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 次の日の昼休み、ショーマ君は当たり前のように猫のところにいて、猫にミルクをやっていた。訊くと、ご飯もあげてくれたという。猫はとっても元気で、にゃあにゃあと可愛い声でないていた。

「名前は?」

「んー、考え中。難しいよね、なにかない?」

「なにかぁ?」

 難しいことを言う。うーんと、えーっと。

「キサラギ君がみつけた猫だから、ヤヨイちゃんとか」

 言うと、どういうこと? と首をかしげられる。

「えっと、旧暦。ムツキ、キサラギ、ヤヨイの、ヤヨイ」

「ああ、そういうこと! 学校でやったような、やってないような」

 ショーマ君は猫を抱き上げて、ヤヨイ、と微笑む。もしかして、決定?

「ヤヨイちゃんになったの?」

「そ。ヤヨイちゃん、かしこいお姉ちゃんが、素敵な名前をつけてくれましたよー」

 かしこい、と言われて、何だか照れくさくなる。

「やめて、そんな、すごくない」

「えっ、何言ってるの。物凄いからね、この学校に通うっていうのは」

 物凄い。

「そんなこと、言われたことない」

「そう? おかしいな、努力のかたまりだと思うんだけどな。じゃあ、俺がたくさん言っちゃう。凄い! たくさん勉強した! 偉い!」

「……本当?」

「もちろん! 偉い!」

 むず痒い。嬉しい。

「すごく、頑張ったんだ。この学校に入るの。でも、誰にもほめてもらえなかった」

「親にも?」

「うん。当たり前でしょって顔された」

「わ、ショックだ」

「うん、実は。超ショックだった。それに、やっとの思いで入ったこの学校には、さらに優秀な人がたっくさんいて、もう、見上げてばかりでひっくりかえっちゃいそう」

「そんなときには俺を思い出せばいいよ、ヤヨイちゃんの由来がすぐにわかんなかったおまぬけさんって」

 成績、よくないのかな。そう思った瞬間、なぜだか辛くなった。

「勉強ができなくても、いいじゃんね」

 自分の口からそんな言葉が出てくることに、びっくりした。勉強、勉強の日々だったのに。

「この学校には、ショーマ君みたいな人、いないもん」

 ショーマ君は、にやにやと笑っている。

「ミカちゃん、もう少し分かりやすく言って」

「え、っと」

 つまり。

「ショーマ君はそのままで素敵です!」

「ミカちゃんもね」

 間髪入れずに返された。

 嬉しい。ショーマ君といると、それだけで、心が穏やかになる。

 ショーマ君になら、私の「好きなこと」言ってもいいかもしれない。

 今日の放課後……ううん、明日の放課後に、言ってみようかな。


 昼休みはあっという間に過ぎていった。明日の昼休みに会う約束もした。

 放課後、ヤヨイのところに向かう。四時。ショーマ君はいないはず。

「ヤヨイ、いい子にしてるね」

 私が話しかけると、ヤヨイは小さくにゃーん、とないた。なに、もう、かわいい!

「ずっとここにいたいけど、ごめんね、今日は練習があるの」

 言いながら、私は鞄の中からポーチを取り出した。中には、たくさんのメイク道具がしまってある。火曜日と木曜日は、禁止されているメイクをここでこそこそして、急いで学校を出るのだ。私の習慣。私の秘密。

 ショーマ君には、聞いてもらいたい。話したい。私の好きなこと。

 暗闇でのメイクはもう慣れっこだ。本当は三十分ぐらい時間をかけたいけれど、急ぎ足で十五分メイクを施す。とりあえず、アイメイクは入念に。

「はい、終了」

 ポーチに化粧道具を閉まって、周りを見渡し、化粧道具が落ちていないか確認する。ヤヨイ、顔が変わった私のこと、私だって分かるかな。ひょいと覗きこむと、不思議な顔をしてヤヨイがこっちを向いていた。この顔は、分かっている顔なのか、それとも、誰これ、って顔なのか。

「また明日ね、ヤヨイ」

 立ち上がったそのときだった。

「あ」

 ひょっこりと現れたのは、ショーマ君だった。

「うそ」

 私の口から、信じられないほどにかすれた声が出る。ショーマ君は私の気も知らず、あ、と微笑む。

「ミカちゃんじゃん」

「なんで、いるの」

「早く来ちゃった」

「なんで」

「急いできたくなったから。ミカちゃん、メイク──」

 全部言い終わる前に、私は叫んでいた。

「なんでくるの? なんで見るの? 五時って言ったじゃん」

「ミカちゃん?」

「嘘つき。どうして来たの? なんで見られなきゃいけないの? 勇気がでなくて、こうやってこそこそ、バカみたいって、思うでしょ? みんな、ショーマ君みたいにすごくないのに」

 支離滅裂。言葉が口から考えなしに溢れていく。

「ミカちゃん、どうしたの」

「どうしたのは、こっちの台詞! なんで見られちゃうかなあ?」

 悲しい。本当は、もっとゆっくり打ち明けたかった。私の秘密。しっかり、話したかったのに。

「なんで来ちゃうかなあっ」

 ショーマ君が何か言ったけれど、私は聞かない。走り出す。振り向かない。

 このまま練習に向かって、なにもかも忘れちゃえばいいよ。

 私の中の私が言う。そうだよね、あそこに、私の世界はあるもんね。


 いつものスタジオに着く。なんでもないような顔で、仲間と合流する。

 二ヶ月後の、ライブにむけた練習。マイクを握る。声を音に乗せる。身体が浮かんでいくような心地。大丈夫、いつもの音。いつもの声。

 歌う。何度も歌った曲。ベースの子がかいた。片想いの曲。

 片想い。

 喉が、詰まる。歌えなくなる。

 音が止まる。どうしたの、と皆がギターを、ベースを、スティックを置いて、歩み寄ってくる。


 高校受験しで難関校に受かったのに家系で考えれば当たり前って家族のだれにも褒められなくて悔しくて。努力しなかったわけじゃないのに。

 中学の友達に誘われて、現実逃避をしたくてライブに行って感激して。

 友人づたいでボーカル募集中のバンドに入れてもらって。歌を勉強して。

 歌が大好きになった。

 どうして軽音楽って、軽いやつらがやっている、ってバカにされるんだろう。通っている学校の軽音楽部ははずれものみたいな人ばかりで、その人たちが強がりみたいにちゃらちゃらするから、余計、変に目立って。一度練習風景を見てみようと部室に近寄ったら、練習なんてしていなくて、トランプで遊んでいて、あ、軽音楽は本当にポーズのためだったんだってがっかりした。それが彼らには格好いいのかもしれないけれど、私はそうじゃない。強がってちゃらちゃらするための道具にだけは、しない。真摯に向き合って、歌う。大好きだから。

 こんなにも一生懸命にしているのに、私は認められない気がして。

 いつのまにか誰かに言うのも怖くなって、言わなくなって、余計に認められない。


 バンド練習を何とか最後までやり終えて、私はすぐ、学校に向かった。校門は閉まっていなかった。もういないかもしれない、でも、もしかしたら。


 そう思ったけれど。

 いつも私がこそこそ隠れてメイクをしていた場所に、ショーマ君はいなかった。

 そして、ヤヨイもいなかった。

「ごめん……なんで私……」

 涙が出てきた。

 私はバカだ。心底、そう思った。

 どうしてショーマ君にあんな酷いことを言ってしまったんだろう。

 来てくれて、会えて、本当は嬉しかったのに。

 どうしてショーマ君に好きなことを正直に言えなかったんだろう。

 ショーマ君がバカにすることなんて絶対にないのに。

 どうしてショーマ君への気持ちに、今さら気がついたんだろう。

 あんなに居心地がよかったことなんてなかったのに。

 私はしゃがんで、足を両手で抱えて、声を出さずに泣いた。誰かにばれるのは嫌だった。大切な場所なのだ、ずっと、ずっと。

 涙を止めたかった。だってもう、どうしようもない。いきなり怒鳴られたら、いくら温厚なショーマ君だって怒るだろう。この学校には二度と来ない、ってなるだろう。だからヤヨイをつれてどこかに行ってしまったんだ。もう、会いたくもないだろう。お別れだ。当たり前だ。

 言い聞かせても、涙は止まらない。次から次へとこぼれていく。

 泣いて、泣いて、泣きつかれた。どのくらいそうしていただろう。涙がやっと止まった。気持ちの整理はつかないけれど、とりあえず、もう、帰らなきゃ。

 顔をあげる。

「わっ!」

 私は、びっくりして後ろにひっくり返ってしまった。目の前に、ショーマ君がいたのだ。屈んで、両足の膝に肘をのっけて、両手で顔を支えて、じっとこっちを見ている。

「どう、ど、どうし、て、ど!」


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