046 逃げろって言ったよな
悪魔従男爵ウコバクは、恐る恐る玉座に這い進んだ。あまりにも恐ろしい暴風のような魂の威圧感に顔を上げることができないのだ。
嵐のような威圧感に全ての毛穴から汗が噴き出しそうだ。
「ウコバク。ヒヨッコ魔王が誕生したようだな」
どこから声を出しているのだろう。地獄の底から響くような低い声がウコバクの全身に衝撃波になって叩く。悪魔皇帝ベルゼブブの声は普通に話すだけでレベル100を超えるウコバクに強いダメージを与えるのだ。
ウコバクはその声の迫力に気圧されて這いつくばって肯定の意思を表すのが精一杯だ。
ベルゼブブは巨大な水牛を思わせる外見が見るからに恐ろしい。身長が三十メートルもあり頂点の顔は遥かな遠くにある。頭には太く黒々とした水牛の角がトグロを巻き先端が恐ろしく尖って前に突き出ている。
黒い瞳にある黄金の虹彩は馬蹄型だ。その虹彩を一目見ると恐怖のあまり気を失わない者はいないと言われている。
「ウコバクよ。お前はどのような巡り合わせか面白いところに出くわすようだな」
ベルゼブブがさらに言った。ウコバクはまた這いつくばる。
「敵は一瞬で軍団を壊滅させたそうだな」
ウコバクはまた這いつくばる頭を硬い石の床に叩きつけるようにして肯定した。
「其奴がヒヨッコを配下に置いたそうだな」
ウコバクはまた頭を床に叩きつけるようにして肯定した。
「お前はバルバルスの配下のノスフェラトーを戦いに連れ出したそうだな。ルシファーの手先と目される堕天使バルバルスの優秀な部下を滅しただけでも上出来だ。ウコバクよ。お前には悪魔騎士バティム、プュルサン、エルサル、プルソンを配下に遣わしてやろう。これら悪魔騎士を今後は部下とせよ。そしてこれより悪魔男爵と名乗るが良い」
ウコバクは一瞬我が耳を疑った。一度は魔牛の救援要請に失敗し、そのまま『奈落迷宮』の魔王にクラか替えしようとしたウコバクだ。まさか恩賞が出るとは思いもよらなかった。
悪魔公爵バルバルスはもと主天使や力天使を歴任したほど高位の天使だったのを堕天して悪魔となった。その経歴から堕天使ルシファーの一派と悪魔達からは見られている。
そう言う意味からすると、悪魔皇帝ベルゼブブが言うように何もせずベルゼブブの宿敵であるルシファーの優秀な部下を破滅させと言えなくもない。しかし一旦は新米の魔王にクラ替えしようとするなどの後ろめたい行為もあったので、ウコバクとしてはいきなり爵位が上がり部下までつけられるとは思っていなかったのだ。
しかし、ベルゼブブにしてみるとたかが数人程度の下級貴族を異動させる程度の些細な事でしかなく、ウコバクのしぶとさと、何度も重要な事件に関わっている実績から、ウコバクの重要性を正しく認識し戦力を強化しただけのことなのである。ベルゼブブの先見性の高さをこそ評価すべきだ。
「お前は文官で武力に劣る。お前には悪魔将軍フルーレティを軍事顧問としてつけてやろう」
ベルゼブブが言った。
今度こそウコバクは我が耳を疑った。フルーレティは、もともとバティム、プュルサン、エルサル、プルソンの四人の悪魔貴族を配下にしていた悪魔中将だ。爵位こそないが戦闘能力は明らかにウコバクなどよりもずっと高いはずだ。
こうしてウコバクは一挙に五名の優秀な悪魔貴族を配下に収めることができた。異例の出世だった。彼の配下となる軍は一挙に五万を超える大将級の悪魔に昇進したのだ。
ウコバクは、戦闘能力やレベルは低いが知能と卑怯さにより誰よりもしぶとく生き抜くことができたのだが、それも魔界では実力とみなされるのだった。
☆
配下のノスフェラトーが戦死したとの詳細を聞いた悪魔公爵バルバルスは驚いた。
ノスフェラトーは彼の部下の中でも優秀な武官の一人だった。とはいえノスフェラトーは下級貴族に過ぎない。バルバルスはすぐに気分を変えて存在を記憶から消し去る。しかし、直ぐにウコバクが昇進した事を合わせて聞いたバルバルスは怒りを露わにした。
「あの小悪魔が。人の部下を破滅させておいて自分だけ昇進するとは。しかも私に挨拶も無いとは」
バルバルスは声を荒げて呟いた。その態度は彼には珍しい事だ。配下の悪魔貴族が驚いた顔を彼に向けた。
「ノスフェラトーを殺した者達の情報を集めよ。ウコバクに連絡を取れ」
バルバルスはその悪魔に命じた。
「しかし、彼が説明に来るのが筋では?」
その悪魔騎士が尋ねた。
「情報を得るためだ。その為には追加で一人ぐらい部下を貸し与えても良い」
バルバルスはそう言った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
【マムの村】
その日、マムの村では大騒ぎが勃発していた。それは村に巨大な魔物が侵入してきたのだ。
その魔物は魔界ならではの凶悪な魔物だった。魔界では、暗黒魔力が集約する傾向があり強力な魔物が誕生する条件が揃っているのだ。
今回、マムの村に侵入してきた魔物はまさに特殊であった。魔物の最高ランクのSランクを遥かに超える凶悪な魔物だった。体長はゆうに二百メートルを超え、あまりに奇怪な姿は身の毛がよだつほどにおぞましい。
「ホェ。大っきい」
メロが歓声を上げた。
「メロさん。あの魔物のレベルはどれくらいですか?」
ルルが尋ねた。勝負に負けたルルは逆にメロの事を尊敬してメロに付きっ切りだ。
「名無し。レベル430。属性闇」
メロがアリスの情報を教えてやる。
「名が無いなら私がつけよう。芋子とつけよう。おお。情報が芋子って変わった〜」
メロが歓声を上げる。
ズズズズズと魔物の這いずる音が響いている。
「暗くてよく見えんが本当に大きいな。あんなのが暴れたら村はひとたまりもないだろう」
翔がのんびりと言った。
ヌーブは、翔にしろ、メロにしろあまりにものんびりしているので驚いている。彼女は大きな身体を緊張させて剣を抜いたが何をどうすればいいか分からない。
本来なら村人を非難させるべきだろう。翔の言ったことも耳に入っていないのだ。
「守り手さん。このままじゃ村が危ういんじゃ?」
改めて翔はヌーブに注意を喚起した。
しかし、ヌーブは魔物に注意が集中している。
「橘君。怪獣映画みたいだね」
翔の同級生で転生した魔王である葵芹那が魔物を見ながら歓声を上げた。
「魔王。お前、あいつをやっつけて来い」
翔が葵芹那に言った。
「あれぐらいヘッチャラだろう」
「それ、パワハラ? 職業差別?」
葵芹那が食いつく。
「転生したばかりでまだうまく身体を動かせないのよ」
ヌーブが二人の会話に違和感を覚えて振り返った。
(魔王? あだ名? 転生って何?)
ヌーブはそんな風な事を疑問に思った。
「おい。ララだったな。お前。村人を避難させろ。聞こえんのか」
翔がヌーブを叱責した。
「あっ」
ヌーブが初めて気づいた。
「セーラ。変身してあれを止めて来い」
翔が命じた。
竜王の末裔であるセーラは竜身に変身できるのだ。
「おお。変身」
メロが歓声を上げる。セーラはまだ変身したことがないので興味津々なのだ。
「私が行きましょうか?」
レイラが聞いた。
半神のレイラも普通に巨人になれるのだ。しかしレイラが巨大化してもせいぜい二十メール級だ。さすがに二百メートル級の魔物を取り押さえるのは無理だろう。
「いえ。たまには私も目立たせて」
セーラが言った。
ヌーブが今度はレイラとイリスを見る。何を言っているのか理解できないのだ。
「おい。いい加減に村人達に避難勧告して来い」
ついに翔が切れて怒鳴った。
ヌーブがあたふたと村人に知らせに走った。
セーラがソプラノの美しい声で歌い始めた。ルールールールー!
セーラはその歌声とともに巨大化し始めた。
「でも、凶悪なレッドドラゴンでも三十メートルほどしかないのよ」
ルルが叫ぶ。
ルールールールー!
ルールールールー!
ルールールールー!
セーラは歌い続け更に変身した。
ルールールーグー!
グーグーグーガー!
ガー!
歌声は次第に吠え声となって天に響き渡る。
セーラは、巨大化し竜身になっていた。その巨大さはどうであろうを
「おお。セーラ凄い」
メロが歓声を上げる。
「本当」
アメリアも驚きの声を上げた。
「セーラ! 凄いじゃない」
イリスが叫んで手を振る。
セーラの変身に一番驚いたのはアリスだった。
「あれは、古代竜ですね。でもあの子はクォーターと言っていたけど」
アリスが訝しんだ。
「あれはどう見ても純粋な古代竜。その中でも伝説の黄金竜。竜王リュガナシー・イリの末裔と言うのは本当だったんですね」
セーラは巨大魔物の芋子を遥かに上回る巨大な竜に変身していた。全身が黄金色に輝いている。あまりにも大きくその全長は芋子の何倍もある。想像以上の大きな体に皆が驚きの声を上げた。
芋子のズズズズズと地面を這う音が止まる。直ぐに方向を変え始めた。セーラ竜の迫力に驚いて逃げ始めたのだ。
しかし、セーラ竜が大きな口を開いた。ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ。地底から響くような音がセーラ竜から聞こえる。
セーラ竜の口元が次第に赤く光り始め直ぐにマムの村のある大洞窟の全てが有史以前初めて照らされた程の強い真昼の光に照らされた。次の瞬間、セーラ竜の口からビームが発せられ、芋子の長い長い胴を貫いた。
「馬鹿め。こんな閉じた空間であんな大技を使う奴があるか」
翔はそう言うと超階位グレイド魔法『魔法遮断』を無詠唱発動した。
翔の発動した魔法陣が広がり村をすっぽりと包み込んだ。
村人達が勢揃いして翔達の後でそのスペクタクルを見物していた。
「おい。ヌーブ。逃げろって言ったよな」
しかし翔の声はセーラ竜のビームの爆発によって完全にかき消されたのだった。
046 了




