9話〜二人の転校生〜
投下するの忘れてた……
月曜日。すなわち週始め。学校や職場に行きたくない者が一憂する、そんな月曜日。
叢雲学園高校の駐車場に、一台の赤いRX-8が良い音を響かせながら入ってくる。
そしてそこから出てきたのは、ここの制服を着た一人の少年。彼はドアを閉めると、満足そうに車を眺めて言った。
「ちょっと足を柔らかくしたけど、結構良い感じだな。峠とかだと上手い具合に走れそうだ」
サーキットでは柔らかいだろうけど、と一人呟きながら、その少年――聖夜は昇降口へ。そのまま上履きを突っかけ、そして教室へと入る。
「ちーっす」
「あ、おはよう聖夜」
すると凛音が真っ先に気付き、彼に挨拶を返した。続けて汐織や瞬、健が挨拶をする。
「おはよーさん」
「おはよう。今日は遅かったじゃない」
「まあ、色々とな」
(サスいじってたら遅くなっただけなんだけど)
「そういや凛音、転校生来るのは今日だっけ?」
「うん、多分そうだと思うよ」
「え、それ初耳なんだけど。どういうことだよ、聖夜?」
「あー、それは……ってもう時間じゃん」
転校生がどうのこうのと彼らが話し始めた矢先、教室にチャイムが響いた。生徒達はそそくさと自分の席に戻り、しばらくして担任の美奈子が教室に入ってくる。
「おはようございます、皆さん。新しいクラスにはもう慣れたかな?」
いつも通り明るく話し始める美奈子。そして、生徒達は一様に頷く。
「それは良かった。……さて、今日から少しずつ忙しくなってきます。委員会を決めたり、クラスの係を決めたり……」
そこまで言うと、彼女は一旦言葉を切った。
「……しかし、その前にもう一つ。突然ですが、このクラスの転校生を二人紹介します」
この一言に、聖夜と凛音を除く全生徒が驚きの声をあげた。
「転校生?」
「しかも二人だってよ!」
「男子かな、それとも女子かな?」
そんな呟きがあちこちから聞こえる。
その例に漏れず、汐織も隣の聖夜に小声で尋ねた。
「ねえ聖夜、何か知ってるんでしょ?」
「どっちも女子らしいってことだけは聞いたけど……」
凛音から聞いたのはそれと『一人は聖夜が知っている』ということだけであり、詳しい事は彼も知らない。一体どんな人達なのだろうか。
美奈子がもう一度生徒達を見回してから、やや楽しげに廊下の方へ声を掛けた。
「それでは二人共、どうぞ」
その声に教室の前扉が開き、二人の少女が教室に入ってきた。片や腰まで伸びた黒髪ロングの優雅な少女、片や黒髪をショートにした物静かそうな少女。まるで対局にいる二人だが、しかしどちらも相当な美人だ。
そんな二人を目の当たりにして、教室中のざわめきが大きくなる。特に男子。
……その中で、聖夜はまさかとでも言いたげな表情でロングヘアーの少女を見ていた。
その二人は教壇の前に立つ。そして、ロングの少女が自己紹介を始めた。
「はじめまして。私は風鳴時雨といいます。よろしくお願いします」
その少女――時雨はそう言うと、流麗な仕草で一礼。教室中に拍手が沸き起こる。
しかし、聖夜と汐織は二人で囁き合っていた。
「まさか、『風鳴』って……」
「……そのまさかだよ。まあ、『三音の一族』の生き残りが全員この学校に揃うとは思ってなかったけど」
ふと時雨と目が合い、聖夜は彼女に微笑を向ける。すると、時雨も同じように彼に微笑み返した。
そう、この二人は顔見知りだ。あの事件前に……いや、事件後にも何回か会っている。知り合いというより、今の関係は友人だろう。
それはそうと、自己紹介を終えた時雨がもう一人の少女に場所を譲った。その少女も、時雨と同じように一礼。
……が、何故か声を出そうとしない。表情を変えずに教室を見渡している。
時雨に続いて、聖夜はその少女とも目が合う。しかし、そのままスルー……されると思いきや、その少女は聖夜を長いこと見つめていた。どういうわけか少女の表情が揺らぎ、そこに僅かな疑念と驚愕が見て取れた。
(……?)
聖夜が、そして教室中が困惑する中、少女の代わりに美奈子が口を開いた。
「……実は、この子はある事情によって声が出せません。自己紹介、黒板にお願い出来ますか?」
そう聞かれ、少女は聖夜から目線を外して頷いた。教室がまた驚きに包まれるが、少女は気にも留めず黒板に書いていく。
そこに書かれていたのは、『北上 楓』という文字であった。少女の名前である。
「……はい。ということで、この子は北上楓さんです。皆さん、時雨さんと楓さんの二人と仲良くやっていきましょうね」
そう美奈子が締めくくると、困惑が抜け切っていない生徒達もとりあえず大きな拍手をする。
聖夜も拍手をしながら、後ろの席へと歩いていく二人の少女を目で追いかけていた。
(時雨が来たのには驚いたな……俺と同じクラスなのは、恐らく何か働きかけがあったんだろう。にしても『三音の一族』を一つの学校に集めるとか、政府は一体何考えてんだか……時雨が希望した、ってことなら納得だけどな。逆らえるわけもないし。
……それにしても、もう一人の子も気になるな。なんであんなに俺を凝視していたんだろうか。俺の方はちょっと心当たりがないんだけど)
早くも、転校生の二人に聞いてみたいことが出来てしまった聖夜であった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
HRが終わり、今は休み時間だ。
「おう聖夜。あの二人の転校生、どっちもすげえ美人だったな」
「よう、健。まあ確かに、正直びっくりしてるわ」
チャイムが鳴ってすぐに、聖夜の机へ集まってきた瞬と健。そのまま彼の机の周りで、汐織と仲の良い二人の女子と、汐織本人を交えた六人で喋り始めた。
その女子の一人、宮澤香穂という少女が口を開く。
「そうだよねー。私ちょっと自信無くしそうだもん」
「いや、言うほどお前らも変わらんだろ。そんなこと言ってたら世の中の女子に刺されるぞ」
「おうおう、随分と格好付けてんじゃんか瞬よ。お前こそ他の男子に刺されてしまえ」
笑いながら言う瞬と健に、聖夜が呆れたように声を掛けた。
「うっせーぞイケメン二人組。お前らどっちも刺されるべきだ」
「月影君も人のこと言えないよ……」
するともう一人の物静かそうな女子、鹿野静菜も口を開いた。それに対して、聖夜は冗談っぽく答える。
「良いじゃんかよ、シズ。嫉妬するくらいは許してくださいな」
このイケメン達は全く……と呟く聖夜に、女子三人は苦笑。特に汐織にはそれが顕著だ。
「……そういや、三人は転校生のとこ行かなくていいのか?」
「……今、いっぱい居るからね」
言って、汐織は時雨の席の方を見た。彼女は凛音を含む多くの女子に囲まれており、色々と質問されている。
そんな中で、ふと時雨が立ち上がった。周りにいる人達にすまなそうに手を合わせてから、こちらに向かって歩いてくる。
(……なんで?)
汐織が疑問に思ったのも仕方ない。なんで転校生がこちらに向かってくるのか。しかも、時雨の視線は聖夜に向いている。ますます謎だ。
時雨のことは男子三人からは見えておらず、香穂と静菜も話に夢中で気付いていない。汐織がどうしようかと悩んでいる間に、時雨は聖夜のすぐ後ろまで来ていた。
……次の瞬間。
「えいっ」
「「「……!」」」
時雨が、座っている聖夜の後頭部に抱きつくという驚くべき行動を取ったのだ。汐織達のみならず、クラス中がそれを見て驚愕する。
……しかし、当の聖夜はさほど驚いていない。
(……学校でもやってくるとはな。時雨だから、で納得出来ちゃうのがなんとも)
とはいえ、後頭部に柔らかい何かが当たっているというのはあまりよろしくない。そのため、聖夜はなるべく余計な動きをしないように顔を前に移動させた。
そのままゆっくりと振り向いた聖夜に、時雨が残念そうに言う。
「もう、釣れないなあ……」
それを受けて、聖夜は苦笑。やれやれとでもいいたげな、しかしとても優しげな眼差しで。まるで、家族に対する柔らかさで。
「釣れるかっての。……久し振りだな、時雨」
「……うん。久し振り」
そんな聖夜の態度に驚いていた汐織達であったが、しかし、時雨の行動に再び驚くこととなった。
あまりにも唐突に、時雨が聖夜に抱きついたのだ。聖夜もそれを拒もうとせずに受け入れる。
聖夜の胸に顔をうずめたまま、時雨が嬉しそうに言った。
「久し振りね、こんなことをするのも」
「こら、誤解を招く発言はやめなさい。この間はこんなことしてないだろ」
「ふふっ」
人目も気にせず、抱き合った状態のままで話す二人。そんな状況に、クラスの全員は唖然としたままだ。
しかし、ようやく凛音が再起動する。
「えっ? ちょ、ちょっと聖夜、どういうことなの?」
問われ、聖夜は時雨に目配せをした。それを受けた時雨は、名残り惜しそうに聖夜を放す。
「あー……まあ、知り合いだ。結構昔からのな」
「なんか曖昧なんだけど……」
色々あるんだよ、と聖夜は苦笑。そんな奥歯に物が挟まったような、聖夜にしては珍しい口調に、凛音も渋々引き下がった。こういう時は深く聞いてはいけないのだと、聖夜と長らく一緒にいた凛音はよく知っているからだ。
「……まあいいや。それにしても、急に抱き合ったりするなんてね」
「いや、それは俺が悪いわけじゃないだろ……」
凛音やクラスの女子の白い視線に、聖夜は非難するような目で時雨を見た。しかし彼女はそれをさらりと受け流して言う。
「別に良いじゃないの。……聖夜も嫌じゃないみたいだし、ね?」
「うぐっ……まあそりゃ、確かに悪い気はしないけどさ」
ますます白い視線が突き刺さるのを感じて、聖夜はこほんと咳払い。
「……とにかく、俺と時雨はただの知り合いだから。はい、この件はおしまい」
「何それ……」
相変わらず冷たい視線は無くならないが、彼はもう気にしない。気にしないったら気にしないのだ。
「……それよりもだ。時雨、放課後空いてるか?」
「うん、空いてるよ」
「よし、ならちょうどいいな。……舞」
聖夜は唐突に話し始めると、急に舞の方へと向き直る。彼女は今、もう一人の転校生である楓の所にいた。
「へっ、私?」
「ああ。……それに、北上さんも。二人共、放課後は空いてる?」
「? まあ、空いてるけど……」
聖夜の意図を掴めないままとりあえず答えた舞と、聖夜の言葉に頷く楓。
時雨がからかうように言った。
「なんだ、デートのお誘いかと思ったのに」
「いくら俺でも堂々とそんな事はしないっての。……部活の案内とかした方が良いかな、って思ってさ」
なるほど、と舞は納得の声。
「すごいね、聖夜君。そんなことにまで気が回るなんて……」
「たまたま気付いただけなんだけどな。……でもまあ、必要だろ?」
そう問われ、時雨は頷く。楓も一拍遅れて同じように頷いた。
だが、そこで舞は疑問に思う。
「……でも、どうして私なの? 凛音ちゃんとか、相応しい人は他にもいるよ」
「その言い方だと、まるで舞が相応しくないみたいじゃないか」
「そういう意味で言ったんだけど……」
「謙遜し過ぎだよ」
聖夜が優しく言う。
「舞を選んだのは、単純に北上さんと仲良さそうにしてたからだ。もうラインも交換してるみたいだし」
彼は舞と楓の手元を見ながらそう付け加えた。声が出せない楓のコミュニケーション方法は、どうやらスマホを使ったものらしい。
「舞が真っ先に北上さんのところへ行ったのも見てたしな。北上さんと仲が良いのは舞、時雨と仲が良いのは俺。だから俺と舞が案内するか、って思ったんだ」
迷惑じゃなければだけど、と聖夜が彼女達の方を見る。優しく微笑む彼の提案だ。舞と時雨はもちろんのこと、楓も断るはずが無い。
しかし同時に、楓が持っていたある疑念もますます深まった。
(あの微笑み方とか、やっぱり雰囲気が御月零夜さんに似てる。まさか本当に……?)
いや、まさかと自問自答。
(でも、それならもっと騒がれているはず。それにあの人は車に乗っているはずだし、高校二年生ってことはあり得ない……)
「……おーい。北上さん、大丈夫かい?」
「……!」
いつの間にか顔を覗き込んでいた聖夜に、楓は慌てて頷く。
それはそうと、彼はどうして楓の席に来たのだろうか。何? と首を傾げる楓に、聖夜はポケットからスマホを取り出した。
「いや、俺にもライン教えて欲しいなって。ダメかな?」
友人なら、またこれから友人となるならば当たり前と言えるような提案。しかし、楓は戸惑った。
(なんで私と仲良くしようと思うの? 男子から声を掛けられるなんて、今まではほとんどそんなこと無かったのに……)
前の学校に居た時は、女子はともかく、喋れない楓と純粋に仲良くしようとする男子はいなかった。だからこそ、彼女は戸惑っているのだ。
その沈黙を否定と受け取ったのか、聖夜が苦笑して言った。
「……まあ、嫌なら無理にとは言わないよ。すまなかったな」
(っ!? 違う違う!)
楓は思わず首を横に振った。そして、その自分の行動にびっくりする。
(なんで私も、男子とライン交換なんてしようとしてるんだろ。男子なんてロクなものじゃないって思ってたのに……)
もしかしたら、目の前のこの少年だけは違うのかもしれない。雰囲気といい立ち振る舞いといい……目立とうとしていたり格好付けているわけでもなく、しかし普通より数段格好良い。
(……下心が感じられない男子なんて初めて見た。って、あれだけの美少女達と知り合いだったりするんだから当たり前かもしれないけど)
楓は時雨と汐織を見る。あんな美少女達と、彼は相当仲が良さそうに話していた。
なら、この少年は信頼出来るのかもしれない。男子の友人なんて、声を失ってからは初めてだけど。
「……教えてくれるのか?」
スマホを取り出した楓に、聖夜は微笑みを絶やさないままそう聞いた。楓は迷わず頷く。
そして彼らはお互いのアカウントを教えようとスマホを操作し始めたが、そのタイミングで聖夜に男子から声が掛けられた。
「おい聖夜、お前だけずるいぞー」
「そーだそーだ」
口元に楽しそうな笑みを浮かべながらそう言ったのは瞬と健だ。そんな親友二人のからかいに、聖夜は苦笑を浮かべて言い返す。
「うっせえクリーパーぶつけんぞ。つーか邪魔すんなって」
瞬間、クラスの何人かが吹き出す。かくいう楓も、我慢しきれずに吹き出した一人だ。
(クリーパーって……くくっ……)
ご存知マイクラの自爆モンスターである。聖夜の口からそんな冗談が淀み無く出てきたということに、楓を含む何人かは耐えきれなかったのだ。
聖夜が困ったように言う。
「……えっと、今のそんなに面白かった?」
未だ肩を震わせながら、楓は頷いた。聖夜はますます困ったように頬を掻く。
そしてしばらく楓は笑っていたが、ようやく落ち着いた。改めてスマホを操作し始める。
お互い交換が終わり、楓は早速メッセージを送った。
『これからよろしくねっ』
顔文字などは無い単文だが、不思議な可愛らしさがある。それを見て聖夜も文字を打ち返した。
『ああ。こちらこそよろしくな』
話して返すのは無粋だと、何故かそう感じて。