第7話 魔性の香の下に (Part6)
「はい、それでは今から腕をつなげますよ」
「……お願いします」
医療施設、大部屋の病室にて、アヌエルはベッドに横たわる若い人間の女性患者に白い布巾を噛ませた。女性は右腕を上腕部から切られていた。切られた腕はベッド脇の台の上。さほど、時間が経ってないためか、腐敗もなく、損傷もほとんどない。
「それじゃ、これを飲んでくださいね」
アヌエルは小瓶を取り出し、その中の薬を女性に飲ませた。女性は一瞬痙攣すると、そのまま動けなくなった。アヌエルが飲ませたのは、痛覚を鈍らせるための麻痺薬。
アヌエルは慎重に腕の向きを合わせると、切断面同士をそっとくっつけると、鉤爪のような針と糸を取り出し、手早く縫い合わせた。縫い終わると、今度は薬液を染み込ませた包帯を取り出し、切断部にぐるぐると巻いて固定させる。
「では、いきます、かなり痛みますので、暴れないようこの布巾を噛みしめてこらえて下さい」
アヌエルは白い布巾を女性に噛ませると、包帯を巻いたところに手を置き、軽く息を吸った。
「《慈愛の神よ、この者が失いし欠片を取り戻し給え》」
アヌエルが呪文を唱えると、彼女が手を置いているところが淡く光った。治癒魔法が、女性兵士の腕にかけられた。それと同時に、女性は咥えた布巾を強く噛みしめながら悶え始めた。治癒魔法により、怪我を回復させる際に発生する、回復痛が彼女を襲っていた。
数分間、血管と肉と骨が繋がるまで、アヌエルはずっと手を置き、治癒魔法を女性にかけ続けていた。その間にも、まるで腕が火であぶられたような痛みに、女性は苦悶した。両者とも、冷たい汗が額から頬にかけて、とうとうと流れていた。
「……うん、もう大丈夫」
アヌエルが手を離すと、淡色の光は消え、女性は身悶えするのをやめた。女性は脂汗をかき、息を切らせていたが、しばらくすると、ほっとしたように深い息を吐いた。
「腕はもう完全につながったわ、あとは血が巡るのを待つだけ……まだしばらくは痛みが続くから、我慢してね」
「はい……私も戦士の端くれ、これぐらいなら……」
「また後で様子を見にいくから、安静にしてね」
「はい、ありがとう、ございます」
アヌエルはにこりと女性に笑いかけて、医療箱をもってそこから離れた。
次に、その斜向かいにあるベッドに向かった。腹部に包帯を巻いた、非常にガタイの良いオーク族の男性がそこで寝ていた。腹部のやや左側の部分で、包帯に染み込んだ血が黒く固まっている。アヌエルの姿を見ると、男性はにやにやとした笑みを浮かべた。
「それでは、怪我の治り具合、確かめますよ」
アヌエルはそう言って、血の滲んだ箇所に触れた。まだ痛むのか、男性は顔を歪めた。アヌエルは目を閉じ、触れている箇所に神経を集中させた。
「……大分、内臓の方の損傷が治ってきたみたいね、傷口もふさがってきてるし、普通に動けるようになるまで、あと少しよ」
「へへ、あんたみたいなきれいな姉ちゃんに触ってもらえるなら、まだ回復しなくてもいいんだがなぁ」
「そういう口が叩けるのならもう安心ね、さ、包帯取り換えるから、ちょっと起きてね」
アヌエルに促され、男性はいたいいたいとぼやきながら上半身を起こした。男性が起きると、アヌエルは両腕を上げさせて、手際よく包帯を取った。治ってきたとはいえ、まだ男性の腹部には怪物の爪が刺さった跡が痛々しく残っていた。アヌエルは新しい包帯を取ると、左脇腹を始点に男性の体に巻き始めた。
アヌエルが包帯を巻いている最中、また男性はニヤニヤと笑った。
「あんたの乳、いちいち当たってきてたまんねえぜ」
「……わざとやってると言ったら?」
「ついでに俺のモノも手当てしてやってくれねぇか、なんつってな」
「そうね、もう少し親しい仲でしたら考えてもいいけど」
「へっへっ、魔族の割にはお堅いねぇ、ま、そういう言い草ならまだ機会があるってこったな」
男性のふざけた様子に対し、アヌエルはただ微かに笑うだけで済ませた。
「……はい、包帯の交換、終わりましたよ」
包帯を巻き終え、端を止めると、アヌエルは軽くその部分を叩いた。
「おう、ありがとうよ、魔族の姉ちゃん……今度、会ったときは一緒にいいことしようぜ、な?」
「あら?本当に私と親しくなりたいのですか?」
「いいだろう?いわば俺たちは戦友だ、もっと仲良くなってもいいんじゃねぇか」
男はねとっとした目つきでアヌエルの方も振り返った。それでも、アヌエルは微笑んだ表情のまま、軽く考える様な仕草を見せた。
「……ごめんなさいね、私は貴方とはこれ以上進展させる気はないの」
「おいおい、なんだよ、俺をその気にさせておいて、それは無いんじゃねぇか?」
「軽い冗談でその気にされても、困るわ」
「けっ、さすが魔族だな、ホント性悪な奴ばかりだぜ!!」
「……失礼します、安静にしてくださいね」
笑顔を崩さぬまま、アヌエル道具を片付けて足早にそこを離れた。
「この売女族め」
アヌエルの背中に向かって、男は言い放つ。それでも、アヌエルは冷静にふるまって、次の患者のベッドに向かった。
「おう、アヌエル隊員、お手柔らかに頼むよ」
そのベッドには、ソカワが座っていた。肩に腕を吊り下げるような形で包帯が巻かれていた。
「ふふ、治療に手加減なんて必要ありませんよ」
「こっちは骨折ってんだよ、回復痛が辛くてしょうがねぇよ」
「はいはい」
アヌエルはソカワの傍に座ると、包帯でぐるぐる巻きにされた腕を持ち、治癒魔法の呪文を唱えた。折れた骨が急速に治る痛みに、ソカワは奥歯を噛みしめてこらえた。数分もすると治療は終わり、アヌエルは手を離した。
「はぁ……やっぱ慣れないな、この痛み」
「でも、もう大分治ってきている、もう少し安静にしたら、すぐにでも復帰できるわ」
「そりゃ、ありがたいな……ま、もうちょっと寝てる方がいいけどな」
ソカワとイディはクスクスと笑いあった。気の置けない空気が、2人の間に漂っていた。
「……それにしたって、アヌエル、さっきは災難だったな」
「何の事かしら?」
「あのオークのおっさんだよ、あいつ、嫌らしい目つきしやがって」
「ああ、その事ね……いいのよ、私は慣れてるから……」
アヌエルは努めて澄ました表情を浮かべた。それを見て、ソカワは軽くため息をついた。
「辛いなら辛いって言えよ、イライラとか不満とか溜めてると、体に良くないぜ」
「救護部隊の私に御忠告かしら?」
「いや、世の常識を言ったまでよ」
「ふふ……ありがとう、心配してくれて」
アヌエルの笑顔は、どこか陰りが見えていた。
「でも、魔族は元々罪作りな存在よ、さっきみたいに誘惑したり、ね」
「そういう風潮を変えたくて、アヌエル隊員は救護部隊としても活動しているのだろう? 俺の知ってる限り、回復職の魔族ってアヌエル隊員か、それ以外なら伝説級の奴しか知らないぜ? 魔族らしい振舞いも、ただの自然体だろう? さっきみたいな嫌な奴の言ってることを受け止めて、落ち込むなよ」
ソカワの言う事を聞いて、アヌエルの表情から笑みが消えた。それは、彼女の飾らない表情。
「……そんなに傷ついているように見えるかしら」
「見えるさ、だからこう話してるんだ」
ソカワはニッと口角を上げた。それを見て、つられるようにアヌエルも笑みを、作り物ではない笑みを浮かべた。
「あなたを治癒しに来たのに、逆になんだか治癒されちゃったみたいね」
「おう、今ので救われたんなら、結構だよ」
「それが治ったら、お礼にいいことしてあげようかしら」
「はは、楽しみにしてるぜ」
「それじゃ、次の所に行くわね」
アヌエルが道具箱をもって立ち上がった。
その時、大きな音が鳴り、病室が一瞬大きく揺れた。悲鳴が病室内にこだまし、天井の吊り下げ灯が大きく揺れる。窓の方を見ると、誰かが落ちたのが見え、直後にその人が地面に落下した音が聞こえた。病室内はあっという間に混乱に陥った。
「ヤバい状態になっちまったな」
ソカワは冷静な様子で呟いた。その傍で、アヌエルは黙って、病室内の様子を見ていた。病室にいる人たちもそれぞれ怒りや恐怖、悲嘆の声を上げ、それを宥めるために看護師たちが必死になっていた。
そして、ゆっくりと息を大きく吸った。
「……皆さん、落ち着いてください!! 落ち着いて下さい!!!!」
アヌエルの大声が病室内に響いた。先ほどまで騒いでいたものはみな静かになり、アヌエルの方を見た。
「ここは私、【流星の使徒】のアヌエルが守って見せます!!」




