歯車仕掛けの愛
一人の男が真夜中の石畳の道をフラフラと歩いていた。
酒に酔っているのか、その足取りは覚束ない。
彼は狭い路地に入り、壁にぶつかりながら歩みを進め、一件のアパートメントの前で立ち止まり、外套の懐をごそごそと探って鍵を取り出す。
どうやら、このアパートメントが彼の家のようだった。
ガチャリを鍵を開けて、家に入った彼は、微笑みを浮かべた女性の抱擁を受ける。
「終わったんだ…やっと終わったんだ…。」
彼は抱擁を続ける女性を抱きしめ返すと、絞り出すように吐き出す。
「おかえりなさい…あなた。」
夫人が耳元で囁くと、彼はピクリと動いてさらに強く夫人を抱きしめる。
「今日はね。きっとそうなるだろうと思って、お祝いを用意しておいたの。スープを暖めなおすから、そろそろ離してくださらない? 」
「あ…ああ。すまない…。」
「もう…。」
いたずらっぽく上目遣いで夫人は彼を睨む。
苦しいほどの抱擁を受けていたせいか、彼女はずれてしまった襟元を直す。
「あなたは座って待ってて? 」
自分を見つめる彼の視線に気が付くと、夫人は部屋に入って直ぐのダイニングテーブルを手のひらで差しながら言う。
「いや、ちょっと書かなくてはならないものがあってね。書斎に居るから、用意が出来たら声を掛けてくれないか? 」
「わかりました。あまり根を詰めないで下さいましね。」
男は自分の書斎に向かうと、新しい便箋を取り出して手紙を書き出す。
何度も読み直して満足の行く内容になった事を再度確認してから封筒に宛先を書き、便箋を入れる。
「あなた。できましたよ? 」
「今行くからまっててくれ。」
彼はちょうど封筒に封蝋をしようとして、蝋燭に火をつけようとしていた。
ノックの音とともに告げられた声を聞いて、封筒を机に置くと立ち上がる。
書斎のドアを開けると、夫人が目の前で待ってくれていた。
「急いで帰って来たから、もうお腹がペコペコでね…。」
「まぁ…。たくさん作っておいたので、遠慮なく食べて下さいね。だって今日はお祝いなんですもの。」
テーブルの上には、彼の好物がところ狭しと乗っていた。真ん中に置かれたターキーには、丁寧にリボンまで巻いてある。
彼の好きなワインも開けられており、あとは注ぐだけとなっていた。
テーブルに着いた二人は、向かい合わせに座り、糧への感謝の祈りを捧げる。
ワイングラスをかちりと合わせ、見つめ合う。
「さあ。召しあがれ。あなた。おつかれさまでした。」
「ありがとう。それにしても美味しそうだ。」
彼の好みを知り尽くした味付けの料理は、どれも頬が落ちそうなほど美味しかった。
思わず笑顔となる彼を見て、反対側に座っている夫人の顔にも笑みが浮かぶ。
「これだけ用意してもらって嬉しいよ。大変だったろう。」
「こんな時くらいは腕によりを掛けませんとね。」
二人の笑い声が重なる。
「ふう。食べた。もうお腹いっぱいだよ。」
「お粗末さまでした。食後のお茶はどうします? 」
「いや。今日は遅くなってしまったから、もう眠たいんだ。それにもうお茶すら入らない。」
そう言ってお腹をさすりながら笑う男。
「……それじゃ、先に寝室に行くよ。」
「私もご一緒します。」
彼がベッドに入ると、夫人は布団を優しく掛け、枕元に置いてある椅子に腰かけると、優しくその頭を撫で始める。
「良かったよ。今日で終わる事が出来て。もうダメかとヒヤヒヤしてた。」
「そうでしたね。あなたが解放されて、本当に良かった。」
優しく夫人は微笑む。
「なんだか…凄く眠たくなって来た…。」
「はい。どうかゆっくり休んで下さいませ。」
「…きっと僕は地獄にしか行けそうに無いから、最後に言わせてもらうよ。今までも、そしてこれからもずっと…君の事を愛してる。」
「何を言ってらっしゃるの。私はあなたが行くところに付いていくに決まってるじゃない。私も愛してるわ。これからもずっと。」
「ありがとう……君は……話せたん…だな。」
そう言って彼はゆっくりと目を閉じた。
*
「それで? 何がおかしいんだ? 」
衛兵隊長は部下に訪ねる。
衛兵隊は、今朝がたこの家の主を訪ねて来た者から人が死んでいるとの通報を受けた。
そのため、直ぐ衛兵を派遣して捜査に掛かっていた。
このベッドで冷たくなっている男は、冒険者を止めて賞金稼ぎとして生活をしていた。
そして昨夜に仲間と盗賊団のアジトを襲い、その首領を討ち取っていた。
その際に怪我をした彼は、これくらい大丈夫だからと言って、治療を勧める仲間の誘いを断っていた。
彼らに明日に自宅に来て欲しいと伝えると、そのまま帰ってしまったらしい。
そして、彼の自宅を尋ねた仲間達は、ベッドで亡くなっていた彼を見つける事となり、直ぐに衛兵隊に通報したのだった。
死因と思われるのが、盗賊の使う毒矢だった事と、発見者が衛兵隊も顔見知りの賞金稼ぎだった事もあって、事件性は無いものだと見られた。
だから、隊長はおかしいと言った部下の言葉に疑問を持ったのだった。
「いやね。ここの住人が亡くなったと聞いて、この自動人形の製作者だと言う男が訪ねて来たんですよ。代金をまだ払いきってもらって無いから回収したい。なんて言って。」
隊長は、遺体の頭を撫で続けている人形を見る。
こうした権利の主張は火事場泥棒のようなもので、先に物を奪ってしまえば大概有耶無耶になってしまう。そうした手合いは後を絶たなかった。
当然この部下の衛兵も、捜査が終わるまではダメだと断っていたはずだ。
「この人形が何かおかしいのか? 」
「そいつが言うには、この人形はドアを開けたら立ち上がって抱擁する。それだけしかしないはずだって言うんですよ。」
「続けてくれ。」
「最初は玄関に人形が無い。何処へやった!なんて言って騒いでね。ダメだって言ってるのに現場に入って来てしまいまして…。」
「今そいつはどうしてる? 」
「ちょっと錯乱気味だったので、ブタ箱にぶちこんであります。今も『そんな動きをするはずがない…。』とかブツブツ言ってますよ。」
「それなら良い。ちんけな詐欺師だな。」
「あとは…書斎に遺書が残っておりまして、自分が受けとるはずだった盗賊の賞金は仲間に譲ると書いてありました。」
*
この衛兵隊長は、まだ新人のころにこの男が賞金稼ぎとなった原因の事件を担当していた。
当時、夫婦で冒険者をしていた男は、たまたま別件の仕事で他の街に行っていた。
ちょうどその時、ある商人の両親が病気となり、急遽近くの村に帰らなくてはならなくなった。
ただ、その当時護衛の出来る冒険者は街を出払っており、困り果てていた商人の護衛は男の妻一人で請ける事となった。
その商人の馬車が盗賊に襲われた。
商人と家族は逃げ切れた。
…ただ、足止めを買って出た男の妻は助からなかった。
遺体は酷い有り様で、慣れた兵士ですら顔を背けるほどだった。
被せてあった布を退け、遺体を確認した時のこの男の脱け殻のような顔が忘れられない。
謝り続ける商人の声すら届いていなかったようだった。
*
それから10年以上の月日を掛け、この男は商人を襲った盗賊を全て突き止め、一人一人を始末していった。
こうなる前に『こんな無茶をしてたらいつか死ぬぞ。』と忠告した事があったが、『もう死んでいるようなものですから。』と、あの時と変わらぬ脱け殻のような顔で答えられていた。
テーブルの上には、目的の完遂を祝ったのだろう。並んでいたご馳走を食べた跡がそのままになっていた。
…しかし、二人分の食器とグラスは誰と誰が使ったのだ。
キッチンには埃が積もり、しばらく使った様子も無い。
チラリと横を見ると、自動人形が今も男を撫でている。
その顔は、生前に見た男の妻にそっくりだった。
「今日は聖誕祭だ。奇跡くらい起こるさ。」
隊長は独り言のように呟くと、部下に指示を出す。
「現場は司祭が来るまでこのまま保存。清めて貰った後に遺体を運び出せ。盗賊団の首領だったら賞金もそこそこあるだろうから、それで葬式も出してやるんだ。仲間の賞金稼ぎも嫌とは言うまい。」
そこまで部下の隊員に命じて、衛兵隊長はちらりと人形を見る。
「この人形も一緒に葬ってやれ。淑女だと思うことも決して忘れずにな! 」
そう言い残すとパタリと寝室のドアを閉める。
それを聞いて安心したのか、その自動人形はゆっくりと慈しむように撫でていたその手を止め、そして動かなくなった。
こんな内容の話を以前読んだ記憶があります。
タイトルも作者も思い出せませんが…。
ご存知の方が居れば、教えていただけると幸いです。