殺戮機械が思い出に浸るとき 24
「今更どこに行くんだーい! 」
「何を叫んでいるんですか? 」
オンドラが舳先に立って叫ぶ姿を後ろからネネが窘める。二ヶ月にわたる氷結からようやく開放された北東和の海。その領海すれすれを貨物船が列を連ねるように外海へと向かう。多くは遼北からの脱出者を満載していることは容易に想像が付いた。
遼北、西モスレム両政府は民間のネットのクラッキングが復旧したと同時に国民に平静を求めたが、核による破滅を求める過激派のもたらした恐怖と混沌はとどまることを知らなかった。オンドラもネネも、遼北の非凍結港に遼北脱出を願うそれなりに金を持った人民の群れの噂は耳にしていた。
「そうまでして生きていて価値のある世の中かねえ……」
「死とは理解できない価値観を受け入れること。それだけの覚悟がある人は数えるほどしかいない……この現象は極めて健康な出来事だと思いますよ」
淡々とオンドラの愚痴に答えるネネ。背後で二人が乗っている漁船の船長がわざとらしい咳を立てる。昔から彼等東和の漁民達は遼北の人々を見下して生きてきた。それは目の前の海を彷徨う遼北の一部の成金が生きようとすることへの当てつけ以外の何者でもない。ネネは静かに目線を近くの島へと向けた。
「しかし……島には船は近づかないんですね」
「あの外道が俺達の領土に近づいてみろ……きっと国防軍が皆殺しにしてくれるよ」
満足げに頷く船長。予想通りの回答にただ頷きながらネネはオンドラを見上げた。オンドラは相変わらず不機嫌だった。船長に支払った報酬は明らかに法外だった。最近は遼北の漁業巡視艇も厳しく東和の漁船の密漁の取り締まりを行っていることは二人とも知っていた。東和北部地域の漁獲量のほぼ三割は遼北の排他的経済海域での密漁に支えられていた。ネネもオンドラもそんな事実を知りながらの船長の根拠の無い遼北の民への見下すような視線と金銭への見るに堪えない卑屈な姿勢はただ不快感だけを残していた。
「六時間……で帰ってきてくれるんだね」
今度は金銭に土下座しかねない嫌らしい笑みが船長に浮かぶ。ネネは答えるのも面倒だというように頷く。
「いいんだよ!うるせえな!」
オンドラは思わずジャケットの下に手を伸ばしていた。そこには拳銃があることくらい危ない橋を金目当てに渡ってきた経験の多い船長にはすぐに理解できて、船長は苦笑いを浮かべながらそのままキャビンに消える。
「全く反吐が出る。先進国って看板を掲げた土地に生まれただけで果てしなく無能な連中は……人間の資格をすぐにでも剥奪した方がいいんじゃねえか? 」
「その意見には同感だけど……金は力よ。彼等も落ちるところまで落ちれば自分の価値を認識できる。それまでは誰も彼等に彼等自身の価値を教えることは出来ない……ある意味それは彼等にとって不幸なことなんじゃないかしら? 」
見た目はどう見ても小学生程度のネネの言葉にオンドラは静かに相づちを打つ。オンドラが意味を理解しているかしていないか。そんなことはどうでも良いというようにネネは視界の中で拡大していく一つの殺風景な島をじっくりと眺めていた。
「本当に6時間で帰ってきてくれよ……」
「分かったって言ってるだろ!」
心配そうな表情の船長を怒鳴りつけながらオンドラは背後からゴムボートを引っ張り上げる。軍用の軽量かつ搭載量の多いゴムボートの存在はこの船がまともな漁をする船ではない事実をオンドラ達に思い知らせる。一人で軽々とそれを持ち上げるオンドラにネネは不器用に手を貸そうとする。
「一応、あんたは雇い主なんだから……」
珍しく裏のない笑みを浮かべたオンドラはそのまま目の前の荒れる海にボートを投げた。浮かぶボートに足下の大きめのバッグを投げ、そのまま舳先に縛られたロープをたどって上手い具合に乗船するオンドラ。
「手を……貸してください」
「預言者もさすがにこんな船に乗るのは初めてかねえ」
皮肉を込めながらネネの手を取るオンドラ。ネネは小さな体でひょこりとボートに飛び移る。軽い船体が小さなネネを受け止めただけでも大げさに水しぶきを上げた。
「6時間過ぎたら超過料金……」
「くどいってんだよ! 」
船長を怒鳴りつけたオンドラはそのまま船体の後ろにあった小型の推進器で船を陸地へ向けた。
「全く……金がいくらあっても足りねえや……経費の精算の時に苦労するな」
「まあオンドラさんは通常のルートは使えないですからね。私だけで良ければ航空料金と宿泊費だけで済むんですが……」
ネネの重い口調で自分がお尋ね者だったことを思い出してオンドラは黙り込むとそのまま船を遠くに見える黒い砂に覆われている浜辺へと向けた。
「吉田俊平……そのオリジナル。こんな僻地に住んでいるとはねえ……国家元首の暗殺なんてことを何度となくやるような凄腕だぜ……なにを好きこのんでこんな寂しい場所に住んでるのやら」
「それは本人に聞いてみないと分からないことですよね。それに……これから会う初めての生きた吉田俊平が本物の吉田俊平とは限らない……」
浜辺を見つめたまま曖昧に笑いながらネネが呟く。オンドラは不可解そうな顔をしながらそれ以上話を続けずにただ船を進めた。
海流の関係か、波の割に船は滞ることなく一直線に浜辺に進んでいく。オンドラが振り返るとすでに彼女達が後にした漁船はもう点にしか見えなかった。オンドラは大きくあかんべーをするとそのまま船を浜辺にぶつけるように進めた。
「ちょっと待ってな……」
ジーンズが濡れるのも躊躇せずにオンドラは浜辺の膝ほどの深さの水に飛び降りる。ネネが周りを見回すが、氷結が解けたばかりの海峡を見渡す丘には深い雪が残っているのが見える。生身の人間であればその冷たさから無事では済まないだろうと言う状況の中で、オンドラは文句も言わずにそのままネネが濡れずに上陸できる地点まで船を引きずってくれる。
「優しいんですね……」
「なあに、金のためさ」
淡々とそれだけ言うとネネが船を下りたことを確認したオンドラはそのままゴムボートを引きずって浜辺の奥の岩陰へと歩いて行った。
ネネは静かにムートン生地のコートの襟を手で寄せながら空を見上げた。この時期の東和北部の気象条件の典型的な例を示してみせるように薄い雲が太陽を隠し、もやのような空の曇りの中から光が静かに地面に注いでいるのが見える。
「本当に……人が住むには適していない場所なんですね」
静かにそれだけ言うとオンドラが消えていった岩陰に目をやった。すぐにそこからブーツを脱いで中に入った水を抜きながら素足で歩いてくるオンドラの姿が目に入った。
「本当に大丈夫なんですか? 」
「一応ミルスペックの義体だからねえ……とりあえず異常は感じないけど……もし問題があったら追加料金を請求するからな」
「まあそのお金は西園寺のお嬢さんに言えば出してくれるでしょ」
それだけ言うとネネは確かな足取りで砂浜から黒い岩肌の崖を登りはじめた。オンドラはその足取りがあまりに確かで確実なのでしばらくは呆然とその様子を見守っていたが、しばらくして自分が雇われ人である事実を思い出して慌ててネネの後ろについた。
「心配しなくても大丈夫ですよ……山登りは遼州にいた時には必須科目でしたから」
「でもなあ……」
「心配してくれているんですか? 」
「まあ金の分は」
苦笑いを浮かべるオンドラに自然体の笑みで応えたネネはすぐに崖を登ることに集中した。決して緩やかな崖ではない、さらに所々に吹き付けられた強い風でめり込むように白く染まった雪の塊があって素人ならばすぐにでも滑り落ちてしまうような峻険な崖を順調そのものに登っていくネネ。オンドラはただ租界という閉鎖環境でその中立的な立ち位置と正確かつ的確な助言から『預言者』の二つ名で呼ばれる幼く見える情報屋の自分の知り得ない才能に驚きつつその後ろを続けて登った。
正直オンドラはネネに付いていくのがやっとだった。確かに百キロを超える義体の重さはあるにしても馬力ではネネはオンドラの十分の一にも満たないはずだった。もし足を踏み外したり手を添える場所を間違えれば生身の人間の反応速度なら対応できずに転落して行くしかないような切り立った崖。そこを一つの間違いもなく的確に登り続けるネネ。
「あんた……山登りの趣味でもあるのかい? 」
「久しぶりですよ……本当に……たぶん東和に来てからは初めての経験です」
さすがに体力には自信が無いようで息を切らせながらもネネは的確な動作で崖を登り続け、ついには船から見た崖の最上部へとたどり着いていた。
「ああ、疲れました……日頃の運動ってものは大事なんですね……」
そのままひょこりと近くの岩に腰掛けてほほえみを浮かべるネネ。オンドラはようやく重い体を崖から引き上げるとこれまで登ってきた崖の高さを確かめるべく下をのぞき見た。百メートル以上はある。それでも目の前のネネは涼しい顔をしてこれから向かうべき洞窟があるという北の方角をじっと眺めている。
「本当に……あんたは凄い奴だな」
「あなたの親御さんが育った遼南にはこんな山道はありふれているんですよ……まあもう二度と戻ることの出来ない国だとあなたは言うかも知れませんが」
それだけ言うとネネは疲れも見せずに立ち上がり、崖の横に不自然に出来ている道をゆっくりと北へ歩き始めた。
「風がないのが幸いと言えば幸いかねえ……」
黙っていることが苦手というように苦笑いを浮かべながらオンドラは早足のネネの後に続いた。事実、続く道の中央の地面の岩が露出して見える事実はこの島が冬には北からの強い季節風に煽られる日々を重ねることを示していた。
「幸運は訪れるときは立て続けに訪れるものです。そして不幸もまた同じ……」
「妙に悟った発言だねえ……ただそれはアタシも知っている話だ」
ネネはオンドラの仏頂面を確認するために振り返りにこりと笑うとそのまま道を進む。波の音だけが響いている文明社会から隔絶された北方の島。
「全く……吉田俊平……何者なのか興味が出る光景だよ」
オンドラの軽口が続く。ネネはただ静かにそれを聞き流しながらまるで来たことがある道とでも言うように迷うことなく真っ直ぐ続く海沿いの小道から笹藪に覆われた獣道に足を踏み入れる。
木々は凍り付き、微かに吹く風に遙か高い梢が揺れているのが目に入ってくる。
「ここは本当に東和かねえ……人が入った気配がまるでねえや」
「山の向こう側に行けば空港も街もありますよ。まあ軍との共同運営ですから札付きのオンドラさんは近づけもしないでしょうけど」
ネネはそれだけ言うとそのまま獣道を進む。足下を遮る笹の葉は凍り付き、ネネのブーツに当たる度に金属のような音を発してくだけて落ちる。オンドラは傾斜が急になるに従って肩からずり落ちそうになる大きなバッグを気にしながら珍しく黙ってネネに続いた。
道は緩やかな左右への蛇行を繰り返しながら続いた。しばらく行くと道の左脇に沢の流れのようなものが見えた。沢の中央はちょろちょろと凍結を免れた僅かな水が積もった雪に遮られて勢いを殺されながらも静かに流れ続けていた。
「熊とか……いるんじゃないかねえ……」
「いるかも知れませんよ」
立ち止まりオンドラを振り返りにやりと笑うとまたネネは前を向いて歩き出す。オンドラは思わずバッグに手を伸ばすがすぐに思い直して黙ってネネの後に続いた。
急に道は終わりを告げた。正面には崖が壁のように立ちはだかっている。森も途切れ、そこから先は完全に岩と氷ばかりの世界であることが黒いつやのある崖の石が語っていた。
「もうすぐですね」
ネネはそう言うとそのまま迷うことなく岩の一つに手を伸ばした。確実に手を置く場所を押さえて小さな体を片腕で持ち上げる。足もまた的確に今にも滑りそうに見える岩と岩の隙間に置かれるとネネは次の動作へと移って切り立った崖を登り続けた。
「やっぱりあんたは登山の才能があるよ」
「褒める暇があったら付いてきてください」
さすがに振り返って振り向く余裕はネネには無いようでそれだけ言うとそのまま崖を登る動作を繰り返す。オンドラは一瞬躊躇した後、ネネが手をかけた岩と足をかけた石の隙間を確認しながら慎重に崖を登りはじめた。
しばらくネネの動作を思い出しながら自分が崖を登るのが精一杯だったオンドラが上を見上げたとき、すでにネネは二十メートルほど上の頂上に這い上がろうとしているところだった。
「これじゃあアタシがお客さんだねえ」
ただ苦笑しながらオンドラは必死になって崖を登り続ける。軍用と銘打っていた義体を闇で手に入れたオンドラ。地球製と闇屋は説明していたが出所なんて掴みようがない闇物資に生産地名など記録されているはずもなかった。半年に一度、その闇屋とつながりのある民生用義体メーカーのエンジニアのチェックをしてはいるが、彼等の扱う民生用の義体とオンドラの軍用義体とでは構成される部品の精度からしてまるで違うものでそのチェックが意味のあるものだったのかとオンドラは急激に体内の人工筋肉内に蓄積されていく疲労物質を関知するシグナルを頭の中で受け止めながら苦虫をかみつぶすように表情を変えた。
「ふう……」
なんとか重い体を崖から引き上げたオンドラを涼しい顔でネネは待ち構えていた。
「これからはあなたのお仕事……」
「ちょっと待ってくれよ」
「なんですか? 」
表情一つ変えずに本心から不思議そうにオンドラを見つめるネネ。
「もしかして疲れているんですか? 一応あなたは……」
「言いたくはねえがこの体のスペックじゃこれまでの行程は無理があったってことだ。やはり専門の技師のチェックが必要な程度の代物らしい」
「それならより気合いを入れてこれからの仕事にかからなくてはなりませんね。今回の仕事が成功すればおそらくは西園寺のお嬢さんは定期的に私達に仕事を回してくれるでしょう……しかも破格の条件で」
「確かに……」
反論をする元気もオンドラには無かった。体内プラントが正常に機能していることを確認しながらオンドラは出来る限り体を動かさないように背負っていた重いバッグを地面に置いた。そして静かに目の前にぽっかりと口を広げた洞窟に目をやる。
「まるで……ファンタジーの世界のダンジョンの入り口みたいな雰囲気じゃねえか? 」
「それなら時代は中世ヨーロッパの世界観で作られているでしょうが……」
ネネはオンドラの軽口を聞き流しながらそのまま洞窟の脇の雪の中に手を入れた、オンドラは気になっていたがネネは手袋はしていない。それでも平気で雪の中から笹の枝を取り出すとそのままむしる。
「こうして……焼け焦げた跡がある……おそらく爆風によるもの」
オンドラはパイプ状の鉄をバッグから取り出しながらネネの手にある笹の端が炭化している様を確認した。
「トラップか……だろうね。そうなるとアタシを連れてきた理由がよく分かる……それにしてもネネ。あんたは凄いよ。登山用具を置いて行った理由がよく分かったわ」
「褒めているんですか? 」
「いや、呆れてるんだよ」
それだけ言うとオンドラはパイプ、アサルトライフルの銃身を機関部に組み込む作業を止めてそのままバッグの奥から箱状のケースを取り出して地面に置いた。
「何を……」
「まあ見てなって。アタシも初めて使うんだけど……」
オンドラが取り出したのはスキー用のゴーグルのように見えた。それを顔に取り付けた後、そこから伸びるコードを自分の後頭部にあるジャックに差し込む。
「爆発があったってことは空間のゆがみが物理的に発生したってことだ。焼け焦げた跡があると言うことはそれほど古い話じゃ無い。しかも近くにはトラップに引っかかった間抜け野郎の姿も無い」
そう言いながらオンドラは洞窟の入り口を眺めた。高さは二人が立って入るには十分。幅から考えれば手榴弾クラスの爆発でも二人を巻き込んで殺傷するには十分だろう。
「おお……見えるねえ。法術師じゃねえのに歪んだ空間を示す色の変化がばっちりだ」
「そんなものが出来ていたんですか? 」
「あれだろ? 地球のお偉いさん達はこの前の近藤って言う胡州の馬鹿野郎のおかげで法術ってものが知られるようになる以前からその存在を知っていた。知ってて隠していた……」
オンドラはゴーグルを付けたまま洞窟に入る。周りの岩や地面を何度か確認し、納得しながらゆっくりと進む。ネネはオンドラが置いて行った銃をバッグに無理矢理詰め込むとそれを引きずりながらオンドラに続いた。
「第二弾だ……色が薄いってことはそれなりに昔に引っかかった奴がいるな……場合によっては得物がいるな。ネネ、済まねえ」
背後までバッグを運んできたネネに頭を下げるとオンドラはゴーグルを付けたまま手慣れた手つきで銃を組み立て始めた。銃身を機関部に深くねじ込むとその下にグリップを当ててピンをたたき込んで固定する。そのまま機関部の後ろにも同じようにピンを刺してストックを固定。鉄の塊はすぐに銃へと姿を変えた。
「手慣れたものですね」
「これが食い扶持だからね」
そう言うとオンドラはそのまま銃を構えながら中腰の姿勢を取る。
「ネネ、アタシの頭より上には手を出さないでくれよ……不可視レーザーが走ってる。右の壁のセンサーへの光線の供給が途絶えたら何が起きてもアタシのせいじゃねえからな」
「それほど物好きじゃありません」
ネネはかがみながらオンドラの後に続く。またオンドラが歩みを止めた。今度は跨ぐようにして何かを乗り越えている様子が後ろのネネからも見えた。
「古典的だね……ピアノ線。まあ確実と言えば確実だが」
「トラップが好きみたいですね、吉田って人は」
「まあ傭兵なんて言う職業柄だろ? 東都の租界にもそう言う奴は何人かいるぞ。なんなら紹介しようか? 」
「そう言う悪趣味な友達は欲しくありません」
オンドラの冗談に真顔で答えるネネ。その様子に振り返って笑みで答えるとオンドラは再び真剣な表情に戻って洞窟を奥へと進んだ。
さすがに普通のトラップはネタ切れという感じでオンドラは止まることなく五十メートルほど洞窟を奥へと進んだ。左右が急に開けて天井が高くなる。
「どう見る……雇用主様」
「壁面を見る限り風化や落盤で出来た空間じゃありませんね。重機で削り取った跡を整えてそれっぽくしたって言うところじゃないですか? 」
「ご名答だね。で、あの文字をどう見る? 」
オンドラが指さす天井。ネネはすぐにコートから小型のライトを取り出して照らしてみた。文字のようなものが浮かんでいるのが見える。ネネはすぐにそれが本来このような場所にある文字ではないことを悟った。
「オンドラさん。よく文字だと分かりましたね。あれは遼州文字……この星に人が住み始めた時代に使われていた文字です」
「遼州文字……遼州文明は文字を持たないってのが特徴じゃ無かったのか? 」
どこかで聞きかじったという感じで呟くオンドラ。ネネは微笑みながらただ文字を見上げていた。
「確かに現在の記録……つまり地球人がこの星にやってきた時には当時の七王朝は文字を持たない文明でした。彼等の間に伝わっていた伝承の中にはかつて人を不幸にする要素として鉄と並んで文字が上げられています。遼州の先住民、すなわち私達の祖先は意識して文字を捨てて青銅器文明に回帰したんです」
「ずいぶんと物好きな話だねえ……便利さを捨てて原始に戻るって遼州の前の文明の指導者にはアーミッシュでもいたのかねえ? 」
感心したのか馬鹿にしているのか、口笛を吹くオンドラを見てただ慈悲に満ちた笑みを浮かべた跡、再びネネは文字を見上げた。
「『この文字を読める者にのみ、この先の扉は開かれる』って暗号でも記しているんでしょうか? 」
「おいネネ! 読めるのか? 」
「先遼州文明の資料は何度か目にしたことがあるので大体は……」
「さすがインテリ! 」
「褒めているようには聞こえませんよ……『行く手に現われた道は偽りの道。汝、それを通る無かれ。ただ道は心の中にあり、汝、その道を進むべし』」
そこまでネネが読んだときにオンドラは呆れたようにため息をついた。
「心の中の道? なんだよそれ……あれか? 東和軍とかが使っている意識下部プリンティングセキュリティーシステムでもあるって言うのか? 」
「こう言う謎かけをする人はそんなハイテクを使う趣味は無いと思いますよ……とりあえず続きを読みますね。『心の中は常に乱れるものなり、汝の乱れが我への道なり』……以上です」
「は? 」
オンドラはただ呆然と文字を読み終えて振り返ったネネに答えるだけだった。
「『乱れ』が重要なんですよ」
ネネの確信のある言葉にただオンドラは首をひねるばかりだった。
「乱れねえ……あれか? いきなりスカートをこうして……」
ネネのスカートに手を伸ばそうとしたオンドラの頭を思い切りよくネネははたいた。
「それで道が開かれるなら別にこの文字を読む必要は無いんじゃないですか? 偶然で大体の片が付く」
「違えねえ」
オンドラはそう言うとそのまま先頭に立ってホールのようになった道を引き続き歩き続けた。すぐにそれは行き止まり、小さな穴が開いた壁に突き当たった。
「ここか……」
ただ静かにオンドラは壁に手を擦りつける。よく見ればそこには裂け目があった。
「この穴はマイクですね。そうなると」
ネネは迷うことなく継ぎ目にナイフを突き立てようとするオンドラを押しのけた。
「『ネルアギアス!』」
一言、はっきりとそう言ったネネ。オンドラはしばらく呆然と何が起きたか分からないようにネネを眺めていた。
すぐに結果は現われた。微動だにしないと思われた継ぎ目がぎりぎりと拡がり、人が一人通れる程度の隙間が生まれた。
「おいネネ……何をした? 」
「何をって……見ていませんでしたか? 」
「見てたけどさあ。何なんだよ!マイクに向けて意味のわからないことを叫んでさあ」
ただ疑問ばかりが頭に押し寄せて混乱しているように見えるオンドラに静かにネネは笑いかけた。
「そうですね。これは遼州文字と古代遼州語の知識がないと分からないことですから。まず、この文字を書いた人……まあ十中八九この奥で私達を待っている吉田俊平なんですが……彼が要求していた知識はまず遼州文字が読めることでした」
「まあな。そう書いてあった」
ネネの窘める口調に少しばかり苛立ちながらオンドラが吐き捨てるようにそう言った。その様子に満足げに頷くと続いてネネは先ほどの文字の辺りを振り返った。
「古代遼州語で『乱れ』とは何か? そして『心』に関係する言葉は何か? それを知っている人ならば答えは一つ、『ネルアギアス』という単語になります」
「だからその『ネルアなんとか』がなんで『乱れ』で『心』と関係するんだよ! 」
明らかに不機嫌に呟くオンドラ。ネネは静かに言葉を続けた。
「遼州の民……一説には五十万年前にこの星にたどり着いたと言う話ですが……彼等はこの地にたどり着くと同時に文明を捨てて青銅器の世界に回帰しました。彼等は人の心のある力が自分達を滅ぼしかねないと思ってその力を放棄することを誓ったんです。その為、後の現在でも遼南の山岳地帯の少数民族などが使っている現遼州語ではその力を指す言葉……『ネルアギアス』が『乱れ』という意味で使われています」
「言語学のお勉強か? アタシはご免だね! 」
「尋ねてきたのはオンドラさんですよね。それに私はあなたの雇用主です。今後のことも考えて最後まで聞いていただきますよ。『ネルアギアス』とは古代遼州語では『技術』と言う意味なんです。彼等は技術が人を滅ぼすと経験し、この星で原始に戻った……まあそうなった理由までは私も分かりませんが」
それだけ言うとネネは不機嫌そうに腕組みをしているオンドラを置いて洞窟を奥へと歩き始めた。
開いた道はこれまでの洞窟の自然を装った姿は無かった。明らかに重機で削った爪痕が克明に残っているのがわかる。
「しかしあれだねえ……さすがというか何というか……」
銃をかざしながら先を進むオンドラが感心した視線を振り返る度にネネに向けた。
「何がですか? 」
「古代遼州語? そして現在の遼州の言葉の地図。全部頭に入っているわけか? すげえ話じゃねえか」
オンドラの珍しく本心から感心しているような言葉遣いにネネも少しばかり気をよくして微笑んだ。
「あなたの商売道具は手に持っている銃だとすれば、私の場合はこれです」
静かにネネは自分の頭を指さした。振り向いたオンドラは分かりましたというように大きく頷く。
「伝説の情報屋……馬鹿には確かに勤まらない仕事だ」
オンドラはそう言うとゴーグルを外して銃の銃身の下にぶら下げたライトで行く手を照らした。
行き止まりには銀色の扉が見えた。
「もう偽装の必要も無いってわけか……どんな人物が待ち受けているのか……」
「予想はいくらでも出来ますが、今はするだけ無駄でしょう。顔を合わせて話せば分かりますよ」
ネネはそう言うと躊躇うように立ち止まっているオンドラを追い抜いてドアの前に立った。ドアはゆっくりと音も立てずに開く。オンドラはさすがにネネの行動が無謀だと感じてその前に飛び出して銃口を部屋の中に向けた。
薄暗い明かりが二人を包んだ。そしてその明かりがだんだんと強くなっていくので二人は思わず眼を細めていた。闇に慣れた目が何とか光を捉えることが出来るようになった時、二人は部屋の中央に棺桶のようなものがあるコンピュータルームと言うのがその部屋の正体だと知った。
「なんともまあ……」
オンドラは銃口を棺桶に向けたまま部屋を見回した。壁面を埋め尽くすモニター画面。中空にもフォログラムモニターが展開しており、そこにはオンドラも何度か見たことがある様々なテレビ番組や映画、ネットの検索画面やゲームのプレイ画面が映し出されていた。
「監視者気取りのドラキュラさんの顔は……」
苦笑いを浮かべながら棺桶に顔を突き出そうとした瞬間、棺桶の蓋が勢いよくはじき飛んだ。オンドラも場数は踏んだ手練れ、蓋をかわして飛び退くとそのまま銃口を蓋の中から現われた半裸の人物に向けた。
「なんだ! テメエは! 」
オンドラの叫び。ネネはただ黙ってにらみ合う二人をじっと眺めていた。
「なんだテメエは……? そう言うテメエはなんだ? 」
男の目が笑っている。その様が不気味に見えて思わずオンドラは顔をゆがめて身を引いた。男の顔かたちは彼女が調べた保安隊の第一小隊二番機担当者吉田俊平のものだったが、そのやせぎすの義体は軍用とはとても思えないものだったし、爛々と光る目はどう見てもまともな人間のそれではなかった。
「そうですね……侵入者は私達の方ですから」
「ほう……」
ネネの言葉にすぐに吉田は関心をネネへと向けていた。棺桶からジャンプして飛び出し、跳ね回りながらネネの周りを回る。
「オメエ……アングラ劇団の劇団員か? 」
「失礼なことを言う! 」
思わず出たオンドラの本音にこれもまた大げさに反応するとそのままじりじりと顔を銃を手にしているオンドラに近づけた。もし彼女が素人ならば恐怖のあまり引き金を引いているところだが、吉田は相手がそれなりに場数を踏んだ猛者だと読んでかうれしそうな表情を浮かべてじりじり顔を近づける。
「来るんじゃねえよ! 気持ち悪い! 」
「それを言うならこちらの方だ! せっかく良い気分で眠っていれば突然の侵入! 君ならこんなときにご機嫌でいられるかね? 」
オンドラとは話が合わないと悟ってか、吉田は話をネネに振ってきた。
「でも入り口のあの文字。あれを書いたのがあなたなら私達を歓迎してくれても良いと思いますよ」
ネネの言葉に矛盾はなかった。しばらく吉田は天井を見上げて一考した後、手を打って満面の笑みを浮かべた。
「そうか! あの謎かけを解いたのか! 」
「そうじゃなきゃここにいねえだろ? 」
オンドラのつぶやきを無視して吉田はネネの手を取った。
「学究の徒、遠方より来たるか! これはまた楽しいことだな! 酒宴でも催したいところだが……見ての通り酒ものもろくにない有様でね」
「お前さんと酒宴だ?まっぴらだね」
またも呟くオンドラ。吉田は敵意の視線をオンドラに向けた後、すぐに満面の笑みに戻ってネネの手を取る。
「この星に眠る謎。どれもまた興味深いものばかりだ! それを尋ねてもう何年経つか……成果を横取りしようとする馬鹿者達の相手も疲れたところだからね」
「成果を横取り? あなたはこの部屋で研究成果をハッキングしているだけなんじゃありませんか? 」
うんざりしたように呟いたネネの言葉。だがネネには吉田の敵意が向かうことはない。満面の笑みを崩すことなく何度となく頷き笑い声を静かに漏らす。
「確かに……個々の研究成果はどれも私ではなくそれぞれの実地の研究者の地道な活動の賜であることは認めるよ……でもそれを統合し一つの成果として世に送り出す天才が必要だ。そうは思わないかね? 」
「自分を天才呼ばわりか……終わってるな」
再び殺気を帯びた敵意の表情がオンドラに向けられる。ネネはその様子があまりに滑稽なので吹き出しそうになりながら吉田の次の言葉を待った。
「終わっているか……それはいい! 」
そう叫んだ半裸の吉田。その狂気の表情にネネは目を背けた。目を見開き、ただ口を半分開けて笑みと呼ばれる表情を浮かべるそれ。
「その面! 見ててむかつくんだよ! 」
オンドラの言葉にただひたすら笑いだけで返す吉田。
「だから何だって言うんだ? まあいいや、君達は運が良い。俺は今大変に機嫌が良いんだ」
「そうは見えませんけど……」
それとないネネのつぶやきにも吉田の笑みは止まることを知らない。
「まあいい。君達は俺のことを捜していた……」
「さもなきゃこんなところに来るかよ」
「そうだな……だが機嫌が良い俺に会えるのはそう無い機会だぞ」
吉田はそう言うと一つの端末に取り付いた。狂ったようにそのキーボードを叩き続けた結果ついに全面の画面が切り替わる。
すべてはアルファベットの羅列に埋め尽くされた。それがドイツ語のものだとネネはすぐに気づいた。
「ゲルパルトの仕事でも請け負っているんですか? 」
ネネの言葉に吉田は狂気を孕んだ笑みで頷く。
「大きく時代は動く……時代を動かす機会とは無縁だと思っていたが……世の中そう捨てたもんでもないらしい」
「お前の場合すでに捨ててるみたいなもんだけどなあ」
オンドラのつぶやきを無視して吉田の笑みは続く。
「君達も見ただろ? 海峡を越えていく避難民の乗る輸送船の群れを」
「もうすぐ無駄だったとわかるんじゃないですか?彼らも」
非難めいた響きを湛えたネネの言葉に吉田は耳を貸す様子もない。
「いや、彼等は正しいんだよ……まもなくそれは証明される……外惑星の連中……悪意を湛えていい顔をしていた……実にいい顔だった」
「悪意を湛えたいい顔? そんなものがあるなら見てみたいね」
「君は今俺を通して見ているじゃないか! 」
「なら見たくもないな」
オンドラの言葉に話すに足りないと言うように吉田は目をネネに向ける。ネネは無表情に吉田を見つめた。
「悪意を湛えたいい顔……悪意はどこまで行っても悪意ですからそんなものはないですよ」
吐き捨てるように呟かれたネネの言葉に吉田は大げさに肩を落とした。
「残念だ……これだけ貴重な出会いだというのに分かり合えないとは……」
心底残念そうに肩を落とす吉田にネネはただ黙ってその表情を見つめるだけだった。
「悪意を望む人を褒めるのはどうかと思うのですが……」
「そうかな?悪意は一つのエネルギーだよ。それゆえに人は団結する。外惑星のネオナチ、遼北の教条主義者、西モスレムの原理主義者。彼らを動かしているのは敵意、悪意、そして憎しみだよ」
吉田は再び饒舌を取り戻してネネを睨み付ける。
「私はそう言う狂信者とは距離を置くのをモットーにしているもので」
「確かにそれは賢明な発想だ。だが成功には時として彼等と共闘することを求める場面もある」
そう言うと得意げに吉田は背後に並ぶ画面に目をやった。瞬時にそれは何か巨大な施設を映し出す。
「何ですか? それは」
ネネの興味深げな反応に満足げに吉田は頷いた。
「興味があるね? 先ほど狂信者と距離を置くと言いながら……これが狂信者の作品そのものだというのに」
「ゲルパルト辺りの秘密兵器というところか? 」
オンドラの当てずっぽうの問いに吉田はもったいを付けたような笑みを浮かべている。
「それであなたは何をしようというのですか? 」
「私が望んだ訳では無いよ。狂信者はただ敵の死を望む。その様子の観察をもくろんだだけだ」
「悪趣味だな」
「なんとでも言いたまえ! 私は私の快楽の為に存在しているのだから」
背後のメカニズムの動きにネネ達の視線は釘付けになる。何度となく繰り返される惑星を狙撃する巨大砲台の映像。
「それは『管理者』の望んだことなんですか? 」
静かに放たれたネネの一言。それまで満足の笑みを浮かべていた吉田の表情が崩れる。
「『管理者』?……誰だね?それは」
「あなたのお仲間が消された場所に必ず残っていた符号です。『管理者』……あなたはそれが誰かを知っていると思いますが? 」
「知らないな! 『管理者』? そんな存在を私は……! 」
そこまで言ったところで吉田の体が突然空中に撥ね飛んだ。絶え間ない痙攣を引き起こしながら地面に転がり、口からは泡を吐き始める。
「おい! ネネ! 何をした!」
オンドラが叫ぶのも当然だった。先ほどまで満面の笑みでネネ達と会話をしていたサイボーグはただ痙攣と骨髄反射を繰り返しながら床に転がるだけだった。
「ようやく本当の『吉田』さんが現われますよ……」
目の前の惨めな義体を見下ろしながらネネは静かにそう呟いた。
『本当の俺ねえ……』
突然部屋に響き渡った電子音声にオンドラは顔を顰めた。
「突然喋るんじゃねえよ」
『失礼した。まあ……こっちの方がかなり手間をかけたわけだからそう謝る必要は無いか』
「そうかも知れませんね」
白い目でネネがオンドラを見る。
「なんだよ……アタシが無能みたいじゃないか」
『みたいじゃなくて無能そのものだったね。君の情報調査能力……預言者ネネ。多少彼女を買いかぶりすぎていたんじゃないですか?』
「いえ、別に買いかぶってなんていませんよ。それだけ無能だったからこそ私達はこうしてあなたに出会えたんですから。出来のいい軍や警察のハッカー連はあなたにまだたどり着いていない。だから今あなたは私の前に現れた」
ネネの確信を込めた言葉。オンドラは不機嫌そうに銃口をまだ痙攣している義体へ向けた。
『ああ、そいつなら好きなだけ撃ってくれ。俺としてはそんな偽物がはびこっている世の中にはうんざりしているんでね』
吉田の言葉が終わるまでもなくオンドラはフルオートで義体に弾丸を撃ち込んだ。痙攣が止まり地べたに血が拡がっていく。
『気が晴れたところで……まず君達が知りたいことは何なのかな? 』
できの悪い生徒を教える教師宜しく呟く吉田の言葉にネネは眉を潜めた。
「私の知りたいこと……最初にあなたの悪趣味が先天的なものかどうかを知りたいですね」
『これは意外なところから話が始まるね……悪趣味……確かにそうかも知れないね。あちこちに分身の死体を残して消える……少なくとも趣味の良い存在のすることじゃない』
「確かにな。趣味が良ければ最初から分身なんて言うものを作る必要がねえからな」
オンドラの言葉。吉田の感情を表すように黒く染まったモニター画面が軽く白く点滅した。
『一つの意識……そこから出発するのが人間という生命の特徴だとするならば、俺のそれは多数の視点を持つ意識集合体として出発することになったから、それを統合する必要が生じた段階で個々の異端的意識を消す必要が生じた……こう言う説明では不十分かな? 』
「不十分ですね。まず、なぜあなたの意識が最初から分裂して多面的な視点を持つ必要が合ったのかの説明が必要になります。またその必要に妥当性があったとして、なぜ突如としてその多面的な視点が百害あって一理無い状況に至ったのか……それも説明をいただかないことには……」
ネネの言葉。すぐに画面が再び白く点滅する。
『預言者……その二つ名は伊達では無いんだろ? なら二つの回答の予想も付いているんじゃないかな』
吉田の言葉にネネは答えることもなくにんまりと笑う。
「ここにちょうど良い証人としてのオンドラがいますから……彼女に分かるように説明してください。そうしないと私も契約相手のあなたのことを心配している同僚にあなたについて説明をする自信が無いんです」
『これは一本取られたな……じゃあ始めようか…俺が何者で何を目指しているのか……』
満足げな吉田のつぶやき。オンドラはただ黙ってそれを聞いているだけだった。




