イド
外に出て気づく。俺は山奥の家に連れてこられたらしい。恐らく、《麻酔》で眠らされた後、あのお兄さんに運び込まれたのだろう。
とにかく山を降りていく。都会に出てきたばかりとはいえ、この辺りの土地勘はある。空は満月の輝きを引き立てるほど暗くなっている。時刻は深夜2時。草木も眠る丑三つ時ってやつだ。
「ねえ君、ちょっといいかい?」
闇の中から声がする。声のするほうに振り向くと同時に少しかがんでいつでも動けるように構える。程なくして現れたのは集団の男達。いつの間にか周囲を囲まれている。声をかけてきたのはその中の1人。悪くない顔、長めだが清潔感を失わない髪、無駄に大きすぎない身長。ああ、一目で分かる。こいつはリア充の中のリア充だなって。
「えっと、何か用ですか?もしかしてカツアゲとかする気ですか?もしそうなら警察とか呼びますよ」
本当は《不可視》で応戦するけど。心でそう付け加える。しかし、返ってきた返事は全く予想外のものだった。
「いやいや、そんなことをするつもりは無いさ。僕は加藤レイジ。《イド》のリーダーをやってる」
《イド》と言えば《自我》の使える優秀な学生――つまりはリア充――を集めて作られた組織。警察と連携して町のパトロールから事件の捜査まで幅広くこなすらしい。レイジはさらに続ける。
「それで君、学生だろ?もう深夜だって分かっているかい?これは深夜徘徊として補導しないとダメなんだ。とりあえず、学生証とか見せてくれるかな?」
いつもの俺なら素直に見せて、当たり障りの無いように、その場を乗り切っていただろう。けれど、今の俺は水無川家の一件で気分が悪いままだった。とにかく鬱憤を晴らしたかった。
「……うるせえよ」
体は勝手に動いていた。本能に任せて。過去への怒り、リア充という概念への怒り、ありったけの負の感情。理不尽だと自分で思っていても止まらなかった。
まずは一回転。どこに誰がいるのかを正確に把握する。……全部で10人か。この数ならすぐ終わる。《不可視》を発動し、《綾》と《真奈》を引き抜く。二挺拳銃だから1秒で2人はやれる。つまり、5秒あれば十分という事だ。
銃を振り回し照準が男達に合う瞬間に引き金を引く。乾いた音が夜空に響き渡る。まず、1人がひざをつく。
――それだけだった。倒れている奴は他にはいない。避けられた!?まさか?どうして避けられるんだよ!?ただ、《イド》の恐ろしさはそれだけではなかった。
残りの連中が警棒のようなものを取り出し、的確に俺を狙ってくる。とっさの攻撃に正面の棒は避けられても背後がどうしようもなかった。
「くっ……!」
背中に鈍い音と痛み。昼に受けた針とは違う、体を蝕んでいくような痛み。
苦し紛れに殴られた勢いを利用して茂みに逃げ込む。《不可視》が切れてしまう前に移動して位置を探られないようにする。最も、効果があるのかは分からないが。
それにしてもおかしい。《不可視》を使っていたのにどうして動きがバレたんだ?足音すらも消しているのに!
レイジは余裕のある声で言った。
「まだ、どこかで僕らを狙っているかな?それにしても姿を消せる《自我》とは凄いな。しかも足音も消せるようだし、便利そうだ。でも、攻撃としては惜しいな。さっき使った飛び道具……エアガンかな?あの音が消せて無かったよ。もしかして、それに気づいてなかったのかい?」
そんな。今まではヒットアンドアウェイを繰り返していたから全く気づかなかった。……しくじった。《自我》を見せるだけでなく、弱点まで晒してしまった。ここは一旦《不可視ん条約》を使って逃げてしまおうか。そんな風に弱気になっていた時だった。最悪の事態を招いてしまった。
「レ、レイジさん!さっき攻撃を喰らった奴が起きません!少年がさっき放った弾、あれには睡眠薬の類が入っていると思われます!」
「へえ、ということはあの子が噂のペイント弾を使う迷惑犯ということか。本当なら見逃してあげようと思ったけれど、そういう訳にはいかなくなったな。少し懲らしめてやらないと。おい、この山一帯を取り囲むよう近くのメンバーに指示するんだ。絶対に逃がすなよ」
ますます状況が笑えないことになってしまった。逃がさないときたか。確かに山から降りられないんじゃ空でも飛ばない限り逃げるのは無理だ。
ということは必然的にレイジを倒してその混乱に乗じて逃げるしかないというわけか。リーダーを潰すとどんな組織でも総崩れになるしな。
――ならどうする?俺に何ができる?
――決まってる。闇にまぎれて死角から弾丸を撃ち込む。あいつの集中が切れた時に撃ち込むのだ。
あまり狙撃の練習はしたことがないけど仕方ない。背に腹は代えられない。さて、どっちが先に音を上げるか、我慢比べといこうじゃないか。
「やれやれ……まだ出てこないのか。近くで銃でも構えているのかい?」
レイジの問いかけに静寂で返す。読まれていたって関係無い。何と言われようともお前を倒せればそれでいい。よく考えたらこいつはリア充の中でもトップクラスじゃないのか。絶対倒してやるぜ。
そう決意し、動かない俺。そして動かない《イド》。空を裂く夜風の音のみがする。
「動かない、か。出てこいって言っても出てこないだろうから、無理矢理引きずり出すとしよう。……僕の《自我》でッ!!」
そう言ってレイジは月夜に何かを投じる。
刹那、霰のように多く、弾丸のように鋭くそれはあたり一面に降り注いだ。