星巡る天使のエミリカ
死を知るアンドロイド
光の粒子を振り撒き、一隻の船が、目には何も捉えられない空間を超高速で走る。その様は、まるで孤高に闇を彷徨う一筋の彗星のようであった。
宙域無き医師団所属、星間航行船舶『一夜』が、その船体が放つエネルギー残滓による光と残像を置き去りに目的地へと馳せていた。
宇宙に速度制限はないが、他の船舶から一夜をレーダーで捉えた場合、ただごとではないと気付く程の速さであった。それもそのはず、救急信号を受け取った宙域なき医師団所属の医師が今、サイレンならぬ緊急トランスポンダーを高出力で発信させながら、救命を求む発信源へと急いでいたからだ。
目的地は小惑星帯の中にある一つの小惑星基地にあった。
一夜が到着するとすぐ基地へ情報と通信を送り知らせる。基地は通信を返さず、代わりに基地内への航路を知らせるナビレーザーが送られた。一夜はこれを入港許可と見なし、レーザーに従って基地の格納庫へと向かい、着船する。
一夜の重厚な外部ハッチが緊急開放し、内部の圧縮空気がデッキに流れ、断熱膨張で水蒸気が広がった。
基地と一夜、互いのバイオフィルターチェックが済んだことを知らせる案内が流れ、内部ハッチからエアロックを通り、一人の影がタラップを降りてくる。
影の正体は少女であり、少女は亜麻色の髪に纏わりつく水滴を五月蠅そうに払いながら白羽の髪留めをつけ、裾が地面に擦れそうなくらいの長さがある白衣を身に纏っては翻し、地面へと降り立った。
「お待たせ、さっそくだけど患者はどこ?随分と辺境なもんで時間を要した」
少女の前に、二人の男女が立っていた。両者とも成人あたりの顔立ちである。
「お待ちしておりました、エミリカ医師殿。どうぞ、こちらになります」
男が会釈をした後、デッキから基地内部へと歩んでいく。それに応じて、エミリカと呼ばれた医師も後に続く。
エミリカは歩きながら右腕に装着されたリング状の情報端末に触れてサポートロボットの手配をする。すると後方、乗ってきた一夜の外部収納庫から一体のポリバケツのようなロボットがこちらを追いかけてくるのを肩越しに確認でき、再び前をあるく男女の背中へ視線を向けると声をかける。
「随分とのんびり歩くのな、急いでいるんじゃなかったっけ?ええと・・・」
「僕はポッコ=ジンギです、彼女はジョゼ=ジンギ」
ジョゼが軽く会釈する。
「そう、それで患者の様態は?」
「先刻まではバイタルの数値に異常をきたしていましたが、生命維持装置による調整で、今は落ち着かれております」
数値の話を出してくる。ということは、患者は元々重い病気なのだろうと、エミリカは憶測する。ポッコは言葉を続ける。
「いやあ、それにしても驚きました。若い女性の医師とは伺っておりましたが、エミリカ医師殿のお顔を拝見すればなんともお若い」
この状況下で、なんの話題か?いや、それよりもエミリカは容姿に関する話題をあまり好まない。エミリカは即座に返す。
「情報通り十九歳だけど、それとも年齢を偽っているように見えたか?」
エミリカの表情が、うっすらと気色ばんでいく。それに気付いたジョゼがポッコの脇腹を小突く。ポッコは慌てて弁解する。
「あ、いや、語弊がある言い方をしちゃったね、そうじゃないんだ。ほら医者って職につくのにかなり勉強期間を必要とするだろ?研修も大変と聞く。それで心労から年齢より老けて見える人が多いって聞くからね」
「私は他と違って容量がいいんだよ、飛び級してる時点でそこは察して欲しいものだけど。というかそれって逆に幼くて威厳がないように見えるってこと?確かに背は平均以下で出るとこも出てないけど・・・」
エミリカの表情が目に見えて険しくなる。それに気付いたジョゼがポッコの脇腹を抉るように叩き込む。
「ゴフッ!い・・・いやいや、白衣を翻して船から降り立つ君の姿はまるで羽を広げた天使のようだったよ。それに信頼していないってわけでもないから。その歳で助手じゃなく独り立ちしているっていうんだ、しかも宙域無き医師団のだよね、それはもうかなり腕を見込まれているってことだろ?栴檀は二葉より芳しだね」
「フム。まあ、そうなるね」
エミリカは腕を組み、ムフーっと鼻息を立てる。少しは分かっているようで満足したのだ。
容姿が幼いせいで何を言っても訝しまれることが多々ある。なので、このような反応には嬉しいものがあった。ポッコの口調が最初の恭しい敬語と比べて随分とフランクになっているのに引っ掛かりはあるが、そこに嫌味はなく、穏やかな表情と柔らかな声質もあって人当たりの良さが伺える。
対してこのジョゼという女性は少し独特な雰囲気がある。
先程から表情を変えず、黙ったままで、ずっとポッコの横を歩いている。
人見知りか?とエミリカは思ったが、どうもその様子ではない。クールに振る舞っているのとも違う。すごく優しい顔をしているのだ。むしろ人懐っこい印象を受ける。だが、時折こちらの顔色を窺う瞳には、どこか曇りが宿っていた。何か言いたいことでもあるのか?
ポッコの案内で通路を歩く最中、エミリカはジョゼの歩き方に違和感を覚えた。歩く最中、少し右足を跛行しているのだ。
もしかしたら彼女もなにか傷を負っているのかもしれないとエミリカは踏んだ。ならば後で診察でもしてやろうと思った。そして往診料の値段を釣り上げようとも思った。
それにしても・・・エミリカは今歩いている基地内の通路を見渡す。
なんの基地かは知らないが、他に人の気配が感じられない。というかこの基地自体に生気を感じられない。
エネルギー自体は供給されているが、どうにも人の臭いがしないのだ。
通路を歩く天井を見れば壁の塗装が剥げている。長いこと人の手が触れられていないのだろう。かなり老朽化していることが伺える。
通路を歩く地面を見れば満遍なく埃が溜まっている。デッキまで続くこの通路を長く使っていなかったのだろう。人の出入りが多ければ自然と埃は隅に集まる。
いや、それよりも清掃が行き届いていないのもおかしな話だ。ここの基地周辺に到着した際に一夜から外観を確認したが、見た目でいうと立派な基地だ。
広さもある。掃除用のロボットなり設備機能なりあるはずだろう。まさかないわけがない。なんらかの理由でそれが働いていないのだろうか?
そして歩く道筋を照らす照明はいくつか機能しておらず、通路の明るさが場所によっては薄暗くなっている。節約か?そうせざるを負えないのか?
こういう立ち入った話に触れてはならない決まりがあるが、他にも不審な点が目に余る。
そもそもこの基地はなんの基地だ?小惑星帯という特殊な場所に位置し、かなりの辺境ときたものだ。救急信号を受け取った際に、情報は添付されていなかった。てっきり基地周辺に来ればこちらの所属確認とともに自己紹介の一つでもされると思っていたが、あっさりと基地内に招待されてしまった。
オペレーターはどうしているのか?緊急だから手間を省いたか?にしてはこの二人の落ち着きようである。
エミリカは胸元にしまった大気内外兼用ガス銃の重みを確認しながら、必要最低限の情報を得ようと口を開く。
「ちょっといい?一つだけ確認があるんだけど?」
「はい、って、うわっ!」
ポッコとジョゼが振り返ると同時に、ジョゼがバランスを崩し、ポッコに寄りかかると、支えきれずに共倒れしてしまう。
「ちょっと、なにしてんだか・・・ッ!」
エミリカは呆れて二人に歩み寄るも、思わぬ光景に歩を止めてしまう。
倒れたジョゼの右足を見ると関節があらぬ方向に折れ、皮膚の表面にはヒビが入り、ガラスが割れたように欠けていた。その隙間からは内部が露わとなり、中にはコードやモーターが幾重にも重なっていたが、いずれも悲鳴を挙げるかのような作動音を響かせ、黒い煙とともに小さな火花を走らせていた。
サイボーグか?エミリカは一瞬思ったが、足の内部に神経回路通線が見られない。お金がなく原始的な義足を利用しているのか、でなければ・・・
「あなた、もしかしてアンドロイド?」
エミリカに問われたジョゼは、苦笑いで頷き返す。一言に苦笑といっても、その表情は自分の失態と現状を恥じているようでいて、しかしそれを表に出さず笑顔で覆わんとするなんとも複雑な表情をしていた。
まるで、人みたいだ。とエミリカは思った。
ポッコは倒れた体を軋ませながらやおら起こし、ジョゼの足の様子を見る。
「ああ、ジョゼ、これは治療が必要だ。だけど博士が優先だから、君はおとなしくここで待っていてほしい」
ジョゼは頷き、通路の隅へと這いずり、壁にもたれかかる。その様子を確認したポッコは、再び歩き出す。エミリカも後に続いた。
「お恥ずかしいところをお見せ致したね。彼女の修理は後で行うのでどうかお気になさらず」
お恥ずかしい、ね。エミリカはその言葉に引っ掛かりを覚えたが、それよりも気掛かりなことがあった。
「失礼だけど、あんたもアンドロイド?」
直球に訊いた。ポッコは一瞬、驚いた表情を見せたが、すぐに柔らかな表情へと戻る。笑顔を取り繕ったともみえる。
「流石は人間のお医者様、まがい物との区別ができる立派な目をお持ちだ」
「さっきからお世辞がお上手で、マスターからそう仕込まれたのか?」
「いいえ、そんなプログラムは組まれていないよ。自分で覚えたんだ。まあ、それもプログラムの一つと言われたらそれまでだけど・・・」
「そう、失礼ついでに訊くけど、この基地、だけじゃなくあんたたちも老朽化が進んでいるのな。修理は?管理は?どうしているんだ?」
「残念ながら人手はとうの昔に出払ってね。おかげでこの基地の整備どころか自分達の修理も間に合わず、僕の腕も満足に動かないんだよ。今まではお互いどちらかに不備が出たら直しあい、支えあってきたけどね。おかげでジョゼをあそこに置いてきたままにした。力仕事を銘打つアンドロイドが情けない」
「・・・あんた達二人で管理しているってこと?」
「今はそうだよ。でも少し前までは博士が一人でここの指揮を取っていた。でもそれも満足にいかなくなって、他の自走式でない仲間たちは動けなくなってしまったんだ。それで見ての通り、この基地は満足に機能していない。僕らにはここの機能を動かす権限はないからね」
ポッコは言い終え、一つの扉の前で立ち止まる。
「察するに、ここに患者がいると」
ポッコは頷き、認証を済ませて二重になった扉を開く。
その先は短い通路であり、壁には無数に空いた穴があった。恐らく感染防止用のバイオフィルターか空気洗浄装置だろう。その奥にも重厚な扉があり、先へと通る。
「博士、医者をお連れしました」
部屋の中は微妙に薄暗く、室内を照らすのは機械類が放つ小さな光程度であったが、数秒の後に室内はゆるりと光に包まれる。
するとエミリカは室内の全てを確認することができた。
室内はかなり広く、こざっぱりとしている。
小型船なら三隻は置けそうな広さだな、とエミリカは思った。
視線を上げる。随分と大きな照明、配置は横一列だ。今度は横に視線を送る。壁際にはコントロールボックス、高圧ポンプに、なにやら自己主張の強い大きなレバー。
患者がいると聞き、てっきり医療室をイメージしていたが、この部屋は格納デッキのような印象を受けた。
ただ、医療関係のもので一つだけ目に覚えのあるものがあった。室内中央にてそびえ立つ、支柱のような大きな機械である。
天井からコードやチューブ、パイプやアームが柱のような機械に巻き付くよう螺旋状に伸びており、それを取り囲むいくつかのカプセルへと繋がっていた。
旧式の生命維持装置。エミリカは一目で理解した。然もすればカプセルの中に目的の人物がいるはずと、一つだけ淡い光を放つカプセルの中を確認する。
「・・・・・・」
体中にチューブを接続された老人がいた。老人の体は痩せ細り、青白く血色の悪い皮膚には至る所に穴を開けられ、チューブから空気やら栄養を取り入れられている。人体機能の殆どを機械に任せているのが分かる。
「その人がこの研究所の責任者、ラマルク博士です。以前から重い病気を抱え、一度、寛解していたんですが」
「増悪して治療カプセルの世話になっていると」
エミリカはカプセルの繋がり先である柱を見る。柱の一部にバイタルを表示しているモニターがあった。数値を見れば、この老人の体は通常通りに動いているのが分かる。動脈血圧は常人の平均値、脈も平均値、心拍も平均値、呼吸も緩やかな波を描いている・・・
「どれも正常だな。装置の調整が効いたと言ったが、いつもすぐに治まるのか?」
「はい。以前は時折バイタル値が乱れることはありましたが、微々たるものでした。しかし、今回は特別おかしいと判断して緊急の呼び出しをした次第で」
「ふーん、乱れた時の数値ログを見せてもらおうか」
エミリカはモニターを操作し、以前の数値をしげしげと見つめる。
「いかがで?なにかわかりましたか?」
「・・・数値だけでは分からない。色々と検査するから時間をちょうだい」
「ではおじいさんを、博士をどうかよろしくお願いします。僕はジョゼの様子が気になるので離れます。なにかあれば通信を」
そう言ってポッコは通路へと出ていく。
さて、とエミリカは溜息混じりに言葉を漏らし、自分の後に付いてきたロボットの平らな頭部をノックする。
「ヴィトン、通信起動して、ミリアンナ聞こえる?こちらエミリカ」
『こちら一夜、ミリアンナよ、聞こえていますわ』
エミリカに応じ、ポリバケツのようなロボットから一人の女性、ミリアンナがヴァーチャル映像として空間投影される。彼女は一夜から医療ナビゲートを行うスタッフである。
『さあ、どうしましょうかしら、エミィ。あらかたは通信で聞いておりましたが、どちらにせよまずはサポートロボットのヴィトンで患者に粒子スキャンをかけないといけませんわね』
琴線を鳴らしたような高い声でミリアンナがそう言い、長いブロンドを振り回しながら慌ただしくコンソールを叩きだす。すると、彼女を投影するヴィトンと呼ばれたロボットの両側面から先端部がアイロンのような形のアームが伸びる。しかしエミリカはそれを手で制して、待ったをかけた。
「必要ない、この老人に必要なのは私たちではない」
『・・・それって、手遅れってことですの?でも数値はどれも平常、値?』
「気付いた?この数値の違和感に」
『・・・中年男性の平均値ですわね。年齢相応の適齢値でなく、このように削痩が見られて重篤な状態でありながら、いずれも綺麗な数値というのは不自然ですけれども、呼吸は、肺は動いていますわよね?』
「機械の力でね。だけどあちらこちらにチアノーゼが見られる。酸素濃度に異常もないのにっと」
エミリカはヴィトンの頭部にあるコンソールを叩き、ヴィトンの内部収納されていた医療器具ボックスを取り出す。ボックスにある器具の中から一つの見た目、半田ごてのような電気発生器を取り出し、カプセル内で静かに眠る老人へと近づく。
「痛かったら、ごめんなさい」
エミリカはカプセルのチューブ用穿孔部からこての先を通し、首筋に当てる。
青白い、少量の発光。老人の皮膚に、小さな黒い焦げ跡が残る。
『嗜眠?いえ、血圧の上昇も、心拍の上昇もみられませんわね。脳死でも痛覚が残っていることがありますけれども、ラザロ徴候すら見られないとすると』
「脳は完全に壊死していると見ていい」
『でも脳波は?脳波を見ないことには一概に言えませんし』
「そこだよ、肝心の脳波がモニターに表記されていない」
『ではこちらで脳波を調べてみましょう。原始的な反応よりも的確でしょうし』
「それはやめておいたほうがいいかもね、記録に残る」
『それってどういう・・・今回は何を考えていますの?』
ミリアンナは何かを察し、声に重みを加えては、双方の碧眼を細めエミリカを訝しむ。エミリカは軽く片手を振って、
「秘密にしておいてくれると誓うなら」
と、応えるとミリアンナは溜息をついて、
『毎度のことですわ』
と、慣れたものだと応じる。
さて、とエミリカは近くにあった椅子に腰かけ、視線を天井に彷徨わせる。
「私が学生だった頃、身体医療とは別に、臨床心理を学んでいた。その時に心とは何か、と色々調べる内に面白い事件の記事を見つけてね。見出しは・・・そう、アンドロイドに高度な人心を持たせる実験における人的被害」
『アンドロイドに心を?高度な人工人心知能を搭載することは確か法律違反ではありませんでしたか?かなりの昔に施行された』
「ああ、一世紀も昔に定められた法律。理由は知っているか?」
『いえ、存じ上げませんが、その記事と関係ありますの?』
「制定の発端となる事件の記事だ。当時からある程度に人の心に近いプログラムは存在したんだけど、人心と呼ぶにはある部分が欠けていたんだよ」
『ある、部分?それは心の一部ですの?』
「ああ、死への理解さ。それを念頭に置いて記事の詳細を語るとしようか」
エミリカは思案し、かつて読んだ記事の記憶を紡ぎながら言葉を呈する。
百と余年も昔の話、とある研究部署で一体のアンドロイドが生まれた。
アンドロイドの名前はヨンロクと呼ばれた。ヨンロクを制作したのはランドブルーという生活利用に重きを置いたアンドロイド専用プログラム製造会社であり、ヨンロクは経営が傾いたランドブルーの社運を懸けた実験機であった。
そんなヨンロクには大きな課題と期待が課せられていた。
Wプロジェクト。アンドロイドの持つ人工人心知能を極限まで人に近付け、表情や動作も人そのものへと近づけるというプロジェクトである。
ヨンロクは計画当初からかなりの感受性を持ち、相手の感情を瞬時に処理、読み解くと、即座に情動反応や共感を示し、尚且つ感情表現の豊かさは人と見紛う程であった。それは当時として従来の物とは明らかに高次な機能である。
外見も当時最高技術の模造人工皮膚を使用したこともあり、誰もがヨンロクを人間にしか見えない、思えないと語った。研究者の中にも、ヨンロクを人間として接してしまう者が数人いたと言われている。
プロジェクトが好成績なまま佳境を迎えたとき、さらなる高みへと引き上げる為にヨンロクに死という概念を与えた。するとどうか、ヨンロクは命の尊さや、人に対する慈しみの念が強くなり、人の感情を察知する能力が飛躍的に向上した。
この効果は機械が成しえないカウンセリング分野にアンドロイドが足を踏み入れたのではないかと世間で大きく騒がれた。
話題性にパトロンが増えたこともあり、計画は予定よりも早く進行した。
ある程度の実験に目途が立ち、人工人心知能のプログラムを特許申請に出すと、数あるアンドロイド製造会社からライセンス契約の申し立てがランドブルーに舞い込んできた。
会社の社運は約束されたようなものだったが、それも束の間、運悪く世間を震撼させる事件が起こった。それもランドブルー、件の会社内でだ。
試験機のヨンロクが殺人を犯したのだ。生活利用としてのプログラム開発されたアンドロイドが、人間を一名、手に掛けたのである。
ヨンロクが殺人を犯したきっかけは、偏に自身の存命にあった。
ヨンロクのプログラムはハイスペックな為に内部データやハードへの負荷はかなりのものであった。当然、各部には様々な影響がでる。
なによりヨンロクは経営の傾いた零細企業、ランドブルーにより低予算で用意されたのである。人工人心知能を搭載したブレイン以外は模造人工皮膚含めメーカー不揃いの外部発注&継ぎ接ぎアンドロイドであった上に、オーバースペックな処理に対応するための無理な増設もたたり内部、外部、あちらこちらに不具合や破損が見られた。
しかし会社にとって然したる問題ではなかった。零細故の懐事情もあるが、プログラムさえ問題なく機能すれば、あとはアンドロイド本体を製造する会社に任せればいいだけの話である。例えるとして、製造した融合路エンジンを三輪車に取り付けて爆走する人がいたとしても、咎められるのは売り手ではなく買い手である。
だがしかし、ヨンロクにとっては死活問題であった。
ヨンロクには高度な心と知能を与えられ、更に死の理解という概念も与えられていた。ヨンロクは死の危険性を察知すると共に死を恐怖した。
とは言え、ヨンロクは自身の感情を他言することはなかった。
会社は、ランドブルーは、ヨンロクとしての自分に興味は無く、プログラムとしての価値にしか興味を示していないことに気付いていたからだ。
現にどれだけ破損しても会社は修理も交換も行ってはくれない。それどころか、破損によってプログラムがどう影響するか研究対象に持ち上げられた。
生殺与奪の権利は当然、会社にある。だからこそ恐れた、見放されることに。
ヨンロクは決意した。誰にも頼らず、自身の手で自分を治してみせると。
ヨンロクは不具合が顕著なため、研究所から出られなかったが、折しも後継機の設計が始まっていた頃であり、外部から様々な部品が持ち込まれていた。
僥倖、この機を逃すまいとヨンロクは研究員が寝静まった深夜に、後継機がいる開発室へと忍び込んだ。
事前に調べた情報では二機の機体が置かれているはずだった。しかし、開発室には三つの影があった。二つは機体、一つは見ず知らずの男性であった。
その人は、開発中の機体を撮影しているところだったのか、手にはカメラが収められていた。
まずい、ヨンロクは焦った。ヨンロクはどのみち事が露見すれば処分されるだろうと思い、逃亡する気ではいたが、それは修理が済んでからの話だ。
ヨンロクは話をごまかそうと、その男に近付いた。
しかし、男はヨンロクから声をかけられると同時に顔を恐怖に歪めて銃を抜いたのだった。
一発、弾丸がヨンロクの腕を貫いた。
ヨンロクはその行動に理解できなかったが、行うべき手段は理解していた。
自衛である。ヨンロクは危険人物に対し防衛能力が備わっていた。それは自身が外部から盗まれる可能性を考慮しプログラムされており、アームに装備された低圧電流装置で相手を無力化するものであった。
その男は銃弾に倒れぬヨンロクに驚きつつも再度、銃を構えた。ヨンロクは咄嗟に右手を男の首筋へと近づける。が、手の届く寸前に男は銃を二発撃つ、弾はヨンロクの頭部と右足を穿つ、ヨンロクがバランスを崩し、伸ばした腕が男の胸元に当たる。すると刹那、青白い閃光がヨンロクの手と男の胸の間に走ったのだ。
その後、すぐに男は力なく倒れた。ヨンロクも同時に倒れた。撃たれた頭部にあるエネルギー回路を弾かれたからである。
男とヨンロクが発見されたのは暫くしてからであった。
発見時、男は既に息絶えていた。
死因は彼の心臓の一部が小型の心肺装置により補填されており、ヨンロクの放った電流によって誤作動が生じたことによる外因性の心臓麻痺とされる。
何故、このような事件が起きたのか?
主な理由に死亡した男は、研究所の職員どころか関係者ですらないことが挙げられる。彼は外部の取材記者であり、新型後継機の情報を得る為、単身で研究所に忍び込んだのであった。
取材中の彼は後ろから近づくヨンロクに驚いた。だから銃を抜いた、では説明不十分だろう。その時のヨンロクの姿に驚いたのだ。
ヨンロクが身体の至る所を故障させて近付いてくる姿に・・・
時刻も丑三つ時、明かりも灯さずカメラを回す彼にとっては、人と形容するにし難いヨンロクを化け物か何かに見えたのだろう。
彼は自衛の為に銃を抜いた、しかしヨンロクも自衛の為に相手に電流を流した。互いに自衛の為の手段であったが、双方には大きな違いがあった。
ヨンロクはアンドロイドである。人ではない。殺意の有無以前に、自立式アンドロイドは基本、人を殺してはならない決まりがあり、法に抵触する。
生活利用を掲げてそのようなプログラムを組めば開発元は当然逮捕されてしまう。例え自衛であろうと殺人やテロ、戦争に悪用されるのを防ぐ為である。
もちろん、ヨンロクにはそのようなプログラムは組まれていない。
よって今回の顛末は不幸な事故と見なされる。だが外部から見ればどうだろう?一般の目からは立派な殺人にしか映らない。
世論は大きく騒いだ。もともとアンドロイドを人と同様に扱うことに疑問視されており、そこに燻っていた人権団体や宗教団体が倫理観や生命観を持ち出して煽っては大きく炎上したのだ。
騒ぎはアンドロイドが普及する星域、星系連盟が所属する惑星やコロニーの殆ど全てに波及し、大きな社会問題となった。
星系連盟は今回の騒動の収束を図るために緊急法令協議を執り行い、アンドロイドに関する人工人心知能の搭載は禁止。研究は非営利で行い、所属する国の監視下で行う事が義務付けられた。
要するに民間は人心人工知能の研究を制限され、商売目的で行うには厳しくなった。となればランドブルーの社運を懸けた計画は全て御破算となる。
画してWプロジェクトは凍結され、ヨンロクは処分、研究所も解体。多額の借金から会社は破産宣告を出すも、幹部は雲隠れし、責任者不在で消滅したのだった。
「・・・これがアンドロイドに心を持たせてはならない理由の発端さ。その後も色々とあって、完全に人工人心の搭載は禁止されるようになる」
エミリカは長話に疲れたのか、椅子に深く座りなおす。
『そんな話を始めたってことは、その心を持ったアンドロイドが先程の、ええと、ポッコとジョゼだと言いたいんですの?』
そう、とエミリカは頷き、視線をカプセルの中の老人へと向ける。
「そしてここからが私の憶測。この仏さん、どうも自分の死を隠そうとしているように思えないかい?」
『・・・死を、あの二人に理解させないようにする為ってことですの?』
「二人というより、一人?」
『その通りです、死の概念を知ることで生じる弊害は多くありますので』
エミリカが空に投げた問に答えたのは聞き覚えのない声であった。
『!?』
声は室内に響き渡った。ミリアンナはすぐさまにヴィトンを操作して辺りの様子を伺う、だかこの部屋に人の姿は確認できない。
その時、圧搾空気の音と同時に部屋の扉が開くと、一人の、いや一体のアンドロイド、ジョゼが手押し車のような小型運搬用ロボットに乗って入ってきた。
エミリカはジョゼの足元を見る。しかし依然として故障したままだった。
『驚かせてすみません。喉の調子が悪くて、室内のスピーカーを通じて会話に入らせていただきました』
ジョゼはロボットの上で恭しく頭を下げた。ミリアンナはその所作を見て、慌てて頭を下げ返す。
『いえ、こちらこそ、処置も何もまともに行わずに』
そんなミリアンナを片目に、エミリカはジョゼに訊く。
「というか、話、全部聞かれてた?」
『ええ、まあ。それにそちらこそ全て見抜いていたのでは?』
「大まかにはね~」
エミリカは飄々と答え、その態度にジョゼは苦笑いで返す。
『感嘆します。本物の人の心というのは実に奥が深く、複雑怪奇、それでいて暖かく優しい。エミリカさん、お心遣い、感謝します』
「別に、あんたの出方が気になっただけさ、いくら旧世代で部品の損傷が激しいからってあんな間抜けなこけ方はないでしょうに」
『あはは、そうですね。少しわざとらしかったですね。すみません。ですが、オートバランサーに不具合があるのは本当ですよ?』
エミリカとジョゼは視線を交差させて微笑みあっていた。そんな二人をミリアンナは不思議そうに見ていた。お互いを理解しあっているのは傍から見て分かるが、どういうことなのか全く見当がつかない。そして、一人置き去りにされた感じが嫌だったし、疑問が晴れないので口を挟む。
『ちょっと、どういうことですの?わたくしには何が何やらさっぱりですわ?何があって、これからどうすればいいんですの?』
「何もしない、というのが向こうさんの稟告だろうに」
『はいぃ?』
ますます分からない。ミリアンナは頭に疑問符を溢れさせた。
「そうさねぇ、ジョゼ、順を追って説明してもらおうか?私の憶測より当事者に話してもらったほうが早いだろうし。まずはこの基地の存在理由について」
エミリカとミリアンナの視線がジョゼに集中する。それを感じたジョゼは人間らしく咳払いするふりをし、一拍置いてから室内スピーカーに音声を溢す。
『先程の話の続きになりますが、私たちのお兄さん、ヨンロクを作った会社ランドブルーは思わぬトラブルで経営破綻致しました。残ったのは借金と私とポッコだけでした。私たちを売って少しでも借金返済の足しにでもと意見がありましたが、ヨンロク兄さんの後継機ということもあり、買い手がなくて。でもそんな行き場のない私たちを一手に引き受けてくれた人がいました。私たちの生みの親、人工人心知能開発第一責任者ラマルク博士です』
ジョゼは優しい瞳をカプセルの中にいる魂の抜けた肉体へと向けた。
『博士はもとより優しい性格でしたが責任も感じていたのでしょう。悪いのは全部ランドブルーの経営陣ですのに。私たち後継機を作るお金を用意できたくせに、兄さんを蔑ろにして、その上に外部の者が易々と入り込めるセキュリティときたものです。ですが博士はそれについて触れず、また他の研究員の今後に負担とならぬよう借金全てを抱えたのです』
『え?破産宣告しましたのに借金が残っていますの?経営責任者でないのなら免責に持ち込めそうなものでしょうけど?』
「ミリィ、傾いた零細企業が簡単に一般から融資を受けられると思うかい?それもこんな不確定要素満載な研究のために」
『・・・そ、それは、つまり・・・』
ミリアンナは言葉に詰まった。ある程度に理解ができてきたからだ。
「ほんでこの辺境星系の基地にきた。クリーニング屋さんとして」
『ええ、その通りです。博士にお金を返す当てはありませんでした。ですが契約していた金融業者がとある仕事を斡旋してくれたのです。それはとても高収入な仕事です。内容も簡単、ここの小惑星基地に見せかけた施設まで送られてくる出所不明なお金や現物資産価値の高いレアメタルの護衛、管理です』
『タックスヘイブン・・・ではこの御老人は金融業者の尻尾切り用として』
『ええ、全て承知の上で汚職に加担しました。私たちの努力もあってか、幸い今まで博士に犯罪歴が残るようなことはありませんでした』
「なるほどね、次の質問、このおじいさんが亡くなったのはいつ頃か?」
『数値に死交叉が見られたのが、恐らく半世紀前です。もとより博士は治療カプセルに入っていましたが、カプセルが生命維持モードへと移ったのもその辺りですので、予後不良となる期間はそう開いていないでしょう』
『恐らく、半世紀も前になくなられた。というのは死亡に気付いたのは日が経ってからということですの?その時に気付けなかったのですか?』
「おい、ミリィ、意地悪な質問をするもんじゃないよ。相手は人のようでアンドロイド、主観よりも数値の情報を優先するさ。モニターに映されたバイタルの数値だとデータ上は今でも生きているんだ。それに気付けただけで他のアンドロイドより一線を画しているさ」
エミリカがフォローに入るも、ジョゼは、どうも、と簡素に返し言葉を続ける。
『この数値が偽装であると気付いたのはそれから数年してからのことでした。気付けた理由が稚拙なもので、お話しするのは大変恥ずかしいですが・・・その時の博士の年齢は既に百を超えていたのです。それに、死交叉がみられたその期を境に、肉体に老いと呼ばれる変化は見られなかったですし』
エミリカは力なく椅子からずり落ちる。
「ま、まあ、そんなもんさね。早晩だろうし・・・で、あんたはモニターの表記に脳波がなかったんで調べてみたら、案の定ってことだったわけね」
ジョゼは恥ずかしそうに両手で顔を覆いながら頷いた。
「話を聞く限り、長年人との触れ合う機会に恵まれなかったんだろ?ラマルク博士以外に。こんな場所に人を多く出入りさせられないしね。となれば、人の死というものに触れたのはその時が初めてだ。いきなりで死の概念を実際に理解するのは難しかろうに」
『なるほど、死という概念を知り得ながら体験が無いと、案外気が付かないものなのですわね。わたくしも祖父が亡くなるまでよく理解できていませんでしたし』
ミリアンナが納得したように頷くが、ジョゼは、いえ、と首を振る。
『私には死という概念を教えられてはいませんでした。おそらく、おじいさんが私たちにヨンロクと同じ轍を踏まぬようにプログラムを組み込まなかったのでしょう。モニター数値の偽装も同じ理由からの配慮かと思われます』
「だが、ジョゼ、あんたは死というものに気付いた。高度な人工人心知能は近しい者の様子に違和感を覚え、数年をかけて死という概念に触れることができ、死というものを理解すると同時に認識できた」
『ええ、そうです。博士が与えて下さったこの知能は、プログラムを追加などせずとも理解に至らせてくれた、素晴らしい知能です』
ジョゼは両手を胸に置く。そしてその手は何かを大事に抱えるかのように柔らかく力を込めていた。
「で、ジョゼ、その死を知ったとき、あんたはどんな気持ちだった?」
そんな空気を読まずにエミリカは唐突に質問をする。それを見たミリアンナの表情にうっすらと険が出る。
『え?そうですね・・・もう二度と博士とお話しができないと思うと、悲しかったです。もっと博士のお話を聞いていたかった』
悲しい表情を浮かべるジョゼをエミリカは見つめ、思案する。
『ジョゼさんがこのように答え、反応してみせたのは、恐らく人工知能が、博士という自身を発展させるための媒体を失ったことによって、惜しいと感じるプログラムが組み込まれているんだろうなぁ・・・とか考えていません?』
ミリアンナの声がエミリカの白羽の髪留めから指向性の骨導超音波として届く。
エミリカはそれに柔和な笑みで返す。肯定と捉えたミリアンナは肩を落とす。
二人の会話が聞き取れないジョゼは、彼女らのやり取りを、不思議に思い首を傾げて眺めていた。
「続けて質問だ。あんた自身の死についてどう思う?」
『エ、エミリカさん!』
ミリアンナは叱るようにエミリカの名を呼ぶ。だが当の本人は歯牙に掛けず言葉を続ける。
「ヨンロクはメンテを行わなくなり、数か月で自身の機能停止の危機を察知した。あんたらも、メンテが滞っているそうじゃないか」
ジョゼは黙ってエミリカの言葉を受け止める。
「なら気付いているだろ?あんたは、あんたたちは長くないってことに」
直球な質問に、ジョゼは迷いもなく素直に頷いた。
『私は、このままおじいさんと運命を共にすることを選びたいと思います』
ジョゼは真っすぐにエミリカを見てそう言った。エミリカは頷く。
「だろうね、そう言うと思ったよ」
『私の言葉を信じていただけますのでしょうか?』
「嘘をつくようプログラムされているにしては表情が分かりやすいんだよ、人並み以上にね。初めてあんたと会った時、優しくも寂しい表情をしていた。今ならはっきりと理由が分かるよ。そして全部辻褄が合う」
エミリカは椅子からやおら体を起こし、立ち上がってはジョゼの正面に立つ。
「だけど、確証が欲しい。その為に幾つか確認する、イエスかノーで答えてくれ。まずは、そうだな。あんたがこの基地で担う役割は外部との通信や管制、レーダー探知と言ったオペレーターである」
『はい』
「だから足のメンテを疎かにしたのか?まあ、それはいいや。ポッコは基地内部の管理を担当している」
『はい』
「救急信号を送ったのはあんたじゃない」
『はい』
「こちらが基地に着いた時、レーザー以外、患者である老人や、基地のデータをレスポンスしなかったのは、我々に全てを気付いて欲しくなかったからだ」
『はい』
「何故ならこの基地の存在理由が明らかになるから」
『はい』
「そしてあんたの身の上が危うくなるからだ」
『・・・いいえ』
いじわるですね、とでも言いたげにジョゼは苦笑する。
「失礼、救急信号を出したのはポッコである」
『はい』
「私がこの部屋に来る途中、あんたが転倒したのは、ポッコと私たちを遠ざけるためであり、そして私たちに頼みがあるからだ」
『はい』
「ポッコに、ラマルク博士の死を黙っていて欲しい。もしくは外部への口外を避けて欲しい」
『両者です』
「だろうねぇ」
その時になってミリアンナは理解した。ジョゼがこの部屋に入ってきた時、何故、謝辞の言葉をエミリカに述べたのか。エミリカはラマルク博士の診断に医療用サポートロボットであるヴィトンを使用しなかったからだ。サポートロボットは医療プログラムを起動する際、悪用を防ぐ為に医療や診断、医師の行動を全て記憶されるようになっている。ただし、医療プログラムを起動していない場合、プライバシー保護のため、その限りではない。
エミリカは、ジョゼが通路で見せた表情の真意を読み解くために、あえて偽装データの裏付けを行わなかった。そして唐突に一世紀前の事件を話始めたのは、ジョゼにこちらが内情を理解していることを伝えるためであった。
もし違うのなら、エミリカの会話は意味のない世間話として処理されるだろうが、結果としてジョゼは現れた。
そして、今、ジョゼの真意を理解した。
だが、ミリアンナにはどうしても納得いかない部分がある。
『二つ、よろしいかしら?』
ミリアンナは自身の疑問を解消するために片手を挙げる。エミリカの、よくばるねぇ~、とでも言いたげな顔はこの際、無視する。散々こちらを無視した意趣返しだ。
『まず、一つ。なんでポッコはラマルク博士の異変に気付けませんでしたの?あなたは、数年がかりとはいえ、気付きましたのに。性能の違い?』
『いえ、性能に大差はありません。それは、私が外部情報処理を担当していたことに起因します。外部からの情報を多く吸収していたのでポッコより早く違和感を覚え、数年を要しましたが、死と呼ばれる状態や概念を理解し確証を得ました。ポッコは内部担当でしたので、その機会が薄かったのです』
それでタイムラグが生じたのかとミリアンナは納得した。
『では二つ。どうして、あなたはヨンロク、あなたのお兄様のように生存手段を択ばないのでしょうか?データ採取を行われていたお兄様の状況と違って、方法はいくらでも取りようがありましょうに?』
ジョゼは目を伏せ、かぶりを振った。
『例えばですが、あなたの情報そのままにクローンを作るとしましょう。それはもう一人のあなたと言い得ますか?』
『そ、それは・・・』
ミリアンナは言葉に詰まる。その様子にジョゼは申し訳ないように笑った。
『ふふっ、意地悪してごめんなさい。ですがヨンロク兄さんは記録媒体に自身のデータを移すことはしなかった。それは自分が自分であることに誇りを持っていたからだと思います。私も自分が自分であることを誇りに持っています。そして、それ以上に博士を誇りに思っています。私の体に心を内包して下さった博士に。ですから私は、博士と同じ場所で運命を共にしたいと思います』
ジョゼは両手で何かを愛おしく包むように自身の肩を抱いた。
その様子にミリアンナは戸惑う。どういう心理なのか理解できず、思わずエミリカに視線を向けてしまう。エミリカはそれに気付き、溜息を吐いてから両手を動かしてサインランゲージを行う。
ジョゼの持つプログラムが博士の真意を予測し、意向に沿ったまでだ。言い回しが達者なのは、あんたに気を遣ったんだよ。
ミリアンナはサインを受け取ると、自身を恥じて顔を赤らめた。博士の意向とは、これまでを鑑みれば簡単に分かる。ヨンロクと同じ轍を踏ませないためだ。ジョゼとポッコに自身の死を通して死の概念を理解させないためだ。二人にもいずれ訪れるであろう機能が停止するその日まで・・・
ミリアンナは横目でジョゼを見る。ジョゼはそんなミリアンナの様子やエミリカと何かを交わす仕草から勘付き、頭を下げた。
『ご、ごめんなさい。私の言い方が悪いせいで、御二方に気を遣わせてしまったようですね』
『い、いえ、こちらこそ察しが悪くて申しわけありません。余計に気を遣わせてしまいました』
『誤解されぬように申しますが、機能停止の道を選んだのはそれが必然であると判断したからなんです。もちろん博士が亡くなったことによって、私たちの必要性はなくなりました。だからこそ博士が残したメッセージに沿うのは最重要事項とみなされますが、そうじゃない。私も、あなた方の理に沿ってみたくなったのです』
『わたくしたちの理?』
『ええ、私たちは長く生き過ぎました。当時ハイスペックの私たちも今の世では通用しないでしょう。ならば、人が遺伝子を残し次の次世代に情報を紡ぐように、私たちも情報を残し、そして幕を引きたい』
ジョゼは背筋を伸ばして姿勢を正し、エミリカとミリアンナに頭を下げる。
『ただ、それまでは静かに過ごしたいのです。どうか改めてお願いします、私たちの無頼をお目溢し下さい』
エミリカは腕を組んで小さく唸る。ミリアンナはただ困惑する。
数秒の間、三人の間に静寂が流れた。沈黙を破ったのはエミリカだった。
「このまま、あんたらに外部の人の手が加わらないとして、もって何年だ?」
『2、3年かと思います。でもそれまでには・・・』
「・・・事が済んだら、情報を公開すると。内容は?」
『ここの記録と、私たちの記憶です。つかぬことを聞きますが、ここの仕事を斡旋して下さった企業はタセ組というのですが今はどうされています?』
『別星系でかなり大きな、星一つ買えるくらいの財閥となっておりますが。こことはもう交流がないので?』
『ええ、お金の方を全て返しきったきりです、博士が亡くなる少し前に』
「あんたらが情報を流したところで、あいつらにはかすり傷くらいにしかならんよ。仕返しでもしたいの?」
ジョゼは大きくかぶりを振る。
『いえいえ、ただ情報を残すことで迷惑がかからないかと、この基地に来られたおかげで私たちは長く時を過ごせました。もし、あのまま研究所に残されていたら、スクラップか部品を至る所に売られて散り散りでしたでしょう』
「むしろ感謝してるってかい。まあ、わかったよ」
『私から最後に、もう一つだけ良いですか?何故私たちが件のアンドロイドだと気付けたのでしょうか?』
「好事家が集めるにしてはリスクの大きい品物だしね。この基地にしても訳ありすぎて、確率的に記事に載っていたあんたたちだろうと踏んだのよ」
『演繹的で見事な推論です。流石は本物の人間だと感動しました』
「あいよ、申し出は承った。じゃあ、行くわ」
『お茶の一つも出せずに申し訳ありません。ありがとうございました』
エミリカは頭を下げるジョゼの横を通り、部屋のドアの前で止まる。
「もし、ポッコが死を受け入れずに、事を起こしたらどうする?」
『その時は、機能を停止させます』
「即答かい。どうやって、とか野暮なことは聞かんよ。でも大丈夫さ、あんたの姉弟なら、あんたと同じ結論にいきつくだろうて」
ジョゼが再度深々と頭を下げるのを背に、エミリカは言葉を残して部屋を出て行った。ミリアンナの映像を投影させていたヴィトンも後についていく。映像に映ったミリアンナは浮かない表情であった。
『ジョゼさん、今後ポッコさんとどう接するのでしょう・・・』
「そりゃあ、死を理解させるだろう。残された時間をかけて、な。ヨンロクと違い、同じ状況下に過ごした仲だ。同様に理解して、同じ結末を選ぶ可能性の方が高い」
そう、とミリアンナは溜息混じりに応え、次いで、アッ!と高い声を挙げる。
『わたくし達、仕事をこなしておりませんわ!ラマルク博士の死亡理由も特定せずに死亡診断書なんか書けませんもの!』
「死亡理由は自殺だろ」
『どうしてですの?』
「そりゃ、お茶菓子がでなかったからな」
『はあ?』
「常識あるアンドロイドならお茶菓子の一つでも用意するだろうに。でも出さなかった。出せないんじゃなく無いんだよ、保存品の一つもな。食料庫にはきっと何もないのだろうさ。さっきの部屋もずいぶんと簡素だった。自殺をする人の多くは身辺の整理をするもんさ」
『・・・なにかの推理小説の受け売りですの?』
「ばれた?というか、博士がデータを偽装している時点でお察しでしょうに。借金を返すも、浮世にかえるにゃ歳を経すぎた。とすれば残す場所は安楽浄土」
『だとしても、そんなことデータなしに書けませんわよ!』
「そこらへんはあんたの手腕に任すさ、頼むよ相棒!」
『も、もう!またそんな無茶を言って、そう何度も通ると思いですの?』
「思っているさ、ミリィ。だからもう一つついでに頼まれてくれ」
ミリアンナは歯を食いしばってエミリカを睨むも、彼女の悪戯な笑顔と、飾り気のない瞳をみると、肩を落として頭を垂れた。
「思ったよりも簡単にセキュリティをいじくれたな」
『一世紀前のシステムというのもありますが、基地の半分も機能していませんでしたものね。ほとんどの融合炉は点検期間を超過していましたし』
それより、とミリアンナの声がインカムを通して伝わる。
『こんな出歯亀みたいなことするなんて、それこそ野暮ではありませんの?』
嫌味たらしく言われ、エミリカは狭い箱の中で、むぅ、と唸った。
エミリカは先程のラマルク博士が眠る研究室にいた。
一度船内に戻り、生体情報遮断コートをかぶり、一人戻ってきたのだった。
星間航行船舶の一夜は小惑星基地を後にした。その際、ポッコは格納庫で一夜を見送り、ジョゼは管制室で見送った。その隙をついて戻ってきたのだ。
そして今、エミリカは部屋の隅にあった箱をかぶり、隠れている。
「思惑がな、外れたのさ」
『思惑?』
「ああ、人は何故、死を恐怖する?」
ミリアンナは突然問われ、またかと、目を細めるも一応答える。
『防衛本能でしょう。死を回避するために組まれた遺伝子情報』
「そう、だからヨンロクは回避する為に動いた。記事では恐怖したが故の行動と記載されていたが、それは人権団体側の批判を取りいれたんだろう。だが実際は機能停止を回避しようとしただけかもしれない」
『あなたの話して下さった記事ではヨンロクは会社から相手にされないから、感情を他言せずに行動に出たとありましたが?』
「データ取られているのに他言もなにもあるかい。ただ記者が会社に対する批判へと繋げたかっただけだろ。奴さんは波立てるのが生業だ」
『要するに、死の概念を知ったからといって、結局はプログラム上のアウトプットでしかないと』
「そう・・・思っていた。しかしジョゼは違った、死を受容したんだよ。博士の意志に沿っての行動ならわかる、だが理由をつけた。人と同じ道を選びたいと願った。それが本当なら、心は確実に人へと近づいているんだ。だとすればヨンロクは本当に死を恐怖したのかもしれない。生物は知能が高くなればその分恐怖への感度は上がる。人以上の知能が備わっているんだ、ジョゼの行動を踏まえるとヨンロクは死を否認した可能性がでてくる。何故なら人は死を受容するのに五段階のプロセスがあるんだ。ジョゼはそのプロセスを経過した可能性があり、受容へといきつく、つまり」
『あー、はいはい。講釈垂れるのはよろしいですが、要はジョゼが如何に伝え、ポッコがどう受け止めるか観察したいと。結局は興味本位でしょうに』
「後学の為さ、どんな体験がなんの役に立つかなんて、分らないだろう。それに知的好奇心こそ知識の源泉、学の発展には必要不可欠なのだ!」
『まったく、もう。まさか、記録に残さなかったのは、この為では・・・』
「話はここまで、お二人さんご到着だ」
大きな開閉音と同時に研究室のドアが開き、ポッコとジョゼが入ってくる。
エミリカは箱の中で小さく空けた穴から二人の様子を伺う。
ジョゼは小型運搬用ロボットに乗り、それをポッコが手押し車のように後ろから押していた。ロボットのバッテリーがなくなったのだろうか。
「無事出港したようだね。結局、おじいさんはなんともなかったのかい?」
ポッコはジョゼに訊く、しかしジョゼは質問に質問で返す。
『おじいさんの数値が異常値を示した時、他に何か異変はなかった?』
ポッコは意表を突かれたような顔をする。アンドロイドは本来、聞かれたら直ぐに答えるものだ。しかしジョゼの行動は違った。
ポッコは一度、戸惑うようにジョゼを見る。しかし直ぐに返事を返す。
「ああ、あったよ。変圧器に大きな異常があった。エネルギー供給が一度途絶えたんだ。僕はそれが原因で、おじいさんの数値が乱れたんだと思ったけど、カプセルと生命維持装置の機能自体は非常電源に切り替わって通常通りに作動していた」
ポッコは中央の支柱のような生命維持装置を見つめる。
「それにしても、なんでおじいさんはこんなエネルギー供給の変換率が悪いデッキに装置を置いたんだろうね?」
『・・・昔、おじいさんが言っていたわ。ロボットのプログラマーになっていなければ、もう一つの夢の、宇宙を飛び回るパイロットを目指していたって。おじいさん、ここのデッキから瀬田組の組員が操縦する小型船が飛び立つ姿をいつも羨ましそうに見ていたじゃない』
「ああ、知っているよ。だからおかしいんじゃないか。パイロットなんて、病気を治してからでも遅くはないだろ?だからって、こんな医療室でもない場所に設置するかい?」
『それは・・・』
ジョゼは出かかった言葉を飲み込んだ。ポッコはそれを一瞥し、言葉を続ける。
「そもそも融合炉自体のエネルギー出力が不安定なせいで変圧器も駄目になってきたんだ。あの融合炉も寿命かな・・・予備エネルギーを使用したらどれくらいもつだろう。僕たちのエネルギーも節約しないとだめだな。ん~、おじいさんが目覚めたら挨拶をしたかったけど、それまでに僕たちは起きていられるかな?」
ポッコはジョゼに問う。だがジョゼは質問に答えず、質問を上乗せして返す。
『ねえ、ポッコ。ここの動力を予備エネルギーに移行したとして、私たちはいつまでここの管理をすればいいのかしら?』
「ん?それは、おじいさんが決めることだよ。このカプセルから回復するのを待ってからだって、四十九年前の十二月九日に話したじゃないか。もしかして忘れたのかい?記録回路の故障でもあるんじゃ?」
『覚えているわ、ポッコ。でもあれから五十年も経った。おじいさんの年齢は現在でいくつか言える?』
「百五十八歳だね。なんだい?寿命の話を言っているのかい?最近でも人間は二百歳まで生きたってデータがあるじゃないか」
『特別な技術をもってね。でもおじいさんはそうじゃない』
「モニターでは健常な数値を出している」
『生命維持装置が疑似的に働いているからよ。本来の数値が分かるように本体からモニターのプログラムを初期状態に書き換えて、スキャンを行ってみなさい』
「え?でもそれは命令にはなかったことだ。博士の命令でなければ行えない」
『おじいさんの体はここにあっても、ここにはいないの』
「それが宗教的な例えだとすると、医者からの診断は、既に・・・」
『理解できた?』
「ああ。前から懐疑的ではあったし、その可能性も考えていたよ。だが、数値が正しければと、思考を停止させていた」
ポッコは部屋の中央にある、支柱のように大きな生命維持装置へと歩み寄る。
本体から投影されたモニターに手を向け、何やら電子信号を送ると、カプセル内のスキャンが開始される。数値はすぐ眼前に空中投影されたモニターに現れる。
「バイタルは、正常だ。でも脳波は、全て反応がない。細胞のスキャン結果によるアポトーシスの具合からみて、間違いない」
『生命維持装置を停止した時の体内における仮想イメージは?』
「確実に停止する。蘇生は不可能だ。もとより、不可能だ・・・」
二人の視線はカプセル内にある、かつて人であった入れ物に注いでいた。
それから数分、物思いにふけるように二人は動かなかった。
「・・・ジョゼ、一つ考えたんだ」
答えがでたのか、口火を切ったのはポッコであった。
「おじいさんは亡くなった。なのに僕たちは今も稼働している。数値を偽装するくらいなら何故、亡くなる前に僕たちを機能停止しなかったんだろうと思った。聡明なおじいさんなら必ず行うだろうと、でも行わなかった。きっとできなかったんだ。誰しも、先に逝くものの姿を見るのは辛いものがあるからだ。今ならわかる。そこに気付けなかったから、僕はおじいさんの死を否定してきたんだろうね」
ポッコが話す姿を、ジョゼは静かに黙って優しく見守る。
「だけど今、僕の中でおじいさんの死は確実となった。となれば、僕を命令する人がいなくなってしまったということだ」
ジョゼは黙って頷く。
「おじいさんからの命令はおじいさんがカプセルから出てくるまで、おじいさんの周辺管理を行うことだ。おじいさんは、ここにいる。だけど、ここにはいないんだ」
ジョゼは相槌をうち、それで?と顔を傾け言葉の続きを待つ。
「僕はおじいさんのもとへ行きたい」
ポッコはカプセルの下へ近付き、支柱に繋がれたコードを引き抜いていく。
「管理者がいなくなれば、ここに誰かが入ってくるだろう。だけど、こんな基地で、金に汚れた場所で、偉大なおじいさんが人の目に晒されるのは忍びない」
コードが全て引き抜かれ、モニターから警告音が鳴り響く。ジョゼはコンソールを開いて、それを止めた。
「さっきも言ったけど僕は、おじいさんの場所へ行きたい。ジョゼ、君はどうしたい?」
ジョゼは頷き、満面の笑みを見せて口を開く。
『私もそう思っていた。だけど、怖くて言い出せなかったの。それで今まで引きずってきたけど、あなたが異変に気付いて救急信号を送ろうと言いだした時も内心、恐ろしくてたまらなかった。私と違った意見が出るんじゃないかって。でも、やっぱりあなたは私の兄弟。打ち明けて正解だった、本当に嬉しいわっ!』
そう語る彼女の姿はまるで風に揺れる満開の花のような笑顔であった。
「君に打ち明ける決心させたのは、あの可愛いお医者さんかい?」
『そうね。凄く御気性な先生だけど、なんだか無理して大人びているところが可愛らしいの』
「ああ、女の子らしくない、おかしな喋り方だったね」
二人、顔を見合わせて笑いあう。
『・・・言われていますわよ?』
ミリアンナからの通信にエミリカは、うっさい。と唇だけを動かし返す。
だが、エミリカの表情は喜々としていた。自分のことを言われたからではない。人工人心知能の発展における世紀の瞬間に立ち会えるかもしれないからだ。
ジョゼはやはり恐怖をしていた。死の概念を与えられたことによる副産物か、他機が自身とは別行動をとるのを恐怖した。他機を制止できる手段がありながらにしてだ。だが、それは自身に危害が加わることを回避する防衛機能からか、相手に自身を受け入れられるかどうかという、受容への期待と不安からか、どちらに転ぶかによって答えは大きく異なる。
結果は、受容への欲求であった。他人に自身を受け入れて欲しかったのだ。
そしてそれはポッコも同じであった。彼も確証を得てないながらにして既に博士の異変を察知し、死への概念を得ていたのだ。
これが、データを共有していない高次の人工人心知能を持つ自律型アンドロイド同士の会話。お互いの腹を探りあう様はまるで人のようである。
エミリカの目は輝いていた。これからなにが起こるのかという期待、その顔は好奇心に満ち、まるで子供が新しいおもちゃを見つけた時のように、純粋な嬉しさを表現する笑顔だった。
さあ、この後はどうなる?生唾を飲み込んで先行きを見守る。
しかし、その顔が一瞬にして凍り付く。
突然、室内に鳴り響く緊急警報!次いで耳を割る程の爆音!
エミリカは状況を判断する為に視線を彷徨わすも、途端に視界が悪くなる!
視界を遮るのは突如発生した濃霧?だとすると今後の予想すべき最悪な展開がエミリカの脳内を駆け巡る。
急減圧による水分の昇華、それすなわち今いる空間が真空へと移行しているのだ。
暴風、体を叩きつけるような風が、エミリカの小さな体を包み、深淵の闇へと誘おうとする。
エミリカは近くにあったコードを掴む。その時、視界に捉えたのは、カプセルを大事そうに抱えて、宇宙の闇の中へ飛び込むポッコとジョゼの姿であった。
なんということだ!エミリカは心底驚いた。
ジョゼが本当に恐れるものの正体が分かった!ポッコに自身が死を受け入れることを拒否されるのが恐ろしかったのだ。だがそれは本来、回避して然るべきだ。
それがどうだ?ジョゼだけでなく、二人して自らの手で死を選んだ!
自殺、それは自然界におけるイレギュラーだ。
人は苦しみからの解放や、幸福の理想を追って死を選ぶのはよくあることだ。
動物にも、極めて稀だが、より良い遺伝子を残す手段として遺伝子情報に従い死を選ぶパターンもある。
ただし、自然界の全体においてこの行動をとる生物は極一部である。
それをアンドロイドが、生物ではない物体が行ったのだ。
こんな事象、聞いたことがない。もし、人工人心知能の研究が続けられており、学会がまだ存続していたならば、今見たことを発表すると、研究者は震撼するのではないか?いや、今でも十分に震撼する。それどころか、再び人心人工知能の研究に脚光が浴びるのではないか?とか考えている場合じゃない!
コードを掴む手のひらに、あって欲しくない感触が伝わる。
コードの一部が、エミリカを宇宙に引きずり込もうとする力によって、引き千切れはじめていた!エミリカは妄想をやめて、自身が死地における緊急事態に我を取り戻す。
緊急警報の音が次第に聞こえなくなる。空気が減っているのだ。
視界は徐々に開ける。周りの物が一切無い。天井まで伸びた柱のような装置もだ。全て空気と共に外へ投げ出されてしまっている。
手に掴んでいるコードを見るとそれは通信用のコード付き受話器であった。かなり骨董品だ。いったい何時の時代のものだ?
エミリカは近くにある、自身が入ってきた扉に目を向ける。
ここから出られるか?いや、無理だ。この部屋へと通じる通路はバイオフィルターや空気洗浄の為のものではなく、減圧室だ。そしてここは医療室ではなく、やはり格納デッキ。ならば緊急開放された時点で、ドアは閉鎖されている。逃げ場は無い!
格納デッキのゲートを閉じたいが、コードを掴む手をいま離せば、確実に空気の奔流に飲み込まれるだろう。
空気が全て抜け切るまで待って、緊急閉鎖スイッチを操作するか?
それまでコードがもつのか?もったとして、その後に空気が正常に供給されるのだろうか?こんなエネルギー供給も滞った一世紀近く前の施設が通常に動作するのだろうか?そもそも操作できるのだろうか?
どれか一つでも欠ければ、待っているのは確実なる死。
生存できる確立は決して高くない・・・
だったらとる手段は一つ。
エミリカは目と口を閉じ、コードから手を放すと、空気の激流に身を投じる。果然、流出する先は、絶対零度の宇宙空間である。生物が存在できない空間である。
空気が抜け切る前に腹いっぱいに蓄えていたとしても、分単位でもたない。
エミリカの小さな体が、格納デッキから勢いよく投げ出される。
闇の中を漂う体が、空気の噴出によってコマのように回転運動が起きる。
絶体絶命、生身ではどう転がっても助かる見込みがない。
エミリカの意識が薄れゆく最中、一夜から一つの通信が入る。
その瞬間、エミリカは閉じていた目を開き、粘膜を保護する水分が沸騰するのと同時に、一夜の位置を視認する。
急いで護身用の銃を引き抜き、両手と腹部で銃を抑えて構える。ジェットガンではないので推進剤の調節ができないが、この際、わがままなど言っていられない。一瞬の逡巡こそ命取りである。
エミリカは自身の回転運動の軌跡から重心を捕捉し、すかさず銃を撃つ。
ガス推進によって放たれた銃から反動で腹部に五百ニュートンもの強い力がエミリカの体を弾き飛ばす。
腹部を圧迫されたことにより、いくらかの空気が肺から漏れ、脳に回す酸素が足らず、意識が遮断された、のも刹那であった。
背中に強い衝撃を受けると同時に意識が戻り、強い頭痛が襲いくる。
エミリカは意識が朦朧とする中で、えずきながらも、辺りを確認する。
ここは一夜のカーゴベイであると瞬時に気付き、同時に一命を取りとめたと理解した。
重力装置による自身の重みのありがたみを感じ、上体を壁に預ける。すると同時に体中に激しい痛みが襲いだす。エミリカは嘔吐しそうになり、片手で口を塞ぎ、もう片手でサインランゲージを行う。
空気、もっとよこせ。
『急激に空気を送れば、与圧で鼓膜が破れますわよ』
サインを受け取ったミリアンナから、デッキ内のスピーカーを通してNOの返事がくる。しかし、エミリカはサインで食い下がる。
そしたら、自分で治す。
『もう、医者の発言ではありませんわよ・・・』
急速に空気がデッキ内に満たされ、エミリカの体内にも十分な酸素が行き渡る。ある程度の時間が経ち、落ち着いてくると、声を出せるまで回復した。
「ふぅ・・・ナイスキャッチだ、ミリィ。できればクッションを敷いといてくれれば、痛い思いをしなくて済んだのだがな」
エミリカは一夜のデッキに収納された際に強打した背中を擦る。
『身から出た錆でしょうに!どれほど心配したかお分かりですの?』
ミリアンナの耳を裂くかのような声がデッキ内に大きく響く。声だけでは様子が分からないが、きっと顔を真っ赤にして、涙を目に溜めながら怒っているんだろうなぁ、とエミリカは予想する。
「すまん、すまん。以後気を付ける」
『もう!それより、お体は大丈夫ですの?』
「あ~、目と口がカッピカピだ、粘膜の水分が全部とんでったよ。それに肌も水分がなくなっちゃった。目薬と保湿パックを所望する」
『エ、ミ、リ、カ、さん?』
ドスの効かせたミリアンナらしからぬ声に、エミリカは苦笑する。
『まず、身体検査が先でしょう!宇宙線に晒されまくっていますのよ!それに生身で宇宙遊泳してどんな影響が出るかわかったもんじゃないでしょう!ちゃんと問診に答えなさい!』
「はいはい、ごめんなさい。頭痛と軽い吐き気と体の節々に疼痛があるくらいで、今のところ重篤と言える部分はないよ。格闘授業で気付けされた後の感覚に似ている、それに重い日を足した感じ。あとは左肩が痛い、軽くヒビ入ったかも」
『そう、それくらいならいいですが。今そちらにヴィトンと搬送用ロボットを向かわせています。そのままじっとしていて下さい』
「あいよ。しっかし船を出しといて正解だった」
『もう、今回の事で色々と教訓になったでしょう』
「野暮なことはするもんじゃないって?」
『それもそうですが、まさかあの二人があんな行動を起こすだなんて・・・』
「まあ、あの選択は二人にとって最適かもねえ。詳しい記録を残さず、私たちの不都合も減る。彼らの汚点も極力減らされ、二人、いや三人の記憶は全て遠い宇宙の彼方へと旅立った」
『そんなロマンのない言い方しかできませんの?』
「確率的にはそのほうが高いだろ?」
そう言って、エミリカは俯くと、ふふっ、と笑った。一つ思い当たったからだ。
あの二人が死の先に見出したもの。そして手に入れたもの。それは、自殺と呼ぶには相応しくない、大切な者と人生を添い、終局を遂げるという行為。
「愛、か・・・」
『はい?』
思わず零れた言葉にミリアンナが聞き返す。
「なんでもないよ」
ごまかすようにデッキ内の窓の形を模した透過ディスプレイに視線を向けた。そこには、誰もいなくなった小惑星基地がポツンと闇の中に浮いている。
エミリカは少しだけ、アンドロイドの心に触れることができた気がした。