら歩いていたわたしの腕を、咲良くんが掴んできた。


「……何、どうかした?」

「おねーさん眠たい?」

「それは勿論。もう一時前だよ」


 咲良くんはリビングの壁にかかった鳩時計をちらりと見る。後十分もすれば鳩が一回鳴く、紛れもない深夜だ。


「うーん、やっぱりおれん家行かへん?」


 ええ……? と声を出したかったが、そんな気力すら眠気に苛まれて湧いてこない。


「いやーさっきスマホみたら『迎えに行くから待ってろ』って親父からLIMEが来ててん」


 この時間まで息子から連絡が無かったのだとしたら心配にもなるだろう。しかも、一人暮らしの女子大学生の家に泊まるなんて……と、警察官である彼の父親は考えたのかもしれない。


「わかった。じゃあわたしももう少し、起きてるから。見送ったら寝るね……」

「何言うてんの、おねーさんも家に行くんやで」


 なんでそうなる? 声に出さずともそういう顔になっていたと思う。

 咲良くんは内緒話をするようにこそっと「実はおれ、パソコン触るの趣味なんよ。おれん家には道具とかあるし、ぜったい日記を開けられるで」と言ってきた。そして自信満々に胸を叩くと、彼は鞄からUSBメモリを取り出す。


「この日記、こっちに写させてもらうな」


 学校で使用するからといつも持ち歩いているらしい。慣れた手つきでパソコンを起動し、あっという間にコピーするとメモリを抜き取る。


「――よし、ほな行くで」

「いいのかなあ……」

「さ、おねーさん早く!」


 玄関を出た後「家の鍵しっかりかけた?」とわざわざ確認してきた。そんなに鈍臭いように思われているんだろうか。

 鍵を抜き取ったその瞬間から、咲良くんがわたしの手を取り駆け出した。突然のことに驚きながらも、底知れない体力を持った高校生に引っ張られてついていく。

 駅前に着いた時、ロータリーに一台の乗用車が止まっていた。開かれた窓から顔を覗かせているのは知らない男性だったが、顔立ちから咲良くんの父親なのだとわかった。

 後部座席に乗るよう促され、咲良くんが助手席に座ると車は発進した。動き出した車内でわたしは親子の会話を聞いていた。


「親父サンキュ。……LIMEで連絡した通りやわ」

「間違いないのか。というか、気づかれてねぇだろうな」


 気づかれる? なんのことだろう。


「おう、あれは絶対に盗聴器や。今も聞いとるかはわからんけど、念のために自然に抜け出してきた」

「ならいいが……」


 そうか、とうちょうき……。


「…………と、盗聴器?」

「咲良、お前まだ説明してなかったのか」

「しゃあないやろ! つけられとる可能性もあったんやから!」


 咲良くんが助手席から振り返って説明してくれた。


「テレビ台の裏、コンセントとプラグの間にちっちゃい別のコンセントが挟まっとったやろ。あれおねーさんが買ったもの?」


 ぶんぶんと首を横に振る。そもそもそんなものがあるなんて気づかなかった。


「しかも一個やなくて、リビングだけで二個はあった。他の部屋は見てへんけど」


 シートベルトを握り締める。手がかすかに震え出した。


「誰か他の人を部屋に上げたりは?」

「お母さんとお父さんくらい……」

「盗難に遭ったりとか」

「記憶、にはない」


 ――脳がその事実を理解した途端、ゾッと全身に悪寒が走り抜けた。咲良くんが急かすような素振りの割に、声が落ち着いていた理由がわかった。

 ……今も誰かに会話が聞かれているかもしれなかったから。だからわたしを自然に――ちょっと、いやかなり強引だったけど――連れ出した。


「な、んで……わたしの家を、え?」

「問題はそれがいつからあったか。おねーさんを狙ったのかそれとも――ダリアさんを狙っとったか」


 犯人が一体何の目的でわたしたちの家に盗聴器を仕掛けていたのか。


「もしダリアさんに関係があるんなら、犯人を刺激したくない。けどもおねーさんはもうあの部屋に戻らん方がええ」


 わたしはこくこくと頷いた。そんな疑いのある部屋においそれと戻れるわけがない。

 肩を抱え込んで縮こまるわたしに、咲良くんはダリアの日記が入ったUSBメモリを差し出した。


「大丈夫やて。……きっと全部の答えが、この日記にあるはずや」

「……うん」


 わたしはそれをおずおずと受け取り、握り締める。そんなわたしたちの様子を見た彼の父親がフッと笑う声が聞こえた。

 彼は穏やかな口調でわたしに言う。


「百合乃さん。貴女の安全は私たち警察がお守りします。けれど先程咲良が言った通り、貴女が盗聴器を外したり、あの部屋に警察が行くことになれば、犯人に警察の手が迫っていると知らせることになるでしょう」


 そうなった時、犯人がどういった行動に出るのか……わたしには全く予想できない。


「ダリアさんの日記。それを見て、盗聴器が何の目的で仕掛けられたのか判断します。……よろしいですか?」


 警察がダリアの日記を確認してもいいか、と聞いているのだとわかった。決して強制ではない、こちら側の、わたしの気持ちを汲んでくれている。

 椿警部は運転しているので、目を合わせて話をしているわけではない。けれどミラー越しに見える彼の瞳は、真実を追究する真摯なものだ。

 日下部警部とは違う。確かにこの人は、咲良くんの父親なのだと思った。

 もう、嫌だとは思わない。

 わたしは決意を持って頷いた。


「はい」

「よう言うた!」

「茶化すな。……百合乃さん、ご協力感謝します。おい咲良、早くパスワードを解け。朝までに解けなければうちの技術班に持ってくぞ」

「まかしとき!」


 目まぐるしく動き始めた事態。

 けれどもうわたしは振り回されない。

 ただひたすらに、前へと進む自動車の如く。

 事件を、ダリアの死の真相を掴むために、わたしは走り続けると決めたのだ。

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