パンダなクマタン
大きめのダブルベットに眠る私の横に、パンダの着ぐるみを着た彼が眠っている。
息苦しいく、暑苦しい、それは…中身も外身も私にとってとても大切な存在になった。
私達は昨日結婚式を挙げた。
二次会で私達の馴れ初めを知っている友人達の悪戯で彼はパンダの着ぐるみ、私は幼稚園児のコスプレをするはめになった。
勢いのまま二人して酒を飲み、ホテルのベットにそのまま沈んでしまった…
私達のロマンチックな初夜を返してほしいと、今、目の前に友人がいたら文句を言いたい…ところだけど、『クマタン』が隣に居るから、まぁ、いいか…
「クマタンだ〜」
ドカン!
私は幼稚園の遠足で市内の冴えないローカルな遊園地にやって来た。
幼稚園児及びその関係者しか入園者がいない、平日の昼下がり、園児達に風船を配って回る、パンダの着ぐるみに私は突進し衝突した。
まだ、熊とパンダの違いのわからない、いたいけな少女だった私は、無邪気にパンダを独り占めしようと全力で物理的孟アタック!を敢行し失敗し自ら激突、そして、意識を手放してしまった。
一瞬、フワフワと舞い上がる大量の風船が目にはいる。
『お空に風船…ワーイ』
「すいませんでした」
私は遊園地の事務所のソファーに寝かされていた。
意識を取り戻した私の耳に聞こえてきたのは、幼稚園の園長先生に謝る高校生ぐらいの男の子の声だった。
顔から下はパンダの着ぐるみを着た彼を見て、一瞬、クマタンが男の子に変身したと勘違いした私は、全力で立ち上がった。
「先生!クマタンをいじめないで!」
私は必死に叫び…そして泣いた。
困惑する大人たち…
泣きじゃくる私…
そして、その後の記憶がない。
一通り泣いた私は、泣き疲れて眠ったらしく、気がついたら、お母さんの運転する車の中にいた。
それから私のお気に入りはクマタン(パンダ)になった。
私は日曜日になると遊園地に連れていって欲しいとせがんだ。
両親は私に甘かったが、流石に毎週と言うわけには行かず、月に一回遊園地に行くようになった。
何回も訪れているうちに私は遊園地そのものが大好きになっていた。
私は高校生になっても遊園地が大好きだった私は、園内の売店でバイトをしていた。
そして『クマタン』と付き合うようになり、彼が遊園地の跡取りだと知った。
そんな時、遊園地の経営がかなり酷しい事を知った。
閉園もささやかれていた。
私はクマタンにその事について聞けば、銀行の融資が受けられそうにないと…哀しそうな声で告げられた。
そして、別れて欲しいとも…
学業が苦手な彼は高校中退だった。
自分は着ぐるみを着る以外取り柄がないのだと…
彼にとって閉園は即ち無職を意味していた。
別に私はクマタンが無職だろうが構わない…と言うか、辛そうな彼の支えになりたかった…
でも、彼はそれを拒んだ。
只でさえ十二歳も年が離れていて、その上無職になる自分より、もっと可能性がある…そう言いかけた彼の頬を私は叩いていた。
それがきっかけとなって、私たちの中は一気に冷たいものとなった。
普通なら別れるところなのかもしれないが、職場の仲間としてお互い必要としていたし、別れるまでには至らなかった。
きっと、こんな事で別れるなんて私自身納得できなかったのだと思う。
冷めた関係でもいいい、彼のいない人生なんて絶対に認めたくなかった…
でも今思えば、あの一言は彼なりのやさしさだったのかも知れない…
しかし、そんな彼のやさしさより、私が欲しかったのは、一緒にいて欲しいという言葉…であり彼自身だった。
私を必要として欲しかった…私が彼を必要としているのと同じくらいに…
それから数ヵ月後、遊園地は閉園する事が決まった。
関係者全員が事務所に集められ、園長が閉園の発表をした時は、目の前が暗くなった。
誰もが沈黙した。
従業員の転職先は、前々から園長が考えていたらしく、大方、決まっていた。
気がつけば私を含め数名が事務所に残っていた。
この遊園地が大好きな人達だった。
その中には彼の姿もあった。
皆で色々と話しているうちに気がつけば、どうしたら、遊園地を残せるかという話になっていた。
「遊園地存続の署名と寄付にご協力お願いします!」
「…………………………!」
「遊園地存続の署名と寄付にご協力お願いします!」
「…………………………!」
「遊園地存続の署名と寄付にご協力お願いします!」
「…………………………!」
「遊園地存続の署名と寄付にご協力お願いします!」
「…………………………!」
私とクマタンは駅前のロータリーで署名活動をする事になった。
クマタンはパンダの着ぐるみを着ているため無言で活動している…
他の人達は企業スポンサーを探したり、金融関係をまわったりしていた。
クマタンの携帯がアラームが鳴る。
それは、着ぐるみの活動限界時間を知らせるアラームだった。
活動限界は二時間…それを過ぎると体力の消耗が著しい…
「クマタン休憩しよう…」
私が小声で話し掛けると彼は首を横に振り、黙々とビラを配り続ける。
「無理すると倒れちゃうよ…」
そう言っても彼はただ、ビラを配り続ける。
そこに小さな男の子が現れる。
パンダのクマタンは子どもに人気がある。
彼は子どもに視線を合わせようと屈んだ。
私は休憩を取らず動き続けてる彼が心配になって、白昼堂々禁じ手を実行した。
すぽん
私は着ぐるみの頭部を力任せに持ち上げた。
行きなりの事態に固まる彼と男の子…とても気まずい空気が流れる。
男の子は無言で後退りをして、踵を返して全速力で駆けていった。
クマタンは無言で立ち上がり、また着ぐるみを着けようと私からパンダの頭を取ろうとしていた。
「クマタン…頑張りすぎだよ…少し休憩しよう…」
あの時の彼は必死だったのだろう…遊園地は彼にとってとっても大切なものだから…
彼は私からパンダの頭部を奪い被ろうとした。
「休憩中すいません…ちょっと、お話をお伺いしても宜しいですか。」
彼は声のする方に顔を向ける、私もつられて顔を向けた。
そこには三人の男達が立っていた。
『こんばんは、夕方放送局司会の大月太郎です』
『こんばんは、久保香苗です』
地元のテレビ番組が流れる…
遊園地の事務所のテレビ画面を私達は固唾を飲んで食い入る様に見ていた。
『続いてのニュースは、地元で愛され続けた遊園地の話題です』
画面には、クマタンと私が署名活動をしている姿が、映った。
あの三人の男達は地元テレビのスタッフさんだった…
話しかけるタイミングを探りながら、周辺をウロウロしていたらしい…
「良かったね。これで、少しでもみんなが注目してくれたらいいね」
「そうだな」
言葉少なにそう言った彼は、ニュースが終わっても前かがみにテレビをにらむ様に覗き込んでいた。
そして、事務所の電話がなった。
「もしもし…」
『テレビを見て電話しました、イベント会社のイー企画の佐藤と申します…』
電話越しの男性はやけに明るい声だった。
「はぁ…」
私は思わず間抜けな声をはっしていた…
聞けば、スーパーマーケットの新装オープンのイベントにの出演の依頼だった。
突然の展開に困惑しながらも私たちは依頼を受けることにした。
それから、色々な方面からクマタンの出演依頼が舞い込んできた。」
そしてそれは、遊園地をアピールする形になり、気がつけば、来場者も増え、銀行の融資もうけられる事となった。
そして『パンダのクマタン』は、地元の人気者になっていった。
着ぐるみ歴十四年の彼のそれは、職人芸そのものだった。
高校を卒業した私は、忙しくなった彼のマネージャーをするようになり、二人の仲は以前より良好な関係になっていた。
そんなある日、クマタンからメールが届いた。
それは、明日の早朝遊園地の正門前に来てほしいというものだった。
翌朝、私は薄氷のはる上り坂を歩いていた。
この坂道を上りきると、遊園地の正門が現れる。
正門ゲートの前に彼が待っていた。
なぜか、右手に風船を持っていた。
「どうしたの、こんなに早くに…?」
「ずっと昔に君に渡し忘れたものがあるんだ…」
「えっ…?」
「十五年前に渡し忘れたもの…」
そう言って彼は赤い風船 を私にくれた。
「はぁ…?」
私は現状を理解できずに生返事をしていると、彼は今度はコートの左内ポケットから小さな青い小箱を出した。
「そして、これは今の君に…」
彼は右の手のひらに小箱をのせ私の目の前に出した。
「僕と…結婚して…下さい…」
彼のその一言で私の思考も体も一瞬動かなくなった。
力の抜けた私の指先から風船がハラリと離れ、空高く上がっていった。
それから、半年後、
『こんばんは、夕方放送局司会の大月太郎です』
『こんばんは、久保香苗です』
地元のテレビ番組が流れる…
『続いてのニュースは、地元で人気の遊園地の話題です…パンダのクマタンが昨日、遊園地内に新しく出来たチャペルで公開人前結婚式を行いました…パンダも結婚する時代なんですね…』
それから、ほどなくしてそのチャペルの前で告白すると恋が成就するという噂が流れ、…来月には地元のテレビ局のアナンサーがそこで人前結婚式を行う予定になった。
一時期閉演までささやかれた遊園地は、今では子ども連れの家族や恋人達の明るい笑顔や笑い声が響き渡り、連日の大賑わいとなった。
従業員もそのほとんどがこの遊園地に残り、そして忙しく働いていた。
「みんな!クマタンショーが始まるよ!」
私の元気な声が園内に響き渡った。
了