007 餌を与える
「……私、必要でしたか?」
森からの帰り道、白いローブを纏った表情の薄い少女が口を開いた。
下心丸出しで隣を歩いていたピオニアスが、彼女の肩を抱いてそれに答える。
「今日は運が悪かったよねえ。あ、この場合は良かったって言うのかな?」
「そうですか」
少女は鬱陶しそうにピオニアスの腕を振りほどいた。
それでも執拗に彼は彼女に絡んでいる。
どうやらその少女は、クラリスの代理で呼ばれた聖女のようだ。
名前はナンシーと言うらしい。
スイはそんな二人から少し離れた場所を歩いていたが、ピオニアスへの嫌悪感を隠しもしない表情だった。
一方、リーダーであるリュードは我関せず、彼にへばりつくように隣を歩くルビアも興味を示さない。
気にしなければ、“そういう日もある”の一言で済む話だ。
確かに奇妙ではあったが――
「他の冒険者が先に狩ってたのかな」
スイが言うと、ナンシーはさらに疑問を重ねる。
「それにしても気配すら感じないのは異常です。話を聞く限りでは、あの森を狩場にしている他のパーティはいないということでしたし」
彼女の年齢は14歳。
クラリスよりは5歳も下だ。
しかしかなりの落ち着きを見せており、実際、訓練所での成績も上々だったらしい。
「そんな細かいことどうでもいいじゃないか。クラリスがいなくなってから一週間経ったけど、最近は森での魔獣狩りもすっかり安定してる。たまたま一日だけ不漁だったからって、何か問題ある? 無いよねぇ」
「……俺も同感だ。長い目で見ればそういう日もあるだろう」
ようやくここで、ピオニアスの言葉にリュードが反応を示した。
「ほら、リーダーもああ言ってることだしさあ」
「ただし、俺たちの情報に無い冒険者が動いていることも可能性として考えておくべきだろう」
「リュードはどうしてそう思うのぉ?」
ルビアが彼の屈強な腕に、へばりつくように腕を絡めながら言った。
「焼け跡があったからだよ」
それに答えたのはスイだった。
空気を読めと言わんばかりにルビアは彼女を睨んだが、当のスイはまったく気にしてない様子である。
「スイの言う通り、ところどころに火の魔術の形跡が残っていた。しかもかなりの使い手と見える」
「冒険者にはナワバリがあるんだし、そういうのルール違反じゃないの?」
「暗黙の了解に過ぎん。相手が俺たちを上回る冒険者だと言うのなら、駆逐されるのは俺らのほうだ」
「やだー、こわーい。でも私たちに勝てる冒険者なんてそうそういないと思うけどぉ?」
「私が知る限りでは、あなたがたはレイラルクではかなり上位のパーティと聞きました」
「私たち以上の実力を持つパーティは注目される。活動域も情報として流れてることが多いよね」
「まあまあ、そういうことは明日以降も続いてから考えようよ。今日はもうダルいから、ギルドに報告しようじゃないか」
心からやる気の感じられないピオニアスの発言だが、今ばかりは彼の言う通りであった。
パーティの会話はそこで終わり、再び無言でレイラルクに向かって歩きはじめる。
◇◇◇
リュードはパーティを代表して、魔獣の討伐証明となる体の一部を受付に差し出した。
受付嬢にはその形状とサイズから魔獣の種類と強さを見極め、報酬を決める役目がある。
「合計討伐数10ですね、リュードさんのパーティにしては不調のようですが」
「そういう日もある」
「もしかして今日も森に向かったんですか?」
「そうだが、何かあったのか」
「実は――」
受付嬢は、少し離れた別のカウンターに視線を向けた。
そこでは受付の女性が、他の職員と手分けしながら大量の魔獣の一部を鑑定している。
ソファに腰掛け、それが終わるのを待っているのは――赤髪の女と、金髪の少女。
二人とも肌を見せた過激な服を着ており、耳にはおそろいのピアスを着けていた。
「毒蛇……!?」
まずリュードが驚いたのは、フレイアに対してだった。
「レイラルクにいたのか、あの女」
彼女はある世代以上の冒険者であれば、かなりの割合で知っている有名人だった。
さらに、その隣にいる少女の正体に気づき、彼は目を見開く。
「あれは……クラリスなのか!? 服装が違うから気づかなかったが――」
「あの二人が森で大量の魔獣を狩ってきたそうで、カウントに苦心してるんですよ」
受付嬢がそう耳打ちするが、リュードの頭には話が入ってこない。
教会に戻ったはずのクラリスが、どういう経緯で毒蛇と組んだというのか。
正式に聖女をパーティに加入させるには、教会と話を付ける必要があるため、貴重なのは確かだ。
なのでアウトローな冒険者であるフレイアが、パーティを追い出されたクラリスを求めたという理屈は納得できる。
しかし、彼女には聖女としての才能が足りない。
一人で一流のパーティ並の戦闘力を持つフレイアを支えるには、いささか力不足であるはずだ。
「おいあんた、あっちの金髪の女だが――」
「クラリスさんですね。確かリュードさんのパーティにいたはずです」
「フレイアと組んだ経緯はわかるか?」
「さあ、さすがにそこまでは。討伐報告は今日がはじめてではないです。それと、これは実際に見たわけじゃないんですが……」
「何でもいい、教えてくれ」
「大量の魔獣を狩ったのは、主にクラリスさんだそうですよ。フレイアって人はサポートをしただけだと」
「馬鹿な、彼女は聖女だぞ!? 攻撃魔術すら使えないはずだ」
「そう言われましても、私は聞いただけですので……」
リュードはつい凄んでしまったが、受付嬢がわからないのは当然だった。
そうこうしているうちにクラリスたちの鑑定は終わり、彼女たちは金貨がたっぷり詰まった袋を受け取っている。
(追うか……? いや、相手は毒蛇だ、文字通りのやぶ蛇になりかねん。今は静観するべきか)
彼はそう考え、ギルドから出ていくクラリスとフレイアを見送る。
すると、リュードの仲間たちが待機しているほうから、大きな声が響いた。
「クラリスっ!?」
――スイだ。
彼女はクラリスに気づき、その背中を追って出ていってしまった。
「クソッ、教会騎士はあの女のことを知らないのか――!」
頭を抱えるリュード。
スイの突然の行動にぽかんとしてたピオニアスたちは、さらにリュードのその様子を見て、首を傾げるのだった。
◇◇◇
「待って、クラリスっ!」
スイはクラリスの後ろ姿を置い、人混みの中でようやくその手を掴んだ。
クラリスが振り返ると、一週間前までは無かったはずの黒い宝石のピアスが揺れる。
「ああ、スイちゃん。久しぶりだね」
彼女は幼馴染を見て笑顔を浮かべた。
しかしスイは、その表情に違和感を覚える。
だがそれ以上に強烈なインパクトがあったのは、クラリスらしからぬ露出の多い服装だった。
「こんなところで何してるの。それにその格好っ!」
「似合ってるでしょう?」
彼女はそう言って恥じらいもせずにくるりと一回転した。
違和感がさらに強くなる。
「教会に戻らなかったの?」
「はい、戻りませんでしたよ。私には教会よりふさわしい場所がありましたから」
「そんなものないよっ!」
「だったら教会に戻って私が死ねばよかったって言うんですか?」
「死なないよ……ちゃんと頑張れば、また旅に出て、正式に聖女にだってなれる!」
「そんなに甘い場所じゃないことをスイちゃんは……ああ、知らなかったんでしたね。実は教会って、訓練中に人が平気で死ぬ場所なんですよ、知ってました?」
「それは、病気とか怪我とか色々あると思うけどっ。とにかく今からでも遅くないから教会に戻ろう!」
スイはクラリスの手を掴む。
すると掴まれた彼女は強い力で、それを振り払った。
「触らないでくださいッ!」
同時に、言葉でも鋭く拒絶される。
スイは唖然とした。
今まで長い間クラリスと一緒にいたけれど、こんな反応をされたことはなかったから。
「私は教会なんかには戻りません。どうせ、私はもう聖女にはなれないんですよ。フレイアさんに、そういう体にしてもらったんです」
「それって――」
スイとて、その言葉が意味するところは知っている。
彼女はすぐさまフレイアを睨みつけた。
今までフレイアはクラリスの背後で薄ら笑いを浮かべ、事態を静観していた。
「あなたがクラリスをおかしくしたの?」
「正しい道に導いただけよ」
「ふざけるなッ! クラリスは教会で聖女になるはずだった。それこそが神の認めた正しき道だったんだッ!」
「ふふ……ふふふっ……本当にクラリスの言っていた通りね」
「ですよね。私もちょうどそう思っていたところです」
クラリスとフレイアは二人でくすくすと笑う。
その笑い方が似ているのも、スイの癪に障った。
「力ずくでも連れ帰るから」
「そういうことするから嫌われちゃうのよ。あなたは自分の気持ちばかり押し付けて。クラリスの気持ちがどうなのかを考えようとしない」
「考えるまでもないッ!」
「その傲慢さが人を傷つけるってどうしてわからないの? 第一、あなたがクラリスが馬車に乗るのを阻止していれば、彼女が死にかけることはなかったのよ?」
「死ぬ……?」
「私が森から連れ帰られた馬車は、私からお金を奪った上でスラムに放置するための、ピオニアスたちの罠だったんですよ。もし私がフレイアさんに助けてもらわなかったら、今ごろ頭のおかしい男たちに弄ばれ、お肉になって市場に並んでる頃です」
「あの馬車、そんなことが――」
驚くスイ。
だが、『知らなかった』で済まされることではない。
現にクラリスは殺されそうになったのだから。
「スイちゃんは私が死のうとしたのに見捨てたも同然です」
「そう言われたって、私はっ」
「どう言い訳しようと結果は同じですよ。でも安心してください、スイちゃんがこれ以上、私に関わらなければいいだけです。私は教会には戻らない、スイちゃんは騎士になるためにパーティに残る。それだけのことなんですよ」
「それは……できないよ。だってクラリスは間違ってる」
「どうしてそう思うんです?」
「見てわかるもんっ! クラリスはそんな格好もしないしそんな顔だってしないッ! その女におかしくされてるんだ!」
人混みのど真ん中で、スイは感情をぶちまけた。
その大きな声に驚いて、足を止める通行人もいるほどだ。
だがそれを聞いたクラリスは、心から冷めた表情をしていた。
届かなかったわけじゃない。
逆効果だっただけだ。
「本当に独善的な人」
吐き捨てるようにそう言って、クラリスはスイに背中を向ける。
「行きましょう、フレイアさん。これ以上話しても無駄です」
「そうね、家に戻って嫌なことを上書きしてあげるわ」
「ふふっ、楽しみですぅ」
恋する乙女の顔をして、フレイアの腕にきゅっとしがみつくクラリス。
「待ってよクラリス。私は間違ってない、そんなのおかしいっ!」
すぐに追おうとするスイだったが、すでに二人の姿は人混みに呑み込まれて消えようとしていた。
それでも必死に人の波をかき分ける。
「駄目だよ、そんな人についていったら! 正しい道はそっちじゃないっ! 戻ってきてえぇええっ!」
しかし心からの叫びも虚しく、二人の背中は遠ざかるばかり。
やがて完全に見えなくなると、スイは諦め、その場で立ち止まった。
「どうして……あの優しいクラリスがそんなことに……」
がっくりと肩を落とすと、彼女はとぼとぼと仲間のいるギルドへと戻っていった。
◇◇◇
スイがギルドの扉を開くと、テーブルを囲んで帰りを待っていた仲間たちの視線が集中した。
「帰ってきたか……無事で何よりだ」
顔を合わせるなり、リュードはそんな物騒なことを言った。
「あの赤髪の女のこと、何か知ってるの?」
スイがそう言うと、彼はため息交じりに答える。
「まあ座れ、少し長くなる」
「それ僕も付き合わなきゃならない話?」
ピオニアスはけだるげである。
こういうとき、リュードは面倒なのでできるだけ彼の相手はしないのだが、今日ばかりは事情が違った。
「目を付けられたらどうなるかわからん、念の為に聞いておけ」
「怖いんですけどぉ……」
「パーティに入って早々、巻き込まれるのは勘弁してほしいです」
ルビアとナンシーが愚痴る。
しかしもう時既に遅しだ、スイが話しかけてしまった以上、警戒するに越したことはない。
いや――彼女がそうしなかったとしても、情報は共有すべきであろう、とリュードは考える。
「同じ街にいる以上は、覚えておいて損はしない。クラリスと一緒にいたあの女――俺たち冒険者の間では、“毒蛇のフレイア”と呼ばれている」
「確かに、クラリスはフレイアさんと呼んでた」
「他人の空似の可能性も消えたか。あいつは危険な女だ。お前たちは“サマエル”という組織のことを知っているか?」
「知らないわけないじゃない」
ルビアがその名に反応を示す。
「魔族を信仰する邪教でしょう? 確か、女性がその教祖として君臨してたのよね。彼女は圧倒的カリスマを持っていて、起こした反乱で、いくつかの村が壊滅したわ」
「ああ、あれなら僕も知ってるよ。最終的に王国軍と教会騎士に鎮圧されたけど、レイラルクまで戦火が及ぶんじゃないかってみんな怯えてたなあ」
「ほんの五年ほど前の出来事です。教会も戦力が足りなくなったため、まだ若い騎士候補や聖女を戦場に送り出したと聞いています」
「付き合いは無かったけど、私の先輩もそのうちの一人だった」
ナンシーとスイにとっては、決して無関係の話ではない。
身近に戦場に出た経験者もいたし、座学では邪教の危険性をうんざりするほど聞かされる。
「でもリュードぉ、私の記憶が正しければ、教祖は赤髪の女なんかじゃなかったはずだけどぉ?」
「そのサマエルの教祖だが、元はただの村娘だったらしい。それを教祖として育て上げたのが――毒蛇のフレイアと言われている」
「言われているって、君らしくない回りくどい言い方だね」
「仕方ないだろう、あの女は証拠を残さなかった。いや、実際に罪に問われるようなことはしていないのだろう。言葉巧みに少女や周囲の人々の言葉を操り、毒を注ぐようにして自分にとって都合のいい形に変えていった」
「だから毒蛇なのね」
「噂によれば、サマエルに関わる以前から暗殺などの裏の仕事を請け負っていたとも聞く」
「そんな危険な人とクラリスが一緒にいるなんてッ!」
思わず立ち上がるスイ。
「落ち着けスイ」
「でも、今すぐ助けに行かないと!」
「スイちゃん一人でどうするつもりなわけ?」
「ピオニアスの言うとおりだ。神出鬼没でその正体を暴くことすら難しく、また彼女自身の能力も未知数なんだ。関わるのは危険だ」
「だからって……」
肩を落とすスイ。
だが危険だとわかっているのに、放ってはおけない。
「すでにクラリスは“毒”を注がれてる。だからおかしくなったんだよ」
「ちょっとスイ、一人で動いて私たちに迷惑かけないでよね?」
「俺は念の為にギルドに報告を入れておこう」
「僕は面倒くさいからパス。話が終わったならもういいよね、遊んでくるから」
「私も教会に相談してみます。スイさんも一緒にどうですか」
「ナンシー……ありがとう、同行するよ」
こうして、クラリスを救うため、そしてフレイアの企みを止めるために各々が動き出す。
彼女たちがどんな思惑を胸に抱いているのかも知らずに。
◇◇◇
――ギルドから出たピオニアスは、その足で行きつけの店に向かった。
要は、女の子が接待してくれるような酒場だ。
料金は高く、平民はおいそれと足を踏み入れられる場所ではない。
「ピオニアス様ぁ~っ!」
入店するなり、女性たちが媚びた声でまとわりついてくる。
ピオニアスは『やれやれ』といった表情を浮かべ、彼女たちに連れられVIP席に腰掛ける。
彼は暴力的に権力を振りかざし破滅させるも好きだが、こうして財力で他者を媚びさせるのも好きだった。
今日も豪遊するピオニアス。
そんなとき、彼はふととあることに気づき、一番近くにいる女性に尋ねる。
「そういやあの子いないんだね、髪が黒くて、目が赤いキレイな子」
「誰ですかぁ、それ」
「ほらいたじゃん、すっごく物腰が丁寧で上品でさ、僕にも良くしてくれたんだけど」
具体的な情報を提示しても、女性はきょとんとするばかりだった。
「う~ん、ここ最近でお店を辞めた子なんていないはずなんですけどぉ」
「休んでる子は?」
「その中に赤い目の子なんて居ないと思いますよぉ。何かお話でもあったんですかぁ?」
「いやあ、色々ときっかけをくれた子だからさ、顔が見たくなったんだよ。いないならいないでいいんだ、僕にはみんながいるからね! さあ、どんどんお酒を開けてくれ! この店で一番高いのから順番にね!」
「きゃーっ、素敵ですピオニアス様ぁ!」
ピオニアスは黄色い歓声に包まれる。
(冗談半分で話してみたら、いい感じのクラリスの殺し方を教えてくれた子なんだけどな……まあ失敗したけど。辞めちゃったんなら別にどうでもいいか)
熱烈な接待を受けるうちに、彼の小さな疑問は消えていった。
――――――――――
名前:クラリス・アスティヴァム
種族:人間
性別:女
年齢:19
職業:骸炎使い
好きなもの:フレイアさん、フレイアさんとのスキンシップ、フレイアさんとおそろいにすること、魔獣狩り
嫌いなもの:男の人、自分の邪魔をする人
体力:61
魔力:622
器用:54
魅力:91
性向:30
・スキル
骸炎Lv.45
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