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第三十四話 気配なき侵入者

 食後二人は、寺の僧達から、アマテラスの文字の読み書きについて、簡単な講習を受けていた。


「いいですか、この単語が“太郎”という人名で、こちらが“便所”という文字です。今まで話したように、この文字をつなぎ合わせると、どうなりますか?」

「ええと・・・・・・この文字は・・・・・・“太郎さんは便所を食べました”?」

「違いますよ。“太郎さんは、食後に便所に行きました”ですよ。便所と食べるの順序が逆になってますよ」

「どうでもいいですけど、この問題の文章、かなり汚くありません?」


 宿坊の部屋で、座布団に胡座で座り、前に置かれた机の上の問題文を、必死に読む二人。

 彼らの講習は、水奈子が自ら行っている。どういう歴史を辿って、今の文明があるのかは知らないが、この世界の言語は世界共通である。文化が全く違う世界でも、殆ど問題なく言語が通じる辺り、まるでRPGゲームの世界のよう。

 ただし文字に関しては、各国において、文体などにかなりくせに違いがあるために、位置から学び直す必要があった。


 最も、根本から全く違う文体というわけではないし、元々二人の知性が高いためか、僅か数時間で、そこそこの文字が読めるようになっている。

 その間に勝太郎は、やることがないのか、宿坊の部屋の片隅で、ごろ寝をしていた。アマテラスの文字が読めないのは、彼も同じである。

 だが彼にはその必要がない。というか、彼には元々どの国の文字も読めないために、学んでも意味がないのでる。ちなみにこの寺には、凸文字の教科書はない。


(暇だな・・・・・・文字も何も見えないってのも、不便なもんだ。漫画もゲームもこれじゃできるわけがないし・・・・・・)


 今日学校の方で、子供らが異世界の電子ゲームで遊んでいるのを思い出して、勝太郎は少々寂しい気分になっていた。






 さて夜が更けて、もう日付が変わろうとしている時間に、5時間に及ぶ水奈子からの講習が終わる。

 当然たった5時間で、この国の全ての文字を体得できるわけがないので、また勉学を後日に回す必要があるが。


「ありがとうございました院主様。ただでさえ、寺のお仕事で忙しいのに、私達の都合に付き合ってくださって・・・・・・」

「いいんですよ。今のところ、寺の仕事はあまり多くありませんし・・・・・・それに寺院の方々とお話しするのも、それなりに楽しかったですし・・・・・・。しかし今更ですけど、やはり本気でゼウスを捨てる気なのですね・・・・・・」


 この講習を頼んだときに、水奈子はラチル達にある質問をした。ディーク神聖王国は、アマテラスとの交流が全くないために、この国の文字を学んでも無駄ではないかと。だがラチルは・・・・・・


「ええ、勿論ですよ。皆を救ったら、私達この大陸に移住します。あんな汚れきった国、さっさと捨てて、この綺麗な国で、一から人生をやり直すんです!」

「そう・・・・・・まああなたがそう言うなら・・・・・・」


 祖国に対して、何の未練もしがらみもない様子のラチル。彼女は既に、これからこのアマテラスで生きることが、決定事項のようである。






 さてそれから数分ほどして、視点は勝太郎の方に映る。もうこの地はすっかり暗くなり・・・・・・と言っても、勝太郎の視界はずっと暗いのだが。


(すっかり深夜か・・・・・・林の方から、梟の鳴き声まで聞こえてくるし)


 だがその代わり、触覚に感じ取れる、湿度や気温で、彼には昼か夜かの大体の違いは判る。

 彼は今、宿坊内の廊下を歩いていた。ついさっきまで、ラチル達の勉学に付き添えず、自室に戻って睡眠に入ったはず。

 ちなみにこの宿坊は、全部で十ほどの部屋がある、結構大きな建物である。勝太郎の部屋は二階にあり、わざわざ一階にまで行って、彼は何しに行っていたのかというと・・・・・・


(ふう・・・・・・でも今回も、迷わずに便所に行けたぞ。やれやれ、これに関しては尚更、人に頼むわけに行かないからな。だからといって、この前みたいな失態は、もう晒したくないし・・・・・・)


 彼の用事は便所であった。視覚のある者なら、部屋の位置など覚えずとも、看板や張り紙などの表示で、どこが便所か判る。だが彼の場合はそうはいかない。

 予め便所の位置を覚えておくか、臭いで辿らなければいけないのだ。これが結構手間である。

 特に見知らぬ土地に来た時などは。彼は昨日で、その見知らぬ土地で、便所を見つけられず、大勢の人の前で小便をする恥を晒したことを思い出して、やや苦悶していた。


(あの時は酷かったよな・・・・・・カーミラの奴、せめてトイレぐらい待てってんだ・・・・・・)


 あの時彼は、直前までこの寺で、無視覚で生活能力を得る特訓をしていたのだ。この寺に数日ほど泊まり、何人もの僧の力を借りて、訓練を続けていた勝太郎。

 だがその途中で、カーミラが早急に、ゼウスで戦闘実験をしろと言い出す。


【たかがその程度の動きを覚えるぐらい、何まごまごしてんのよ! 私はさっさと、次の実験に移りたいんだけど!】


 視覚なしで生活するという難題を、その程度と言ってしまうカーミラ。これに文句を言い、そして今トイレに行くから、話しはその後でと言ったら、彼女は強制的に彼をゼウス大陸に転送したのである。


(やれやれ・・・・・・あの時は結構苦労したな。まあ戦闘はどうにかこなせたから、監視しているあいつも、文句は言わないだろう。・・・・・・そういえばラチルと水奈子の声が聞こえないな? もう講習は終わったのか?)


 寝る前に聞こえていた、彼女の部屋から聞こえる話し声が、今は途絶えている事実。今の正確な時刻が判らない勝太郎は、もういい時間なのだろうと納得して、二階に上がろうとしたときだった。


『おおう・・・・・・何ということを言うのだ姫様! ディークを捨てて、この蛮族共の国に住もうとは!』

『姫様はご乱心だ! 蛮族共に謀られ、道を踏み外そうとしている! 我々がどうにか道を正しく示せねば!』

(えっ!?)


 何故かラチルが寝ている部屋の方向から、人の声が聞こえてきた。これは決して、彼女の講習がまだ続いているということではない。だって声も台詞も、ラチルではありえないものであるからだ。


(おいおい誰だよ、こんな時間に!? まさか泥棒か!? しかし“姫様”って・・・・・・誰だ?)


 彼は駆け足で、尚且つ忍者のように忍び足で、足音を立てないように廊下を進む。そしてラチルの部屋の前にまで辿り着く。

 廊下と部屋は襖で阻まれているが、勝太郎の聴覚ならば、その程度の壁、簡単に音を聞き分けられる。


『くそう、しかしどうすればいい!? なんならこの寺の者達、全員我々で始末するか!?』

『まだ駄目だ! ここの奴ら、蛮族のくせに、そこそこの魔力があるし、下手に噛みつかれる危ない! それにここで騒ぎを起こしすぎて、他から手練れの者が来たりしたら・・・・・・』

『ならばどうする!? この方も魔力が強くて、取り憑くことも無理だぞ?』


 その複数の声は、確かにラチルの部屋から聞こえてくる。この部屋にはラチルが一人で寝ているはずだ。

 実際に彼女らしき寝息が聞こえている。彼女は女子なので、勝太郎達とは、階を変えて距離のある別部屋で寝ていたのだ。

 その声の主には男性の声もある。それは男性が女性の寝る部屋に上がり込んでいると言うことだ。


(ちいっ、変態が!)


 勝太郎はこの謎の人物達の振る舞いに激怒し、襖を勢いよく開け放った。


『『お前は!?』』

「おい! お前ら誰だ!? ・・・・・・えっ!?」


 突然部屋に入り込んできた勝太郎に、その侵入者達は驚いているようであった。だが驚いているのは、実は彼も同じであった。


(何だ? こいつらどこにいる!? 人の存在が、全く感じ取れないが・・・・・・)


 自身が放った音が、周囲の物体に跳ね返ってくる反響から、周囲の物体の大きさや形を知る、反響定位という能力。蝙蝠やイルカが使うことで有名で、普通の人間でも、訓練次第では使える能力。

 勝太郎がこれまで、その能力で、周囲の物体の、大まかな形や大きさを、瞬時に識別することができた。


 今回も、襖を開けて部屋の中に入れば、そこに人の形をした動く物体が、複数存在するだろうと彼は確信していた。

 だが何故か今回は違う。その部屋には、布団で寝ていると思われるラチル以外では、人の形をした者は全く存在しない。それどころか動く物体も、際だって目立つ物体も感知できなかった。


(ラチルの寝息以外だと、人の呼吸音も聞こえない・・・・・・。俺の聞き間違いか?)

『こいつ・・・・・・我々の姿が見えているのか!?』

『見えているはずがない! こいつは盲目の筈だ!』


 生憎聞き間違いはないようだ。この部屋から今でもまだ、ラチルでない人の声が聞こえてくる。

 声は聞こえど姿は見えず・・・・・・否反響は感じず、その者達の存在は、声以外では全く感じ取れないのだ。


(この声はどこから聞こえてくる!? 何故か知らんが、声の聞こえ来る方向も、上手く判別できないんだが・・・・・・)


 この世界に来てから十日あまり、反響定位による、無視覚での他人との接触にも大分慣れてきたはずの勝太郎。

 だが今ここで急に例外が発生した。試しに手錠の鎖を、大きくならしてみても、やはり何も変わらない。何故か存在するはずなのに、勝太郎には存在を読み取れないという、奇異な者が現れたのである。


「今の声は誰だ!? お前らどこにいる!?」

『・・・・・・そうか』


 存在は感知できずとも、確かにそこに存在する者に、勝太郎は少し苛立ちながら声を発する。

 だが相手からのちゃんとした返答はなかった。ただ何かに納得したような、妙な発言が聞こえ、それがますます勝太郎を苛立たせる。


(ちくしょうどこにいやがる!? ラチルが寝てる手前、派手に暴れるわけにも・・・・・・うん?)


 今までラチル以外の人の存在が感じられなかった部屋に、急に何か動く物体が複数現れた。ただしそれは人の形をしていない。しかも地面に足を付けていない。


(何だこれ!? この形は・・・・・・椅子と机か? しかもこれ、浮いてないか!?)


 その椅子と机と思われる物体。恐らくはさっきまでラチル達が文字の勉強に使っていた物と思われる器物。それらが急に動き出したのだ。

 しかもその物体は、本来床のある位置から、一メートルほど離れた位置にあった。そしてその椅子を持ち上げていると思われる、人及びそれに相当する者は存在しない。


(どうやって気配を隠しているのか知らんが、墓穴を掘ったな! うおっ!?)


 瞬間、その宙に浮いているように感じる椅子と机が、勝太郎目掛けて飛んできた。どうやら何者かが、その椅子と机を持って、勝太郎に向かって投げつけたらしい。


 バシィ!


 勝太郎はそれを、避けも弾きもしない。サーカス芸のように繊細な動きで、飛んでくる椅子と机を、手で受け止める。

 椅子と机の一部を指で挟み、飛んでくる衝撃を支え、勝太郎は見事それをキャッチして見せたのだ。当然椅子も机も、この部屋のどこにも傷を付けていない。


(泊めてもらっている身で、寺の物を壊すわけにはいかないからな! おりゃあっ!)


 勝太郎は椅子と机を、素早く床に置き、そして超人的な速度で、その飛んできた方向に走り込む。どうやって気配を感じ取らせずにいるのか不明だが、敵はその位置にいるはずである。


 ヒュン!


 勝太郎の蹴りが空を切る。凄まじい脚力で発せられた蹴りの風圧で、部屋の中のカレンダーや生け花と思われる物体が、大きく揺れるのが感じられた。

 それは勝太郎の攻撃は、物体を衝突しなかったということを意味する。


(くそっ! 躱されたか! ・・・・・・しかし今の感覚は何だ?)


 敵がいる筈だった位置を蹴った瞬間に、勝太郎の脚に何か妙な感覚があった。何故かその位置だけ、妙に気温が低下しているような、ヒンヤリした空気の感覚である。

 これもまた、今まで感じたことのない気配だが、今はそれを気にしている余裕はない。


(くそうっ! どこにいやがる!?)


 気配の全く感じ取れない敵に、勝太郎は焦り出す。どんなに常人離れした肉体を持っていても、敵の位置が判らなくては、どうしようもできない。

 勝太郎は魔人と戦ったときと同じぐらい、この奇抜な敵に警戒を始めていた。

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