顔芸
五
おじいちゃんがいきなり、「優太は顔芸が得意だよな」と得意げな顔をして俺のことを語り始めた。小さい頃友達から、「お前を見ると笑っちまうわ」と言われたことはあるが、俺としては別に笑わせたつもりはない。ただバカにされているだけだった。だから顔芸が得意と言われても一向にしっくり来ない。
「ちょっとあっち向いてホイって言ってごらん。顔芸で」
あっち向いてホイを顔芸で披露するなど学芸会でもしないような幼稚な遊びである。あっち向いてホイというのはそもそもじゃんけんからのあっち向いてホイであって、顔芸からのあっち向いてホイ、あるいは、あっち向いてホイからの顔芸というのは聞いたためしがない。
俺が出来ないと言うとおじいちゃんは絶対出来ると言い張った。どこにそんな自信があるのか鼻でブヒィーーと大きく深呼吸しながら、「もし就職するつもりがないならその顔芸を活かしたお笑い芸人になるべきだ」とまで決め付けた。おじいちゃんなりに親身になってくれているのであろうが、顔芸だけでお笑い芸人になれると思っているのであればきっとお笑い芸人をバカにしているのだろう。バカにした上で俺にその道を勧めているのだから言葉の裏には、「お前みたいなバカでもお笑い芸人くらいにはなれるだろう」という団塊の世代によくある上から目線が入っているのだ。
「言ってごらんあっち向いてホイって」
俺は面倒だったので早くこのくだりを終わらせたくて渾身のあっち向いてホイを発動させた。ほとんどヤケクソである。するとおじいちゃんはいきなり手を叩きながらゲラゲラ笑い始めた。
「そうそう、優太が顔芸する時はいつも目を見開くんだよな。やっぱ面白いなぁ」
目を見開くだけで笑いを取れるのであれば今頃テレビに出ているお笑い芸人はみんな顔芸しか覚えていないだろう。しかも、「いつも目を見開くんだよな」とおじいちゃんは俺が顔芸をする時はワンパターンしかないとはっきりと言ってのけた。非常に不愉快である。
「もうちょっと目を見開いたらもっと面白くなるかもしれないぞ」
いつまでこのくだりを引っ張るつもりだと思っていたらいきなりおじいちゃんが渾身のあっち向いてホイを披露した。俺のあっち向いてホイより何十倍も目を見開いている。ほとんど金魚のでめきんに近い。おじいちゃんこそお笑い芸人が向いている。これほどのでめきんぶりを発揮できる顔芸の持ち主はそうそういない。
バカなことをやっているうちにバイトの時間が近づいてしまった。バイトに行く支度を済ませて外へ出ようとするとおじいちゃんは鏡を見ながら自分の顔芸がツボに入ったのか片目をつぶったり舌をペロペロ動かしてみたりとパターンを変えてその度に笑っていた。俺は腹が立ったのでおじいちゃんが昨日買ってきたカップ酒を冷蔵庫から取り出してトイレットペーパーを置く網棚の中に隠してからバイトへ向かった。