001 再会
10話ちょっとで終わる予定です、よろしくお願いします。
「お前はもうこのパーティに必要ない。出ていけ」
魔獣討伐の旅の途中、焚き火を囲んで休憩していると、リーダーであるリュードさんが冷たく言い放つ。
私は手をきゅっと握って太ももの上に置いたまま、動けなくなった。
「何度も言わせるな。お前の回復魔術では俺たちの役に立てないと言っているんだ、わからないのか」
彼は私よりも顔ひとつぶん大きくて、体もがっしりとしている。
その上から鋼鉄の鎧を着ているものだから、迫力は数倍増しだ。
冒険者歴も長いだけあって、目つきも鋭くて恐ろしい。
そんな相手に睨まれたら、私みたいな弱っちい人間は、蛇に睨まれたカエルみたいに固まるしかなかった。
「あ、あの……私、がんばります、から……今まで以上に必死にやります!」
「頑張ってもさあ、結果が出せないと意味ないんだよね。わかるかな孤児聖女ちゃん」
リュードさんの隣に立つもうひとりの男性――弓を背負ったピオニアスさんが、半笑いでそう言った。
彼はリュードさんより背は少し小さくて、体つきも細く、表情も柔らかい。
だけどその視線には、なんだかねっとりとした悪意が混ざっているように感じられた。
失礼だとは思っているけど、睨まれるのとは別の意味で恐ろしいと感じる。寒気がする。
そこでさらに、地面に横たわった丸太に腰掛ける、ローブ姿の女性――ルビアさんが口を開く。
焚き火に照らされた彼女の体に、布がぴっちりと張り付いており、体のラインが浮かび上がってとても色っぽく見えた。
「もうとっくに教会に頼んで代わりの聖女は送ってもらってるのよ。ふふっ、残念だけどあんたに選択権は無いの」
「そんな……話なんて一度も……」
「話したって今みたいに拒否されるだけじゃない。諦めなさい、全会一致で決まったんだから。ねえ、スイ?」
「……そうね、私もクラリスは旅に付いてくるべきじゃないと思ってる」
「スイちゃんまで!」
茶色いショートヘアの、ボーイッシュな女の子……スイちゃんは教会に所属する兵士で、私の幼馴染だ。
魔術適正の方が高い私が、回復魔術を得意とする聖職者を目指す一方、スイちゃんは教会騎士を目指して鍛錬してきた。
互いに互いにを励ましあって、今日まで頑張ってきたのに――彼女から向けられた言葉は、とても冷たいものだった。
「はっきり言って、クラリスの魔術は私たちの成長に追いついてない」
「そうそう、スイの言うとおりさ。僕らはどんどん強くなる、なのに君の回復力はほぼ据え置き」
「見切りを付けるのも当然よねぇ、リュード」
「みなの言うとおりだ。決して自分たちのためだけではない、お前のためを思っての決断だ。わかってくれるな?」
説得しているようで、最初から結論は決まっていて。
たぶん、私が首を縦に振るまで、このやり取りは続くんだと思う。
向けられる冷たい視線。
遠回しだけど棘が隠しきれていない言葉。
思い出すのは、教会での厳しい訓練の日々――やっとスイちゃんと一緒に、あの場所から脱出できたと思ってたのに。
回復魔術の素養を持った人間には、“聖女”になる資格がある。
他者を癒やし、敬われる特別な地位である。
候補者には教会で訓練を受ける資格が与えられた。
幼い頃に家族を亡くし孤児院で育った私には、微弱ながら聖女の才能があったため、教会へ送られることとなった。
知らない人だらけの世界で生きてこれたのは、同い年のスイちゃんがいたからだ。
そして教会での訓練を終えた者は外に出て、冒険者としての経験を積む。
冒険者とは、世界を蝕む邪悪なる“魔獣”を倒し人々を守る、勇気ある人間たちのこと。
彼らとともに戦うことで、肉体面、精神面、そして魔術面でも己を鍛え上げ、一回り成長してまた教会に戻るのだ。
ここまでして初めて正式な“聖女”として認められ、冒険者以外の人々を回復魔術で癒やすことが許可される。
教会騎士も似たようなシステムだった。
逆に言えば、認められるまでは、信者としても人としても半人前。
半人前ということは、人間としての権利も半分しかない。
訓練の中で受けた行為がたとえ人の道を離れた行いだったとしても、それは修行ゆえに仕方のないこと。
……もし、パーティから追い出された私が教会に戻れば、“鍛え直される”はず。
昔のように。
ううん、ひょっとするともっと厳しくて……それこそ、死んで当然みたいな扱いを受けるのかもしれない。
ああ――だけどそれは、私のせいだから。
私の努力が足りなかったから、神の恵みを受けることができなかった。
力が足りないから。信心が足りないから。
何もかも、私のせいだ。
「……わかりました」
絞り出すように私は言った。
スイはほっとした様子で息を吐く。
ピオニアスさんは笑顔で、いつになく上機嫌に話しだした。
「教会の教育が行き届いた聖女っていうのは、人の言うことを聞くいい子だって聞いてたけど、まさにその通りだね」
「ありがとうございます……」
「ところでここから村まで帰るのも大変だろう? そう思って、僕が森の入り口まで馬車を呼んでおいたんだ。そこまで送っていくよ」
「……馬車?」
リュードが顔をしかめる。
「いつの間に呼んだんだ」
「僕ってば気が利くでしょ? こうなると思って、前もって準備しておいたんだ」
話し合いがあったとはいえ、必ずしもこの場で、私がパーティ脱退を飲むとは限らなかったはず。
いや……わかってたのかな、この人は。
貴族様で、頭がいいから、私がどういう風に考えるかってことを。
「まあ、細かいことはどうでもいいじゃあないか。とにかく僕が送っていくよ」
「なら私も行く」
スイちゃんが手を挙げる。
少しだけ救われた気持ちになった。
すると、続けてルビアさんが提案する。
「それならみんなで見送りましょうよ。今日まで一年も一緒に旅してきたんですもの、別れを惜しむ時間が必要だわ!」
「……まあ、構わんが」
結局、全員に私は見送られることになった。
森を出て街道に行くと、すでに馬車が待っている。
馬車に乗ると、御者さんはすぐに鞭を振るった。
後ろの窓から離れゆく四人の姿を見つめる。
ルビアさんやピオニアスさんは、楽しそうに手を振っている。
スイちゃんも控えめながら、笑顔でこちらを見つめ、唯一リュードさんだけが無表情だった。
こうなったのは、私が悪い。
私のせい。
誰かのせいにしちゃいけない。
自分にそう言い聞かせる。
けれど、離れていくみんなの姿を見て、胸の奥底から湧き出してくるみじめな気持ちだけは、止めることができなかった。
◇◇◇
馬車に揺られる私の手には、袋に入れられたお金がある。
リュードさんが分けてくれたものだった。
これがあれば、一ヶ月ぐらいは宿に泊まれるはずだ。
ひとまず今日は、安い宿に泊まって今後の身の振り方を考えよう――流れる草原の緑波を見つめながら、そんなことを考える。
窓ガラスに移るのは、見るからに落ち込んだ金髪の少女の姿。
無力な私だ。
実を言うと、少し前からパーティで冷たい視線を向けられていることは知っていた。
実力面で、自分が置いていかれていることにも気づいていた。
そもそも、騎士志望者に比べれば、最初から才能で選ばれる聖女志望者は訓練期間が短い。
早ければ12歳や13歳で冒険者になって、15歳ぐらいで教会に戻ってくる子もいた。
けれど私は現時点で19歳。
才能がなくて、どんくさくて、どうにか試験に合格して訓練所を出られたのに、冒険者になってもこの体たらく。
“向いていない”――そう言われれば、そうと認めるしかない。
仮に再び訓練を受けたとしても、今以上に伸びることなんてあるのだろうか。
今の私では、厳しい訓練に耐えきれず潰れるだけじゃないだろうか。
だとすれば、教会に戻らずに、別の道を見つけるのもまた人生なのかもしれない。
私の目標には二度と手が届かなくなるけれど――
外の景色が、次第に街に近づいてくる。
リュードさんのパーティの拠点であり、同時に私たちの所属する教会も存在するレイラルクは、王国でも屈指の大都市だ。
人口は十万人に迫るほどで、どこもかしこも人で溢れ、活気に満ちている。
けれど一方で、治安はあまりよくない。
特に街の端っこにあるスラムなんかは、女子供が近づいたら、次の日には死体が増える――そんなブラックジョークが囁かれるような場所だった。
馬車が、汚れた建物の前で止まる。
……噂のスラムのど真ん中だった。
「あの、目的地はここではありませんよね?」
恐る恐る訪ねると、鞭を握った御者は白い歯を見せてニカっと笑った。
けれど笑っているのは口だけだ。
「ここで合ってるよ、お嬢ちゃん」
「え……?」
「ピオニアス様からの依頼通りだ。それと、運賃はあんたから受け取ってくれって言われてる」
「お、おいくらでしょうか」
「金貨15枚」
「15枚っ!?」
思わず声をあげてしまった。
どんなに高く見積もっても、金貨一枚になることはないぐらいの距離だったのに。
「魔獣ひしめく危険な森まで迎えに行ったんだ、これぐらいは危険手当として当然の値段だと思うが?」
「で、ですが……」
金貨15枚。
それは私が持っている、全財産だった。
これが無かったら、私は宿に泊まることもできないまま、スラムに置き去りにされてしまう。
「なんだなんだァ、聖女様ってのは命を賭けた一般人相手に値切るようなお人なのかい?」
「っ……」
「こりゃあ教会に報告しなきゃなあ。たしかあんたの名前は、クラリス――」
そんな報告が入ったら、教会はきっと今までより私を厳しく“教育”するはず。
ううん、それぐらいじゃ済まない。
教会の名前を汚した人間として粛清される――
わかってる、私が悪いんだって。
でも、でも、私は死にたくない――
「わかりました、払いますっ! これでいいんですよね!?」
私は麻袋ごと金貨を差し出した。
男はにんまりと笑うと、私の手からそれを奪い取る。
そして仮面を外したように豹変し、冷めた表情で私を睨みつけた。
「さっさと降りな、てめえにもう用はない」
背中や手のひらに、嫌な汗がじわりと浮き出すのを感じた。
慌てて降りると、馬車はすぐさま走り去っていく。
その後ろ姿を見送った後――私は改めて周囲を見回した。
「へへ……女だ……」
「いい肉付きじゃねえか。しかも格好からして聖女だぞ、聖女。ありゃ男も知らねえと見た」
値踏みするような目で、痩せこけた男たちがこちらを見ている。
中には、手に血で錆びたナイフを握っている人すらいた。
まさかこんなすぐに目をつけられるなんて。
私は怖くなって、すぐにその場から走り去る。
体力は十分にあるはずなのに、すぐに「はっ、はっ、はっ」と息が荒くなる。
常に心臓が握りつぶされそうな不安の中で、私はまともに整備もされていない道を踏みしめ、ひたすら前に進むことだけを考えていた。
すると、急に私の足が何かに引っかかる。
「きゃあぁああっ!」
思わず叫んで、地面に転ぶ。
そんな私を見下ろしながら、路地から出てきた屈強な男たちが下品に笑った。
私、この人に足をかけられたんだ。
「くへへっ、騒がしいと思って来てみりゃあ、いい餌が入り込んできてんじゃねえの」
「誰の釣り餌かは知らねえが、逃がす手はないよなあ」
他のスラム出身者とは違う、鍛え上げられた体に、整った武器や防具を身につけた男が二人。
冒険者だ――すぐに私はそう理解した。
魔獣を狩る冒険者たちは、人類にとって英雄のような存在だ。
けれど中には、己の持つ力に溺れて悪事に手を染める者もいる。
そういった人間は、軍や教会騎士の手が及ばないスラムに住居を構え、ひっそりと暮らしていると聞いたことがある。
彼らは、そういう人間なのかもしれない。
少なくともまともではない。
だって片方の男なんて、完全に目つきがおかしくて、口の端から涎を垂らしていたから。
「こ、こないでください……」
尻もちをついたまま私は後ずさる。
「無理な相談だぜそれはよぉ」
「へへっ、安心しなよ、痛いのは今日だけだ。今日中に壊す、明日には狂う、明後日には死んでる」
「嫌……嫌あぁっ……」
どんなに首を振って拒絶しても、彼らの足は止まらなかった。
やがて私は前と後ろで囲まれて、逃げ場を失う。
そして、片方の男が抜いた剣の刃が、ぴとりと冷たく首に当てられた。
「さらにその次の日には市場にあんたの肉が並んでるからよぉ!」
「誰か……助けてください……」
「俺ら分もきっちり確保しなきゃなあ。太ももが良い、あそこの肉の食感がたまんねえ!」
「ならオレは耳だ! コリコリしてうめえんだわこれが!」
「誰かっ、誰かあぁぁぁあああっ!」
何の話をしているのかわからない。
だけど、まともじゃないことだけは伝わってくる。
私は涙をぼろぼろ流して、子供みたいに叫んだ。
「こんな腐った沼の底で誰が助けてくれるってんだよぉ。そんな優しい場所なら、オレはこんな風になっちゃいねえんだよぉおおおお!」
男は狂ったように怒鳴る。
そして――
「救いならあるわよ」
凛とした――スラムの淀んだ空気を断ち切るような、澄み切った声が響いた。
その女性は静かに歪曲した刃の短刀を振り払う。
サクッと音がして、男の首が落ちた。
「あが、お……オレの、体……ふへ、うまそ……」
仲間の死を目前にしても、もう一人は動揺しなかった。
すぐさま腰の剣を抜いて構えを取る。
「怯えないのね」
「ここじゃ人死には日常だ、それよりてめえはッ!」
首を斬られた男の体が、私の真横に倒れた。
私がその生々しい断面を見て、「ひっ」と小さく叫びをあげる。
けれどそれで、私と女性を遮るものはなくなった。
私は彼女の姿を見上げる。
「腐った沼の底で人助けをする変わり者よ」
黒いナイフを片手に妖艶に笑う女性。
赤い髪に赤い瞳、そして赤い唇。
肌の色は私より少し焼けていて黒い。
けれど肌質は驚くほどきめ細やかで、凹凸がくっきりとした踊り子のようなスタイルと相まって、女の私でも息を呑むほどの色気を感じた。
服装も胸の谷間や太ももなど露出が多く、かつぴっちりと肌に張り付く素材のようで、ともすれば裸よりも破廉恥だと思えてしまうほど。
なんだかいけないものを見ているような気がして、私は目をそらした。
「そんな甘っちょろい奴がここで生きられるかよぉ!」
男は問答無用で女性に斬りかかる。
対する彼女は、素早くその場で刃を振るった。
空振りだ。
けれど、刃から黒い何かが射出される。
慌てて男はそれを防ごうと剣を立てるも、その行為に意味はなく、漆黒はガードを通り抜けて体を引き裂いた。
「強い……」
思わず私はそうつぶやく。
「何だ……こりゃあ……」
男の体が真っ二つになる。
地面に倒れる。
へたりこんだ私と同じ高さに、男の死体が二つ。
「あ、あ――」
改めて現実を認識して、声を上げてしまいそうになったとき――女性が、私に手を差し伸べる。
「大丈夫かしら」
救いを求めるように、私はその手を握った。
彼女はきゅっと握り返して、私を立たせてくれる。
そして近い距離で、穏やかな笑みを浮かべた。
たぶんそれは、私が今日、はじめて見た――まともな笑顔だったと思う。
「私の名前はフレイアよ、あなたは?」
「クラリス、です」
「素敵な名前ね。ここは貴女のような人間がいていい場所じゃないわ」
「ひ、人が」
「ん?」
「人が、死んで……」
「彼らも言っていた通り、人の死なんて日常茶飯事よ」
「でもっ!」
「殺さなければ殺されてた、そういう世界なの」
「で、ですが、命を奪わなくても動きを止めることも……」
「あの目つき、見たでしょう? 薬中ってやつよ、痛覚も麻痺してるのが多いから、死ぬまで狂った獣のように食らいついてくるわ」
「……そう、ですか。ああ、そうですよね」
否定したかった。
それは過ちだと、教会で教わってきたから。
けど、彼女に助けられなければ、死んでいたのは私だから――何も言えない。
ううん、むしろどうしてそんなことを言ってしまったんだろう。
まずはお礼を言わなくちゃならない立場なのに。
抵抗があるんだ。
人を殺した人に、お礼を言っていいのかなって。
薄情だ。
正しさを優先したつもりで、私はひどいことをしている。
「そんなに自分を追い詰めないの。スラムに慣れてないなら仕方ないわ」
フレイアさんはぽんぽんと私の頭をなでた。
手のひらの温もりが、少しだけ私の気持ちを落ち着けてくれる。
「まずは移動しましょう。近くに私の拠点があるわ」
こくん、と私はうなずく。
近くということは、フレイアさんもまたスラムに暮らしているということ。
そしてあの短剣の腕――きっと冒険者に違いない。
まともな人じゃないかもしれない。
だけど、頼れる相手は他にいなかったから。
そして純粋な“優しさ”に飢えていたから。
私はいつの間にか繋がれていた、フレイアさんの手を離すことができなかった。
――――――――――
名前:クラリス・アスティヴァム
種族:人間
性別:女
年齢:19
職業:聖女見習い
好きなもの:人助け
嫌いなもの:悪人
・ステータス
体力:46
魔力:81
器用:16
魅力:44
性向:100
・スキル
杖術Lv.3
回復魔術Lv.8
防御魔術Lv.8
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