第二話 聖女と騎士
「な~~に、寝ぼけた事言ってる、ルーカス! ついこの間まで、盗賊の頭だった男が、随分得意げに女神の名を口にして、偉そうな事を言うようになったわね!」
振り下ろされようとした剣が、その剣に反応して急停止する。突如割り込んできた声。それは凛とした若い女性の声であった。
皆が怯えて、騎士達に強く反論できず、仲間が拷問処刑されようとしている中、真っ向から堂々と、彼らの言葉を否定して見せた者が、その場に現れたのである。
「あっ、あんた確か教会に住み着いてた……」
皆がその声のいる方向に振り向くと、最初に発せられた声は、そんな村人の言葉であった。
他の村人達も、厄介な奴が来たと、顔をしかめる者が多い。どうやらこの村からは、あまり好かれていないようである。
その件の人物は、この広間の一方の街道から出てきた辺りに立っていた。
身長百六十センチほど。水色のジャージのような、身軽な服装の上に、軽装の白い鎧を着込んでいた。胸当てには、あの騎士達と同じ女神の紋様が描かれていたが、今はその紋様に黒い墨でバッテンが描かれている。
そして腰には、騎士達の装備と似た外観のロングソードが差されている。この騎士達と同様に、良質の生地の服と、高級そうな装備を身に纏っている人物。
だがかなり長く洗っていないのか、服や鎧の各地で、泥などの汚れが付着している。籠手には何故か、血のような赤い付着物まであった。
頭には兜などは着けておらず、顔と髪が無防備になっていた。
その顔は金髪碧眼の整った顔立ちの、十代後半ぐらいの年代の女性であった。まるでお伽噺の英雄譚の主要人物に似合いそうな風貌だ。
肌の色は白人ぽいが、顔立ちは少し丸みを帯びており黄色人に似ている。ちなみにこの容貌の特徴は、髪の色こそそれぞれ違いはあれど、おおよそ村人・兵士達に共通していた。
地球の基準だと、彼らの人種は判別しにくいのではないだろうか?
「おやおや……聖女ラチル・パイパー様。この辺りにいると聞いていましたが、この村に住み着いてましたか。用心を持って、武装しておいて正解でしたね」
その女性=ラチルの登場に、ルーカスは全く驚く素振りを見せない。どうも彼女のことを、前から知っているようで、彼の目には村人以上に蔑んだ感情が見える。
「聖女……その呼び名はやめてほしい、不愉快だ」
「そうはいきませんよ。王国はまだ、貴方たち聖者達には、利用価値があると思っている。脱走したあなたを、こんな所で、まさか自ら姿を現すとはね。これは徴収以上の大手柄ですね。まあ、言っても無駄でしょうが、とりあえず言いましょう。大人しく教会に帰ってもらいませんかラチル・パイパー。お母様も貴方のことを心配していますよ」
「断る! あんたらの手に落ちて、また悪行に利用されるぐらいなら、死んだ方がマシだ!」
からかうような口調のルーカスに、激昂して言い返すラチル。いつの間にか話題の中心が、村の徴収から、この元聖女(?)と王国兵達の対立に移行していた。
その隙を突いて、その場から逃げようとする村人がいたが……
「今この場から逃げようとする者は、即座に魔法で撃ち殺す! この場での神聖なる戦いを、最後まで見届けよ!」
だがそのルーカスの一言で、こっそり逃げようとした村人が、石像のように固まった。村人の間に、恐怖から発展して、焦りが見え始めた。
(ちょっと待てよ……ここでやりあう気か?)
(なんなのあの女! わざわざ出てきて、かえって場をやばくしてるじゃないの!)
彼らはこの場を戦場にするつもりである。わざわざ外に出てきて、王国兵と向かい合う勇気を見せた自分を、皆が盛大に後悔していた。
彼らの憎しみは、王国兵だけでなく、颯爽と現れたラチルにも向けられていた。
「しかし悪行とは酷い言い方だ。あの方はこの国を救うために力を尽くしているというのに……」
「黙れ! 貴様らの嘘八百には、もううんざりだ!」
ラチルが激昂しながら、腰の剣を抜いた。その剣身の刃は、真っ白く神々しい光を纏っている、輝く剣であった。
ただ刃が発光しているだけでなく、漏れ出たエネルギーの流れが、剣身から蒸気のように溢れ出ている。これは魔法の力を纏った剣なのであろうか?
「民を救う正義の戦士にでもなったつもりか? あなたがどれだけ戦おうが、誰もあなたのことを讃えたりはしませんよ? それより教会に戻った方が、遥かに多くの人を救えるというのに……。今すぐその剣を置き、あの旗に跪いて再度の忠誠の意を見せれば……」
「黙れと言っているだろう! 貴様らも、その旗も、全て叩き斬ってやる!」
ラチルは剣を構えて走り出した。向かう先は、この広場に突き立てられたディークの国旗である。どうやらあれを宣言通りに切り倒す気らしい。
それを防がんと、多数の兵士達が、彼女の前に立ち塞がる。その兵士達の持つ武器も、刃が魔法と思われる力で発光していた。ただしラチルの白い光ではなく、こちらは青い光であったが。
「邪魔だあっ!」
その場で始める一対多数の斬り合い。幾つもの光の剣が、小刻みに動きながら、眩しいチャンバラを繰り広げた。
ラチルは王国兵隊達の剣を、機敏な動きと、魔力の剣の威力、そして自身の高い身体能力を駆使して、次々と打ち返していった。四方の四人の剣を、同時に捌ききる。そして彼らに次々と剣撃を加えていった。
二人がその刃を受けて、手傷を負う。二人はギリギリで剣を避けて、数歩後退した。ラチルの光の剣は、王国兵の胸当てを切り裂いていた。だが致命に至るまでの傷は与えられていない。
肩や胸に、血を流しながら、二人の王国兵は即座に、後ろに控えていた仲間と前戦を交代した。そして再度、四方から兵士が斬りかかる。
「くそっ、邪魔するな!」
ラチルはどうにか、その剣を捌ききる。単身の戦闘力では、ラチルはこの王国兵よりも遥かに強いのであろう。
ある格闘理論では、単独の敵に同時に攻撃できるのは、四人までとのこと。ラチルは強いと言っても、一度にかかってくる四人の兵士を、即座に倒せるほど無双者では無いようである。
一対数十人の戦いは熾烈に続いたが、明らかにラチルが後ろに押されていた。最初の者から含めて、既に十人以上の兵士が、ラチルによって重軽傷を負わされている。
だが彼らは傷を負うと、すぐに後退して回復に専念した。後ろ側に待機していた魔道士達が、彼らに回復魔法をかけて、傷を癒やしていく。
やはり彼らは魔法が使えるようで、魔道士が魔道杖から発した不思議な光が、王国兵の刀傷を、自然治癒ではあり得ない速度で、傷口が塞がっていく。そして傷を完治させた兵士が、再度前戦に復帰しているのだ。
(痛い! くそっ、またやられた!)
一方のラチルの方は、既に敵の攻撃を十回以上受けていた。装備の強度からか、それとも持ち前の身体の頑丈さからか、出血を伴うような深い傷はついていない。
だが鎧の下から受けた剣撃の衝撃は、ラチルの肉と骨に強く響かせて、かなりの痛みを与えていた。
また彼女の無防備な顔の頬に、敵から受けたと思われるかすり傷が付いていて、そこから僅かに血が流れ出ていた。
後方に待機していた数人の兵士が、自身の剣を持って、何かに集中するような仕草を見せる。すると彼らの持っていた剣の光が、一段と強くなった。
剣身に宿した魔力を、更に上乗せさせて、魔力を高めた必殺剣を撃つ気である。
力を溜めるのにかかる時間で、敵の前に隙が出来るので、一対一だと気軽には使えない技。だが一人の敵を多勢で挑むには、かなり有用な技である。
魔力を溜め終えると、その兵士達六人が、一斉に突撃した。そしてさっきまでラチルと剣を交えていた兵士達が、彼らと前戦を後退する。
(ちいっ! そんな攻撃!)
こちらに猛牛の群れのように突進し、必殺剣を一人一撃ずつ繰り出す兵士達。ラチルは後方飛びを繰り返しながら、その攻撃をギリギリで躱していく。
一人が躱されればすぐに横に退いて、その後ろにいた兵士が再攻撃。その弾丸連射のような攻撃を、ラチルはどうにか全て躱そうとする。
だが全てを受けきれずに、最後の六人目の必殺剣を受けてしまった。
ザシュッ!
「ぐあっ!」
腹部に命中した剣撃は、彼女の甲冑を切り裂いた。そしてラチルの腹の皮と肉を傷つける。
鎧の強度のおかげで、傷はそれほど深くはないが、それでも彼女にとっては、軽くない手傷であった。
「はりゃあっ!」
王国兵の一撃必殺の技を、一発もらいながらもどうにか受けきったラチル。腹から血が流れ出ているのにも構わず、その最後の一撃を与えた王国兵を斬り倒した。
大ぶりの攻撃を受けた王国兵は、その一撃を肩にまともに受けて、膝をつく。それに更にラチルの蹴りが、彼の顔面を蹴りつけた。
具足付きの金属製の蹴りを受けた王国兵は、その場で気絶して倒れた。この激戦の中で、ようやく一人をラチルは撃退したのである。
一連の戦いで、ラチルは息を切らしている。だが敵兵は体力と痛手を分散させているので、まだまだ元気である。
すぐに次の王国兵の連撃がラチルを襲い、再度凄まじい剣戟音が鳴り響いた。
「やれやれラチル様……あなたもうボロボロじゃないですか? 貴方の神聖魔法剣が絶大な威力を発揮するのは、あくまで魔人だけであって、人間相手だとそれほど飛び抜けた力ではないのですよ? 意地を張らずに、あの旗に忠誠の意を……する気はないようですね」
あくまで闘志を崩さないラチル。すると前戦で彼女と戦っていた王国兵達が、一斉に退いてラチルと距離をとった。別に攻撃を諦めたわけではない。
(しまっ……)
王国兵達が道を空けたその先には、ラチルに向かって魔道杖を向けている、十数人の魔道士服の王国兵達がいた。
彼らの持つ魔道杖の先端は、各々の属性の色の光が、太陽のように強く発光している。
今まで前戦で、戦士系の王国兵達が格闘している最中に、後方にいた魔道士系の王国兵達が、魔力を溜めて必殺魔法の準備をしていたらしい。そしてラチルは、その一斉魔法攻撃の恰好の的になっていた。
ドドドドドドドッ!
魔道士達の魔道杖から発せられる、不可思議に発生する疑似自然現象の攻撃。それが魔法の力である。
氷で作られた矢・炎が凝り固まったような火球・三日月のような形の風の魔力刃。それらの魔法攻撃が、一斉に一人の敵=ラチルに向かって、その殺傷力抜群の力で襲いかかっていた。
「ぬぁああああっ!」
嵐のように飛んでくるそれらを、ラチルは超人的な脚力で、いくつか躱していく。躱しきれない何発かを、光の剣の渾身の剣撃を繰り出して迎撃した。
一発目の火球は、その一撃で粉砕した。砕けた炎の欠片が、辺りに花火のように飛び散る。
二発目の氷の矢は、剣撃で受け止めることはできたが、一発目を弾いたことで威力が落ちた剣では、完全に受け止めきれなかった。
氷の矢が砕け散るのと同時に、彼女の剣が手元から衝撃で弾き出される。その衝撃は、彼女だけでなく、彼女の足下もふらつかせている。
剣を吹き飛ばされて、無防備になったラチルに、更に三発目の風の刃が飛んでくる。さすがにこれは、避けることも、受け止めることもできなかった。
ザシュッ!
(ぐうっ!)
風の刃が、ラチルの胸当ての装甲を切り裂き、彼女に二つ目の流血を伴う傷を負わせた。その痛みと衝撃によって、ラチルは後ろ向きに倒れ込む。
この痛手で、彼女の身体は限界に至ったようで、倒れ込んだラチルは起き上がれない。痛みを堪えて、起き上がろうとしているようだが、身体が弱って力が入らないようだ。
「少々手こずったが……所詮屈強のディーク騎士と、この数には勝てなかったようですね。だがこれでは忠誠の証を立てることは…………」
倒れたラチルを王国兵達が取り囲み、ルーカスがラチルにそう言葉を投げかけたときだった。
「ううっ・・・・・・カーミラの奴、いきなり飛ばしやがって・・・・・・ここどこだ?」
ルーカスが立て掛けたディーク国旗に目を向けたときだった。男の声が聞こえ、そしてそこに誰かいた。
ラチルに続いて、これで二人目である。村人でも王国兵でもない、不可解な人物が、脈絡無く現れたのである。