第7話 魔性の香の下に (Part5)
いつものリーブキーの夜は、宿はもちろん宴の灯りに満ちており、人々が騒いでいる音がそこかしこから聞こえる、活気のある夜である。
この日の夜は、全く違った。シン、と静まり返り、見える灯りは、街路灯と、警備に回る者達が持つ火石灯の灯りだけだった。その警備の灯りも、多くの者が昼間に怪物の魔手にかかったため、まばらであった。
緊張をはらんだ空気の中、ハイアットは火石灯を片手に、リーブキーの北西に位置する医療施設の周辺を集中して見回っていた。風で木がざわめく音に、反応するまでに感覚が鋭敏になっていた。コミューナからは緑色の光が淡くゆっくりと点滅していた。魔物が近くにいない事の証左だ。
ハイアットは目を凝らし、辺りを見回した。右手には宿と住宅地が見え、左手には川とそれに沿って作られた公園が見える。同じように、警備に回る数人の兵士ぐらいで、後は特に異常な魔力を持つ者は見えなかった。
『こちらフィジー、今、医療施設より北側の塀の方に、強い魔力反応を示す物を発見』
コミューナからフィジーから通信が入り、暗視と魔力探知機能を備えたゴーグルを装着した、フィジーの姿が浮かびがっていた。
『了解、この中で北に一番近い者は……』
「多分、僕、です、今、公園のほうにいますので……」
キリヤの声に、ハイアットが答えた。
『僕もそんなに遠くないところにいる、そっちに行って一緒について行こうか?』
『そうそう、1番の若手に、そんなに無理はさせられないよ』
イディとフィジーの心配な表情が順にコミューナから浮かび上がった。
『うむ、ハイアット隊員、ここはイディ隊員について行ってもらえ、敵は大分手強いからな、フィジー隊員は医療施設の上空で待機、北方の監視に集中してくれ』
キリヤの指示にイディ、フィジーの両名が了解と答え、ハイアットもぽつりと、小さな声で了解と答えた。
『どうした、ハイアット隊員?』
「あ、いえ、なんでもありません、副隊長!!」
『なら、いいが……』
キリヤが訝し気な表情を浮かべた瞬間、コミューナの通信が切れた。
ハイアットは困った様子で、頭を掻いた。ルトラとして1人で対処しようと考えていたため、他隊員と行動を共にするのは些か都合が悪かった。だが、自分の置かれている身からすれば、仕方のないことである。
しばらくして、灯りと共に、軽快な足音が聞こえてきた。
「イディ隊員、お疲れ様です」
「ああ、こっちに来るまでに何かあったかい?」
「いえ、特には……」
「よし、それじゃ行こうか」
イディが頷くと、2人は塀の方に向かって、早足に歩き出した。
「……なぁ、ハイアット隊員」
歩きながら、イディが話しかけた。
「はい、何でしょうか」
「さっきさ、コミューナで通信してて最後に、ちょっと不満そうにしてたでしょ? もしかしてだけど、1人でやろうとか考えてたのかい?」
「えっ……」
ハイアットは、一瞬動揺し、目を見開いてイディの方を見た。
「ははは、図星だったみたいだねぇ」
飄々と笑う、イディを見て、ハイアットは照れた様子で、頭を掻いた。
「……それって、良くない事なんですか」
「1人で立ち向かう事かい?」
ハイアットはこくりと頷いた。
「ハッキリ言うけど、良くないね、それは蛮勇というものだよ……ま、気持ちはわかるけどね」
「わかる、と言いますと……?」
「どういう仕事にしたってさ、若くて情熱のある人って、先輩達の負担を減らそうと何とか自分1人で頑張ろうするんだよね……僕もそういう経験があるし、そういう奴を何度も見てきた」
イディがハイアットの視線に合わせた。
「でもさ、先輩って言うのは後輩の面倒も見なきゃいけないわけなんだよ、だから先走って行動するのってむしろ先輩の負担を増やすことになったりする事がある、特に僕らは命をかけた仕事をしてる、若い隊員を1人で向かわせたら、その隊員が命を落とすリスクは非常に高い、だからなおさら1人では向かわせられない、それにさ……」
イディは少し間を置き、軽く息を吸った。
「1人で何とかしようっていう気持ちって、ある種の傲りなんだよね」
その言葉を聞いて、ハイアットはハッと息をのんだ。
「先輩たちが出るまでもない、とまでは思ってはいないんだろうけどさ、それでも多少は自分1人でもできると思ってる所はあるんじゃないかい?そうでなきゃ、1人でやろうとは考えないよね」
ハイアットは黙って聞いていた。気落ちした様子で、うつむいていた。
「……すみま、せん」
「謝らなくてもいいさ、僕らを守りたいっていう気持ち自体はありがたいよ、だけど、僕らだって君の事を守りたいと思ってる、要するに、なるべく力を合わせてくれよなってことだよ、そこのところはわかってほしいな」
「……わかりました」
ハイアットの答えを聞くと、イディは軽く頷いて前を向いた。既に2人は塀の傍。2人は塀に沿って北へ向かっていった。
ハイアットは歩きながらも、イディに気づかされた事を反芻していた……自分は彼ら【流星の使徒】を、ひいてはこの世界の人達を信頼していない事を。ハイアットの、ルトラの使命は人を「邪」の力より守護することである。
そして、彼はそれを成すために、この世界のいかなる者よりも強大な力を有している。
だからと言って、「邪」の力に立ち向かう者達の力を、わずかながらではあるが、傲慢にも矮小であるとし、邪魔だとすら思ってしまった。
それは、守護する者として、果たして正しい態度であろうか。守護するものであるならば、彼らを真に信じるべきではないか。
険しい表情で、ハイアットは考えを巡らせていた。
「……ハイアット隊員、警戒を」
「了解」
塀伝いに歩いていると、2人のコミューナの反応が徐々に激しくなっていた。2人は周囲を見回し、腰につけた魔装銃に手をやった。風で木々がざわめく音が、一層強まったように彼らには感じられた。
ハイアットはイディにバレぬように、目の力を開放させた。まだ、黒い魔力は視界には映っていなかった。
「ん、あれは……!?くそっ、やられたか!!」
イディは何かを見つけて、顔を思い切りしかめた。火石灯の光が、地面の血だまりを照らしていた。2人は血だまりの元に駆けよった。その血だまりの周囲は血の跡だけ。
「叫び声がなかった、闇討ちか……それにしても死体が無いのはなぜだ?」
イディが顎に手をやり、訝し気な表情を浮かべた。
その時、ハイアットは嫌な気配に気づき、その方向に振り向いた。黒い魔力の塊が塀の上にいることに気づいた。それと同時に、何かがこちらに投げ込まれた。
「イディ隊員、危ない!!」
ハイアットはイディを突き飛ばした。そして、投げ込まれた何か……蜥蜴系の亜人の体が、ハイアットの頭部にぶつかった。




