第8話 霊峰、突破せよ (Part4)
「……ああ、痛ってぇ……ここは?」
全身に苦痛を感じながら、ドクマが目を開けた。だが、視界に広がっていたのは、闇ばかり。
「あの空洞の中か……しっかし、我ながら良く生きてたな、頑丈に生まれてよかったぜ」
ドクマは自嘲するような笑みを浮かべた。
ドクマの属するオーガ族の筋肉と骨は他種族と比べても発達している。筋肉は分厚く柔軟であり、骨は太く頑強、皮膚もまた、早々容易くは破けないようにできている。森や、山、あるいは、ドクマが今いるような、洞窟の中といった厳しい環境で狩猟生活を送るために発達したものである。
「まずは、連絡だな」
ドクマはコミューナを起動させた。
しかし、ザーザーと耳障りな雑音がコミューナから聞こえてきた。
「くそったれ!……とりあえず、照らすか」
周りは暗く、光も全く射していないせいで、何も見えなかった。
ドクマは上半身を起こすと、胡坐をかいたまま、腰元につけた手探りで小さな鞄から、蛇腹状に折りたたんだ魔石灯を取り出した。それを広げ、小さなつまみを捻ると、ぽおっとした柔らかな光が、辺りを照らした。
細長い通路のようになっているところで、天井は軽く飛べばすぐに手が付くほどの高さだったが、奥の方は光を吸い込んでしまって何も見えない。
そして、自分のすぐ後ろを照らすと、崩れた岩盤が、穴を塞ぐようにうず高く積もっていた。
「一歩間違えりゃ、下敷きになってたな……」
ドクマは安堵の息を吐いた。
次の瞬間、ドクマの脳裏に、ある不安がよぎった。ドクマは魔石灯を持って辺りを見回した。
誰も、いない。
「しまった、ハイアットがっ!? おーい!! ハイアットー!! おーい!!」
ドクマが大声を張り上げた。声が洞窟中を反射し、奥の方へと消えていった。耳を澄ませたが、返事らしき声も聞こえてこなかった。
「……自分の脚で探すしかねぇか」
擦り傷を負ったところを、綿布で巻き全身に走る痛みをこらえつつ、ドクマは立ち上がると、奥にむかって歩き始めた。
「おーい!! ハイアットー!! 返事ぐらいしろー!!」
洞窟を進みながらも、ドクマは呼び続けた。
むろん、洞窟内は平坦ではなく、行く手を遮るように岩がせり上がっていたり、礫が転がっていたり、急に段差が現れたり、加えて、道も蛇行しているようで、今自分がどの方角を向いているのか、わからない。ただ、移動するだけでも体力が削られていった。加えて、空気も薄く、徐々に息も上がっていった。
ふと、ドクマは何かに気づいた。
「……洞窟の中ってわりには、全然魔物の気配がしねぇな」
通常、洞窟の中は、魔力溜まりが発生し、そこに暮らす生物が魔物化、もしくは魔物が住み着き繁殖するものである、しかし、この道中でドクマは魔物の影すら見なかった。
もう少し、先を進むと、ドクマが立ち止まった。
魔石灯が照らす先に、左右への分岐点。ドクマは面倒そうに、溜息を吐き、舌打ちすると、まず右の入り口に立った。
良く耳を澄ませると、何かが泡立つような音が聞こえ、すこし空気が温かく感じられる。
次に、左の方に立つと、まず、先ほどとは違い、冷たい空気が流れているのを感じる。今度は耳を澄ませてみた。
「……誰?」
奥から、か細い少女の声が反響してきた。
「ん!? 誰かいるのか!!?」
ドクマは思わず、身を乗り出すようにして、一歩踏み出した。
「って、うわわ、だああああああああ!?」
そこは急な下り坂。
ドクマはバランスを崩し、闇の奥へと転がり落ちていった。そして、どしん、と大きな音を立てて、坂の一番下についた。ただでさえ、痛めていた体を更に痛めて、ドクマは顔を歪めた。
「……大丈夫?」
「お、おう、こんぐらい平気だ……っててて」
堪えながらも、ドクマは魔石灯を拾い、壊れていないか軽く確認すると、立ち上がって周りを見た。
先ほどまでとは打って変わり、開けた場所に出たようで、天井も壁も見当たらなかった。ただ、遮るように円錐状の岩がそこかしこに地面から生えている。
「で、よう、お前さんはどこにいるんだよ!」
「……こっち」
ドクマは少女のする方に魔石灯を向け、近寄っていった。
そして、見つけた。
辺りを良く探してみると、岩の陰に隠れようにして、少女が座っていた。
少女は猫系の亜人で、年もまだ、2桁に達して間もないよう。服はあちこちが擦り切れてボロボロになっており、体中には傷跡が残り、膿んでいる所もある。ずっと暗い中にいたせいか、魔石灯の淡い光でも随分と眩しそうな仕草をした。
「お前さん、前の時に遭難したのか?」
少女はこくっと、うなづいた。
「とにかく、無事でよかった……ちと染みるかもしんねぇけど、我慢しろよ」
ドクマは魔石灯を置き、怪我をした箇所の血や膿をふき取り、救急用の純度の高い酒をかけて、綿布できつく縛った。その度に少女は怯えた声を上げて、びくついた。
ひとしきり、処置を終えると、ドクマは溜息を吐いて、汗をぬぐい、少女の隣にどっかと座った。少女の身体は折れそうなばかりに細く、少しの力……オーガ族である彼からしたら、ほんのわずかな力を加えただけでも折れそうだった。
「……おい、腹、減ってねぇか」
ドクマは、【流星の使徒】の制服についた内ポケットから、薬草を練り込んだ乾パンを取り出し、少女に向かって差し出した。
少女は良く見えないのか、匂いを嗅ぎながらに腕をふらふらと動かして差し出されたものを探した。そして、乾パンに触れると、少女はコクと小さく礼をして、それを口に運んだ。
一生懸命に食べる少女の姿を見て、ドクマは微笑んだ。
「おう、どうだ、味は大したもんじゃねぇが、腹持ちと栄養は抜群だからな」
「ありがとう……元気、ちょっと出た……」
「そりゃよかった……おっと、そうだ」
ドクマは軽く咳払いをした。
「名乗るが遅れちまったな、俺はサンダ・ドクマ、【流星の使徒】機動部隊の隊員だよ、嬢ちゃんの名前は?」
「私は……ユウ……ユウ・ナミィ」
「ユウちゃん、か、しばらくはよろしくな」
ユウはドクマに向かって、頭を下げた。目は、閉じたままだった。
「目、見えないのか?」
「ん……その光がすっごく眩しいの、それになんだか、周りがぽわーってなってて……」
「そっか、こんな真っ暗な中だもんなぁ、ん? それじゃ、俺がいることに気づいたのは……?」
「あなたの気配を感じたの、なんだか、あたたかな気配……」
ドクマは一瞬、眉をひそめた。彼女が普通ではないことに気づいた。
「それはともかくだ、ユウちゃん、周りの人たちで他に生きている奴はいないのか?」
「……うん、みんな、どこかにいっちゃった……じいも、動かなくなっちゃって、ずーっと1人だった」
ユウの話を聞き、ドクマは小さなため息を吐く。
「そうか……こんなところで1人だなんて、怖かったろう?」
「ううん、平気だった……山が、私を励ましてくれたから?」
「山? このエルレクーンのことか?」
ユウは頷いた。
「この場所も、山が案内してくれたの、水がいっぱいあって安全な場所だって」
「水?」
ドクマは立ち上がり、魔石灯をもって辺りを照らした。
水が滴る音がした。ドクマその方向に向かって魔石灯を掲げ、ゆっくりと近づくと、確かに、地底湖のような水たまりがあった。水は暗がりでもわかるほどに、透明だった。
ドクマは魔石灯を置き、両手ですくって飲んだ。
「……魔力が回復する、ただの水じゃねぇな」
再び、ドクマはユウの近くに来て、座り込んだ
「ユウちゃんはずっとあの水を飲んで生き延びてきたって訳か」
「うん……私は、この山に守られてきたの……」
「さっきから、山が意志を持ってるみたいな言い方だな、山の声ってのが聞こえんのか?」
「うん、この山だけじゃないよ、他の山の声も、森の声も、湖の声も聞こえるの……神様が私に与えてくれた力なの」
「ふーん……」
改めて、ドクマはユウの姿をまじまじと見た。
服は確かにボロボロだったが、所々に凝った意匠が施されているのが垣間見え、もともとは相当豪華な服であることが伺えた。さらに、彼女の耳には木の葉型の、銀でできた耳飾りが付いているのが見えた。
「なるほど、巫女、か」
ドクマはボソッと呟いた。
「そうだ、この山から何か異変が起きてるとか、聞いたことはないのか?」
ドクマの質問を聞いて、ユウの表情は暗くなった。
「……この山は苦しんでるの、悪しき者が、中に入っちゃって、山をドンドンと食べちゃってるの」
「悪しき者? 山を食べてる?」
「お腹の中を食べられちゃってるから、山が痛い痛いって、我慢できなくなって暴れてるの……かわいそうなの……」
「……要するに、何か怪物がこの山に寄生して山を荒らしてるって訳か、木が枯れてるのも、この洞窟内で全然魔物がいねぇのも、合点がいったぜ」
ドクマは舌打ちした。ある程度予想はしていた事態とはいえ、相当に面倒なことが起こっていることを実感した。
「このままだと山が死んじゃうの……助けてほしいの……」
少女は目をつむりながらも、ドクマに向かって訴えた。目からは涙が1筋、流れている。ドクマはしばらく、彼女の様子を見ていた。
そして、自分の腿を叩き、彼女に向かって歯を見せて笑った。
「俺が、いや、俺たち【流星の使徒】が何とかしてやるよ、困ってるやつらを助けてやるのが俺たちの使命だからな」
「……ホントに?」
「まぁ、今の俺は情けねぇことになってるけどよ、少なくとも、ユウちゃんを守ってここから脱出することぐらいはできる、それに【流星の使徒】の力が結集したらどんな怪物だってイチコロよ」
ドクマは優しくユウの肩を叩いた。ユウは驚いた仕草を見せたが、すぐに柔和な笑顔を見せた。
「ありがとう……おじさんみたいな人が来てくれたのも、神様のおかげなの」
「お、おじっ……へっ、まぁいいや、とにかくここを出ようか、おい、立てるか」
「……うん」
ユウはよろよろと立ち上がろうとした。あまりに不安定だったので、ドクマはそっと支えてやった。ユウが立ち上がると、転ばないようにドクマは彼女の細い腕をつかんでやっていた。
「ああ、そうだ、ここを出る前に、もう1人と合流しなきゃな……」
ドクマは気まずそうに頭を掻いた。
「……もう1人?」
「俺の後輩だよ、俺と同じように、この中に落っこちたみてぇでね……」
「……生きてるの?」
「生きてるとは思うぜ、頑丈な奴だし、前にも同じような目に合って、それでも生還してきたんだ、これぐらいで死んでるとは思わないぜ」
「……そうなんだ」
ユウは小首をかしげた。
「もしかしてだけど、そいつの気配も感じてたりするのか?」
「……その人、かどうかはわかんないけど……さっきから不思議な気を感じるの」
「ホントか!? なら、案内してくれないか!?」
「うん……でも……」
急に、ユウは話しにくそうにうつむき、ソワソワとし始めた。
「どうした、ユウちゃん?」
「……何でもないの」
「それならいいが……悪しき者とやらの気配と混じってねぇよな」
「それとは全然違うの、だから、安心して……」
「……そりゃそうだよな、あいつが邪悪な奴なわけないもんな」
自分に言い聞かせるように、つぶやいた。
「ま、四の五の言わずに行こうか、ユウちゃん、はぐれないように俺にしっかり捕まっとけよ」
ユウは頷くと、ドクマの太い脚に寄り添った。
ドクマは魔法灯を構え、ユウの歩幅に合わせるように、ゆっくりと歩き始めた。




