side悪役令嬢
side悪役令嬢
私は、生まれた時から役目が全て決められていた。その役目を決めたのはお父様。公爵家の家に生まれた以上は当主の命は絶対なのだ。
だから、自分の役目に疑問に思う事はない。
4歳の時に、我が公爵家が仕える王家の跡継ぎとなるべくお生まれになった王子殿下との婚約が決まった。
「ふん。お前が私の婚約者か。どこにでもいるような女だな」
王子殿下は、私の容姿が御気に召さなかった様子だった。その事はすぐさまお父様に報告した。報告するように言われていたからだ。
「王子に気に入られる方が良いに決まっているが、それは無視をして良い。今は学ぶ事が多くある。勉強を頑張りなさい。王子の事は気にしなくて良い」
「はい。お父様」
その後も何度か、王子殿下とお会いしたけど、お父様の言うとおり何を言われても気にしなかった。
7歳になって、妹を紹介された。妹にも私が覚えた事を教えるように言われた。お父様の言うとおりに、時間がある時はずっと一緒にいて勉強をした。
10歳になると、社交界のデビューとなるデビュタントの夜会に参加した。この時、王子殿下も一緒のデビュタントの夜会に参加した。
私が教師に習っていたエスコートと違う動きを王子殿下がしていたけど、私は王子殿下の事は気にせずに言われたとおりにダンスと挨拶を頑張った。
12歳になった頃に、今まで私付きをしてくれていた侍女が結婚をするので、仕事を辞めて行った。
お父様も外で会う人も私を褒めてくれるけど、この侍女だけは心配だと言っていた。そして、仕事辞める間際に恋というものを教えてくれた。
それから王子殿下をよく見るようにしてみた。いくら見つめても「邪魔だ」としか言われない。教えられた事で初めて上手く行かない事が出来てしまった。
それから月日が経って、王妃教育が完了したと、お父様が教えてくれた。これからは、勉強よりも王子のいう通りにしなさい。と言われた。
王子が代わりにやっておけと言われた仕事を代わりにやるようにした。私にも仕事があるけど、言われたとおりにやった。
やっぱりお父様も外で会う人も私を褒めてくれた。
ただ、未だに王子を見つめても恋は上手くいかない。何か悪いか分からなかったので、新しく私付きになった侍女に聞いてみた。
「あの殿下だから、きっと上手くいかないのですよ。お嬢様はまだお若いのですから、他の人も見てみると良いかもしれません」
そう言われたので、最近入学したばかりの学園で色んな人を見つめてみた。相手の様子は王子と違った。色々な人に試してみたけど、恋は上手く出来なかった。
その頃と同時期に王子殿下は王太子となられた。
そして王太子となられてから、新しい命を殿下より頂いた「お前より可愛いと思える相手が出来た。これからは私の邪魔をするな」と言われたので、前に言われていた仕事だけするようになった。
また年月が経って、久しぶりにお父様に呼ばれた。
「お前は何をしている?」
「はい。お父様に言われたとおり、王太子殿下からの命を守っておりました」
「………王太子に何を言われた?」
「王太子殿下の仕事を代わりにするようにと、王太子殿下の邪魔をしない事です」
素直に答えると、お父様は「もう良い。お前の好きにするが良い」とおっしゃっいました。
ただ、好きにすると言われても困りました。特にする事がないので、今までどおりの生活を続けました。それだけでは時間が余ったので妹の勉強も沢山見るようにしました。
それからしばらくして妹が婚約するかもしれないと聞きました。
勉強を教えているときに、私が出来なかった恋の話をしてくれます。出来ない事は出来るように努力するように言われていたので、話をしっかり聞くようにしました。
妹から恋の話を聞く度に、私は自分が人形である事を知りました。人形は恋をしない。だから、恋が出来なかったのだと悟りました。
私という人が生まれたのは、15年経ってからであったと気付きました。
愛されるは褒められると違う事。命を聞くのと尽くすのは違う事。今まで疑っていなかった事を生きて考えるようになって、世界が違うように見えてきた。
私はそれを新鮮に感じたけど、まだ残念な事に恋ではないようだ。
「王家からお前に命が届いた。クリスティナが嫁に入るリステル家の次期当主が遊び歩いている報告がある。あの家の権力を取り込む為に、仮面舞踏会に参加してリステル家の次期当主へ接触せよとの命だ」
クリスティナは妹の名前だ。最近は今の話の通りにリステル家に嫁ぐ事が決まっている。その準備のせいで、我が家に居る時間が減っているのも知っている。
恋について語っていた妹の姿が頭から離れない。あれが恋をした時の顔なんだと思う。
「この命の意味は分かるか?」
命の意味は分かる。王家の権力が下がってしまった為に、リステル家を王家に取り込む為に、当主を篭絡しろという事だ。
私は理解している内容を、そのままお父様に伝える。
「分かっているなら、お前はどうすれば良いのだ?」
そんな事は決まっている。
「お父様のご命令に従うだけです」
公爵家の当主であるお父様が私の役目を決める。それだけの事。
「分かっているなら良い。お前を王家との婚姻に使ったのは失敗であった。この度の王家の命には従わなくてよい。だか形だけは舞踏会には参加してもらう。中立派を買収して舞台も整えておいた。お前はリステル家の当主が毎回参加するように誘導するだけで良い」
「畏まりました。お父様」
仮面舞踏会はダンスの夜会なので、ダンスの練習をした。この時、妹も一緒にダンスの練習に参加していたので、目的の相手とダンスの経験がある妹に話を聞いてみた。
「あの方はダンスが凄くお上手です。私では踊り相手とは不足しています。だから練習をしています。あ、それでも踊っていると楽しい気持ちになります。恋をした事のないご令嬢ならその場で恋に落ちるくらい素敵ですよ」
私の知っているダンスは、失敗を晒せば、貴族としての価値をひいては家の価値を落とすものだ。
だが、妹はそのダンスを恋に落ちるものと教えてくれた。残念ながら、王太子殿下と踊った時も相手をずっと見つめたが恋には落ちなかった。
「お嬢様。今夜の夜会はこちらをお付け下さい。会場で『仮面の貴公子』と引き合わせて頂く為の印にもなります」
私付きの侍女から普段の夜会では身に着けることのない仮面を手渡される。
仮面を身につけた私自身が鏡に映っている。だけど、いつもと全く違うように見える。
そう………世界に色が付いている。私は人として生きているつもりだったけど、まだ人形だった。これが世界。そして鏡に映っているのが私。
「お嬢様、素敵でございます」
「ありがとう」
口に出した言葉を初めて自分で聞いた気がする。それと同時に今すぐに聞きたい事が頭に浮かんできた。
「最後の最後まで、私につき合わせてしまってごめんなさいね」
「いえ、最後にお嬢様の笑顔が見えれただけで十分でございます」
さっきの私は笑っていたのか………。
「ねぇ、あなたは本当に好きな人と恋をしたいのじゃないの?」
「お嬢様。なぜ今更になってそのような事を?」
目の前にいる私付きの侍女は、最初の侍女と違って好きな人がいるにも関わらず、私の為に侯爵家の当主の愛人になる事を決めたからだ。
「私も貴族に名を連ねる家の生まれです。主家と相手の家から、生家への支援が約束されております。お嬢様も政略結婚で我慢されているのに私だけ逃げる訳には参りません」
違う。私は我慢なんてしていない………はず。さっきまで政略結婚を受け入れていたはずなのに………なんで………。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
私が本当の意味で謝ったのも、涙を流したのも初めてだと分かる程に感情が溢れてくる。
「お嬢様は私の代わりに最後まで幸せになる事を諦めないで下さい。お嬢様が幸せになれたなら、私も報われます。だから笑って送り出して下さい」
私付きの侍女と最後の別れを終えたら、涙だけ拭って仮面舞踏会へと向かう。
仮面を付けてから、私は今度こそ本当に人形ではない私になった。気持ちが弾むというのはこういう事をいうのだろうと思う。
馬車はいつも乗っていた馬車と違い、家紋を隠した馬車に乗っていた。普段と違う馬車にさえ舞い上がしまい、なんとか気持ちを抑える。気持ちを抑える事さえ新鮮だ。そして考える。これからの事を。
私付きの侍女については私には何も出来ない。私の運命さえ、きっとそんなに長くない事は分かってる。
王家とお父様も、もう私を必要としていない。いずれ近いうちに最後の時が来るのは分かっていたのに何もしなかった。
今の私………本当の私は受け入れたくない。でも私には何の力もない。自分が権力を持っていると勘違いしている王太子でさえ、中枢の権力者たちには及ばないのだ。一介の婚約者に出来る事はない。
昔の事はしっかりと覚えている。妹に対してはこんなにも親愛の気持ちがあるのに、それにさえ、今まで気づかなかった。
父の事は、間違いなく嫌っている。はずだが、逆らえない。今の私は人形じゃないのに逆らえる気がしない。
初めて感じる感情と向き合いながら、考え事をしていると会場へ到着してしまった。これからは考える時間がある。今は父の言うとおりの事をするしかない。そのうち機会はめぐってくるかもしれない。
今は不安に感じる心より、初めて感じる期待に胸を膨らませて会場へと入った。
会場に入ると、既に1組が中央で踊りを繰り広げていた。優雅とも違う。繊細とも違う。これまで習ってきたダンスとは明らかに違う。その初めて見る踊りの表現に目を奪われる。
他に踊っていたと思われる組も足を止め、中央で踊るその1組の為に人の壁で舞台を作っているような光景だった。
その後、踊り終えた2人に私も知らずに拍手を送っていた。そして、踊っていた女性の目が見えた。目には色が見える。きっとあれが恋の色なんだろうと思う。記憶にある妹の瞳には色がない。でも、きっと同じ色をしていたんだと思えるほど、私には衝撃的だった。
その恋の瞳の色は、すぐに淡く消えてしまった。その消えた瞳の色は、記憶にある仮面を付ける前の自分の瞳に似ているような気がした。
「中央で踊っていた男性が、お探しの方です。姫君」
後ろからこっそりと声を掛けれて、我に返る。普段の私ではこんな事はあり得ないはず………。でも不思議と嫌な感じはしない。新鮮な感情のせいなのだろう。
「あなたが………」「『駿馬の若様』と呼ばれております」
『駿馬の若様』は、さっきまで私付きの侍女が愛人となる相手の侯爵の通り名………。あぁ、確かに雰囲気が夜会や式典で顔を合わせた時のものと良く似ている。本人に間違いなさそうだ。
「では、『仮面の貴公子』をお連れ致します。あいにく、私も知り合いではないので少しお待ち下さい。彼も初めての参加ですので緊張しているでしょうから」
仮面舞踏会で遊びまわっているのを調べるように、王家が命令を下していたはず? なのに対象の参加は初めて?
私が疑問に思っている間に、いつの間にか中立派の筆頭貴族が姿を消した。
良く周りを観察すると中立派と呼ばれる貴族たちで、この会場の殆どが占められている事がわかる。仮面はあくまで建前という事ね。人形だった私のおかげか、自然と頭が回る。自分以外の事は良く分かるようだった。
ただ静かに待つことしか私には出来なかったが、それもすぐに必要なくなった。入り口が騒がしくなってきたのである。
会場の入り口を見ると、先程踊っていた『仮面の貴公子』と違う『仮面の貴公子』が立って、周りに挨拶をしていた。
観察しなくても分かる。父の政敵である公爵家の嫡男。人形の私が持っている記憶は最悪。王太子と同じく権力を振りかざし、女性を力ずくで従わせる人物として記憶している。嫌悪感も新鮮だが、好きになれなかった。だからこそ嫌悪感なのかと自分で納得して少し可笑しくなってしまった。こういう風に自分の感情を見つめるのは楽しい。
「そちらの花の仮面をつけたお嬢様は、私にご興味がおありかな?」
自分の感情を楽しんでいると、政敵で最悪な人物が私に話しかけてきた。嫌悪感?そんな生易しい感情ない強い感情が私の中からあふれ出す。背筋にぞわっとした得も知れぬ感覚に襲われる。
「いかがでしょうか? せっかくのご縁ですのでご一緒にダンスでも」
「結構です。今は人を待っております」
人形の私の知識が自然と断りを入れてくれる。
「私とのダンスを踊って頂ければ、あなたを虜にしてみせます」
そう、身の毛もよだつ感覚とはこの感覚で間違いない。台詞だけで、ここまでの感覚を味わった事はこれまでにない。人形の私はこんな相手とも普通に話をしていた事に改めて違和感と驚きを感じだ。
「失礼。私と似た仮面を付けていたのでつい声を掛けてしまったが、少し宜しいか?」
「私は、このお嬢さんと話をしているのだ。邪魔をしないでくれぇぇぇぇぇぇえ!?」
突然の出来事と、普段の夜会や公式の場で聞くこのないような声に意図せず、笑みがこぼれるのが分かる。どうやら、『駿馬の若様』が『仮面の貴公子』を連れてきて下さったようだ。
目礼で感謝を伝えると、彼は首を左右に振っていた。彼は自分から私のところへ来てくれた?
一瞬、何かを期待している自分に驚いたが、私の目の前で繰り広げられる腹の探りあい?謀略?そんなものとは全く無縁の会話に、『仮面の貴公子』が私を助けにきてくれたのではない事が分かって恥ずかしいという気持ちを知った。
それでも、2人のやりとりを見てるのは楽しい。本当に今までの楽しいの意味は知ったつもりでいたようだ。
「貴様! 私が誰だか知っているのか!!」
「いや、仮面舞踏会の場は身分を隠す場所のようですから、当然知りませんよ?」
公爵家の子息として、いつもどおりの権力を振りかざす彼を、伯爵家という身分でも一切関さずに切り捨てる彼に、人形の私ですら知らない貴族の姿が映る。
そして、私は彼に見とれている………。
見とれている間にも2人の………そう劇のようなやり取りが続く。決闘なんて物語の世界にしかないものだと人形の私は考えていたのに、実際に今この目で見ているのだ。
「どうされました? 剣がお嫌であれば、ダンスの勝負でも私は構いませんよ? ダンスの相手なら丁度貴殿がご執心だったお嬢様にお願い致しますよ?」
そう告げる『仮面の貴公子』が私を見つめる。あぁ、私は今物語の舞台の上にいるのだ。人形の私が止めているのが分かるのにも関わらず言葉を返す。
「えぇ。ダンスの勝負でしたら是非お相手させて頂きたいと思いますわ」
私は、本当の私の意志で世界に立った気がする。これが生きているという事。
「それにそれだけでは面白くございませんね。如何でしょうか? 負けた方が仮面を取ると言うのは?」
私が調子に乗って発言を続けると、『仮面の貴公子』の表情が引きつった気がした。人形の私が必死に仮面舞踏会の場で仮面を取るのはいけない事だと警告をくれる。
その警告を貰って、謝罪の意味で片目を瞑って相手に知らせる。相手もわかってくれたようだ。人形の私が知っている社交界とは全然違う私だけの世界に、きっと私は酔いしれているのだろう。
そして、公爵子息として追い詰められた事などないだろう。その私が本能的に毛嫌いしている相手が動かなくなっている。
私は、生きているこの世界を楽しみたい。人形の私がさっきよりもずっと強く止めるのも無視して、私はこの酔いを楽しむ。本当に………本当に楽しい。
「先程、『私とのダンスを踊って頂ければ、あなたを虜にしてみせます』と仰ったのは嘘だったのかしら?」
「ふざけた事をいうな!」
公爵子息は激情に任せて私へ拳を振り上げる。人形の私はこうなる事が分かっていたのにも関わらず、私は無視をしてしまった。人形の私は痛みを受けた記憶はない。これから起こる知識でしかない痛みより、強い声で怒鳴られた恐怖で身が固くなってただ向かってくる拳を見つめる事しか出来なかった。
拳がすぐ目の前迫ったと思える瞬間に私はとっさに目を閉じてしまっていた。痛みという恐怖に本能的に目を瞑ったと理解し、痛みに耐える為に覚悟を決める。だが、その痛みという名の衝撃は私に届く事はなかった。代わりに周りからの歓声が聞こえる。
目を開くと目の前には数人の男性の姿があり、その奥には『仮面の貴公子』が公爵子息の顔を鷲掴みにして身体を持ち上げていた。
「おいおい。決闘を申し込んだ相手を無視して女性に襲い掛かるのが紳士の嗜みというやつか?」
その言葉に『仮面の貴公子』が私を助けてくれた事を理解した。私を助けてくれた? 人形の私にも経験のない行為に彼の行為から目が離せなくなる。この場所は、そして彼はみんなに褒められていた人形でさえ知らない事を沢山教えてくれたのだ。
その後も、周りの空気と私の気持ちを沸かせ続けてくれる。その楽しさに比べたら、公爵子息が醜聞と仮面舞踏会の場で衆目の目に顔を晒した事など些細な事だ。
周りの歓声に応える『仮面の貴公子』に私が声を掛ける順番が回ってきた。
「自称『仮面の貴公子』様。今回はダンスの機会を失ってしまったけど、またの機会は頂けるのかしら?」
助けて貰った事を感謝として伝えたかったが、どうやって伝えれば分からなかった。助けて貰ったことなどないのだから………。戸惑っていた私は人形の私が勝手に言葉を口に紡ぐ。
「えぇ。私は仮面はこれしか持ち合わせておりませんので、お会いできる機会があればお誘い下さい」
返事をしてくれる『仮面の貴公子』のその仮面の奥の瞳を見つめる。そこには色褪せない私の姿が映っていた。あぁ、これが恋をするという事なのかと、私と人形の私が理解した。
楽しい時間が早く過ぎるというのは本当の事だったようだ。『仮面の貴公子』が立ち去ると私も立ち去る時間を迎えた。
屋敷に戻るまでは色々な事を考えたが、殆どが『仮面の貴公子』の事だった。私の中の人形の私が恋というものを理解して誇らしそうにしている気がする。そうして、私という人間が本当の意味で生まれた日は過ぎていった。
私が生まれても、運命は残酷だった。私に残された時間は少ない。ローズ=ステイフォンとしての私の時間も、恐らく学園を卒業後の1年と残されていないだろう。だが、それよりも私の時間は残された時間は短い。
私が私だと認識できたのは『仮面の貴公子』と約束をした次の仮面舞踏会の為に、仮面を身につけた時であった。
前回の仮面舞踏会の後はまた人形の私になっていたようだ。父に仮面舞踏会での出来事を報告して、お褒めの言葉を頂いていた。当然、政敵であった公爵家の子息は家を追われ、家自体も醜聞に見舞われて社交界内の格を落とした。
それからは、自らが死ぬ運命を受け入れて、変わらない生活を続けていた。
私には死ぬ運命を避ける為の考えをまとめる時間すらなかった。仮面を身につけてしまえば、時間が凄い早さで流れる。死ぬ事を避けるように考えたいが、回りの景色や自身が感じる新鮮さがそれを許してくれない。
そうして流されるまま、仮面舞踏会の会場に到着した。
今日の仮面舞踏会の時間は、自分のこれからを考える事に使おうと決意して会場の扉をくぐる。だが、その決意は空しくあっさりと崩れ去ってしまった。
「お久しぶりでございます。『仮面の貴公子』。前回は助けて頂いたにも関わらず、お礼を告げずに申し訳ございませんでした」
「私は何もしてございません。私の名誉の為に動いたに過ぎませんよ。『白い花』のお嬢様」
この日、私は彼の中で『白い花』となったようだ。
「もし、お礼を頂けるのでしたら、私と一曲踊って頂けますでしょうか? 本日はまだお誘いがなく退屈しておりました」
この会場で彼の人気が高いのは入ってきたときから分かっている。それでも誘われていないという事は父の協力者である『駿馬の若様』が手を回してくれたのだろう。
「えぇ、前回のお約束を果たしていただけるのでしたら、喜んで」
私は自然と口にした言葉は、紛れもない本心だ。
私たちが中央へ進むと、回りも自然と空間を空けてくれる。今、この場の主役は私たちだ。
一曲目はかなり強引なステップを踏む彼に振り回されるように踊った。それでも人形の私の経験のおかげか、それほど危なげなく踊り終える事が出来た。
楽しいという感情は、さらに今までの楽しいという感情をさらに上書きしていく。楽しいという感情には底がないのかもしれない。
1曲目が終わり、挨拶すると賞賛の声に包まれる。自分が今この場に生きている事を実感出来て、涙があふれそうになる。
「あまりに楽しく踊れたので、少し調子に乗ってしまいました。お疲れのようですから、少し輪の外へ出ませんか?」
私へとそう告げる彼は、優しくエスコートしてくれる。人形の私の記憶の中にある王太子が記憶から消えていくのが分かる。
そう私は彼に恋をしている。前回から一度は消えてしまった私はちゃんと生き続けていた事が分かる。
それから、2人で話をした。本当に些細な噂話から貴族の醜聞を彼なりの独自の解釈と表現で楽しく語ってくれた。
そんな、楽しい時間もすぐに終わりを迎えた。
「私もそろそろ戻らなくてはいけない時間のようです。本日の最後にもう一曲私と踊って頂けませんか?」
夜会で2曲踊る事の意味を知っている。2曲目を誘うという事は好意を持っているという事だ。驚いた事に人形の私が誘いを受けろと急かしているような気がした。
「えぇ、私で宜しければ何度でも………」
私は小さな声で答えた。「あなたを受け入れたい」と………。ただ周りの喧騒とあまりにも小さな声であった為に彼には届かなかったようだ。彼には私が頷いただけに見えたのだろう。
私の顔が赤くなっているのが分かる。これが恥ずかしいという気持ちなのだろう。それでも嫌な気持ちではなかった。
この日の2曲目は身体を密着させるダンス曲だった。
自然と顔も近くなるが、言葉は交わさない。ただただ、優しい時間が流れていく。
私は、彼の瞳を見つめるしか出来なかった。そこに映っている私は確かに存在していて………。そして恋に落ちたのだと分かった。
妹の言っていたとおりである。恋もしていなかった人形の私も一緒に恋に落ちていた。
次の夜会までは、やはり人形の私に戻っていた。それでも私は幸せだ。それが例え残り少ない命であっても、幸せだと言える。
「『白い花の舞姫』。本日も私と最初に踊って頂けますか?」
私の名前は正式に『白い花の舞姫』となった。
人形の私がローズ=ステイフォンであるなら、私の名前は『白い花の舞姫』だ。彼が付けてくれた名前なのだから不満などあるはずもない。私は『白い花の舞姫』だ。誰にもこの名前は譲らない。
仮面舞踏会では最初と最後に必ず彼と踊る。他の時間はずっと彼と話をして過ごす。
その日の終わりのダンスの後も、私からもう1度。その日の3度目となるダンスを踊りたいと口にしようとすると、必ず人形の私に邪魔をされる。
『白い花の舞姫』は王太子と婚姻など結びたくない。この国の事なんて知らない。『白い花の舞姫』は物語のように『仮面の貴公子』と結ばれたい。その気持ちは会う度に強くなり………そして消えていく。
そして、『白い花の舞姫』の避けられない運命の日がやってきてしまった。
いえ、違う。私が運命の日を作ってしまったのだ。
ローズ=ステイフォンに婚約者がいるように、『仮面の貴公子』には婚約者候補となる私の妹がいる。
王家や通常の夜会の噂では、『仮面の貴公子』の兄に当たる方と妹は仲が良いと言われている。そして、父がその事を突いて『仮面の貴公子』を追い落とし、辺境伯家の権力を握る画策をしている事も知っている。
私は妹の幸せを願っている。そして、『白い花の舞姫』もローズ=ステイフォンもこの世界から消える運命にある。誰かと結ばれる事は決してない。
だからこそ、彼にも妹にも幸せになって欲しかった。だから告げた。
「リステル家の婚約者の噂話はご存知ですか?」
私は、なんとか妹へ興味を移して欲しいと精一杯伝えたつもりだ。ローズ=ステイフォンからは、それでは伝わらない!と言われているような気がしたが、『白い花の舞姫』の言葉で伝えたかった。
「少し踊りすぎたようで暑くなってきてしまった。ご一緒に夜風でも当たりませんか?」
必死に伝えたが、私の思いは届かなかった。『白い花の舞姫』に相手を説得する能力はなかった。当然それを学ぶ時間さえも………。
私も素直に彼と話をしていて顔が熱くなっているのが分かったので、彼の誘いを素直に受けた。
「少しであればご一緒させて頂きます」
彼の手をとった時は、幸せな気持ちになった。あぁ、やっぱり妹に渡したくないから、失敗しちゃったのね………。それが分かる程に私はもう戻れないところまで彼を好きになっていた。
『白い花の舞姫』としてもローズ=ステイフォンとしても、残す時間は少ない。彼と一緒だというのに、どうしても笑顔を曇らせてしまう。せめて一緒の時には笑っていたい。
「どうか私だけは信じて頂けませんか? 貴方の妹君の幸せを私も願っております。それ以上に貴方の幸せも私は願っております」
突然の彼の言葉に、私も人形の私もその言葉を理解出来ない。
「この場でお約束させて頂きます。もし、貴方が絶望の淵に立たされるような時がくれば必ずお迎えに上がります。その時はどうかこの手を再びとって頂けますでしょうか?」
彼の言葉が『白い花の舞姫』へと染み込む。ローズ=ステイフォンは………その手をとる事を迷ってる。
その時間が私の運命を決めてしまった。私は、私の中のローズ=ステイフォンと共に生きて、人形の私に『白い花の舞姫』を認めてもらうべきだったのだ。そして、時はもう戻らない。
「この場でのお返事は不要です。この夜会に参加するのも今日で最後に致します。あなたを不安にさせない為に………そしてあなたを助ける為に」
私を助けると告げる彼の口から、同時に仮面舞踏会へ出なくなると告げられる。
『白い花の舞姫』は仮面舞踏会の世界でしか生きられない。この言葉と共に私は『白い花の舞姫』は消えていった。
『白い花の舞姫』が消えてどれくらいの時が経っただろう………。彼女が人形と呼んだローズ=ステイフォンも消えようとしている。
既に殺される場所も日時も決まっている。私を助けてくれる人はいない。私はお父様に死ぬように命を受けている。だから結果は変わらない。
ただ1人『白い花の舞姫』を助けると言ったあの人は来ない。私が『白い花の舞姫』を受け入れていれば、それは変わったのだろうか?
「ローズ=ステイフォン!お前のような見下げ果てたやつとの婚約はここで破棄する!!」
学園の卒業パーティーで婚約者であった王太子から、婚約破棄が言い渡される。これが茶番だと分かっている。私は受け入れるだけだ。
「私のユリア=アトラルディへの数々の仕打ち。王族としてだけではなく、我が国民として恥ずべきものだ! よってお前を国外追放とする」
そして、ローズ=ステイフォンは国を追放される事となった。
追放先は2年ほど前まで戦争をしていた隣国。ただ、そこへ行く手前の『白い花の舞姫』の恋した『仮面の貴公子』がいる、現在は反逆領となっているリステル領で暗殺に見せかけて殺される。もう、そんなに長い時の話ではない。
「おい! 最後の情けをくれてやる! さっさと降りろ!!」
「あなたたち! これはどういう事です!! 騎士としての誇りはないのですか!!」
『白い花の舞姫』に人形と呼ばれた私は精一杯に演じる。怖いこの気持ちを押し殺して………。
そう、私は私を演じていただけ………。お父様が言っていた公爵家の令嬢を演じていただけ。本当は分かっていて考えないようにしていただけ。仮面を付けた時だけ言い訳をしていただけ。
非情な現実の前には震えるだけしか出来ない。こんな思いをするなら最後の最後まで何も考えないで演技をしていたかった。
私は乱暴されて殺される。こんな事は解かりたくない! 私はただ………ただ………。
本当に恋をしてみたかった………。それだけなのに………。結ばれない恋をして殺される。私の人生に後悔しない事などない。演じる事しか許されなかった公爵家に生まれた人生なんて望んでいなかった………。
「貴様! 裏切るつもりか!!」
「お前たちは既に包囲した! 今なら命の保障はしてやる!!」
外から急に声が聞こえてくる。沢山の馬が近づいてくるも聞こえる。なんとなく誰かが助けに来てくれたのだと分かる。「………そしてあなたを助ける為に」その言葉が私の胸に響く。
私を外へ連れ出そうとしていた者が、一筋の剣によって倒される。その先にいる相手に期待が膨らむ。
だが、剣を振るっていた男性は、あの人ではなかった。学園で一度だけ謝罪をした事のある相手だ。確かあの人の部下。運命はやはり残酷だ。僅かな期待すら許してくれない。
「ローズ様。お怪我はございませんか?」
「今度は貴方たちが私を利用するのですか?」
私の名前を呼ばれただけで、こんな時にも公爵令嬢を演じる私が嫌いだ。さっきは、演じていなかったじゃない!
ただ、私のこの行動も彼は『仮面の貴公子』は全てを裏切ってくれる。私の気持ちの望む方向へ………。
私を助ける為に剣を振るった男性は、おもむろに仮面を付けてあの人の名を名乗り、私の名前を呼ぶ。
「私はラインバルト=リステル。貴女に名前を名乗るのは初めてですね。お久しぶりです。『白き花の舞姫』」
私には驚きの声をしか上げられない。見捨てられていた運命。生まれてからずっと利用されるだけだった逃げられない運命。その全てが今、目の前の彼によって否定された。
「私には、貴女を利用するつもりはございません。あの夜、私から貴女への一方的なお約束を果たしに参りました」
彼はあの時の約束を果たしに来てくれた。あの時、貴方に恋した私を迎えにきてくれたのだ。
それだけで、今まで全てを捨てていた人生がこの一瞬の為にあったというなら、何度だって受け入れられる。
そして、私に惹かれていると言ってくれた。こんな人形と自分に嘘をついていないとまともに生きていけない私を見つめてくれる。
私と一緒に居た時間が楽しく、あの時間のようにまた踊りたいと誘ってくれている。そして共に居られる未来の話をしてくれた。
「どうか今は私に貴女を守らせて下さい。どうか、この手をお取り下さい」
彼がそう言って、私に手を差し出してくれる。私の答えは決まっている。すぐにでも手ではなくその胸に飛び込んで行きたい。あなたに私の気持ちを伝えたい。
たぶん、いえ、間違いなく私が私を認めてあげられる最後の機会は、きっとこの時だけだ。
それでも私はその手を取らない。身体が動いてくれない………。もうこんな私は嫌だ!
「貴女の気持ちも考えずに一方的な行動をとった事は謝罪いたします。申し訳ありませんでした」
私の身体が動いてくれない為に、彼が手を引いてしまった。 待って! もう少しだけ時間を!!
彼は私から身をひいても私の身を案じてくれている。言葉の内容はもう聞こえない。その声だけで分かる。
お願い。私は貴方の隣に居たい。また一緒に踊りたい。貴方の語る未来を一緒に見たい! 私は………。
-後書き-
「ローズ=ステイフォン!お前のような見下げ果てたやつとの婚約はここで破棄する!!」
これを書きたいが為に、この話を書いたと言っても過言ではない。
次回で本編終了です。お疲れ様でした。
念のために悪あがきという名の最後の警告を………。
著者は毒物です。有害指定されています。関わると「ママ、あの人何?」「しっ!見ちゃいけません」と言われます。そんな社会的にアウトな道を敢えて進まないよう伏してお願い申し上げます。




