短編)笑わない男が異世界で笑わせた相手を支配する力を手に入れた件 〜笑え。俺が支配者だ
ライトは消され、扉の隙間から入る僅かな光だけが頼りの暗闇の中。
ブーというブザーの音とともに、ざわざわと話し声が飛び交っていた体育館が静まり返った。
幕が開き、舞台にスポットライトがあたる。そこには1人の女学生の姿。生徒たちの注目が注がれる。
「さあっ! 文化祭も本日で三日目! ここ第三体育館に集まったお前たち! 準備はいいか〜!」
元気のいい放送部の女学生の声が体育館に響く。その溌剌とした掛け声とは裏腹に客席から返ってくる声はまばらだ。
とはいえそれも想定の範囲内だったのだろう。司会の女学生は特に動じる様子もなく着実に説明を続けていく
「ここでは少人数でのダンスやお笑い、歌などを発表してもらいます! プログラムは文化祭のしおり4ページに記載されています」
パラパラと紙が捲られる音がする。ここに来ている以上目当ての発表があり、プログラムなんてすでに確認済みであるはずだが、それでも説明されるともう一度見てみたくなると言うものだ。
だが横矢拓人は違う。
彼は発表に興味なんてない。取り巻きにどうしてもと頼まれたから来ただけだ。故にプログラムを事前に確認してもいないし、司会に言われてからしおりを開いたりもしない。
ただ腕を組んでふんぞり返っていた。
俺が王だ。そう主張するように。
「特別審査員として我らが生徒会長、横矢拓人君にお越しいただきました! 会長、何か一言!」
スポットライトが舞台の端に設置された審査台に鎮座する拓人に当てられる。
突然当てられた光に目を細めながら、拓人は愚民共に『一言』を与えてやろうと口を開いた。
「ふっ……」
それだけ。それだけ言って拓人は口を閉ざした。
だがこれも司会の女学生の想定を上回ることはできなかったのだろう。そのまま淀みなく司会進行が続く。
やがてステージ発表が始まり、ダンスや歌が披露されていく。発表が終わるごとにコメントを求められ、タクトは「まあまあだった」「練習不足だった」「今のは何という歌だ?」などと短いコメントを残していく。
そして。
「さあ、本日最後の発表! そして唯一のお笑い枠!
みなさん大注目!
『自称校内一面白い男』は『笑わない男』横矢拓人を笑わせることができるのかッ!
お願いしますッッ!」
舞台袖から笑顔の男子学生が手を振りながら入って来ると今日一番の大きな拍手が降り注いだ。
人気者の生徒なのだろう。
いつしか客席には随分と人が増えており、最初の倍くらいになっていた。客席から「頑張って!」「いいぞ勇者!」「会長の笑顔を見せてくれ!」「魔王を倒せ!」「骨は拾ってやるぞ」などとさまざまなヤジが飛ぶ。
ステージ中央で学生が拓人に指を突きつける。
「絶対笑わせてやるからな!」
わははは、いいぞーと客席が盛り上がる。
当の拓人はというとピクリとも表情を変えることもせず、ただ見ていた。
学生は少し怯んだように顔を引き攣らせたが、深呼吸をして気を取り直すと
「校長先生のモノマネ!」
そう元気よく言った。
「あ〜、みなさん、あ〜、おはようございます。あ〜みなさんが静かになるまで、あ〜三分かかりました。
あ〜、先生がウルトラマンなら、あ〜、帰ってます」
「帰れ!」とヤジが飛び、客席がわはははと笑う。
モノマネは続く。
言葉でなく身体も使いながら。校長のクセに忠実に、時には少し誇張しながら。
校長は身体を左右に揺らしながら話す。「あ〜」と何度も何度も言う。話の最後のオチのところでドヤ顔をする。それらをしっかりと真似していた。
節々に散りばめられたクセに、客席の生徒たちは何度も笑いの渦に叩き込まれた。
拓人はそれを見て、これは確かに校長の真似だ。
そう思った。
ただ、そう思っただけだった。
表情筋はピクリとも、動かなかった。
校長のモノマネ以降もいくつかネタは続いた。人気のお笑い芸人のネタをアレンジしたものから、オリジナルのコントまで。
客席は笑っていたが、タクトは最後まで地蔵のように微動だにしなかった。
彼と比べれば棒人間の方が表情豊かかもしれない。
「そ、それでは生徒会長。コメントをお願いします」
若干、いや、かなり聞きづらそうに司会が拓人にマイクを向ける。これまでの全ての発表でそうしてきた以上、そうせざるを得ないのだろう。
拓人は短く、
「何が面白いのか分からなかった」
そう正直にコメントした。
体育館は静まり返り、男子学生が俯いたまま、舞台の幕は降りた。
****************
放課後、お笑いの発表をした男子生徒に拓人は屋上に呼び出されていた。
呼び出された拓人はというと、観覧の礼でも言うつもりかと、素直に呼び出しに応じた。
感謝されたら「凡愚の求めに応じるのも支配者の責務だ」と応じようなどと考えながら拓人が待っていると、男子学生が階段を登ってきた。
拓人は読んでいたドイツ人哲学者の本をパタンと閉じた。
「来たか、何のようだ」
「お前さぁ」
「うん?」
「あのコメントは、ないだろ」
「……は?」
男子学生の思いもよらぬ苦言に、拓人の脳がフリーズする。
いや、普通の人間なら予想できる状況ではあるのだが、残念ながら拓人はその『普通』には該当しなかった。
物理、化学、数学、倫理、日本史、世界史。模試ではほぼ全ての教科で全国でもそこそこの成績を記録していた拓人であったが、国語の偏差値は40を下回る。
「作者の気持ちを述べよ」の問いに「この文章はどうすれば良くなるだろうか」と答える男だった。
「そんな問題が出るわけない、出題者の意図を考えなさい」という教師の指導に、
「出題者の意図を考えろなどとどこに書いてある。書いてもいないことを前提に置くとは、出題者の意図を考えていないのは貴様の方だ」とキメ顔で答える男だった。
「それは何に対する礼だ?」
「いやいや、礼のわけ、ないだろ」
「では、なんだ?」
「あー。苦情? 文句? なんか怒る気失せるな……。わざとやってんのか?」
「ふっ、貴様が何を言っているのか微塵も理解できん」
拓人の考える支配者のポーズを取りながら、拓人は考える。
誤解のないように言っておくと、拓人の頭の回転は常人より速い。
ただ人間の気持ちを理解することができないというだけだ。
その優秀な頭脳で考え、考え、考えた結果。
考えてもどうせ分からないという結論に達した。
拓人は考えるのをやめた。
「だからさ、俺はたとえ面白いと思えなかったとしても、あのコメントは良くないだろって言いたかったんだよ」
「フッ……」
考えるのをやめたので、否定とも肯定とも取れる曖昧な反応でやり過ごそうと考えた。
「俺だって今日のために頑張って準備して、練習したんだ」
「フッ……」
「他のみんなだって笑ってたじゃんか。お前があんなこと言ったら、冷めちゃうだろ?」
「フッ……」
「あの場の空気を読んでさ、面白かったとか、次も楽しみにしてるとか、そういうこと言えるようになろうぜ?」
「フッ……」
「そうしたらさ、俺も次こそ! ってもっと頑張ってさ、いつかお前を笑わせられるかもしれないじゃん」
「フッ……」
「お前さぁ……さっきから、フッフッフッフってさぁ……」
拓人には悪気はない。
悪気はないのだが、真面目に話している時にひたすら変なポーズの男に「フッ……」とだけ返された人間がどんな気持ちになるのか、
それが理解できていなかった。
「ドフラ○ンゴかッ!!! いい加減にしろッ!」
顔を真っ赤にした男子学生にタックルされ、
思考停止していた拓人は反応することもできず大きく後ろに突き飛ばされた。
「何故タックルされた? アメフト?」と混乱したまま拓人は、
運悪く後頭部を鉄柵に強打した。
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「ぐっ、一体何が起きた……」
腫れ上がった後頭部を摩りながら拓人は目を覚ました。
視界に広がったのは思いもよらぬ光景だった。
緑、緑、緑。一面の緑。
「草原……?」
さっきまで自分は東京にある高校にいたはずだ。拓人の知る限り東京にここまで広大な草原はない。
とすれば考えられるのは……。
拓人の神速の頭脳は瞬く間に答えを弾き出した。
「北海道か。北海道だな」
地平線まで広がる草原=北海道。小学生にもわかる一次方程式だ。
場所が分かれば次の疑問はなぜ自分はここにいるのかということだ。
これも拓人からすれば簡単だった。
「陰謀だ。何者かが何らかの目的で何らかの手段で護衛たちをかい潜り、どうやってかここまで連れてきて、理由は分からないがここに置いていったということか。
容易い。全て読めたぞ」
動揺を誘い隙を作ろうとしたのだろうが、無駄に終わったな、
と拓人は一点の曇りもないクールな心で立ち上がり、パンパンと服についた草を払った。
「まずは街を探すか。見たところ学生服以外奪われている。このままでは餓死してしまう」
特に目印になりそうな物もないのでアテもなく彷徨いだす。
一時間ほど歩いたところで拓人はあるものを見つけた。
ちなみに拓人はサッカーのU-18日本代表にも選ばれるスポーツマンであり、体力には自身がある。
ポジションは支配者っぽいということで中盤だ。
「馬の足跡か。北海道では移動に馬を使うのか……」
そんなわけないのだが、思い込みの激しい拓人は自分がいる場所が北海道ではない可能性に思い至らない。
拓人が今いるのは地球ですらなく、いわゆる異世界なのだが、ラノベやアニメに一切興味がなく、
異世界という概念が存在しない拓人がそれに気づくことはない。
足跡を辿って八時間ほど歩くと、街が見えてきた。
既に日は暮れており随分と冷え込んできている。
街灯もなく真っ暗なので月明かりと街の松明の光を頼りに進んでいる状況だ。
やっと街の門の前に着いた頃には流石の拓人もヘトヘトだった。
門番が一人だけ立っている、小さな門。
無心で街の門をくぐろうとした時だった。
「おいおい、ちょっと待て! そこのお前だよ!」
その声は耳に入っていたが自分ではないと思ったのでそのまま門を通ろうとしたのだが、
「止まれって!」
肩を掴まれた。
ここに来て流石に自分が話しかけられていると理解した拓人は立ち止まった。
「なんだ?」
「お前、見ない顔だな。身分証を見せてくれ」
「何だと? 北海道では街に入るのに身分証がいるのか?」
「北海道……? まあそうだ。今時どの街でもそうだろ。身分証がなけりゃ街には入れねぇ。常識だ」
「ふざけた所だな北海道は。だが身分証はない。それでいいか」
「言い訳ないだろ? 聞いてたか?」
話の通じない奴だな、とうんざりした顔で拓人はモートンを睨む。
「ではどうすればいい」
「あー、どうしようもねぇな。他の街も入れねえし」
ぽりぽりと頭を掻きながら門番が言う。
拓人はふむと、少し考え、顎で草原を指した。
「外は寒い。俺は食料も水も持っていない」
「そ、そりゃ大変だな」
「このままではこの門の前に死体ができるぞ。それが嫌なら街に入れろ」
10分後。
門の外で門番が温情で分けてくれた毛布に包まり、起してもらった焚き火で温まりながら
味の薄いスープを啜る。
「解せん」
異世界での野宿。返事をするものは当然、いない。
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「何か勘違いしておるようじゃがの、君がいるのは北海道じゃないぞ?」
「そうか、モンゴルか……」
「それも違うの」
「なんだと……」
夢の中で拓人は自らを神と称する老人と向かい合っていた。
夢の中だからか、そもそも拓人がそう言う人間だからなのか、拓人は特に動じることもなく老人と話をしていた。
「君がいるのは異世界じゃ」
「異世界? 信じられんな」
拓人にとっては初めて聞く言葉だったが、言葉から言わんとすることはわかった。
「君は選ばれしものだと言うことじゃ」
「信じよう」
自分が選ばれしものであることは疑いようがない、故にこの老人の言うことは正しい。そう結論づける。
「時間がない故、これ以上の説明はせぬ。要件は一つじゃ。
君にある能力を与えた。超能力、スキル、異能、魔法、呼び名は何でも良いがの。
君に与えた能力は『笑わせた相手に一つ何でも言うことを聞かせる』力じゃ。
強力な力じゃ。上手く使っておくれ」
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「おい、門番」
「あー、なんだ。またお前か、迷子」
次の日、門番の前にはまたしても拓人が立っていた。
実に堂々とした佇まいで、身分証をなくして彷徨っている人間にはとても見えない。
一応街から少し離れたところに寝床を用意してやったので死なないのは分かっていたが、これからあいつはどうするつもりなのだろうと心配していた所だった。
「笑え」
「は?」
真顔でそう命じてくる拓人を気味が悪いものを見るような目で門番が見る。
拓人はその目線にも動じることはなかった。
「いいから、笑え」
「キッカケもないのに笑えねぇよ……。笑ったら諦めてどっか行ってくれるか?」
「行かないが……」
「行ってくれ」
そう言われてから探偵のように顎に手を当て考え込んでいた拓人だったが、
突然何かに気づいたようにハッとした顔をした。
「おい、貴様は今興味深いことを言ったぞ」
「俺はお前の思考回路に興味があるな」
教えてやろうとでも言うように指を立てて拓人が言う。
「貴様はキッカケがないと笑わないのだな」
「……だいたい誰でもそうだろ」
「それは初耳だな。そうか……ではこの俺が直々に貴様を笑わせてやろう」
「お、おう。やってみろよ……暇だしな」
拓人は何かを思い出すかのように数秒目を瞑っていた。
そして目を開いて、無表情のまま言った。
「校長先生のモノマネ!」
門番が凍りつく。
「こ、校長先生? どこの?」
だが拓人は門番の動揺に気づかない。
粛々とモノマネを進めていく。
「あ〜、みなさん、あ〜、おはようございます。あ〜みなさんが静かになるまで、あ〜三分かかりました。
あ〜、先生がウルトラマンなら、あ〜、帰ってます」
「ちょちょちょっ! ちょっと待て!」
拓人は邪魔をするなとでも言うような目で門番を睨むとそのまま止まることなくモノマネを最後までやり切った。
そして首を傾げた。宙吊りにされた人形のように不自然さを感じさせる。
妙に整った顔立ちが不気味さを助長していた。
真っ直ぐと感情のない目が門番の目を見据える。
「なぜ笑わない?」
「目がこえぇよ。猛禽の目してるよお前。お前が一番笑ってねぇじゃねぇか」
「俺はこれが笑えるとは思わんからな」
「なんで披露した?」
「学校の凡愚たちはこれで笑っていた。
つまり貴様のような凡庸そうな男にとっても笑えるはずだ。そうではないのか?」
「よし、お前がケンカ売ってるのは分かった。
ぶん殴られたくなかったらどっか行け」
「訳の分からないことを……」
「お前がな!?」
ジリジリと睨み合い、拓人が仕方がない、次のネタに移行するかと考え出したころ、別の声が割り込んできた。
「何のようでおじゃるか」
「ジョ、ジョゼさん!」
門番が緊張したように姿勢を正す。
現れたのは丸々と太った中年男性だった。立派に蓄えた口髭をミョンミョンと引っ張りながら歩いて来る。
「おい、門番。あのおじゃる豚はなんだ」
「よーし、お前。いいから黙ってろ?」
「モートン君。この男はなんでおじゃるか?」
モートンと呼ばれた門番が事情を説明する。身分証を持っていないこと、このままだと死んでしまうかも知れないこと、何とか街にいれてやることはできないかと言うことを。
拓人は当然のような顔で支配者のポーズをとって話を聞いていた。
ジョゼはジョゼで口髭をミョンミョンと引っ張りながら話を聞いていた。
汚いものでも見るかのようなジョゼが睨むと、拓人は汚いものでも見るかのような目で睨み返した。
モートンが話し終え、しばらくするとジョゼがウムと頷いた。
「モートン君。絶対に街にいれちゃダメでおじゃる。ルールはルール。破ったら上司のまろが怒られるでおじゃる」
「しかし……」
「いいから! こんなやつのたれ死なせとけばいいでおじゃる。通したらお前もクビにするでおじゃる!」
「は、はい。分かりました……」
そう言うとジョゼは口髭をミョンミョンと引っ張りながら街の中へ帰っていった。
話は済んだようだなと拓人も後に続く。
「こらこらこら! 入るな入るな!」
「なんだ? 貴様先程のジョゼとやらの言葉を聞いていなかったのか?」
「おう奇遇だな俺もそれお前に言いたかったとこだ」
拓人はこれだから凡愚は、とヤレヤレと首を振った。
「あの男は貴様のクビと引き換えなら街に入ってもいいと言ってただろう」
「なんで俺がお前のためにクビにならにゃならん。
あとあの言葉は明らかにそんな意味じゃなかった」
「なぜ俺がお前のクビを守るために死なねばならん?
自己中心的なことを言うな」
実際モートンには妻も子供もいる。
見ず知らずの頭のおかしい迷子のために職を捨てるわけにはいかなかった。
「はぁ、とにかく! お前が何と言おうと! 通さないったら通さない!」
ちっ、と拓人が舌打ちをする。
そして仕方がないなという目でモートンを睨んだ。
「そうか、ならば道はただ一つ。俺は貴様を笑わせるだけだ」
「ほんと何言ってんのかわかんねぇよお前……」
配置替えを頼み込もうか本気で悩むモートンであった。
************************
次の日。夜明けと同時にモートンの元を拓人が訪れた。
「『銭は細っかいよ構わないかい?
じゃ手を出してくれ
勘定するからよ
いくよ、いいかい
一、二、三、四、五、六、七、八、
今何時だい?』
『四で』
『五、六、七、八、、、』」
拓人は次の日時そばを門番に披露した。披露したと言うよりは覚えていた台本をまる読みしただけだったが。
「なぁ、タクト」
門番は特に笑うこともなく、首を傾げただけだった。ちなみに拓人の名前は話の前に聞かれたので教えていた。
「そばってなんだ?
舞台の設定が分からなすぎて全然頭に話が入ってこないんだが」
「そばを知らんか。パンでもパスタでもピザでも貴様の主食の樹液でもなんでもいい。頭の中で変換しろ」
「お前の中の俺ってなんなの、カブトムシかなんか?」
「カブトムシでもなんでもいい。頭の中で変換しろ」
「それやるとお前、カブトムシが樹液啜ってる謎の話になるけどそれでいいの?」
「構わん。笑えてきたか?」
自らの笑い話(多分)に一片の愛情も示さない拓人。
「カブトムシは笑わねぇんだよなぁ……」
************************
さらに三日が過ぎた。
連日拓人はモートンの元を訪れ、真顔でよく分からない話を披露し、満足げに去っていくというのを繰り返していた。
一度モートンが火起こししたのを見ただけで習得したらしく、野宿も手慣れたものだ。
初日以外は特に手助けもしていない。
その日も朝からモートンが欠伸を噛み殺しながら街の外を見張っていると、どこからか拓人が近寄ってきた。
不審者とは思えない堂々とした歩きぶりに、そうと知らなければそのまま通してしまいそうだ。
しかしモートンは拓人が不審者であるのをよく知っているので、いつも通り道を塞いだ。
道を塞がれた拓人は特に動じることもなく、支配者のポーズをとりながらモートンを睨んだ。
「おう、来たか歩く自己肯定感」
「貴様はいつも何言ってるか分からんな」
やれやれ、これだから愚民はとでもいいたげにわざとらしくため息を吐く拓人。
ぶん殴りたくなる気持ちを抑えながらモートンは問いかける。
もし殴ったとしても咎める者はいないのに我慢するあたりモートンは人格者と言えるだろう。
「今日も何か笑わせに来たのか」
「ああ。今日も笑わせてやろう」
「一回も笑ったことないけどな」
「ならば今日が記念すべき一回目になると言うことだ。喜べ」
どうしてそうも自信満々なのか、呆れる気持ちを抑えることはできなかったが、
付き合ってあげない限り拓人が一日中居座り続けるのは既に分かっていた。
どれだけ無視をしても反応するまで全く諦めないのだ。不屈の精神力だった。
「へいへい、もうやってくれ、そんでさっさと帰ってくれ。多分笑わねぇけどな」
「昔のことだ。豪華客船が航海の途中に沈みだしてな。乗客たちに船から脱出して海に飛び込めと指示しなければならなかった。船長はそれぞれの外国人乗客にこう言ったらしい。
アメリカ人には「飛び込めばあなたは英雄ですよ」
イギリス人には「飛び込めばあなたは紳士です」
ドイツ人には「飛び込むのがこの船の規則となっています」
イタリア人には「飛び込むと女性にもてますよ」
フランス人には「飛び込まないでください」
日本人には「みんな飛び込んでますよ」
以上だ。どうだ、笑えてきたか」
当然のことだが異世界人であるモートンはアメリカもイギリスも日本も知らない。
国によって国民性が違うなどという概念もない。
モートンにとってはただただ理解できない話でしかなかった。
「帰れ……」
憮然とした顔で帰っていく拓人を見送るモートン。
もしかしてこれからも毎日続くのか、とうんざりした気持ちになる。
拓人の目的は分からないが、自分を笑わせるまで諦めないであろうことは容易に想像できた。
かといって門を通してやるわけにはいかないのでどうしようもない。
「めんどくせぇぇぇぇぇぇ!!!!」
モートンの魂の叫びに、拓人が振り返らないまま拳を振り上げて返事をした。
意味は分からない。
そうじゃねぇ、そうじゃねぇんだ。モートンの苦難の日々は続く。
*********************
「くっ、何故だ、何故あの男は笑わん」
焚き火にあたりながら拓人が悔しげに歯軋りする。
時そばも船の話も有名な笑い話だ。話し手は至高の存在である自分。
つまり笑えないはずはないのだが、モートンはクスリともしない。
「笑わない男という訳か……よかろう。」
拓人は諦めることを知らない。
その優れた知性(自称)と不屈の精神でこれまで何度も壁を乗り越えてきた。
絶望的に人望がないにも関わらず(本人はそうは思っていないが)名門校の生徒会長にまで上り詰めた男だ。
そんな彼に不可能などない。
ちなみに生徒会長選の時は対立候補を買収して全員辞退に追い込んでいる。
「しかし……、よく考えてみると俺はこれまで人を笑わせたことがない。これは全くの盲点と言えよう」
ついでに言えば笑ったこともない。
赤子のころにガラガラ音が鳴るオモチャを無表情で叩き落とした男だ。
幼稚園の頃の睨めっこ大会では対戦相手に開幕早々ヘッドバットをかまして号泣させ、負傷退場させたこともある。失格になった。
ついたあだ名は狂犬。
つくづく笑いから縁遠い男だった。
「そもそも笑いとはなんだ? 人は何故笑う」
拓人は考える。
自分が笑わないのは神にも等しい存在であるからで、そこに疑問は全くないのだが、
モートンや学校の愚民共は何故笑うのだろうか。
笑うことに何のメリットがある?
考えて考えて、考えた結果。
結局よく分からなくて諦めて寝た。
********************
「ここはどこだ」
拓人は気付けばまたしても知らない空間にいた。
拓人は動揺もせずに呟く。もはや慣れたものである。
ピンク色に染まった空には色とりどりのパンツが浮かび、
周囲の木々からは小型の汚らしいおっさんが何人もぶら下がっている。
二足歩行のシマウマをピコピコハンマーを持ったケンタウロスが追い回し、
それをツバメたちがゲロを飲みながら眺めている。
「お前の心の中だ」
拓人の背後で声がした。
振り返るとそこには容姿端麗、支配者に相応しいオーラを発するスーツ姿の男。
ただし男は身体を丸めて威風堂々とシーチキンの缶詰に収まっていた。
「貴様は誰だ」
拓人が問いかけると、男は颯爽とシーチキン缶から這い出し、支配者のポーズをとって拓人に言った。
「俺はお前だ」
「だろうな」
拓人が無表情のまま頷く。これほどのオーラを持った男は自分以外にはあり得ない、確信があった。
なぜシーチキン缶に詰められていたのかは全く分からなかったが。
「ここが俺の心の中だと、そう言ったな。何だこの奇怪な世界は」
「ああ、その通りだ。稀代の大天才である俺たちの精神世界が凡庸なはずあるまい」
言われてみればその通りだ。さすが俺の分身。賢いな。
そう思いながら大仰に拓人が頷く。
「で、何のようだ、俺よ」
「ああ。俺よ。どうやら笑いとは何か、悩んでいたようだったからな。
共に考えようではないか」
「ふん、よかろう。俺よ。やってやろうではないか」
支配者のポーズをとったもう一人の拓人が言う。
「まず、だ。学校にはいろいろな生徒たちがいた。奴らの多くは俺たちからすると信じられない程によく笑う。
逆に俺たちほどではないがあまり笑わない生徒たちもいた。
俺たちは特別なので例外として、笑わない生徒と笑う生徒、笑いにメリットがあるとすれば笑う生徒たちが報酬として受け取っているものは何だ?」
「待て、それに答える前にだ。立って議論するのか? 疲れるだろう」
「それもそうだな」
パチンともう一人の拓人が指を鳴らすと逆立ちした小人たちがどこからかシーチキン缶をもう一つ運んできた。
もう一人の拓人はそれを使えと顎でしゃくると、自分は元いたシーチキン缶にすっぽりと収まった。
拓人はと言うと、シーチキン缶に入る意味こそ分からなかったものの、郷に入れば郷に従えの精神で淀みない動きで身体を折り畳む。
収まってみて拓人は「ほう」と称賛の声をあげる。中々どうして居心地が良い。缶の縁は怪我をしないように丸く加工がされていて、缶の底はひんやりと金属の冷たさがある。
議論するには万全の体勢と言えた。
準備を整え、拓人は先程の問いを考える。
笑いの報酬とは、何か。
金、権力、知能、運動能力、どれも違いそうだ。
思い出せ、拓人は焚き火の前で念じる。
群れ。
「そう、群れだ。笑う生徒ほどよく群れている気がする」
「ふむ、仮に群れを形成することを笑いの目的としよう。
そうであれば、笑いとはコミュニケーションの手段の一つと言えよう」
もう一人の拓人が結論を導く。
コミュニケーションの手段。その言葉を頭の中で反芻する。
ふと、モートンの言葉を思い出した。
『そばってなんだ? 舞台の設定が分からなすぎて全然頭に話が入ってこないんだが』
なるほど。頷こうとして、頷くほどの十分なスペースが缶の中にないことに気づいた拓人は代わりに身体を揺すった。
カラカラカラカラ。と音がした。
もう一人の拓人も共鳴するようにシーチキン缶を揺らした。
カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラ。
「笑いがコミュニケーションであれば情報の発信者と受信者が存在するはずだ。
今回の場合、発信者は俺、受信者はあのモートンとかいう門番ということになる」
「その通りだ。であればこれまで何が悪かったのか、分かるな?」
「ああ、やっとだ。やっと分かったぞ」
カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラ。
激しく身体を揺する。
それから一晩中精神世界で拓人は自らと語り合い、夜がふけた。
*********************
「何やってんだあいつ……」
その日から、拓人は朝起きて、日が暮れるまでモートンの前に立ち尽くしていた。
特にモートンに話かけることもなく、ただただ立ち尽くす。
何が入っているのか分からない袋を抱えている。
ちなみに袋はモートンがあげたものだ。あまりにしつこく要求してくるので根負けした形だ。
「な、なあ。いいかげん教えてくれ、何が目的なんだ」
「安心しろ」
「全然安心できないんだが……」
「必ずお前を笑わせてやる。待っていろ」
何日も、何日も、拓人は置物のようにモートンの前に立ち続けた。
何かを待っているような感じもしたが、モートンには分からない。
ひたすら怯える日々を過ごした。
そして7日目のことだ。
「そいつまだいるでおじゃるか」
「ジョゼさん!」
拓人の目が怪しく光った。
現れたのはモートンの上司であるジョゼ。
なぜか貴族でもないのに貴族ぶった仕草が特徴の男。
以前、拓人を街に入れるのを拒んだ男。
相変わらず丸々と太り、立派に蓄えた口髭をミョンミョンと引っ張りながら歩いて来る。
「時が来たな」
「お、おい、何するつもりだ、やめてくれ」
「そいつは一体何しているでおじゃる?」
拓人がモートンたちに背を向け、持っていた袋をガサガサと漁る。
そして何やら取り出したものを使ってゴソゴソしだした。
振り返ると、拓人の顔にはシダの葉っぱで拵えた立派な口髭が。
木のみの汁か何かでくっつけたようだ。
モートンに猛烈に嫌な予感が駆け抜ける。
「ちょっと待て何すーー」
「おじゃる豚のモノマネ!!!」
拓人が叫んだ。
「「は?」」
空気が凍る。背筋が凍るとはこういうことか、モートンは魂で理解した。
そんな雰囲気に、鉄の男、拓人は一切動じることなく、置物のような無表情で髭をみょんみょんと引っ張り出した。
みょん、みょん。
「モートンじゃる。絶対に街じゃるにいれちゃダメでおじゃる。ルールはルールでおじゃる。破ったらおじゃるのおじゃるが怒られるでおじゃる」
口調も拓人を追い出した日のジョゼそっくり。違うのは体格に、作り物のような無表情、過剰なおじゃる。
みょん、みょん、みょん、みょん。
「いいじゃる! こんなおじゃるのたれ死なせとけばいいでおじゃる。通したらお前もおじゃるにするでおじゃる!」
「な、なんでおじゃるかこいつ」
驚愕の色を浮かべるジョゼ。
普段威張り散らしているジョゼの、途方もなく無様な表情。
「お前もうるさいでおじゃる! おじゃるにするでおじゃる!」
「は、はぁ!? でおじゃる」
みょん、みょん、みょん、みょん、みょん、みょん、みょん、みょん、みょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょんみょん。
あまりに引っ張りすぎて口髭がちぎれた。
拓人はそれを数秒見つめると、
「むしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
凄まじい勢いで口に頬張り、食った。
「おじゃる! おじゃる! おじゃる! おじゃる! おじゃる!」
飛び跳ねながら壊れたオルゴールのように連呼する拓人。
目が完全に狂人のそれだった。
あまりに迫力に、ジョゼが後ずさる。
初めて出会う真正の不審者を前にして、完全にビビっていた。
「も、モートン君! こ、こいつやばいでおじゃる! 頭おかしいでおじゃる! 関わりたくないでおじゃる! 後は任せたでおじゃるるるぅぅぅぅぅ!」
タタタタタタタタッ
到底体格に似つかわしくない軽やかなステップで走って逃げるジョゼ。
豚というよりもむしろ鹿のような軽やかさ。
「待つでおじゃる! おじゃるは一人でいいでおじゃる!」
追いかけようとする拓人。
「くっ……くくく」
「おじゃ?」
拓人が足を止める。
「あはははははっ! 何だよ、それ! 拓人! それにあいつのビビった顔! あはは!
あいつあんなに走れるのかよ!」
ジョゼがいる前で笑ってはいけないと思っていた。だから必死で堪えていた。
でも一度笑い出してしまうと、止まらない。
********************
拓人は夢の中でのもう一人の自分との会話を思い出す。
「笑いがコミュニケーションであれば情報の発信者と受信者が存在するはずだ。
今回の場合、発信者は俺、受信者はあの門番ということになる」
「その通りだ。であればこれまで何が悪かったのか、分かるな?」
「ああ、やっとだ。やっと分かったぞ……
前提となる情報の共有だ。
バックグラウンドの共有とも言える」
「その通りだ。故に、校長のモノマネや時そば、国民性のジョークは異世界人であるモートンには響かなかった。
とすればどうするべきだ? 俺よ」
「共有する情報を作る、もしくは既に共有している情報を使うべきだな。
よし、早速試してみるか」
「まぁ、待て。俺たちにはもう一つ、解かねばならん謎がある」
「何だと?」
「共有情報を如何にして使うか、と言うことだ」
確かに、共有情報を使うと言うことは決めたが、使い方が分からない。これではモートンを笑わせることはできないだろう。
「ふむ、今モートンと俺が共有している情報、俺の知っているネタ。それらを考慮すると出来ることといえば、あのおじゃる豚のモノマネということになるだろう」
「ああ、ネタは決まった。だが、チャンスは一回だ。何度もやっても飽きられるのが関の山だ。
そのために、モノマネの何が笑えるのかを解き明かす必要がある」
「道理だな」
カタカタカタカタカタカタカタカタ。
「とはいえ、俺はモノマネといえばあの文化祭のアレしか知らん。これでは分析困難ではないか」
「ああ、困ったな。何か他に情報はないか」
2人は考え込む。
静寂が精神世界を支配し、2人の入ったシーチキン缶はさながら本物の如く音を立てない。
「待て、ショーペンハウアーの考えが使えるかも知れない」
「あのドイツ人哲学者の本、確かタイトルは『意志と表象としての世界』か」
拓人は実は博識である。日、英、仏、独、中、韓を流暢に使いこなし、
哲学から自然科学まで、数多の本を読破している。
全国模試でも全国で5000の指に入る好成績だ。
ただし前も言ったように現代文の偏差値は40を下回る。漢字しかできない。
「そうだ、その中で奴は『笑いが生じるのはいつでも、ある概念と、なんらかの点でこの概念を通じて考えられていた実在の客観との間に、とつぜんに不一致が知覚されるためにほかならず、笑いそのものがまさにこの不一致の表現なのである』と述べている」
「概念、つまりイメージと現実の不一致、言うなればズレ、か。
その説に沿うと、校長のモノマネは聴衆のイメージする校長よりも誇張された言動で笑いを起こしていることになるな」
「ふむ、あの凡愚も中々やるな。深いではないか」
例の生徒はそんなこと一切考えていない訳だが、拓人の中で彼の株が大きく上がった瞬間だった。
「ズレの方向は何でもいいのか?」
「いや、例えばクセを抑制する方向のズレであればただ普通に話すだけになってしまう。クセを強くする方向、愚かに見える方向にズレを設定するべきだろう」
カタカタカタカタカタカタカタカタ。
いつの間にやらその音は同意を意味する信号となっていた。これも前提情報の共有と言えるだろう。
「決まりだな」
「ああ、あのおじゃる豚のモノマネをする。そして愚かしい方向に誇張し、ズレを生む。
待っていろ、門番。お前の命運は尽きた」
カタカタッッッッ!
****************
「計画通り」
拓人は内心で自らに喝采を送る。
最後の方は半ばやけくそだったが、まあいいだろう。
門番が笑う。腹を抱えて笑う。息ができないほどに笑う。
最後には堪えきれなくなって膝をついた。
拓人は虫を見るような目で見下ろす。
世話になった恩など、微塵も感じていない目だ。
無造作に指を鳴らした。
そうすればいいと、無意識に理解していた。
ドクン
モートンの心臓が大きく脈打つ。
「あ……?」
その言葉を最後に、意識が途切れた。
「なるほど。必ずしも信じていなかったが、力は本物か」
拓人は髭をむしり、食べる。
緑色の味が口いっぱいに広がる。
石のように動かなくなったモートンを上下左右から観察する。
目の前で手を振ったり、つねったりしても反応はない。
「素晴らしい、命令待機中はこうなるのか。
門を通せと命じるつもりだったが、それも不要か」
意識のない門番の横を通り、街に侵入を果たす。
少し進んで、離れたところで振り返った。
支配者は命令を下す。
「俺のことは全て忘れろ」
モートンの身体がビクリと揺れ、目に光が戻る。
「……っ、なんだ? 何が起きたんだ?」
よろよろと立ち上がり、周囲を見回すモートンと、街の中から様子を伺う拓人の目が合った。
「……誰だ?」
その声を聞いて、拓人はその場を後にした。
街の中を歩く、歩いて歩いて、路地裏に辿り着く。
「……ククッ」
その口から、笑いが溢れる。
生まれて初めての笑い声。
未だかつて、横矢拓人に生じることのなかった感情。
「クハハハハ! これが笑い! そうか、ああ、ついに理解したぞ!
感謝するぞ異世界! そして、何と素晴らしい力か!」
拓人が天に、手を伸ばす。
そして、太陽を掴まんばかりに、手を強く握る。
無表情だった眼に紅蓮の炎が燃え盛る。
駆り立てるような強い意志が、全身を迸る。
「見ていろ、異世界。待っていろ、愚民ども。
この世界の人間、一人残らず笑わせて俺がこの世界の頂に立ってやろう。
俺こそが、支配者だ」
これは後に世界を混沌の渦に叩き落とす、
道化と呼ばれるようになる男の物語。
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