第10話 ジョアーキン伯爵領内異常あり (Part7)
女は、シルヴィエはニコニコと笑っていた。禍々しい炎をまとう目玉を前にして、楽しそうに。光を吸い込む闇色の服に、明度の高い長髪が映えた。
「貴様、何者だ!! なぜ、ハイアット隊員の事を知っている!?」
「それはもう、ハイアット君が貴方達の所に来る前に、とても親密にしてましたから」
「なんだと……!?」
ハイアットは、答えられなかった。わなわなと震えていた。姿は、確かにハイアットの記憶の通りだ。しかし、彼女の周りから忌むべき力が発散されていた。
「僕は……彼女は知ってます、ですが、今は……」
息をのんだ。
「彼女は、以前と全く違う人です」
「……ふーん、そんな事言うんだあ、ひどいなあ、ハイアット君」
シルヴィエは、笑っていた。
「お前らの事情は分からん、だがしかし、貴様が唯者では無いことは明白だ」
眉間を深く寄せ、キリヤは剣先をシルヴィエに向ける。怒りと、疑念と共に。
「もう一度問う、貴様は何者だ」
「私はシルヴィエ、シルヴィエ・ハルーン、極普通の人間よ?」
「……普通の人間がこんな場所にいると思うか?」
「あら、普通の人間がこんな場所にいちゃダメなのかしら?」
「ふざけるな! 貴様の真意はなんだ!」
「ただ遊んでるだけ、って言ったら?」
キリヤが臍を噛んだ。
「悪いが、実力行使させてもらう!!」
柄を強く握りしめ、キリヤが一歩踏み込む。
それとほぼ同時だった。
シルヴィエは両手を開いて突き出すと。紫の光が両手から放たれ、キリヤを包んだ。
「んっ!?」
キリヤが一瞬だけ声を上げた。
光が止むと、キリヤは怯んだ姿のまま、青白い膜につつまれたようになって固まっていた。
「副隊長!!」
彼女に触れると、冷気を感じた。
「……シルヴィエさん、副隊長に何を……!!」
「なーに心配してるの? 君の力があれば、全然大丈夫でしょう?」
睨むハイアットに対して、シルヴィエはニコニコとしていた。まるで人形遊びをする少女のように。
「貴方はもうシルヴィエさんではない!! 僕の記憶と違う!!」
「何を言ってるの? 私は正真正銘のシルヴィエよ? それにその記憶は……ハイアット君の記憶でしょう?」
「この!!」
一瞬でハイアットの瞳と髪は金に輝き、右手を彼女に向かって突き出した。掌の星形の痣は煌々と光っていた。
「あらあら、そんな怒らないでよ、焦って副隊長さんを壊しちゃうかも」
「うぐ……」
ハイアットは右手を閉じ、震わせながら下ろした。
「ふふ、相変わらず素直だね……そう言う部分、ちゃんと再現してくれて嬉しいなあ」
「……」
「それに免じて、今回は副隊長さんを殺さないであげるね」
「……」
「ま、おじさん達がどうなるかはわからないけどね」
「はっ……!」
ハイアットが目を見開いた。相手は『邪』、となれば、百戦錬磨の2人と言えど、この神々に匹敵する力には、あまりに微小である。
「あはは、焦ってる焦ってる」
「伯爵様達をどうするつもりだ!!」
「そんなことよりさ、ハイアット君、今までたくさん土人形と遊んでたよね?」
「それが、どうした」
「あれってね、もっと大きなものも作れるんだよ?」
「……まさか!!」
ハイアットが気づいた瞬間、目玉が纏う、紫の炎が一段と強まった。
地響きが、周囲を包んだ。
地面は大きく揺れ、ハイアットは咄嗟にキリヤを支えた。それと同時に、彼らの周りを取り囲むように土塊の兵士が何人も現れだした。
「さあ、ハイアット君……いや、ルトラ君、いっぱい頑張って、私達を楽しませてね」
「まて!! どこへ行くつもりだ!!」
「今度はゆっくり、お話ししようね」
そう言うと、シルヴィエは黒い霧となって消えてしまった。
強まる揺れの中、土塊兵共が、じわじわとハイアット達に迫っている。
「……うああああああああ!!!!」
怒りの声が響き渡り、光の弾が乱れ飛び、土塊兵の肢体が次々に転がった。
*
少し、時を巻き戻し。
「……こっちも何もなしだ」
「ふん、なんだ、何にもないではないか」
ジョア-キン伯爵がつまらなさそうに言った。それを聞いて、クライトンが呆れた表情を浮かべる。
2人は塔の上部の方を探索していた。しかし、めぼしいものは何も見つからず、残すところは最上階のみとなっていた。
「という事は、アタリを引き当てたのはキリヤ君と新人君の方かな?」
「さあな、しかし、あの人形共の姿すらないのは妙だな」
「それをともかく、最後の階に参ろうか」
「了解、それとあんたは先に行きなさんな」
先へ行こうとする伯爵を制するようにしながら、クライトンが軽やかに、音を立てずに最上階を目指す。彼の各感覚が、周辺に罠がないかを探る。
罠は無し。伯爵に合図を送り、最上階の扉の前に集まる。
「もう少し待ってくれよ」
クライトンはそっと扉に耳をつけ、わずかな力で扉を叩く。
異常無し。
「行けるぞ」
「ふっふーん、先にいるのは鬼か大蛇か……」
「1、2……3!」
蹴破るように、2人は扉を開けた。
そこはただの小部屋だった。外の風景が見える窓穴があるのみ。何の気配も感じられなかった。
「……やはり外れではないか……ん?」
伯爵は不満そうな顔を浮かべた矢先、床の上に何かが落ちているのを見つけた。ちょうど窓から射す陽の光の上に落ちていた。
それは一片の紙切れ。
「俺が拾う」
クライトンが前にでて、それを拾った。
それには次のような事が、
『人の部屋を覗くなんて、最低ね』
「なんだ? あの時への意趣返しか……」
ふとを目をもとの扉にやった瞬間、クライトンは思わず絶句した。
「どうしたのかね? クライトン君?」
「伯爵、後ろを見ろ!!」
「ん、何かね……!?」
振り返った瞬間、伯爵は少しばかり後ずさった。
扉があるはずの場所に、扉が無く、ただ石積みの壁だけがあった。
「どういうことだ、クライトン君!? 何も無いはずではなかったのか!?」
「俺にもわからん!! 罠は仕掛けられてないことは確認したぞ!!」
「……はっはっは!! 外れをきちんと用意しておくとは面白い!! お相手は恐ろしい程に上手らしいぞ!!」
困惑の表情はすぐに消え、伯爵は豪快に笑った。それに対して、クライトンは呆れたように溜息をついた。
「……幸い、窓は開いてるな、脱出はできるか」
「うむ、クライトン君、当たりの方に行った2人を助けようか」
クライトンが窓に近づいた。
その時。
猛烈な揺れが2人を襲い、クライトンは床に、伯爵は壁に叩きつけられた。
「くそっ、今度は何が起きやがった!?」
「ぐぅ……いやはや、クライトン君、なかなか只ならぬことが起こってるらしいぞ!!」
クライトンはあばらを、伯爵が腰を抑えながら窓の外を見た。
外の風景を揺らしながら、ドンドンと高度が高くなっているのが見て取れた。
*
地響きを上げながら、丘が動き出す。
丘はせり上がっていき、徐々にその全容を地表へと現していく。
丘自体はちょうど頭部となり、その横方向から丘陵がせり上がり、肩、ひじ、手となった。
地面から蘇らんとする死者のように、腕をごうごうと動かし、背中、腰、尻、腿が地表に現れ、あっという間に四つん這いになった土の巨人が姿を現した。
そして、ずしり、ずしり、と音を立てながら、巨人は立ち上がり、ぶるぶると体を一瞬だけ震わせた。すると、体の各部位が瞬く間に宝石のような形に成形され、黒光りする甲冑を着た兵士のような姿になった。頭部に当たる部分に生えた森はまるで髪の毛のようであり、そこに乗っかった見張り塔はまるでオーガの角のように見えた。
すると、胸部と腰部の接続部から、光が飛び出して来た。光は目にも止まらぬ速さで土塊の巨人から離れると、やや大きな樹の下に着地し、弾けた。
キリヤを肩に担いだハイアットの姿。キリヤの肌はすでに血色を取り戻しており、わずかではあるが、呼吸していた。
キリヤを木の根元に下ろし、ハイアットは巨人の方を向く。
髪と瞳は黄金色に輝かせ、闘志を発散させていたが、すでに息は大きく荒れていた。
「あと2人……行かなくちゃ……!!」
右手に刻まれた、星形の痣が光りだし、そこからまた徐々に、ハイアットの姿は光の粒子へと姿を変えていった。
「……ハイ、アット……?」
朦朧としながら、キリヤはそよ風にすら飛ばされるような声で呟いた。




