005 俺って予備校の有名教師ってか?
メロは、久しぶりにまともな部屋のベッドの上に横になると、そのあまりの寝心地の良さと安心感からこみ上げてくる涙が止まらなかった。
首を回すと、翔が背中を向けて寝ていた。床に寝ると言い張るメロを、ベッドが二つある部屋を用意して無理やり寝かしつけたのだ。
それでもメロは、女として少しくらいは警戒していたのだが、翔はあっけなく横になるとすぐに寝息を立て始めた。最初は狸寝入りかもと疑っていたが、どうやらそんなこともなさそうだ。「この男の子は本当に自分を女性として見ていないのだろうか」とさえ思えてくる。
メロは、あの利かん気でワガママな威厳に満ちた大妖精たちに囲まれた翔を最初に見た時、大精霊たちが嘘のように八体も整列させられ、翔の指示に従って機械のように動いているのを目の当たりにして、腰を抜かさんばかりに驚いた。いっそ驚きを通り越して、恐怖すら感じさせられたのだ。
ところが話してみれば、翔はそれらの大妖精たちを事もあろうに「小妖精」と呼び、使役するのが当たり前だと言い放つではないか。
それだけで、この翔という、見た目は平凡で冴えない男の子がいかに恐ろしい魔術師であるかすぐに分かった。
そんな彼が、気まぐれだとは言っていたが、メロを弟子にしてくれるという。
思えば育ての母であり、師でもあったカロン・アルファードが恐ろしい悲劇に見舞われ、同時にあの暖かかった我が家も燃え落ちてしまってから、惨めな毎日を強いられてきた。
その辛さが、温かい食べ物とベッドのおかげで、逆に強く感じさせられたのである。
ひとしきり泣いて、メロは眠りに落ちた。
☆☆☆
翌日、翔が起きるとメロの姿はベッドになかった。
別の部屋を取ってやると言ったが全く言うことを聞かず、メロは床に寝ると言い張ったのだ。せめてとベッドに寝かせるのには苦労した。
昨夜のメロは臆病者のくせに、意地っ張りで言うことも聞かず、発言も過激だった。「面倒くさい奴だ」と呆れたが、本当に久しぶりに風呂に入ったのだろう、さっぱりしたメロは見違えるように可愛くなった。
この娘は化粧どころか顔も洗っていなかったのか、と呆れる翔だった。
姿が見えなくなって少し不安になったので、翔はメロを呼んだ。
「メロ!」
「何?」
メロが返事をして、のっそりとベッドの傍に姿を現した。派手な洋服が目に飛び込んできて眩しい。
安心した翔は、何を言おうかと一瞬戸惑ってしまった。
「お前は、自分のMPを魔法に投入するのに、どのような物差しを基準にしている?」
適当に話題を振った。
「分からない。適当かな」
あまり考えもせずにメロは答えた。首を傾げる仕草が可愛い。
────メロらしい答え方をする。
そう思って、翔は思わず苦笑した。
「まぁ、そうだろうな。想像するにお前は、魔法を正しく学ばなかったのだろう」
翔は、メロの能力と技能のギャップが大きいことが不思議だった。普通は習わないと魔法など使えないものだし、習ったらもう少しうまく使えるはずだ。
少しメロは言い淀んだが、「そうかな」と認める。
「お前の師は、お前を一人前の魔術師にしようとは考えなかったのだろう。なぜだ?」
これほどの才能を持った者に本気で魔法を教えないのには、それなりに理由があるはずだ。
その質問に、メロは驚きの表情を浮かべた。
「どうして分かる?」
翔はメロの驚きを見て、可笑しくなって笑った。
「お前の魔法を見ればわかる。お前のように贅沢な魔法の使い方をしているのを見れば、お前の師匠がお前をどれほど甘やかしていたか一目瞭然だ。師匠はお前に、戦いなどして欲しくはなかったのではないか?」
「そう。私の師匠はカロン・アルファード。育ての親。どちらかと言うと師匠というよりは母親。優しくて、一度も叱られたことはない。魔法はカロンの使っているのを見ながら自然と覚えた。教えてもらったこともあるかもしれないけど、覚えていない。師匠と弟子のようなものではないかも」
────なるほどな。
それを聞いて翔が納得する。
────アリス、カロン・アルファードを検索しろ。相当な魔術師じゃないか?
《カロン・アルファード。魔術師ギルドに属していないモグリの女魔術師で、魔女と呼ばれる少し変わった職業のようです。そのためか情報の少ない女性ですね。ユーリ王国の国王暗殺や、その他いくつかの要人の暗殺に加担したとの不確定情報が各国の情報機関にあります。ボリホイ火山の魔女という通り名は、本来このカロンに付けられた二つ名のようです。カロンの情報は三年前、このボリホイ火山が最後になります。これも確定情報ではありませんが、カロンの住んでいた山荘はその頃、何者かの襲撃で燃え落ちたとの記録があります》
アリスの情報が確かなら、カロン・アルファードは暗殺者のようなヤバイ仕事をしていたのかもしれない。
ヤバイ仕事を請け負ったカロンに対して、深く知りすぎた者を排除しようと考えた雇い主がいたのか。あるいは、それを撃退できないほどにカロンが老化していたのかもしれない。働かなくなった殺し屋の末路などは、そんなものなのだろう。
可愛い養女を残してこの世を去ることになったカロンの胸中が偲ばれる。
メロの自由奔放な性格は、天性のものもあるのだろうが、カロンが自由にさせていたのも原因であるのは間違いないだろう。それほど甘やかすほど可愛がっていたということだ。
カロンの死は、自業自得とはいえ無念だったろう。
────カロン。お前の愛弟子は俺が引き受けてやるから安心しろ。
翔は目をつむって心で誓った。
「メロ。お前の育ての母は、相当優秀だったのだろう。お前には素質があるが、それだけでこれほどの魔法が扱えるようにはならない」
そう翔が言うと、メロは自分の育ての母が褒められて嬉しそうに笑った。
「ところで、お前のその大切な師匠はどうしたのだ」
翔は核心を尋ねておくことにした。なぜなら、世界樹ネットで知ったことには軽々しく漏らせないようなカロンの秘密も含まれていたので、メロがどこまで知っているか知りたかったのだ。
メロはしばらく黙って頭を整理しているようだったが、急に目が真っ赤になって涙目になった。
それを見ていた翔は急に可哀想になるが、その気持ちをぐっと堪えた。気の強そうなメロも、悲しいことを思い出すと、さすがに平常ではいられないのだろう。翔は、黙ってメロが話し始めるのを待った。
「えっと」
ようやくメロが話し始めたのは、数分後だった。
「カロンと私はボリホイという火山の麓で住んでいた。突然、山小屋を何者かが襲ってきた。カロンはその時殺され、山小屋も焼け落ちた。犯人は手に変な刺青を入れていた。それだけが手がかり」
メロがたどたどしく説明する。
本当に説明が下手だ。しかし嘘はなさそうだし、メロはカロンが後ろ暗いことに手を染めていたことは知らなかったようだ。
山小屋を襲った賊が手に目印となるような刺青をしているところから見ても、有名な暗殺者集団と考えて間違いないだろう。わざわざ目立つ証拠となる刺青を見せびらかすのは、宣伝や脅しのためだと考えるのが妥当だ。
そう考えれば、襲った集団は自分たちの稼業を誇示したい、あるいは自分たちの存在で圧力をかけたいような組織。つまり、プロの何らかの商売をしている集団と考えるべきだ。そうなれば殺し屋かスパイか、まともな集団ではないだろう。
複数で攻められたカロンは対処しきれなかったのだろう。よくメロは巻き添えにならなかったものだ。カロンはメロを助けようとして殺されたのかもしれない。
「お前は、その賊を探して復讐するつもりか?」
「そう。必ず探して復讐する」
翔はなるほどと頷いた。あまりメロの心の問題に立ち入るつもりはないので黙っているつもりだったが、復讐という不毛な感情に対する己の見解だけは表明しておくことにした。
「俺は復讐という不毛な行為には、賛成しかねるな」
しかしメロは、翔の見解を別の意味で受け取ったようだ。
「私に復讐など無理だと?」
ぷくりと頬を膨らませ、顔を赤くして食いついてきた。
翔は急に面倒になって、ため息をつきながら言った。
「ある意味そうだ。向き不向きで言えば、お前は復讐向きじゃない」
その言葉に、さらに食いつくようにメロが噛み付いた。
「そんなことない。きっと復讐する」
怒りで目付きがきつい。
翔は肩をすくめて見せて、メロの怒りを受け流した。
「どちらにせよ、今のお前では復讐は無理だ。今後の修行を精一杯頑張ってみることだな。復讐するには実力も必要だが、運や情報、金など、必要なものだらけだ。それを少しでもかき集めて復讐に到達するには、かなりの努力と時間が必要だぞ。その時間の間に、復讐の意味をよく考えるんだな」
翔が諭すように言った。
しかし聞く耳など持たないだろう。メロは返事をしなかった。
「それと、お前はカロンさんを唯一の師匠と考えたいのだったな。俺は弟子が欲しいわけではないし、今は魔術師ですらない。お前は無理に俺の弟子になる必要などないぞ。俺の住んでいたところでは師弟制度ではなく、『家庭教師』という制度があった。対価を払って魔術を習う制度だ。お前が金欠なのは承知している。対価は出世払いということにしてやるから、無理に弟子にならなくても、俺がお前を一人前の魔術師にしてやる」
「はぁぁ……」とメロが考え込む。「しかし、お金を払える見込みがない」
「分かった、分かった」
翔は笑いながら、両手の手のひらをメロに向けて安心させるようにジェスチャーで示した。
「もしお前が金を払える程度にならなかったら、俺の教え方が悪かったということだ。その時は金は払わなくていい。お金が稼げるようになったら、家庭教師の報酬を払えばいいさ。まぁ報酬は金貨千枚、ってことにしておこうか。それでいいな。金貨千枚ごときを払えぬ程度にしかお前がなれなかったら、報酬など要らん」
もとより報酬など貰う気もない翔は、とんでもない金額を冗談のようにあっけらかんと言って済ませることにした。
「しかし、当座の生活費もない……」
急にしょんぼりとなってメロが呟くように言った。
怒ったりしょんぼりしたり、忙しい奴だと翔は可笑しくなる。
「生活費はしばらく出してやる。しかし、お前も魔物退治を手伝え。タダ働きをさせたりしないから安心しろ。相応の報酬はやる」
「ふぇぇ……。魔物退治無理〜」
メロが自信なげに叫んだ。先ほどの威勢の良さはどこへ行ったのか。翔は呆れてしまった。
「大丈夫だ。俺がお前を守ってやるし、魔物退治もせずに一人前になどなれるか」
呆れた翔は、少し強めに叱っておいた。
☆☆☆
メロ・アルファードを連れて、翔は郊外にやってきた。さっそく魔物退治をしようというのだ。
標的はグリンランという魔物だ。
《グリンランは、レベル3の魔物です。草場を高速で走り回り、旅人の足首などを囓って怪我をさせるなどの悪さをします。走る速度は人と大差ありませんが、草の中を走るので見えにくい上に、隠蔽魔法を使います》
アリスが説明した。
────ありがとう。
適切な説明に、翔は感謝の言葉を言った。最近、アリスに翔は丁寧な態度を取っている。何しろアリスは本当に役に立つ。その上、とても丁寧で無駄口を叩かない。最高の秘書だと翔は思っていた。
「メロ。見渡す限りでグリンランは何匹いる?」
翔はメロの能力を確かめるために試しに尋ねてみた。
「分からん」
しかしメロは、なぜかとても偉そうに答えた。「威張って答える内容か」とツッコミたくなるが、我慢して翔は続けた。
「ヒントだ。グリンランは隠蔽魔法を使う。隠蔽魔法は見ようとすると見えなくなるが、ぼんやり眺めていると他の景色と違和感ができるはずだ。全体を漫然と見てみろ」
と翔はアドバイスしてみた。
メロは最初、目を凝らして見ていたが、翔のアドバイスに従ってぼんやり見ようと悪戦苦闘し始めた。
そうして見ると、ところどころが丸く不自然な模様に見えてきたので驚いた。
その部分を数える。
「十八匹」
メロは得意になって答えた。「どうだ」と小さな胸を強調させるようなポーズで胸を張ってみせる、現金なメロだ。
翔はメロの可愛らしくも生意気な態度がおかしい。
「正解だ。しかし、実は三百二十匹だ。なぜならグリンランは、だいたい十匹から三十匹で固まって行動するみたいだからな。お前が数えたのは、十八の『グループ』だったってわけだ。本当の正解を確かめるために、隠蔽魔法をもっと『見ないように見てみる』んだな」
「ふーむ! 見ないように見るっ?」
メロは首をひねりながら、じっくり見ている。しばらくして、
「あっ! ぼんやりが分裂した! たくさんの丸がいっぱいだ!」
見え方が変化し、思わず叫んでいた。
「そうだろう。見えなくさせる魔法を見極めるには、そうやってやるんだ。もしお前が自分に隠蔽魔法をかけたとしたら、こんな風に見えるのだと知れ。だから隠蔽魔法は、自分の周りは強く、外側は弱く隠蔽させることで、少しまだらになるようにかけるのがコツだ。そうすれば今のような見極めをされても、少々では分からんようになる」
メロは翔の説明に感動して、目を丸くして翔を見た。翔の教え方のうまさに感心したのだ。メロにとって、これは嬉しい驚きだった。
「ちなみに、お前は隠蔽魔法が使えるか?」
「できない」
「だろうな。隠蔽魔法などという小手先の技的な魔法は、お前らしくないしな」
翔は笑いながら言った。
「隠蔽魔法はこうやるんだ。魔法の術式をよく見て覚えろよ」
翔が術式をゆっくり見せてやる。
「見事。芸術」
メロが感心して呻いた。
翔の術式をメロが真似ようとしたが、魔力が迸って上手く術式が構成できない。
「お前のは、そんなだから迫力ばかりの魔法しか使えんのだ。まず、ゆっくり魔力を出すことだけ練習しろ。こんな感じだ」
翔は、魔力を丸くゆっくり出す別の術式を見せてやる。この術式なら、勢いよく出すと丸くならないはずだ。メロは翔の見せた術式をすぐに作ろうとやってみた。
ぞんざいな言葉を使ってはいたが、一見してすぐに翔の術式を真似ようとするメロに、実のところ翔は密かに感心していた。それほど他人が作る術式は簡単に真似などできないものなのだ。やはりこの娘は、天性の才能があるようだ。
しかしメロの強い魔力と制御の甘さのために、出された術式がすぐに崩れてしまう。
「上手くいかない」
メロは泣き言を言った。
「そんな簡単な術式もできずに何が復讐だ」
翔は辛辣にこき下ろしておいた。
翔が敢えて辛辣な言い方をした意図がまんまと当たり、その一言でメロのやる気に火が付いた。それからしばらく、メロは翔の示した術式の練習を黙々と続けた。
翔はその間、草場で横になってくつろいだ姿をわざとメロに見せつけた。案の定、メロはそんな翔の姿を見てぷくりと頬を膨らませたが、何も言わなかった。
しばらくしてメロがコツを掴んだのか、翔の示した術式ができるようになってきた。
翔は、その様子を見て頷いた。
「できるようになったか。ならば、その術式をできるだけ遠くまで飛ばしてみろ」
横になりながら、翔は一つの術式をホイと飛ばしてみせた。翔の術式は完全な真円を描きつつ、素早く遥か遠くまで飛んでいった。
「ほぇぇ……」メロが唸る。
それからさらに二時間ほどメロは練習し、次第に遠くまで飛ばせるようになった。
「その術式のこの部分は、遠くまで魔力を届かせるための術式だ。できるだけ真っ直ぐ遠くに飛ばすことだけに専念しろ」
翔は寝転びながら術式を出して見せて解説した。
「ふぇぇぇぇぇぇぇ……」
疲れたような声がメロの口から漏れ出た。
「さっさとやってみろ」
容赦なく翔は命じた。
翔の命じたことを、メロは黙々と練習し始めた。天性の才能からか、メロは次第に丸く遠くに飛ばせるようになっていった。
「なかなか、上手じゃないか。ではその術式を、先ほどのグリンランの隠蔽魔法に当ててみろ」
翔が手で鉄砲の形を作り、狙い撃つような仕草をしながら命じた。
メロは、翔に言われた通り術式をグリンランに向けて発射してみるが、思うようになかなか当たらない。これにも練習が必要なのだった。
しばらく試行錯誤を繰り返しているうちに、次第に慣れてきたため、メロの魔法術式がグリンランの隠蔽魔法に当たり始めた。メロの魔法術式が当たると、グリンランの隠蔽魔法が消えてゆくようだ。
見渡す限りたくさんあったグリンランの隠蔽魔法が次第に消えていき、ついには見えなくなったので、翔はメロの魔法を止めさせる。
「メロ。それぐらいでいいぞ」
翔はそう言うと、大きく伸びをしながら起き上がった。
その姿を、メロが恨めしそうに睨みつけた。かなり疲れたようで憔悴した様子だ。
「メロ。ついてこい」
翔はそう言うと、歩き出した。
「メロが魔法で打ち抜いたグリンランの刈り取りに向かうぞ」
メロは、自分が魔法を発射した効果でグリンランが見えるようになったので、ようやく狩りができるようになったのだと勘違いして聞いていた。
グリンランが自分の足に噛みついてこないか、恐々と翔について行く。完全にへっぴり腰だ。
翔は馬鹿にしたように笑って見ている。
ところが、グリンランが隠蔽魔法を使っていた所まで来てみると、グリンランはすべて目を回して倒れているではないか。
────どうして倒れているの?
と、メロは不思議でならなかった。
目を回して倒れている魔物の退治は、簡単に済んだ。すぐに三百匹近いグリンランを仕留めた。
ちなみに翔は、グリンランをメロにも退治するように命じた。これは経験値をメロが獲得するためだ。アリスによると、魔物は自分が退治するか、パーティーメンバーの誰かが目の前で退治して初めて経験値が入ると知ったからだ。
そのことを説明しても、メロはなかなか殺すことができなかった。
一方、翔は躊躇するメロを黙って見過ごし、それ以上注意することはなかった。
翔は口は悪いが、こういう時は何も言わない。メロの心の問題だからだ。
黙々と眠るグリンランの首を切断して処理していく翔を、メロは黙って見続けていた。
普段は能天気なメロも、珍しく迷っていた。魔物を退治するのは気持ち悪いし怖い。しかし魔物を退治しないとレベルが上がらない。さすがのメロも、自分が抱える問題が「復讐」という重大なことなので、今までのように問題を先送りにできないことも重々分かってはいたのだ。
ついに決意して、メロは翔の指示に従って魔物を退治しはじめた。
百匹あまりのグリンランを退治した頃だった。
「翔、レベルが上がった……」
呆然とメロが言った。彼女が驚いたのは、前にレベルアップしたのはかなり前だったからだ。たった一日でのレベルアップという現実を受け入れられなかった。
もちろん、レベル上げは魔物を倒すだけが方法ではない。技の習得、負傷、作戦の立案。成功や失敗、成長、鍛錬、練習、勉強などなど、すべてはレベルアップにつながる。
今までは魔術の腕が上がれば、自然にレベルが上がっていった。だから、嫌な魔物退治の必要性が理解しきれていなかったのだ。
魔物の退治が最もレベルアップに大きく影響しているとの知識はあっても、実感したのは今日が初めてだったのである。
そのことは理解されているようで、なかなか一般には理解されていない。こんな単純な情報だが、仕方のない面もあるのだ。これらの認識の齟齬が起こっている理由は、魔物が容易に退治できないためだ。
メロにとっては、たとえレベルの低いグリンランであったとしても、今回のように容易に大量の魔物を退治することは極めて難しいことだった。
メロには、この状況が何が何だか分からない。
翔が魔核の精製能力で、すべてのグリンランを「緑肉」と「魔核」に精製している様子を、唖然として見つめるしかなかった。
狐につままれたような顔のメロをおかしそうに見て、翔が説明した。
「さっきの術式は、魔力に指向性を持たせる汎用の術式だ。あの術式は、相手の魔力にすら反対方向への指向性を与えることができる。お前のように強力な魔力を持っていると、あれだけで奴らの魔法に強い影響を与えるんだ。お前よりもレベルがかなり低い魔物なら、あの程度の魔法でも魔法を吹き飛ばした衝撃波に耐えられずに目を回すのだ。ちなみに、今、お前のMPはいくら減った?」
「ひゃー。たったの7ですぅ〜!」
メロは目を瞬いて驚きながら叫んだ。
「お前ほどの魔術師なら、今の魔法をアンチ魔法として使えばどれほど有効に戦えるか考えておけ。今までの馬鹿でかい魔法がいかに不経済かわかっただろう」
メロは呆然と、緑肉の山をマジックボックスにしまう翔を見ていた。
「お前もマジックボックスを持っているようだな。入るだけ入れろ」
メロは、養母のカロンから高価なマジックバッグを引き継いで持っていたのだ。
「ひぁい〜」
こうして二人は緑肉をマジックバッグに詰め込み始めたが、さすがに二人分のマジックバッグがあっても全部は入りきらない。
「よし。帰るか」
翔は、グリンランから取れた魔核の一部をメロに分けてやった。
「これは?」
「魔核というんだ。これを飲めば魔法系の属性ステータスがわずかだが改善する」
「はぁ……」
メロは気の抜けた返事をした。魔物から取れたものを飲むのが嫌なのだ。
翔が自分の分の魔核を飲み干すのを見ていたメロは、仕方がないと諦めて嫌々魔核を飲んだ。
「あっ! 土と木属性の攻撃力ステータスが二つも上がった!」
メロは驚いて叫んだ。
どうやらメロも、自分のステータスの変化が分かるらしい。
ちなみに、メロの魔法能力の各属性ステータス値は40ぐらいある。これまでの翔の上がり方だと、メロのステータス値になるのですら数年もかかりそうだ。転生前の翔の能力になるには、何十年もかかるだろう。
気の遠くなるような話だが、魔核はレベルの高い魔物を倒せば大きなものが取れるようだから、仕留める魔物の質を変えれば何とかなるだろう。
「翔、すごい……」
メロの目が、尊敬でまん丸になった。
「俺はMPはたかが10ほどだが、あのザコ魔物ぐらいなら、一時間ほどで殺れるぞ」
翔がダメ押しをしておく。
「ふぁぁい!」
メロが変な敬礼のマネをする。
────本当に変な奴だ。
翔は呆れた。
メロは翔の凄さが改めて分かり、尊敬心と確かな成長の実感で高揚していたのだ。
翔とメロは、詰めるだけ詰めた緑肉を冒険者ギルドに持ち帰った。
物量を受付の女の子に説明すると、大量搬入の部屋に回された。普通は大規模パーティー用の部屋だ。
受付の女の子が三人ほど対応してくれた。
「翔さん、ギルドの新記録ですよ。もともと復活者はレベルの回復が早いとは言われますが、翔さんの場合、レベルゼロなんてお気の毒な障害でしたから、ギルド内では翔さんは潰れちゃうともっぱらの噂でしたのに」
女の子の一人がそう言った。
「まぐれだよ」と翔。
「翔さんのはいつもそれじゃないですか。でも、まさかメロさんとパーティーを組むとは驚きです」
メロは、翔と受付嬢の会話には興味がないと言わんばかりに部屋をウロウロしている。買取価格と自分の取り分が気になって仕方がないのだ。
「じっとしていろ」
翔が叱り飛ばした。
「え?」
受付嬢が驚いた顔をして翔の顔を見た。
「翔さんたちのパーティーは、まだ登録されていませんが、てっきりリーダーはレベルの高いメロさんだと思ってました」
「こんな奴がリーダーなんかになれるはずないだろう」
翔は笑い飛ばした。
三人の受付嬢たちも無言で笑いを噛み殺している。その様子を見ても、メロは興味がなさそうだ。
受付嬢たちはすべての緑肉の検収をして、金額の算定をした。
売価は金貨二枚だった。翔はもらった金貨の一枚をメロに渡してやる。
「え? これは?」
メロが不思議な物を見るような感じで金貨を眺めている。
「お前の取り分だ」
翔のその言葉に、メロが顔を左右にぶんぶんと振る。
「今日の私は、翔の指示に従っただけ。こんなに貰えない」
翔はその言葉を笑い飛ばす。
「お前が役立たずなのは分かっている。これは財布が空っぽなのが不安だろうから、お前にやろうと言っているんだ。ありがたく受け取っておけ」
翔がそう言うと、メロは上目遣いで翔を見つめたあと、目をウルウルさせながら金貨を見ていた。
それからメロとパーティー登録をした。パーティー登録をするとファンタジーアイテムを入手できる。これを付けると、魔物を倒した時の獲得経験値をシンクロし、分割して得ることができるようになるらしい。
いちいち魔物ごときを殺るのにメロを呼ぶのは面倒くさそうだ。もちろんリーダー登録は翔にした。これで百メートル程度の距離内なら、倒した魔物の経験値は分割されて二人に入るようになった。
ユグドラシルにおける魔法能力は土、水、火、風、空、熱、木、光、雷、波、破、音などの属性がある。この他にもいろんな珍しい属性があるらしい。
そしてそれぞれの属性には、攻撃力、魔法耐性、熟練度の三つのステータスがある。これらのステータスの値がある程度なければ、属性魔法が使えないようだ。
これらのステータスの中で、熟練度ステータスは魔核でも上げることができないらしい。つまりは「経験」がすべてってわけだ。
魔核で変化するのは、攻撃力ステータスと魔法耐性ステータスだけのようだ。
────アリス。今まで倒した魔物は何匹だ?
《合計で八百ほどでしょうか。恐ろしい速さです。たぶんこの支部どころか、ユグドラシル史上の新記録でしょう》
────十日あまりでレベル5か。それで魔法属性が六個、属性ステータスの合計が十三ほど上がった勘定だな。先は長いな。
《いいえ、驚異的です。ここに来られる前の翔様がどれほど偉大だったのかが分かります》
────大層に持ち上げるのはやめろ。たかがレベル5など子供にでもなれる。
穴があったら入りたいような能力値だ。
《翔様は、勘違いをなされているので、少し訂正させていただいても宜しいでしょうか》
────はん?
《翔様にとって、レベル5とは児戯以下でしょうが、一般人にしてみるとそうではありません。レベル5もあれば村一番の力自慢クラスでしょう。このユグドラシルでも、人族の住むミッドガルドはとてもレベルの低いところなんです。彼らにとっては、レベル2のコノリト蝶ですら脅威なのです。翔様があまりにも桁外れなのです》
────そうか。しかし、所詮この程度だろう。
翔は軽くパンチを繰り出してみせた。レベル5の力のなさを強調するつもりだったのだが、意に反して『ドビュッ!』と今まで聞いたこともない風切り音が鳴る。
「おお!」
驚いたのは翔だ。
今まで全く武闘家のステータスは無視してきたが、よく見るとかなりステータスが上がっているようだ。
属性も拳、蹴、手刀、抜き手などの属性があり、それぞれの攻撃力ステータスも結構な値になったのだ。
────俺には全く分からないが、このステータスはどうなんだ?
《レベル5でこのステータスは驚異的です。このままステータスが上昇すれば、すぐに上級職に就く資格が与えられるでしょう。お金もすぐに貯まるでしょうから、聖剣士や、魔法剣士などに就かれることをお勧めします》
────ほう。スピード出世だな。
《もちろんです。翔様の驚異的な魔法能力を戦闘系ステータスに注ぎ込んだのですから、恐ろしい速度で成長するのが当然です》
────すると、レリエルの恩恵ということになるぞ。
《いいえ。レベルの上昇はあくまで翔様の努力です。レリエル様は転生における天の理を理解されていないから、このようなことになるのです》
────やはり、そういうことか。苦労が多い分、大きく育つということだな。
《そうとも言えますが、翔様の場合は、やはり元々の天才ゆえの膨大な経験値が原因です。私なら、翔様のような方にはどんな強力な神器があっても手出ししません》
────アリスはお世辞上手だな。
「ふふふ」と翔が笑うと、メロが不思議そうに翔の方を見る。「何でもない」と翔は言った。




