16話〜相談事〜
たいっっっっっへんお待たせいたしました!!
コンコン、とノックをして、聖夜達は『甲虫飼育部』の扉を開ける。
「失礼します」
「ただいま戻りましたー!」
――そして、その先に見えた光景とは。
「材って、こんなに細くても良いんですか……?」
「フタマタ系は表面しか齧らないからね。比較的細めでも産んでくれるんだよ」
「その分、選り好みが激しいし、量は産んでくれないけど……産んでくれさえすれば飼育は簡単な方よ。君も飼ってみる?」
「ちょっと興味が湧いてきました……。ごめんね、お休みを邪魔しちゃって」
見慣れぬ少女が申し訳無さそうにプラケースを閉じ、部長と副部長が微笑みながらそれを見ている図だった。
「おや……聖夜君に聡美君、おかえりなさい」
すると、座って話していた一人の青年――部長の京也が聖夜達に気付き、柔らかい表情のまま声をかけた。この「おかえりなさい」は京也のこだわりで、彼は部員が部屋を出入りするときには決まって「おかえりなさい」、「いってらっしゃい」と言う。そのため、ここに所属する――聖夜や聡美を含む――生徒達は、程度の差こそあれ京也のことを家族に近いものとして見ている。
「ただいま。……京也さん、お久し振りです」
「ああ。といっても、一週間と少しぶりかな? 最近は忙しかったし、僕としてはあまり久し振りって感じはしないな」
そうですか、と聖夜は合わせられた十個の机の、その一番手前にバッグを置く。
「っていうか、そんなに忙しかったんですか? 確かに新入生に向けての活動はしていましたけど……」
京也は苦笑して、自分の両手を振ってみせた。
「新入生勧誘も兼ねて、ここ最近ずっと割り出しをやっていたものでね……実を言うと、結構指にきているんだ」
「ああ、なるほど……京也さんはドライバーとか皮スキとか使わないですもんね」
京也の対面に座っている、彼と同じ三年生の女子生徒――副部長の笹倉灯香が、ふふっと笑って口を挟む。
「使った方が楽、って何度も言ってるんだけどねー」
「……そう言って僕のメンガタクワガタの幼虫をドライバーで潰したのは誰かな?」
「うっ、それは……ていうか、私のタランドゥスの卵を落としてダメにしたのはそれこそ誰だったっけ?」
「結局どっちもやらかしたんですね」
聖夜が冷静にツッコミを入れると、京也と灯香は揃って目を逸らした。それを見て、少女が慌てて二人をフォローする。
「ある程度は仕方ないことだと思います……私もこの前ラコダールの幼虫潰しちゃいましたし」
この少女の言う通り、割り出しの際に幼虫や卵をうっかり……ということはままある。聖夜なんて十セットに一回の割合で何かしらやらかすので、本当はあまり人のことは言えない。
「ま、確かにそうですよね。……それよりも、君、ラコダール飼ってるんだ?」
むしろ、興味を持ったのはそれの方だった。恐らく聖夜の『お悩み相談』の依頼者であろう少女は、どうやら相当な虫好きらしい。
「あっ、はい……ラコダールと、あとはグランディスを飼ってます」
「へえ……ラコダールは経験無いけど、どっちも難しいんじゃなかったっけ?」
ツヤクワガタ系統はクセがあり、ブリードは難しいと聞く。また、外国産のオオクワガタは大きく羽化させようとすると、必ずと言っていいほど蛹化不全・羽化不全という問題に直面する。これは聖夜もアンタエウスで経験済みだ。
それじゃあ私はこれで、と控えめに手を振って帰って行く美奈子に聖夜も軽く手を挙げ、改めて少女へと向き直る。
「……まあ、それはそれとして。俺に相談をしたいっていうのは、君で合ってるかな?」
すると、少女の顔が緊張を帯びた。
「はい……その、ちょっと言いづらいと言うか、上手く話せるか分からないんですけど」
「それは当然だと思うよ。そういう内容だからこそ、こうして相談に来ようと思ったんだろうからな」
緊張をほぐすように、言葉も表情も柔らかく。
「さて。相談事は他の人に聞かれたくないだろうし、別の場所に移動してからってことになるけど……とりあえずは名前だけ、教えてくれるか?」
頷き、少女は視線を真っ直ぐ向けて言った。
「1-Fの雨郷凪咲といいます。えっと……悩みがあるなら月影さんに相談できる、ってさっきの先生に教えてもらって、今日はお願いしました」
「ふむ。雨郷さん……いや、馴れ馴れしいかもしれないけど、凪咲ちゃんと呼ばせてもらおうかな」
大丈夫? と視線で問うと、彼女はこくりと頷いた。
「ありがとう。……それじゃあ、相談事の前にまずはその緊張をほぐそうか」
聖夜はおもむろに立ち上がると、近くの棚からいくつかのプリンカップを取り出してきた。見ると、その壁面から何か青色に光るものがある。
「あっ、これって……!」
ふふ、と微笑んだ聖夜はそれには答えず、おもむろにカップに詰まっている土をスプーンで掘り返し始めた。
場所に見当は付いていたため、それはすぐに掘り出された。
「……これはこれは、想像よりも凄いな」
「わあ、綺麗なブルー……」
そっと聖夜の手に乗せられたのは、濃い青色に、ともすれば紫色にも見えるような輝きを放っている一匹の小さなクワガタのメス。
「パプアキンイロクワガタ、ですか?」
「ご明察。……まあ、分からないはずがないか。こんなに小さくて綺麗なクワガタ、他にいないからな」
ててっ、と、京也達と話していた聡美が聖夜の元へ駆け寄ってきて、言った。
「ふっふーん、私のメスと先輩のオスとでアウトラインブリードした子なんだよ、この子」
「はいはい、分かったからドヤ顔はやめなさい」
誇らしげにそう語る聡美に、凪咲が恐る恐る尋ねた。
「えっと、あなたは……?」
「あっ、私は1-Eの紅塚聡美っていいます。あなたは……確かF組の子だよね?」
それを聞くと、凪咲は酷く驚いた様子を見せる。
「なんで……それを?」
すると、聡美はえへへーと人懐っこく笑って言った。
「私、可愛いなーって個人的に思った子は覚えてるんだ。あわよくば仲良くなってイチャイチャできるし!」
だが、まったく想像できなかったその発言に凪咲は意表を突かれ、赤面してしまった。対して聖夜は、まーた始まった、と苦笑しながら、
「あんまりやると引かれるよ」
「良いんですー、こういうのはこっちから攻めていかないと!」
ずいっ、と聡美は凪咲に顔を寄せる。
「凪咲ちゃん、って呼んでもいい?」
勢いに押された凪咲は、それを断れなかった。
「う、うん……」
「ありがと! そしたら、私のことも聡美って気軽に呼んで!」
だが、嬉しそうに笑顔を浮かべる聡美を見て、別にこれでも良いかなとも思った。こんな風に接してくる人は、凪咲には久し振りだった。
「ねーねー、凪咲ちゃんは虫が好きなんでしょ? だったら『甲虫飼育部』に入ろうよ」
だからか、聡美の勧誘も思いのほか素直に受け取ることができた。
「うん。その……皆さんが良ければ」
小声ではあったが、紛れもなく嬉しさを含んでいたその言葉。
穏やかに微笑んで、聖夜が言った。
「誰も拒否なんてしないさ。……でしょう、京也さん?」
「もちろん。――歓迎するよ、ここはいつだってね」
京也も柔らかい笑みで、初代部長の頃から引き継がれたいつもの決まり文句で答える。
「……っ、はい! よろしくお願いします!」
本当に嬉しそうな凪咲の返事に、聖夜達の表情もいつの間にか緩んでいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その後、何匹かのパプアキンイロクワガタを掘り起こして。
「……よし、とりあえず今日はこんなもんかな。それにしても本当に可愛い子達だこと」
思ったよりもブルーっぽい個体が多かったことに満足げな表情を浮かべながら、聖夜は机上にこぼれたマットを掃除する。
「あっ、そうだ。聖夜君?」
すると、その様子を傍で見ていた灯香が声をかけた。
「はい、いかがされました?」
「いつも通り丁寧な口調だねぇ……それはそうと、そのパプキン、良ければワンペア頂けないかな?」
そんなことでしたか、と聖夜は微笑み、
「構いませんよ。何なら、ワンペアと言わずスリーペアくらい差し上げましょうか?」
聖夜が今ここで飼っているクワガタは三種類。なかでもパプアキンイロクワガタは小さいため飼育スペースを取らず、ゆえに彼が前シーズンに産ませすぎたせいで、今でも成虫幼虫合わせて四十匹ほどがプリンカップに飼われている。つまりは、貰えるだけ貰ってくれた方が彼にとってもありがたいのである。
驚いた表情で灯香が手を横に振った。
「いやいや、それは悪いよー。……でもせっかくだし、やっぱりツーペアくらい貰っちゃおうかな?」
しかし、どうやら思い直したらしく、申し訳なさそうに言葉を続けた。
それを、彼は柔らかい微笑で受け止める。
「ええ、了解です。それじゃ、あと一ヶ月ちょっとで大体羽化し終わると思うので、その時に好きな子達を持っていってください」
「ありがとっ。……あっ、それじゃあ聖夜君にも私のタランドゥスあげようか?」
「おや、いいんですか?」
願ってもない話だった。今の聖夜はパプアキンイロクワガタとアンタエウスオオクワガタをここで飼っているが、そろそろもう一種類くらい増やしたいと思っていたところだった。
「うん。羽化してからの方が良い?」
「あー……そうですね。大きくない子でいいので、元気いっぱいなのをいただければ」
「いいよー。それじゃあ、とびっきり元気な子達にするね!」
ありがとうございます、と聖夜は軽く頭を下げ、そして立ち上がった。
「さて、それじゃちょっと席を外します。……行こうか、凪咲ちゃん?」
差し出された手は凪咲に向いている。意表を突かれて固まってしまった彼女だったが、聖夜は優しく一言。
「及ばずながら、力になるよ」
――それを聞いて、凪咲は涙が零れそうなくらいに嬉しくなった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
所変わって、ここは校内の空き教室。聖夜が適当に見繕った……わけでは決してなく、一年生が来ないようなところをちゃんと選んだ空き教室である。
――代わりに、二年生は普通に通るところなので、先程から奇異の視線を向けられまくっているが。
「ほら、座って座って」
だが、聖夜は一切気にしていなかった。同級生の多くは聖夜が相談事を受け付けていることを知っているし、もし何か難癖をつけてくる輩がいたとしても適当にあしらっておけば問題ないからだ。事実、聖夜に対して悪感情を持つ生徒もそれなりにいるが、聖夜にはそれをどうにでもできる力がある。具体的には学内での権力及び影響力。
「は、はい……」
だが、それはそれとして、凪咲が居心地の悪さを感じてしまうのも無理のないことではある。緊張を隠すこともできず恐る恐る席に着いた彼女の、机を挟んだその正面に、聖夜もたははと笑いながら近くにあった椅子を移動させた。
「お互い様だな、緊張しているのは……」
ゆっくりと座り、小さく息を吐く。相談を受ける側とはいえ聖夜も人間。初めての経験に、彼は少々気を張っていた。
「……まあ、ありのままでいこうか。緊張もまた、素の君を出すのにちょうど良いかもしれない」
ふう、と柔らかく息を吐き、聖夜は芝居がかった様子で席に着いた。
「さて、それじゃあ――」
そうして、いかにもわざとらしく、微かに口角を上げて。
「――君の悩み、お聞かせ願おうか」
瞬間、がらりと雰囲気が変わった。演技をする聖夜が、この馴染みの無い放課後の空き教室が、それら周りの物が揃って現実ではなくなったかのよう。まるで、物語の中に迷い込んだようで。
少なくとも、凪咲自身はそんな感覚をおぼえた。先程までの緊張や居心地の悪さも和らぎ、出すのを躊躇うはずだった言葉が零れる。
「実は――」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「――この学校に入ったとき、他にも同じ中学だった子達がいたんです。私、中学で軽くいじめを受けていて……」
「でも、同じクラスじゃなければ関係無いって思ってて。なのに、一人だけ同じになっちゃって……」
「その子は、取り巻きを作るのがすごく上手なんです……だから、クラスでもすぐに中心みたいになって、気に入った人達だけで仕切るようになり始めちゃって……」
辛そうな、涙すら零れてきてしまいそうな様子でぽつぽつと話す凪咲。それを聞いて、聖夜の表情も険しいものとなる。
「それは、また……つまり君は、中学からのいじめを未だに受け続けているというわけか」
「はい」と答えた彼女は、しかし、
「でも、それは良いんです。本当に相談したいのは、私と仲良くしてくれようとした子達までいじめられているってことなんですっ……!」
紛れの無い必死さが滲んでいる声で、凪咲は聖夜にそう訴えかけた。対して、彼は困惑しながら彼女に問い返す。
「凪咲ちゃん、君は……自分よりその子達を優先してくれ、と?」
「はい………私はもう慣れましたけど、他の子達が巻き込まれるのは嫌なんです」
嘘だな、と聖夜は判断した。他人を巻き込みたくない、というのは本音だろう。しかし、こんなに悲しい顔をしているこの子こそ一番辛い思いをしている、ということは間違いないのだ。
黙って立ち上がり、彼女の側へ。そして屈み込む。
「きっと言い辛いだろう、でもこの場で強がる必要はない。――教えてくれ、君の本音はどうなんだ?」
これは、非常に重大な問題だ。解決するなら、彼女も含めて全ての人を。そうでなければ聖夜は自分に納得できなくなる。
カウンセラーという立場としては、これは褒められた行為ではないのだろう。それでも、と聖夜は強く、そして優しく問いかける。
「っ、私は……」
視線を落とし、躊躇いを見せる凪咲。情けないところは見せたくない、自分は大丈夫だということを貫かなければ。彼女はそう思っていた。
なのに、聖夜の真っ直ぐな視線はそれを許してくれない。その眼差しはまるで、凪咲の本音を見抜いているようにも感じられた。
「別に、私は大丈夫です……」
「本当に、そうなのか? ……君だって辛い思いをしているはずだ。相談を受ける俺には、関わっている子達全員を救い、解決する責務がある」
そのように言葉を続ける彼の表情は、しかし優しさに満ちていた。凪咲の心の壁を融かしてしまいそうな。この人なら、自分の本音を言っても良いのではないか。そう思ってしまうほどに。
「――俺は、君も救いたいな」
その言葉が引き金だった。凪咲の意思に反して零れ落ちた涙は、そのままとめどなく頬を伝っていく。
「わた、しは……っ、」
すべて受け入れてくれそうな聖夜の視線は変わらない。
――もう、言ってしまえ。
「私も、助けてくださいっ……!」
「よく言ってくれた」
ぽん、と。自分より大きな手が、頭にのせられた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「落ち着いたかい?」
「はい……ありがとうございます」
ようやく泣き止んだ凪咲の顔は、羞恥の色こそあるが、しかし聖夜にはなんだか少しすっきりしたように見えた。
「それと、ごめんなさい……その、つい」
「ああ、気にしなくて良いよ。むしろ、あれで発散できたのならなによりだ」
彼女が恥ずかしそうにしている理由は、何も泣いているところを見られたからということだけではない。
――頭に手がのせられた直後、彼女は自分でもよく分からないまま聖夜の胸に顔を埋めていたのだ。
(なんであんなことをしちゃったの、私……?)
すると、首に何か冷たいものが当てられた。ひゃっ、と小さな悲鳴をあげた凪咲の目に、缶を持って苦笑する聖夜が映る。
「はいよ。いるかい?」
「あっ、ありがとうございます……」
よく見てみれば、それはオレンジジュースの缶だった。プルタブを開けて一口飲むと、変に火照った体に冷たい酸味が染み渡る。
ほぅ、と息を吐き、改めて聖夜を見る。ごく自然な様子で黄色と黒が目立つ缶をあおる彼は、凪咲が泣き付いたことなどまったく意に介していないようだった。
ちらちらと向けられる視線に気付いたのか、聖夜が微笑んで言った。
「……まあ、初めは驚いたけど。でも、知り合って間もない男相手に《《ああなって》》しまうくらい、内に溜め込んでたってことだろう?」
普通なら、凪咲のように真面目な少女なら尚更、異性の胸を借りて泣くなどまずあり得ない。つまり、そんな判断すらできなくなるほど追い詰められていたというようにも考えられる。
(やはり、深いな)
記念すべき最初の仕事にしては些か手に余る案件ではある。だが、もとより聖夜に『解決する』という選択肢以外は存在していない。
それに、もう一つ。
「女の子の涙を見せられて心の動かない男がいるものか。意地でも、最善の解決策を見つけてみせよう」
「っ……」
女性の涙を目の当たりにして何も感じないほど、聖夜は冷酷な男ではない。むしろ弱い方だ。あるいは、美奈子は聖夜のそのあたりに、相談者としての何かを見出したのかもしれない。
ともあれ、ここからは解決策を見つけるために動く。
「――さて、話を整理しようか。君は中学から続くいじめを受けている。そして、君にとっては最悪なことに、周りの子達まで巻き込まれてしまっている。間違いは無いか?」
こくり、と頷く凪咲。それを確認し、聖夜は腕を組んで考える素振りを見せた。
「ふむ。……ちょっと思ったんだけど、君はF組だったよな?」
「え、ええ……」
首を傾げる彼女に、聖夜は「いや」と呟き、
「F組には知り合いがいてね。……その子達がいるのにいじめがあるなんて、何だかちょっと不可解に思えたんだ」
あのっ、と凪咲が声をあげた。
「その人達が誰なのかは分からないんですけど……仕方ないと思います。入学してからまだそれほど経ってませんし、周りのことまで気にするなんて無理です」
表情を暗く落として、
「……それに、あからさまにやられている訳でもないですから。周りからは、ちょっと仲が悪いのかな、程度にしか思われてないのかもしれません」
突然言葉を挟まれ少し驚いた様子の聖夜は、けれどもふっと口の端を緩めた。
「なるほど。やっぱり優しいんだな、凪咲ちゃんは」
「へっ……?」
今度は凪咲が驚く番だった。しかし聖夜はそれに答えず、話を戻す。
「……まあ、それなら無理もないか。彼女達だって、新生活で忙しいんだろうから」
とはいえ、と聖夜は腕を組んで、
「他に当てがあるわけでもないからなあ……俺が直接何かしても良いけど、それをやると予後が悪くなるし」
どうしたものか……と呟く彼に、おずおずと凪咲が問いかけた。
「あの……彼女達って、誰のことなんですか?」
しばし、呆けた表情を浮かべる聖夜。しかしすぐに笑みを戻して。
「……あっ、そういえば言ってなかったか。雪宮瀬那ちゃんと奏城深央ちゃんっていうんだけど、知ってる?」
さほど悩む様子もなく、彼女は頷く。
「はい、すごく可愛い人達だったような……」
「あー、うん。多分その子達だな」
同性から見てもやっぱり可愛いのか、と聖夜は密かに感心しながら。
「まあ、凪咲ちゃんも相当可愛いけど。ともかく、あの子達は知り合いだから、力になってくれるんじゃないかなと思って」
正直なところ、自身で解決したい気持ちは確かにある。だがそれは、後のことをまるで考えず短絡的に終わらせる理由にはならない。クラスからいじめが無くなっても、彼女の居場所が出来なければ意味が無いのだ。
――と、何やら凪咲の様子がおかしい。俯いている彼女の耳は、真っ赤に染まっている。
「えっと、大丈夫か?」
「うぅ、そんな急に褒めないでください……」
「褒めないで、って……あっ、」
彼は気付いた。「凪咲ちゃんも相当可愛いけど」などと宣ってしまったことを。
「あー……その、なんだ。別に世辞とかってわけじゃないんだけど、気を悪くさせたとしたらすまない」
「いえ、大丈夫です……」
気まずい空気が流れる。――だが、聖夜は首を振り、それをかき消した。
「――悪いね、脱線させてしまって。ともかく、一つの案として、君のクラスメイトに力を借りるというのは悪くないと思う」
たったそれだけで、さっきまでの芝居がかった調子に戻る聖夜。しかし凪咲はそうもいかなかった。
(うー、顔が熱いよお……)
こうもストレートに『可愛い』などと言われたことはない。動揺してしまうのも無理はなかった。
それは聖夜も分かっているだろう。だが、その上であえて、凪咲が気にしないよう平静を装ってくれている。
ひとまず、聖夜の提案に頷いた。力を貸してくれる人がいて、しかもそれがクラスメイトだというのなら、凪咲としても非常に心強い。
「それで大丈夫かな? ……よし、じゃあ早速動くとしますか」
しかし、聖夜が放ったその言葉には驚いた。
「えっ、もしかして今から……ですか?」
「もちろん。君だって、こんなの早く終わったほうが良いだろう?」
当然と言わんばかりの聖夜。もちろん凪咲からしても、この事態がすぐにでも収束するなら、それに越したことはない。――ない、のだが。
「でも、そんな急に……協力してくれるって子達も、突然言われたら驚くんじゃないでしょうか?」
「ん、まあ確かに驚くだろうけど……彼女達、特に瀬那ちゃんはこういうこと大嫌いだから、すぐに動かなかったらむしろこっちが怒られちゃうよ」
それに、と聖夜は真面目な顔で、
「まだクラスの交友関係が固まっていない今なら、いくらでもそれをかき回す余地がある。逆に言えば、今のうちにやっておかないと非常に面倒なんだ。……ダイヤモンドよりカーボンの方が割れやすいように、生徒同士が強く結合していないうちに対処しないとな」
例えには驚いたが、確かにと凪咲は納得した。と同時に、彼女は聖夜がやろうとしている事に気付いてしまった。
「まさか……クラス内のグループを壊すってことですか?」
「そういうこと。それくらいしないと、いじめという問題は解決できないからね。君が心配する通り、いじめの標的は簡単に移り変わってしまうものだから、いっそクラスカーストごと破壊してしまう必要がある」
褒められた行為じゃないけど、と聖夜は曖昧に笑った。たった一人の生徒を助けるために、上級生がクラスの関係そのものを台無しにするのだ。誰から見ても、それが正しいことだとはとても言えないレベルの行為。
それでも、凪咲は何も言えなかった。ただの相談のつもりだったのに、聖夜は本当に解決するために動いてくれるのだ。常識的に考えても、そして彼女自身の本音からしても、言えるわけがなかった。
「本当にごめんな。確かに、無関係な子達も巻き込んでしまうだろうし、それは君の本望じゃないと思う。……でも、俺にはこれしか思い付かなくて」
「そんな、謝らないでください!」
聖夜は悪くない。ただ、凪咲の悩みを解決する手段を提示して、それがちょっとばかり過激なものであったというだけだ。もし何かが起こったとしても、それは聖夜だけの責任ではない。
――結局のところ、それを選択する凪咲の責任なのだ。
「……お願いします。力を貸していただけませんか」