第5話 溶けゆく村 (Part1)
手紙が来た。
便箋の表には「あなたの想い人より」とだけ書かれていた。手紙を渡した人が、ニヤニヤと笑っていた。
でも、僕は嬉しくなかった。
あの人からだ。生きているはずがない、あの人から。
シルヴィエ。かつての僕の、ディン・ハイアットの想い人。そして、あの崩落で死んだ人。
あの時、見たのは幻ではなかったのか。いや、この差出人があの人からとは決まっていない。だとしたら……誰なのだろうか。
恐る恐る、手紙を開けた。書かれたのは1文だけ。
《あなたは守れるかな?》
*
ある村の宿屋で。
「うお……えらい量が多いな」
「すごいですね、都市部の宿でもこんなに出すところってあんまりないですよ?」
「これ、喰いきれますかねー」
「あはは、こいつがいるから大丈夫だよ」
「なんだよ、俺がまるで大食いみたいじゃねーか」
「実際そうじゃん」
ある商業ギルドの一団が、机の上に並べられたご馳走を見て驚いていた。サラダからスープ、魚料理に肉料理、パスタにパンにチーズと、所狭しと配膳されていた。
「わざわざこんな小さな村の、小さな宿に泊まっていただけるんですから、感謝の気持ちを込めてですよ」
ここの主人と思われる、にこやかな顔の初老の男性が謙遜した。
「そんな、我々のような名もさほど知られていないようなギルドに、こんなにしてもらえるなんて、逆に感謝しますよ」
背の高い、犬系亜人の男性が答える。
「名が知られていないのはリーダーの働きが悪いんじゃねーの?」
「あ、お前、給料減らすぞこのやろー」
「うわー、横暴だよ」
「はいはい、バカなことしないで、食べ始めましょう」
リーダーの隣に座る、人間の女性が手を叩いて、周りを注意した。
「んじゃ、いただきます」
リーダーに続くように、他の者達も挨拶をすませると、各々、フォークやスプーンを手に取り、食事を始めた。
「うん、うまいぞこれっ!」
「これなら俺でも食いきれるかもな」
「そんなこと言って、残したら俺によこせよな」
「やっぱり大食いじゃんか、あんた」
皆が笑いあった。和やかな団欒の様子を、宿の主人と、妻と思われる女性が優しい表情で見ていた。
*
宿の寝室は2階にあり、大部屋が1つと、小部屋が5つあった。この日、商業ギルドには大部屋が割り当てられていた。
食後、軽く翌日の予定について会議を行い、それも終えると商業ギルドの面々はそれぞれのベッドについた。
この日は新月。窓の外は、何も見えないほど、真っ暗。
「……んん?」
1番扉に近いベッドで、大食いと呼ばれた、オーク族の男性が目を覚ました。何か湿ったものが、彼の大きな腕に当たった。
「雨漏りか……?」
天井を見上げて目を凝らした。何もなかった。湿った感触が今度は足にした。
「うーん? 何だー……うんっ、な、ひえっ」
感触がだんだんと彼の身体中に広がってきた。
「ちょっと待て、どうなって……うわああ!?」
闇に慣れた目で、オークの男は周りを見た。何か、黒っぽい液体が部屋中に広がっていた。そしてその液体は、彼をはじめとし、ベッドに上ってきていた。
「何だよ、うるせぇな……な、うわっ、何だこれ!!」
「ちょっと、なによ……ひやあっ!?」
「おい、一体どうした!? 何が起こってる!?」
続々と、ギルドの面々が起き上がる。暗い中、何かに侵食され、彼らは恐慌に陥った。
「わかんねぇ!! たぶんスライムだ!! スライムが侵入してきやがった!!」
「スライム!? 何で宿屋に?!」
「そんなことより!! おい、魔法だ!! 魔法を唱えろ!!」
「は、はい、《荒れ狂う天の力よ、邪悪を焼き払い給え》!!」
エルフの男が呪文を詠唱すると、彼の持つタクトから1筋の雷が放たれ、部屋中に広がる黒い液体に当たった。しかし、バチッと弾ける音がするだけで、スライム特有の防御反応が起きなかった。
「だめです、効果が見られ、うわあああああ!?」
エルフの男の脚が取られ、液体の中に引きづり込まれた。ギルドの面々の体中に液体がまとわりつき、液体に全身が包まれるようになった。
「あああっ、あだっ、と、溶ける!!溶けるううう!!!」
オークの男の、太い脚と腕が、みるみるうちに小さくなっていき、白い骨が見え始めた。
「いやあっ、死にたくない!! 死にたくないいいいい!!!!」
「くそっ、くそう!! 何なんだよ!! 何なんだよおお!!!!」
泣き喚く女に抱き着かれながら、リーダーは必死に魔装銃を撃った。撃ち続けた。逃げ場はどこにもなかった。周りの者たちは、どんどんと溶解していった。
真夜中の宿屋から、断末魔が上がり続け、そしてそれは程なくして聞こえなくなった。村は、不気味なくらい、静かなまま夜が過ぎていった。
ただ1本の大木が風に揺れるばかり。
*
「……それで、とうとうこっちにお鉢が回ってきたってことですか」
「ああ、そういうことだ、どちらの国もお手上げだってね」
【流星の使徒】本部、ギルド長室の中、相変わらず飄々としたムラーツに対し、サーラが冷静に答えた。部屋の真ん中にはディスプレイが浮かび、行方不明になった者たちの顔……あの商業ギルドの者たちも含む……が何10人もそこに映し出されていた。
「行方不明者の多くが商業ギルドか運送ギルドの者で、共通する者は、ザタル国とマクス国の間を通行していた……ぐらいしか、わかっていないのですか?」
同じく部屋にいた、諜報部隊長のクライトンが聞く。
「そうだ、ザタル、マクスの両国が調査したらしいが、わかったと言えるものはそれぐらいなのだ」
「しかし、両国をつなぐ道路は1本だけ、間に5つの村や町を通るんですよ?そこで何か情報は得られなかったんですか?」
机の上に広がった地図に、クライトンはぐるぐると円を描き込んだ。そこは、周りは山に囲まれた場所であり、そこに流れる川沿いに道路が整備され、点々と5つの集落があった。
「確かに、ザタル国に一番近いこの町と、マクス国に一番近いこの村では目撃情報はあるんだ、しかし、残り3つの村では目撃情報が極端に少なくなっている、特に3番目の村では1つもなかったそうだ」
「と、なると、この範囲のどこかで何かがあった、ということですか」
「うん、しかし、有力といえる情報は今のところ、それだけだ、何か強力な魔物が現れたとか、盗賊が現れたという情報もない、更に異常な現象があったという情報もなかった、全ての行方不明者が忽然と消えたのだ」
クライトンがため息をつく。表情から考えあぐねているのが見て取れた。
「随分と不可解ですね、情報がこうも少ないと、我々もまずは足を使って探さないといけませんね」
ムラーツは腕を組みながら言った。渋い表情を浮かべていた。
「もしかしたら、この辺りの村が共謀して彼らを監禁しているか、もしくは殺したという可能性もあるのでは?」
「その可能性も考えた、しかし、両国から酷く困窮して村全体が盗賊のようになってしまった、なんて情報は聞いたことがない、これだけの人数を監禁したり殺したりするなんて、村全体が異常者でない限り、考えられんよ、それに……」
サーラも小さくため息をついた。
「そんなこと、考えたくもない」
「私も同感ですよ、副ギルド長殿」
ムラーツはパイプを咥え、軽く燻らせた。
「ただ、今ある情報では推測すらままならない、とにかく現地を確かめてみるよりほかないだろう、それで、今後の方針だが、諜報部隊はこの一帯に関する情報の収集を、機動部隊は両国騎士団と協力し、周辺を探索、生存者がいるかどうかと、強力な魔物がいるかどうか確認を同時に行ってほしい、そして、もう1つ、重要な任務だが……」
サーラは一呼吸置き、地図に目を落とす。
「この3つの村に潜入してきてほしい、特に、この3番目の村にだ」
指で、地図上に描かれたその村を強くたたいた。
「先ほども言ったように、行方不明が続出する原因について、全くと言っていいほど情報がない、正直なところ、これこそが異常事態といえる、それに、この村を中心に目撃情報が全くなくなるのも妙だ、もしかしたら村に何か秘密があるのかもしれない」
「その秘密を探ってほしいということですね」
ムラーツが先回りするように答えた。
「そういうことだ」
「……村全体が異常者ばかりになった、と考えているのですか?」
ムラーツはサーラの目を見た。険しい目つきをしていた。
「考えたくはない、しかし、両国が総力をあげても、今まで情報らしい情報がほとんど得られなかったとしたら、村で何かを隠しているとしか思えないのも確かだ、それに、もし異常者ばかりになったとしたら、そのきっかけとなったことがあるはずだ」
そう言って、サーラは両隊長の顔を見回す。
「……闇は思ったよりも深そうだな」
「だが、闇に入らなければ、何があるかはわからない、大変危険だがな」
ムラーツとクライトンの表情は、苦々しいままだった。例え地図上でも、ぐしゃぐしゃの線で囲われたこの一帯は、異様に不気味に感じられた。本当は何が起こったのか、そしてここに何が待ち受けているのか、3人には想像もつかなかった。
「……続けてよいか」
重々しく、サーラが口を開いた。
「それで、これらの村を探る潜入部隊として、各部隊から1、2人ほど出してほしいが、よろしいか」
「少数精鋭で行くというわけですか」
「あまり多いとかえって目立つ、それに、万が一、二の舞を踏んだとしても、我々ギルドの損失は小さくなる、それこそ、考えたくもないがね」
クライトンの問いに、サーラは暗い面持ちで答えた。その彼の顔を見ながら、ムラーツはパイプを離し、煙を吐いた。
「我々の部下はみな優秀です、そんな事、杞憂にすぎませんよ」
「……信頼するよ」
サーラはどこか翳りのある笑みを浮かべた。
「誰を出すかについては双方、及び各部隊内部でよく話し合ってほしい、他に質問、意見が無ければ会議は終了とする、両部隊の武運を祈る」
了解、と両隊長の凛とした声が響いた。




