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 猫が人間になったのかと思った。

 体育で走っているときに偶然見つけた茶色の猫。校舎の中なのに、小さな段ボール箱に入った状態で捨てられていた。校舎の隅にある大きな木の側に置かれていたから、気がつきそうで気がつかれない場所なのかもしれない。猫は段ボールに両手を掛けて、なきもせず、じっと私たちを見つめていた。

お腹すいているのかな。なんとなく、そんな気がした。

私は捨て猫なんて拾ったことはなかったし、猫の育て方も知らないけれど、でも、それが放っておいていい理由にはならない。昼休みに、猫に会いにいった。友達を誘おうかとも思ったけれど、大勢で行くと猫がかわいそうだから、一人で。

 小走りで猫のところまで行ったら、猫がいる段ボールの隣に、知らない男子がしゃがんでいた。知らない高校の制服だ。段ボールの中を覗きこんでいる。

彼の髪の毛の色は、猫と同じ茶色だった。だから、校外の男子生徒がいるというその状況に混乱した私は、とっさに、猫が人間になったのかもしれない、なんてことを考えてしまったのだ。

 薄い茶色の髪の毛は、光に反射してきらきらしていた。透けているようにも思えて、思わず見とれてしまう。

 彼が、ゆっくりとこちらを向いた。目も、まつげも、眉毛も、綺麗な薄茶色! みいる、というのはこういうことなのかもしれない。

「あ、ばれちった」

 男子はあはは、と気の抜けた笑顔を私に向けると、段ボールに向かって「困りましたねー」と少し優しい声で言った。段ボールの中に、あの猫がいるらしい。

 私が何かを言う前に、彼はこっちを向いて、にこにこと話し始める。

「昨日ね、この猫をすぐそこの道で拾ったんだよ。雨降りそうだったじゃん? 俺の家、猫飼っていいか分かんなかったから、とりあえず安全な場所にって思ってさ。大きな木があったから、これだと思って。学校なら安全だろうし。無事でよかったよ」

 きらきらとした瞳が、私をとらえて離さない。分かりやすい説明に、私はそう、と頷くことしかできない。

 彼は続ける。

「俺の学校はここから歩いて少しのところにあるんだけどさ、絶対に見つかったらやばいなって思って。ここの学校は、あ、つまり君の学校は、校則も厳しい進学校でしょ? 髪もそめちゃいけない! でも、学校にふらっと入っても、案外ばれないもんだね、あはは。昨日も今日も、堂々と入ってこられたよ」

「それはそれは」

「以上、俺からの説明終わり」

 彼は、真っ白な歯を見せて、いたずらっこのように笑った。

「これで、君も共犯だね」

「えー」

 思わず笑ってしまった。なんて酷い理論なんだろう。勝手に話しておいて、全部聞いたから共犯だなんて。

「名前は? 共犯者さん」

「タブチ」

「何ちゃん?」

「ミカちゃん。君は何君?」

「ショーマ・キサラギ君」

「海外の人?」

「純ジャパ混血児」

 難しい言葉が出てきた。純ジャパ? 私の頭上に「?」が浮かんでいたのに気がついたのだろう。彼は微笑しながら「海外に住んで学習経験をしたことは無い、カナダ人の父と日本人の母を持つやつ」と言った。なるほど。だから色素が薄いのだろう。

「ふーん」

 いろんな人がいるよなあ、と感心していると、おいでおいでと手招きで呼ばれる。

「猫ちゃん可愛いよ。純ジャパの猫」

 意味が分からない。変な人。私は近寄って、段ボールを覗きこんだ。小さい猫。かーわいい。人形みたい。

「キサラギ君、この学校で飼うつもり?」

「ショーマでいいよ」

「ショーマ君」

「いいね。猫、ここで飼おうかな。俺の学校にいてもつまんないし」

 訳ありのようだ。

「ならさ」

 私と一緒の訳ありのために、私は立ち上がる。

「ここより安全な場所、教えてあげる」

 ショーマ君は、最高だ、と少年のように笑った。


「文化祭と体育祭のときにしか使われない倉庫なの。裏にあるからだれも来ないよ。それに、校門からすぐ左に折れてここまでくれば、見つかりにくい」

 私が手短に説明すると、箱を抱えたショーマ君は、最高ですねと猫に語りかけていた。いい共犯者を見つけることが完全犯罪の第一歩ですよ、なんて、怖いことを言っている。

「誰にも言わないから」

「ありがとうね、ミカちゃん」

 フランクで、チャラい、いや、軽い、のほうが合っているかな。

「この学校に、初対面で女の子の名前を呼ぶような男の子は、片手で数えるくらいしかいないんだよ」

「ふんふん、つまり?」

「つまんないの。平和だけどさ」

 ショーマ君は、私より頭ひとつぶん背が高い。見上げて、にやっと笑って見せると、気に入ったとショーマ君は偉そうに頷いていた。変な人ってのが一番しっくりくるかもしれない。偽りの無い人、って感じもする。

 ショーマ君が段ボール箱を置くと、猫がにゃあとないた。

「かわいい」

 言った瞬間に、チャイムが鳴る。やば、行かないと。

「ミカちゃん、放課後来る?」

 薄い色の目は、薄暗くても薄い。当たり前だけれど、私はそんな色に見つめられたことが無いから、少しどきどきしてしまう。

「来る」

「待ってる」


 午後の授業の間、内容はあまり入ってこなかった。

 考えていたのはずっと、猫のことと、ショーマ君のこと。

 純ジャパ混血児。

 彼の言葉を思い出す。さらっと言ったけれど、それはつまり、よく言われるということだろう。

 学校にいたくなさそうだった。

 彼、どこか孤独なのかな。

 ため息が出る。あの猫ちゃんも、孤独だった。ひどいことをする、誰が捨てるなんてことを。

 孤独な猫と、ショーマ君と、それから──私も孤独だ。

 もうひとつため息。とにかく、ショーマ君に会ったら、私は言わなければならないことがある。


 彼は、午後の授業の時間、ずっと猫のところにいたのだろうか。それとも、一旦抜けて戻ってきたのだろうか。放課後私が向かうと、段ボールの隣に座ってうとうとしていた。足音に気がついたのか、ぱっと目を開けて、にかっと笑う。

「よかったー、ミカちゃんで」

「私以外の人だったらどうするの。危ないなあ」

「そうしたら共犯者を増やすだけ」

 彼のコミュニケーション能力なら、確かにさらっと仲間にいれてしまいそう。でも、何となくそれはつまらないなあと思ってしまった。学校の中で、知っているのは私だけでいい。そっちのほうが、面白い。

「猫も眠っちゃってるよ」

「さっきご飯あげたから、眠くなっちゃったかな」

 心地よいしね、とショーマ君はのびをする。猫みたい。

「あのさ、さっきごめんね」

 私は、午後の授業中ずっと考えていたことを彼に話しはじめた。彼は、キョトンとしている。

「何が?」

 言いながら、そっと少しずれてくれる。ずれなくても座れる場所はいっぱいあるのだけれど、座りなよ、の合図なのだろう。私は、彼の隣に腰かける。少しドキドキする。

「さっき、ショーマ君の見た目と名前の言い方で、海外の人? とかバカなこと言った。海外の人だって言われるのはいやかどうか分からないけれど、見た目で判断されるの、私だったらいやだと思ったし、きっとたくさん言われてるんだろうなって」

 ショーマ君の顔を見ずに、私の膝を見ながら、言いたかったことを全部言った。覚えている台詞を棒読みで言った感じ。私は授業中ずっと反省していて、ずっとどういう風に言おうか考えていた。

 ショーマ君は、あはは、とのんきに笑う。

「ずっと考えてくれてたんだ。まあ、日本はほとんど黒一色だから目立つよね。髪の毛の色は違うかもしれないけれど、眉毛とまつげと、目の色はねえ、黒いよねー」

「この学校では特にね」

 舌をつきだしてやると、ショーマ君はミカちゃんは黒髪似合ってるよ笑った。

 私はこれでいいのだろうか。

 ──本当はいやだ。なんというか、ショーマ君みたいに、ありのままの姿でいられたらと思う。

「ま、実際大変だよ。染めてないのに染めてるって言われるし。校則では問題ないんだけどね、でも、まつげまで染めてるなんて、とか言われて、地毛だってのにね。目もカラコンだとかさ、なんなんだろうね。見た目ばっかで判断されるのにいい加減疲れたからさ」

 ショーマ君はにやりと笑って、長い髪をかきあげた。

 右耳が見える。そこには、たくさんのピアスがついていた。

「すごい!」

 思わず声をあげて凝視してしまう。

「こんなにあいてるの、初めて見た」

 数を数えてみる。合計、六つ!

「これだけあいてるとね、それだけで何も言われなくなった。左にも五つ、あとね」

 べ、と出された舌の真ん中には、銀色のピアスが刺さっていた。

「痛そう」

「慣れた」

 歯を銀色のピアスに当てて、わざと音を鳴らす。楽器みたい。

「風変わりだって思われるように仕向けたはずなんだけど、思ったよりみんな遠巻きにこっちを見るようになっちゃってね。学校がつまんなくてふらふらしてたら、この子に会ったと」

 ショーマ君は、猫をいとおしげに見つめた。なんだか、明るい裏に暗さのある、寂しくて、でもそれが魅力的な人だな、と思った。

「ショーマ君が、今の話をそのまましたら、私みたいに、仲良くなりたいなって思う人、たくさんいると思う。きっと、遠巻きに見てるのは、ショーマ君のこと知りたいからだよ」

 言ってから少し恥ずかしくなったけれど、本当のことだから問題ない、はずだけれど恥ずかしい。変な顔されないかな、と思って横目でショーマ君を見ると、きょとんとしていた。鳩が豆鉄砲をくらったときの顔みたい。

 そして、は、ははは、とゆっくり笑いはじめて、気がついたら大声で笑っていた。私は慌てて、シッと自分の唇に指をやる。ばれる、誰かが来ちゃう! それでも、ショーマ君の笑い声は止まらない。「もう!」

「ははは、ミカちゃんは変な人」

「どういうこと?」

「褒めてる」

 涙を浮かべながら、ショーマ君が首をかしげる。

「俺もミカちゃんのことが知りたいな」

「……へ?」

「例えば、好きなこととかね。いろいろ聞きたい」

 好きなこと。

 心臓に鉛が落ちてきたみたい。苦しい。

 私はショーマ君みたいに、戦う勇気が、立ち向かう勇気がない。

 好きなことを言う勇気もない。

「明日、放課後に来る?」

 話題を変える。ショーマ君は、気にしていないみたい。

「来るよ」

「何時ごろ?」

「んー、五時かな」

「わかった、五時ね。明日、私、来られないから、お願いね」

 立ち上がる。逃げたい。知りたいと思ったのに、近づかれると逃げたくなるなんて、わがままだ。

 知りたいなら私も、自分をさらけださなきゃいけないんじゃない?

 ショーマ君に、だけじゃない。何度となく考えてきたこと。皆にも、だれにでも、そうなんじゃない?そんな考えが、脳内を駆け巡る。

 分かってる。でも、私にはショーマ君みたいな強さがない。

 またね、と言って駆け出そうとしたそのとき。

 ふいに、手を捕まれた。

 ショーマ君は細身なのに、手は思っていたよりずっと、ゴツゴツしていた。骨ばっていて、ざらっとしていて、そして、冷たい。

 冷たいはずなのに、私の身体は火がついたみたいに、瞬時に熱くなる。

 ひっぱられた反動で、ショーマ君と目が合う。さっきまでケラケラ笑っていたのに、どうして真剣な表情をしているの。

 ずるい。

「明日、昼休みは、来る?」

「……来る」

「分かった」

 ぱっ、と手を離すと同時に、ふわっとショーマ君は笑う。

「また明日、楽しみにしてる。気をつけて」



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