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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ぼくの師匠は元聖女様で、元悪役令嬢。ついでに、元大魔術師

作者: 奈良ひさぎ

 ミクリヤ家は代々、魔術の扱いにおいて右に出る家はいないと言われた、大魔術家の生ける歴史であった。どの代、どの人間をとってきても、必ずと言っていいほど魔術の発展に寄与していた。新しい魔術の開発、魔術体系の再構築、日常生活の利便性を向上させる低級魔術の開発と一般人への普及。国王褒章にあずかるというのは、ミクリヤ家にとってもはや日常茶飯事と化していた。


「サーシャ・ミクリヤ……第32代当主」


 街の図書館に足を運べば、ミクリヤ家や魔術に関する本で埋め尽くされた、書斎のような部屋がある。ミクリヤ家について、その歴史を時代背景とともに書くだけで歴史小説のように現実離れした内容となり、大の男の腕の太さほどもある本が何十冊も出来上がってしまうのだから、それだけ特別扱いされるのも仕方ない、といったところだろう。しかしミクリヤ家に関するどんな名著も、その記述は32代目の当主をもってはたと止んでしまう。

 幼い頃、偶然にもその部屋に迷い込んだことで魔術とミクリヤ家の存在を知り、すっかり本を読み漁るようになってしまったぼくは、その違和感に気づいた。まるで、タブーがそこにあるかのような書き方。ぼくみたいな十五になるかならないかという歳の子どもでも気づけるくらいなのだから、相当とんでもない事実が隠されているに違いない。ぼくはいつしか、ミクリヤ家最後の当主が今どうしているのか、そちらに興味を持つようになった。


「ミクリヤさんねえ……今、どこでどうしてるんだか」

「ミクリヤさん? そもそも魔術家だったのかしら?」

「そういえばあそこの家、大昔は魔術家だったって小耳に挟んだことはあるけど……」


 ぼくは探偵にでもなった気分で、サーシャ・ミクリヤという人を知っていそうな街の人に声をかけて、聞き込みをした。すぐに、次の疑問が湧き起こった。そもそもサーシャ・ミクリヤどころか、ミクリヤ家が魔術家であることすら、知らないか忘れてしまった人があまりにも多かった。これだけ本があって、図書館には専用の部屋まで作られているというのに。確かに図書館の開架室が建物に入って右に曲がった突き当たりなのに対して、その部屋は左に曲がった先にあるから見つけにくいし、部屋もこじんまりしていて図書館の部屋というより誰かの書斎。夢中になっていたぼくの方がおかしいのかもしれない。


「サーシャ・ミクリヤ……その名前を、知っているんだな?」

「は、はい」

「……この先お前は、もう後には引けない秘密を知ることになる。それでも、いいか?」

「は、……はい」


 サーシャ・ミクリヤという人がごく最近までいたということは知られていたが、その名前自体、特定の人たちにとってはタブーだったらしい。ぼくがその人について嗅ぎ回っていると聞きつけた町医者のタカナシさんが、ある日ぼくの家を訪ねてきた。彼の顔は、とても普段の診察で患者に向けていいものとは思えないほどに険しかった。


「わしの知り合いに、特殊な文化人類学を大学校で教える教授がいる。紹介状を書いておくから、そやつに会って話をしてみるといい」


 特殊な文化人類学。それが具体的にどんなものであるかは、タカナシさんの話を聞いているだけでは分からなかった。でも、ありふれた学問であるはずの「文化人類学」に特殊、とついている時点で、秘密に迫りつつあることは十二分に伝わってきた。


「ようこそ、私の研究室へ」

「よろしく、お願いします」

「早速だけど、……ああ、そこに座って。君はサーシャ・ミクリヤについて知りたいことがあるらしいね」


 森の中のような爽やかな香りが漂う研究室に、教授はいた。まるで、15代のミクリヤ家当主が得意とした、錯覚魔術のよう。心地よい香りのする疑似的な自分と相手だけの空間を作り出し、リラックスさせた状態で相手に攻撃が通りやすくする。それが庶民向けの低級魔術に落とし込まれた際には、素敵な雰囲気の食事屋を作るのに一役買い、また香水をいくら振ってもまるでごまかせなかった街中の悪臭を上書きするのにも役立ったという。椅子に深く腰掛けた教授は、ぼくの事情をほとんど全て知っているらしかった。


「サーシャ・ミクリヤ……いや、よそよそしい呼び方はやめよう。サーシャさんは、今も生きている。……でも、生かされている、と言った方がいいかもしれない」

「生かされている……それって、無理やりそうさせられてる、みたいな」

「その通りだ。彼女(・・)は、ミクリヤ家を衰退させた張本人。その罰として、永遠の時間を生きることになっている。今も、”凍土の森”の奥に小屋を建てて、ひっそりと隠居生活を送っている」

「そんな……どうして、そんなことに」

「それは、サーシャさん自身の罪の話? それとも、ミクリヤ家そのものの罪を問うているのかな?」

「ミクリヤ家、そのものの罪? なんで、そんな話になるの」

「……順を追って、話そう」


 教授は書斎のよう――それこそ、ぼくが愛してやまないミクリヤ家の本で埋め尽くされた書斎のようなその研究室で、一冊だけ本を取り出して、ぼくに見せてきた。直接手を触れずに、ふわふわと空中を浮かばせながら取り寄せるさまは、庶民に広く普及した浮遊魔術の応用だった。ぼくと教授、二人だけの空間で、教授が魔術を使うところを見せてくれたことに、ぼくは素直に感動した。それはぼくのことを、信頼してくれた証。


 もはや、魔術は「外では使ってはいけない禁術」という扱いを受けているから。


「この世界は、ある地点で他の世界と接続している。他の世界と言っても、相手は様々だ。時間の軸で考えれば、連続的に複数の世界と接続して、時空の歪みをもって世界どうしを移動できることになる。ただしそれは、向こうの世界からこちら側への、一方通行だ」

「『異世界転移』……」

「そう。千年二千年も前にはすでに起こっていたと言われる異世界転生と違って、異世界転移はここ数百年で新しくできた概念。そもそも、わざわざ別の世界からやってきただなんて、突拍子もないことを堂々と宣言する人があまりいなかった。だから、本当はもっと前から起こっていたのかもしれない。ミクリヤ家は、そんな異世界転移をしてきた最初期の人間がご先祖様だと言われている」

「ミクリヤ家が、転移者の一族だった……そうなんですね」

「私たちにとって発音しにくい、語感に違和感のあるファミリーネームなら、転移者と何らかのかかわりがある可能性が高い。ミクリヤも、その一つだろう」

「……確かに」

「これはサーシャさん本人に聞いたから、まず間違いない。一般に出ているかどうかは別として、ミクリヤ家の中では、由緒正しき一族だというのは粛々と語り継がれてきた伝説だ。あれだけ大きな家になったのだから、その出自を誇るのも当然だろう」


 教授は、サーシャ・ミクリヤと直接話したことがある。教授は見た目からして四十歳そこそこといった感じだから、そんなに前の話ではないのだろう。それにサーシャ・ミクリヤ自身も、そこまでお年寄りというわけではないのかもしれない。


「異世界転移してきた人間が特別な力を扱えるというのは、そう珍しい話じゃない。元の世界での『当たり前』がこちらの世界では当たり前ではないだけで、ミクリヤ家にとっての魔術もそうだった。そして魔術が当たり前ではなく、ひたすらにもてはやされる世界で生きる覚悟を決めた彼らは、魔術を生業にし始めた」


 ミクリヤ家の活躍によって、魔術は庶民の「当たり前」になった。近距離の移動も、料理も、身支度も。日常生活のあちこちに散りばめられていた不便な「当たり前」がどんどん便利になっていき、魔術の関与がない物事はどんどん減っていった。そしてそれは、ミクリヤ家の誇りを良くも悪くも高めてゆくことになった。


「会いに行こうか。サーシャさんに」

「えっ……」

「大丈夫だよ、君が魔術に造詣が深いことは、タカナシさんからよく聞いている。君なら、サーシャさんにも快く受け入れてもらえそうだ」


 ぼくの武器は、ただひたすらなミクリヤ家への知識と愛の深さ。逆にそんなものだけで、本物の歴史に立ち向かえるのか、ぼくは心配だった。いまや魔術は、忌むべきものとすらされているというのに。

 ”凍土の森”、その奥地。ぼくたちが暮らす街中から二度も三度もがらりと気候が変わり、とても普通の人間が暮らすのには不向きな場所だ。並の人間が作り出した移動手段では、たどり着くのにいくら時間があっても足りないので、教授の魔術を使うことになった。というより、使わざるを得ない状況だった。


「ミクリヤ家には、いろんな顔がある。大魔術家というのは、その一つであるにすぎない」

「他には、何が?」

「例えば、聖女。ミクリヤ家の女性はある代で神職の男性を婿に迎えたことで、聖女としての能力を開花させた。街に5つある教会を作ったのはいずれも過去のミクリヤ家当主だし、聖クラン女学院の創立者や今の教員にも、ファミリーネームこそ変わっていれど、ミクリヤ家の関係者が多くいる」

「『ミクリヤの街』……その二つ名も、間違いではないということなんですね」

「今やそんな呼び方をする人は誰もいないというのに、よく知っているね」


 教授も、強いて言えばミクリヤの血が入っているということを教えてくれた。あくまで祖母の妹の叔父の、といった具合に遠い遠い親戚ではあるらしいが。何百年にもわたって栄華を極めたミクリヤ家は親戚や子孫が至るところにおり、ファミリーネームが変わってしまった人も含めれば、国内外に散らばっている。ぼくもよくよく家系図をたどってみれば、遠いところにミクリヤの名があるのかもしれない。それくらいに、ミクリヤは栄えていたはずなのだ。


「着いた。あの小屋に、サーシャさんは暮らしているよ」


 教授が移動手段として用いたのは低級魔術の積み重ねだから、ぼくにも行こうと思えば行けるものだった。世間がみんなしてサーシャさんやミクリヤ家のことを忘れているから、そもそも誰も行こう、訪ねようという発想にならないだけで。楽園のごとく静寂で厳かな雰囲気の中、ぽつりと建つ小屋に近づくと、突然感知魔術が発動し、ぼくも教授も見えない糸に絡め取られてしまった。


「「……」」


 どこが拘束されているかも分からないのに、全く身動きが取れない。サーシャさんはまさしく隠居生活を送っていて、誰の干渉も受けたくないのだろう。こんなに執拗に来訪者を拘束するほどに。


「あぁぁ、ごめんなさ~い!!」

「……っ!?」

「また感知魔術を切るのを忘れてっ……すみませんっ……!」

「サーシャ……さん?」


 図書館の蔵書にもあった、サーシャさんの著書に造影魔術で写っていた彼女の姿そっくりの女性が、ちょこちょこと走りながらぼくたちの方に近づいてきた。確かに見たことのある女性そのものだったが、しかしもっと気難しそうな人だと思っていた。著書に写っていた顔はしかめっ面で、それもあってぼくはサーシャさんに会うのが楽しみ半分、不安半分だったのだ。

 すぐに感知魔術は解除され、ぼくたちは小屋の中へ案内された。魔術の研究をするための殺風景な部屋を想像していたが、目の前に現れたのは生活感あふれる若い女性の暮らす部屋そのものだった。


「ようこそ、わたしの住まいへ……ヤマサ教授、お久しぶりです。十三年ぶり、でしょうか?」

「ええ、そのくらいですね。お元気そうで何よりです」

「そちらこそ。もうあれから、十三年も経つのですね……そしてあなたが、わたしに恋をした新米魔術師さん?」

「こっ……恋……!?」

「おっと、すみませんね。恋をしたのはわたしよりも……ミクリヤ家の方、かな?」


 そう言いながら、サーシャさんは本棚から一冊の古びた魔導書を抜き出し、引き寄せた。さっきの感知魔術といい、ただ物を引き寄せるだけの浮遊魔術といい、サーシャさんの魔術師としての実力はすぐに分かった。一つ一つの魔術の練度や、漏れ出る魔力、魔術行使後の魔力残渣、全てにおいて誰も勝てないと断言できた。そんなに他人の魔術をたくさん見てきたわけではないけれど、ぼくが何年、何十年と修行したところで決して追いつけない差がそこにあった。


「とは、言ってみたものの。……わたしから伝承できることは、何もありませんよ。たとえ相手が期待の新人魔術師さんでもね?」

「……ぼくは、知りたいんです。どうして、あれだけ栄えていたはずのミクリヤ家がこんなに衰退したのか。どうしてサーシャさんが、こんなところでひっそりと暮らさないといけなくなったのか。この世界にあるどんな本を読んだって、そんなことは一行たりとも書いていなかった。まるで、ミクリヤ家の歴史そのものを過去にして、なかったもののようにしている……」

「わたしは、自分の意思でここにいる。罪を犯したわけでも、誰かに強制されたわけでもない。ただ、時代が悪かった。ミクリヤ家そのものが、世間の潮流に合わなかったというだけ」

「じゃあ、どうしてサーシャさんは。あんなに高度な魔術を今も使っているんですか。どうして、ぼくたちにあんなに美しい魔術を、見せてくれたんですか」

「……魔術を扱う一族の誇りは、まだ捨てていないわ。かつて、別の世界から魔術を持ち込み、それを発展させ、人々の生活を次々に豊かにしていったという誇り。どれだけ魔術が忌み嫌われようと、外で使われなくなろうと。ミクリヤ家が滅ぶことになろうとも、その誇りが消えることはないわ。わたしが魔術を今でも使うのは……今でも、魔術の練度を上げる訓練をしているのは、そんな誇りがわたしの中から消えてなくなっていないか、確かめるため。……でももう、誰かの生活を便利にしようとか、歴史に名を刻んでやろうとか、そんな気持ちはない。そんなことをするには、もう疲れすぎてしまったから」


 魔術を最も高い練度で使いこなす一族という誇りは、いつしか徹底した血統主義へと変化していった。魔術はそれ単体でももちろん強いが、位置づけとしてはあくまで人類の生み出した技術の一つ。その生まれがこの世界か、別の世界かというだけで、本質的には蒸気機関や錬金術といった、こちらの世界で生まれたものと変わらない。つまり組み合わせたり、お互いの得意分野を掛け合わせることで、爆発的な技術発展が見込まれる。ミクリヤ家の歴史書にも、様々な職業や得意な能力を持つ人間を家に迎え入れてきたことが書かれていたが、実態はもっと生々しく、過激なものだった。


「すでに婚約して、子どももいた人を無理やり略奪して迎え入れて、子孫を残させたこともあった。魔術の開発と同じように、家の内外の人間を道具のように使い潰して、ミクリヤ家としての力を増幅させていった。……全ては、素晴らしいミクリヤの血を後世に残すため。歴代の当主はいつだって、『人類の完成形』を生み出すために動いていた。全てにおいて完璧な人間を生み出すことにしか、興味がなかった」

「……子どもの思想は、親の教育方針で決まる。たとえ当代がまともな価値観を持っていても、先代や先々代が『研究熱心』であれば、簡単に影響されてしまう。そういうことですか」

「それが、正しいことだと思う? 本当に、魔術の発展に寄与していると思う? ……あるいはそんなふうにして出来上がった『魔術』で、本当に人類はこの先も繁栄し続けられると思う?」


 ミクリヤ家衰退のヒントは、歴史書の最終盤にあった。第31代当主、ミロ・ミクリヤ。サーシャさんの先代にあたる当主は、西国との戦争の影響で急速に増えていた孤児のため、ポケットマネーで保護施設を設立し、どんな子どもでも健やかに、聡く育つ環境を作るのに一役買い、国王褒章の授与にとどまらず、世界的にも聖人とみなされていた。しかしそれは単に、表の顔でしかなかった。


「わたしは、母のことを憎んでいる。あの頃母がわたしに注いでくれていた愛情さえ、偽物だったんじゃないか……そう思えてならない。そしてきっと、わたしが家の方針に応えて『次』をつないでゆけば、きっと同じことを繰り返す。母の思想、家の意向に染まりきる前に、わたしは決断しなければいけなかった」

「その結果が、先代の告発……ってことですか」


 保護施設は、子どもを実験材料に利用するための研究所でしかなかった。親という最大の障害がない子どもは、卑劣な人体実験を施す相手として最適だった。魔術の発展のためには犠牲も辞さないという建前のもと、数多くの子どもたちが原型すら残さない形で実験に利用され、命を落とした。今日でもいくつか残っている、子どもの精神に作用する系統の魔術は、この犠牲あって完成を見たものだった。

 せめてもの救いがあるとするならば、これら悪事の数々を先代当主が隠蔽する気は一切なかったということ。しかしそれは、魔術の発展、生活の利便性向上のためならば、そのような残酷な犠牲もいとわないというふうに、庶民の倫理観を長い時間かけて育てていった結果でもあった。ミクリヤ家はその血だけでなく、精神も一般人に広く浸透させていた。


「だからもう、わたしたちが何百年もかけて作り上げてきた『魔術』は、ここで終わり。わたしがこれまでの罪をすべて受け止めて、一緒に散れば、新たな悲劇が起こることはない。聖女も、世界巫女(せかいみこ)も、悪のご令嬢も、大魔術師も。ミクリヤ家が吸収してきた全ての肩書を背負って、わたしの代で終わらせる」

「サーシャさん」

「それに魔術なんてなくても、もう人間の生活は十分すぎるほど便利になったから。『外で魔術を使ってはいけない』なんて空気がこれだけ広まっても、文明レベルは以前と何ら変わりない。それが何よりの証拠、でしょう?」


 サーシャさんがそこまで言って、ぱたんと本を閉じる。最後のページには、サーシャさん含むミクリヤ家が、いかに卑劣で傲慢な一族へと堕ちたかが描かれていた。サーシャさんが自分の代をもってミクリヤ家そのものの歴史を閉じてしまったのも、世間では当たり前のこととされたのだろう。だからすでに、なかったことにされ、忘れかけられている。

 忘れられようとしていることに、抗うつもりはぼくにはなかった。どれだけサーシャさんのことを肯定しようと、ミクリヤ家の過去の所業は消えないし、すでに起こってしまった犠牲がどうにかなるわけでもない。けれど、「ぼくが」忘れたくない。ぼくはミクリヤ家の作り上げてきた魔術の光の部分を肯定して、いつまでも覚えておきたいのだ。だから。


「……サーシャさんの言いたいことは、よく分かりました。歴史書には書かれていなかった、サーシャさん自身のことも。でも、一つだけ、分からないことがあります」

「……っ!」

「それならどうして、サーシャさんは今も生きているんですか? もしも本当にサーシャさんの代でミクリヤ家を終わらせる気だったなら、とっくの昔に自死を選んでいたはず。そうしなかったのは、ミクリヤの大魔術の光の部分を」

「失いたく、なかったから。……ええ、あなたの言う通りよ」

「……サーシャさんがいなくなれば、ミクリヤの大魔術まできれいさっぱりなくなってしまうなんて、本当にそう思っているんですか」

「それは」

「ミクリヤの大魔術は、なくならない。歴史書、魔導書の数々がなくなってしまわない限り。ぼくが、ミクリヤ家のことを覚えている限り」

「……っ!」

「だから、ぼくを、弟子にしてもらえませんか。いつか、何十年かかるか分からないけれど、ぼくは魔術を人々の手に戻したい。ミクリヤの光を、みんなの手に宿らせたいんです」

「最初から……それが目的だった、ということね」


 最後はきっと、ミクリヤに対する知識と愛で押し切ってしまったのだろう。でも、それでよかった。魔術が丸ごとぼくたちの手から喪われてしまうなんて、許せなかった。

 一つ、簡単な魔術ですら、サーシャさんの手から放たれるたびにミクリヤ家の重みを感じる。弟子になって、すぐそばで魔術の真髄そのものを観察し、修行を重ねたところで、決して実力で並ぶことはできない。それでもぼくは、ミクリヤの大魔術を学ぶことを選んだ。ミクリヤの大魔術の影の部分が「歴史」になり、人々の記憶から薄れれば、また「光の魔術」が陽の光を浴びる時が、きっと来る。その時に、ぼくが立役者でありたいのだ。


「でも、今から考えると。ミクリヤの魔術を継ぎたいって最初に言ったのがあなたで、よかったかもしれないわね」

「え?」

「ミクリヤの魔術の歴史は、人間の恋愛の歴史。本心から魔術を愛する者だけが、その真髄を垣間見ることができる。そしてミクリヤの人間を愛せる者だけが、ミクリヤの魔術に光を照らすことができるもの」

「……ぼくは、ミクリヤ家のことを愛していますよ」

「ええ。だから、あなたが女の子でよかった。もしそうでなかったら、わたしはきっと、間違った恋をしていたから」

「えっ……それって」


 ミクリヤの大魔術の修業を始めて三年。いつものように二人で魔術の精度を高める訓練をしていた時、ふいにサーシャさんがぼくの左手の薬指に指輪をそっとはめてきた。


「正しく、ミクリヤの魔術に光を当てるならば、契りも女性どうし、正しく結ばないとね。そうでしょう?」

「さ……サーシャさん」

「あら、真っ赤になってる。かわいい」

「か、からかわないでください……これ、18代当主のルミネ・ミクリヤが使っていた魔力制御の指輪じゃないですか」

「抜き打ちテストも完璧ね、本当にミクリヤの本が丸ごと、頭の中に入ってるんじゃないかしら」


 ぼくとサーシャさん。ミクリヤの大魔術がつないだ特別な師弟関係は、これからも続いてゆく。

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― 新着の感想 ―
[一言] 読み応えバッチリでしたー! ほかにも転移者がいたとすると、魔術以外にどんなことで活躍したのか気になりますね。 楽しかったですー!(*´꒳`*)
[良い点] ミクリヤ家、めっちゃワクワクする設定でいいですね……! サーシャさんの話、一つ一つが面白かったです。いや、すごい悪い家なんですよ。なんですけど、そういう後ろ暗い歴史が積み重なってできた家の…
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