殺戮機械が思い出に浸るとき 21
「ひとまず失業はなさそうだなあ……」
寮の食堂のテレビを見ながらポテトチップスをかじっていた要の言葉にアイシャは首をひねった。
「そう簡単にいくかしらねえ」
「ずいぶん慎重だな」
にやけた要の顔を見てアイシャは大きくため息をつく。
「なんだよその態度……」
「良いわねえ、要ちゃんは。保安隊が解体になっても収入は領国から上がるでしょうし……ああ、他にも官位があったはずよね。そこからの年金もそれなりに入るんでしょ? 」
「なんだよ嫌みか? それにオメエだって艦長資格があるじゃねえか。東和宇宙軍にでも頼めばいいんじゃ無いか?ゲルパルトは……予算がないからなああそこは。元の鞘に収まるのも大変そうだ……結局失業か?」
「失業なんて、喧嘩でも売ってるつもり?」
にらみ合う二人。そこに明らかに場違いなにやけ面の誠がたどり着いたから二人の視線はドアの方に向かう。
「どうしたんですか? 二人とも。来週の演習の荷造りは……」
「そんなもんとっくに終わってるよ。オメエはあれだろ? 航海中に作るプラモの品定めでもしてたんだろ? 」
要に図星を当てられてたじろぐ誠。アイシャはそんな要を無視して立ち上がるとそのまま誠のそばまで歩いて行く。
「ねえ、今度こそ私のフィギュア作ってよ! 」
「あれは……元型を作るのに集中しないといけないですから。二人部屋じゃあ無理ですよ」
「なんだ。今度は二人部屋か? 」
意外な誠の言葉に要は驚いたように呟く。
「ええ、島田先輩と一緒の部屋です。まあ……部屋割りは鈴木中佐が決めたそうですが……」
「お姉さんの出産前最後のお仕事ね……それにしても変な話ね。島田君も一応士官だし、誠ちゃんはパイロット。それなりに優遇されてもいい話だけど……」
「まああれだ。神前は肝っ玉が小さいから度胸の据わった島田に兵隊のなんたるかを教われってことなんじゃねえの? 知らないけど」
そう言うとそのまま要はテレビに目を向ける。遼北の国家府中央会議室で引きつった笑みを浮かべる遼北首脳部の隣で本心からと思えるような満足げな笑みを浮かべる西園寺基義。それが胡州宰相であり要の父だと言うことはこの場の誰もが知っていることだった。
「良い仕事したじゃないの……たまにはパパを褒めて上げたら? 」
「誰が褒めるか! あの糞親父!失敗したら首締めに行ってやったのによ! 」
そう吐き捨てるように言うと要は立ち上がる。
「タバコ吸ってくるからな」
「別になにも聞いてないわよ」
アイシャの一言を聞くとぷいと背を向けて要は食堂を出て行った。
「相変わらずだな……」
入れ替わりに苦笑いを浮かべたカウラが入ってきた。
「まあね……あの娘も大変なんでしょ。父親が切れ者で知られた人物。私は勘弁だわ」
アイシャの言葉に誠は首をひねった。
「でも西園寺さん……胡州大公家の次期当主でしょ? そんな仕事をしなくてもお金ならどうにでもなるんじゃないですか? 」
そのままアイシャの隣に座った誠にアイシャは呆れたような表情を浮かべながら肩を叩く。
「あのねえ……誠ちゃん。あの子の肩を持つつもりはないけど貴族稼業も大変なのよ。私も最初は誠ちゃんと同じことを考えていろいろいじめてあげたんだけど……ねえ」
「いじめねえ……」
アイシャの言葉にカウラは苦笑しながらそのまま正面の席に座った。誠は相変わらずよく分からない表情で呆然とアイシャを見つめていた。
「基本的に胡州貴族は無職じゃ勤まらない訳よ。まあ……公爵、伯爵クラスになれば就職先が無ければ貴族院議員の席が空いているからどうにでもなるけどねえ」
「じゃあ議員になれば良いじゃないですか」
思わず出た誠の言葉にアイシャがさらに深いため息をつく。
「西園寺首相は反貴族主義の急先鋒よ。貴族院議員の権利はとっくに放棄済み。それで無職が三年続くと……」
「廃嫡の上、不熟に付き永蟄居。つまり死ぬまで座敷牢の中で過ごすことになるそうだ……胡州貴族典範の付則に載ってる。ネットでも調べられるはずだ」
カウラの言葉に思わず誠は息を飲んだ。生まれ持った栄華と義務などと胡州貴族達が口にするのはそのような法的な裏付けがあったとは。それ以上にあの落ち着きのない要が座敷牢の中でじっとしていることに耐えられるとは思えなかった。
「そう言えば……あれでしょ? 隊長が継ぐ前の嵯峨家の断絶理由も当主が永蟄居中に使用人を惨殺したとかしなかったとか……」
「そんなことは知らないな。つまらない知識だ」
アイシャの言葉を切って捨てるとカウラはそのまま視線を食堂の入り口に移した。
そこにはセーラー服姿の少女が立っていた。
「あれ? 小夏ちゃんじゃないの。学校は? 」
「今日は学年末テストで半日で終わりです。それより皆さん……師匠を知りませんか? 」
入り口で立ったままいつも『師匠』と慕うシャムのことを口にする小夏の口元が振えているのを誠達は見逃さなかった。
「シャムちゃん? 何かあったの? 」
何気ないアイシャの言葉に神妙な顔の小夏はそのまま彼女の正面の椅子まで行くと腰をかけた。
「最近連絡がないんです。それで今日、電話を入れてみたら……隊にも出てないらしくて……」
思わずカウラと誠は顔を見合わせた。
「ああ、あの娘は有給たくさん残ってるから」
「違うんです!それだけじゃなくてグリンも一緒にいなくなって」
小夏の言葉に場が瞬時に凍り付いた。グリン。フルネームはグレゴリウス16世という名前のコンロンオオヒグマの子供である。子供と言っても成長すれば10メートルにもなるコンロンオオヒグマである。優に五メートルはあるあの巨大な熊が行方不明となると問題は質が変わってくる。
「警察には……ってうちに連絡がないってことはランちゃんは手を出さないつもりね……」
「でもあの巨大な熊が行方不明なんだぞ。クバルカ中佐……何を考えているのか……」
こう言う問題では最初からなにもしない隊長の嵯峨を無視して副部隊長格のクバルカ・ラン中佐にアイシャとカウラの心は向かう。
「でもあれだけの巨大な熊ですよ……歩いていたら見つかるでしょ……」
苦笑いを浮かべながら呟く誠の顔をアイシャはまじまじと見た後大きなため息をついた。
「誠ちゃん……自分の胸に手を当てて考えてごらんなさいな。あなたもあの娘も法術師。干渉空間を展開して自由に移動できる訳よ……」
「あ!」
誠も言われてみて初めて思い出した。その視線の先では呆れた顔でカウラが誠を見つめている。その視線に誠はただ申し訳なくて俯いてしまった。
「でもどこに……遼南まで跳ばれてたらまずいわね」
「遼南ですか! 」
アイシャの一言に小夏が叫びを上げる。シャムの出身地遼南。この東都からは数千キロ西の山奥がシャムの育った森のある山岳地域である。コンロンオオヒグマを初めとする猛獣が暮らす広大な大自然を一匹の熊と小さな女の子を捜して走り回るなどとうてい無理な話だった。
「それは無いな」
確信のある語調でカウラが断言する。そのあまりにはっきりとした口調にアイシャは感心しながらその切れ長の視線を投げた。
「この前入国手続きの件でナンバルゲニアには話をしたんだ。空間転移で跳んで他国に入国することは不法入国になると教えてやったらちゃんと頷いていた」
「なに? それだけの理由? 」
呆れるアイシャだがシャムの単純な思考を考えると誠もカウラに同調しなければならなかった。
「でも師匠だから……それで心当たりは? 」
小夏の言葉にアイシャは携帯端末を取り出す。
「あれだけの熊を連れていたらニュースになるか……ただニュースになるようじゃ困るんだがな」
苦笑いのカウラ。その落ち着いた様子に誠は思わず顔を向けた。
「グリンは臆病だからな。だがそれだけに心配だ。兵隊でもそうだが落ち着きのない臆病な奴ほど手に負えないものは無いからな。本当に何をするか分からない……」
「駄目ね。まるで手がかりは無し!ただでさえ吉田さんの情報もないというのに今度はその相棒?」
カウラの言葉が終わるのを待っていたかのようにアイシャが天を見上げる。
「誰にも見られていない場所ですか……ナンバルゲニア中尉はイノシシ狩りをしますよね。その場所とか……」
そんな誠の思いつきにアイシャとカウラは顔を見合わせたがすぐに諦めたと言うように首を振る。
「師匠は狩り場を誰にも教えませんから……まあイノシシの被害が出ているところは決まってますから場所の限定は出来るでしょうが……」
小夏が呟くと誠もその広大な農地と雑木林を想像して呆然とした。豊川市の西には広大な山々が連なっている。その山々のどこかに潜む熊と少女を見つけるのも十分に骨が折れる話だった。
だがそんな決断のつかない誠に苛立ったように素早くアイシャが立ち上がる。
「ぐだぐだ話していても始まらないわね……小夏ちゃんは島田君に連絡を入れて。急ぎでない仕事をしている技術部員と楓ちゃんに捜索を頼むわ。それと誠ちゃん……」
「はい? 」
誠の間抜けな返事にアイシャは大きくため息をついた。
「今、寮にいる面子を集めてちょうだい。方策を練るから」
アイシャに言われると誠はそのまま立ち上がった。食堂を飛び出すとそのまま玄関に向かう。玄関にはその日の寮に住む隊員の行動予定表があった。
「西川さん、大西さん、シュミット先輩……」
おそらく演習準備に余念のない明華に絞られて泥のように眠っているであろう古参の下士官を起こすのは気が引けるがカウラの言うように非常事態だった。ちょうどそこに外から帰ってきた菰田の姿が見えた。
「おう、神前。また……」
嫌らしい菰田の目だがそんなことを気にしてられる状況では無かった。
「先輩!大変です!ナンバルゲニア中尉がグリンを連れてどこかに消えちゃったんです!」
すぐに菰田の顔色が変わる。管理部の幹部としてグリンの飼育に反対していた菰田。その予想していた最悪の事態。
「おい、ベルガー少佐は食堂か? 分かった。すぐに放送を流して寮に残っている連中を集める。お前はシュペルター中尉の部屋に行け」
「え? でも放送を……」
誠の口答えに菰田は呆れたような表情を浮かべた。
「あの人がそんなもんで起きるか! 鍵は掛かってないはずだからそのまま飛び込んでひっぱたいて起こせ! 俺が許可する」
それだけ言うと菰田はそのまま寮の廊下を駆け出していった。
取り残された誠は仕方なく階段をのぼりはじめた。
三階の一番奥の部屋。古参の下士官ばかりが詰める三階は誠はあまり立ち入ることのないフロアーだった。二階まではいつも通りにのぼれるが、そこから先はどうにも気が進まない。しかし菰田に頼まれている以上、誠に躊躇うことは許されなかった。
隊員の入隊除隊の激しい一二階と違って落ち着いた雰囲気の廊下を誠は静かに歩いた。
『緊急事態発生! 各員食堂に集合! 』
菰田の投げやりな叫びがフロアーに響くが三階のドアはどれも開く気配がない。多くは部隊では換えの効かない重要のポジションのこの階の住人が演習前に非番というのはあまり考えられないことだった。
しかし法術関連のみの担当と言うことでほとんど誠達と出勤のローテーションが同じヨハン・シュペルター中尉は誠が謹慎中と言うこともあって今日も非番で一日寝ている予定だった。
「全く……よく寝ているんだろうな……」
「誰が寝ているだって? 」
背中から浴びた低い声に誠は驚いて振り返った。
「おいおい、そんなに驚くなよ……トイレに行ってたところなんだが……緊急事態って? 」
膨らんだ腹をさすりながら小さな眼鏡を直すヨハン。見ようによっては季節外れのサンタクロースのようにも見えるそのおおらかな表情に誠は息を整えるとそのまま言葉を吐き出した。
「ナンバルゲニア中尉が行方不明なんです。しかもあのグリンを連れて……」
慌てて喋る誠の顔を不思議そうな表情で見つめるヨハン。彼もグリンの危険性は分かっている。それでもどこかしら余裕を感じるのはヨハンのふくよかな顔の作りのせいかそれとも彼の持ち前の性格なのか誠には今ひとつ判断をすることが出来ない。ヨハンはしばらく天井を見上げた後、そのまま奥の自分の部屋へと歩き始めた。
「中尉! 緊急事態……」
「分かっているよ。慌てなさんな。とりあえず俺には当てがあるような気がしてね……」
そのまま奥の部屋の扉を開けて部屋に入っていくヨハンにくっついて誠はそのまま本棚が所狭しと並ぶヨハンの私室に入った。
「ちょっと待ってくれ」
机の引き出しを開けたヨハンはその中身を一つ一つ塵一つ無い机の上に並べていく。缶切り、爪切り、何に使うのか分からない計測機械。一つ一つゆっくりとヨハンは机の上に置いていく。
「中尉……」
「だからちょっと待って……ああ、あった」
そう言うとヨハンは手帳のようなものを手に誠に向かって笑顔で振り返った。
「なんですか……写真? 」
ヨハンの手に握られていたのは古風なアルバムだった。革製の茶色い装丁の厚めのアルバムをヨハンは丁寧に机の上に置くと誠に向けて開く。
「法術と言うのはどうしても心理的な影響を受けやすい力だからね……精神の源泉とでも言うべき故郷の風景。それにちょっと関心があってね」
そこには山の光景が写っている。木々は明らかに誠の見たことがないような濃い緑色の針葉樹林。
「遼南の高山地帯の風景ですか? 」
シャムの出身地だという山々を思いながらの誠の言葉にヨハンは静かに頷いた。
「あの我等がちびさんの出身地はどこもこう言う針葉樹林の森なんだ。しかも数百メートル標高が上がれば木々も次第に小さくなり、千メートルも登ればもう森林限界だ」
ヨハンがめくる写真に写る植物を見て次第に誠はヨハンの言おうとしていることの意味が分かった。
「ここら辺りの森はほとんどが落葉樹の森ですよね……そこにはナンバルゲニア中尉はいない……となると植生図を調べて一番近くの針葉樹の森を捜せば……」
「まあ一番手っ取り早い方法はそれかな。まああのちっこいのはあまり休みを取らないから北国まで足を伸ばす必要も無いだろうし……まあ調べてみる価値はあるな」
ゆっくりとしたヨハンの言葉が終わるのを待たずにそのまま誠は部屋を飛び出した。階段を駆け下り、食堂前にたむろする寮の住人達を押しのけながら厳しい視線で周りを見回すアイシャの前に躍り出た。
「何してたのよ……これから手分けして……」
「それより場所を絞り込む方法が分かったんです! 」
誠の言葉にアイシャが首をひねる。食堂の奥に据え付けられようとしている端末を調整していたカウラと菰田も珍しそうに確信ありげな誠を見つめていた。
「あの人の故郷に近い場所ですよ! 」
「なに? 西の戸川半島にでもいるの? 」
「違います! 針葉樹の森です。あの人の故郷は針葉樹の森が深い場所ですから。この付近で杉とかを大規模に植えている場所にあの人は居ます! 」
一気にたたみ掛けた誠の言葉にアイシャはいぶかしげな視線を向けるだけだった。
「いや、試してみる価値はあるな」
端末の調整を菰田に押しつけてカウラは立ち上がるとポケットから車の鍵を取り出す。
「カウラちゃんまで……まあこの人数なら豊川中の森を探せるでしょうから。まあ私とカウラちゃんと誠ちゃんは……」
アイシャはそのまま視線を端末を起動させたばかりの菰田に向けた。
「ちょっと待ってくださいね……針葉樹ですか……飯岡村の辺りが地図の記号では針葉樹が多いですよ」
「それだわ……じゃあ後は菰田君が仕切ってちょうだい」
それだけ言うとアイシャはそのまま先頭に立って歩き出す。誠とカウラは少しばかり呆れながらその後に続いた。
「カウラちゃんの車で行くわよ……」
アイシャにガンをつけられてすこしばかりひるんだ要を無視してカウラはそのまま玄関で靴を履き替える。慌てて要も下駄箱の隣にあるロングブーツに手を伸ばした。
「それにしても……誠ちゃん。なんでそんな針葉樹なんて」
「あれです。シュペルター中尉が教えてくれたんですよ。彼は部隊員のメンタルまで気を使ってくれていますから」
誠の言葉に靴を履き替えていたカウラと要が顔を見合わせた。
「アイツが役に立つこともあるんだな……」
「伊達に太っていないな」
「体重の分だけ仕事してくれれっばいいんだけど」
ヨハンのことをこてんぱんにいう要、カウラ、アイシャ。そんな態度を取られるヨハンに誠は少し同情していた。
「酷いじゃないですか! あの人だって隊員でしょ!」
「別に神前が怒ることじゃねえだろ? 行くぞ」
要は自分だけブーツを素早く履くとそのまま立ち上がって駆け出す。
「それにしても意外ね……シャムちゃん。あれだけ信じてるって言ってたのに」
「それぞれ不安や思うところがあるんだろうな」
静かに立ち上がりささやきあうアイシャとカウラ。誠はそれを見ながらそのまま外に飛び出していった要の後を追った。道路はすでに頂点を通り過ぎた春の太陽の下、ぽかぽかとした空気に満たされていた。誠はその中を隣の駐車場に向けて歩く。
すでに赤いカウラのスポーツカーの隣には革ジャンを着た要がいらだたしげに頬を引きつらせながら誠達を睨み付けていた。
「おい! あの馬鹿が人様に見つかる前に連れ戻すぞ! 」
要の叫び声に誠は首をひねった。
「でもこの車にはグレゴリウスは乗りませんよ? 」
誠の言葉に要は大きくため息をつく。
「あいつも空間転移で移動したんだ。帰るのもそれで行けば良いじゃねえか!ほら!ちんたらするんじゃねえ!」
入り口付近で苦笑いを浮かべているカウラとアイシャを呼びつける要。カウラは仕方なくドアの鍵を解除した。
「ほら、乗れ」
誠を無造作に車に押し込む要。強力な軍用義体の腕力の前には大柄な誠も何も出来ずに狭いスポーツカーの後部座席に体を折り曲げるようにして押し込まれる。
「ご愁傷様ね、誠ちゃん。でも急いだ方が良いのは確かね」
助手席に乗り込んだアイシャの表情が厳しくなる。カウラは運転席に乗り込むとすぐにエンジンを始動、車を急発進させて砂利の敷き詰められた駐車場から車を出した。
「おいおい、飛ばすなよ……」
勢いに任せて後輪を振り回すようにハンドルを切るカウラに思わず重い義体を誠にぶつけてよろけながら要が呟く。
「カウラちゃんは仲間思いだからねえ」
狭い路地をかっ飛ばす様に若干はらはらした表情を浮かべながらなだめるように話すアイシャの言葉にそれまで無表情だったカウラの口元が緩んだ。
「我々戦うために作られた人間の数少ない美徳が仲間を思う気持ちだ……これは私も少しは自信がある」
「いい言葉だねえ……仲間を思いやるか。アタシはアイツが連れてるデカ物がどんな騒動を起こしてアタシ等に迷惑かけるかしか考えてなかったけどねえ」
「要ちゃんも……素直じゃないんだから」
思わず振り向いて誠にウィンクするアイシャ。
カウラはそのまま車を大通りに飛び出させる。強引な割り込み。誠もこんなに荒い運転をするカウラは初めてだった。そのまま制限速度を軽く超えて郊外に向けてスポーツカーはひた走る。
「この前の件で警邏の巡回時間を聞いといて正解だねえ……これなら一発免停間違い無しだぜ」
苦虫をかみつぶした表情の要だが言葉の色は痛快極まりないと言う時のそれだった。誠はただ呆然としながらあっという間に街の半分を通過したことを知らせる市立商業の校舎を見つめていた。
「あの馬鹿のことだ……きっと見晴らしのきく高いところにいるぜ……馬鹿と煙はなんとやら……上から見えるってことは当然したからも見えるわけだ」
「今の時期なら農作業とかしている人はいないかも知れないけど……あまり放置しているとまずいのは確かね」
要の言葉にアイシャはジャンバーのポケットから携帯端末を取り出す。要が目をつぶっているのは脳を直接ネットとリンクさせているから。誠は何も出来ずに通り過ぎていく景色を眺めるだけ。
『本部から各移動! 本部から各移動! 』
「いつから本部になったんだ! キモオタ! 」
軽快に台詞を決めてみたらしい菰田の通信に要が叫びを上げる。思わずアイシャと誠は顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
「何か掴んだのか? 」
運転しながらのカウラの言葉にアイシャの端末の中で冷や汗を浮かべている菰田がようやく立ち直って口元を引き締めて台詞を吐き出し始めた。
『ええ……まあ飯岡村の都道123号線の西字天神下を通過したドライバーから駐在所に何か大きな動物が尾根を歩いていたって言う通報がありまして……』
「尾根を散歩だ? あの馬鹿! 何考えてんだ? 菰田、駐在が出るのにどれだけかかる? 」
要の渋い表情に今度は菰田が満面の笑みを浮かべた。
『備品管理の村田がちょうどあそこの出身で、今日は実家にいるもんですから……』
「何でも良い! 適当なことを言って駐在を部落から出すな! 良いか? 一歩も出すなよ! 出したら……」
血相を変える要にすぐに菰田の自信はしぼんで跡形もなくなる。
『分かりました! なんとか足止めします……だから宜しく頼みますよ! 』
やけになったような叫び声と共に菰田は通信を切った。
「さっきまで警察の本部気取りだったのに……」
クスクス笑うアイシャを見ながらにんまりとしてそのまま腕を組んで座席にもたれかかる要。ただ誠はその周りの景色の早く変わる様に緊張を続けていた。
「さっき警邏隊の状況は把握していると言いましたけど……白バイが流していたらどうするんです? 」
おそるおそる呟く誠に要は満面の笑みを浮かべる。
「ああ、白バイはこの先にはいねえよ。南陽峠で族が集会を開いているという連絡が入っているはずだからねえ……忙しいんだろ」
「要ちゃん。警察無線に割り込んで嘘の情報を流したわね……」
呆れるアイシャだがカウラは満足げにアクセルを踏み込む。すでに市街地は過ぎて左右の景色は目の前の東都の西に広がる山脈の足下の観光客目当ての果樹園に変わっている。
「あの馬鹿……捕まえたらただじゃおかねえ! 」
「心配したり怒ったり……本当に要ちゃんは忙しいわねえ」
のんびり構えているアイシャだが誠が見る限りその表情は硬い。
誠も聞かされてはいるがシャムは遼南内戦でのエースとして熾烈な戦場を生き抜いたタフな心臓の持ち主である。実業団の試合の際にも常に明るく元気で強豪菱川重工豊川相手にも打ち込まれる誠に明るく声をかけてくれる気さくな性格である。そんなシャムがこれだけ周りに迷惑をかけることをやるほど追い詰められている。ある意味意外に思えた。
『信じているから』
周りが相棒の吉田の指名手配の話を振ってもその言葉と笑顔で返してきた元気なシャムの逃避行。誰もがあまりに突然で意外に思っているのは誠も感じていた。
「でも……なんでこんなことをしたんですかね……」
「知るか! 」
誠の言葉が出たとたんに要は叫んでそのまま狸寝入りを始める。
「吉田少佐の件とは無関係とは思えないけど……あの娘が突然居なくなるなんて……それ以外に何かあったとしか思えないわね」
アイシャの言葉にカウラも静かに頷いた。
ギアが下げられ、エンジン音が激しく変わる。道は緩やかに登りはじめた。一応国道だというのに道も左右の歩道が消えてすっかり山道という感じに変わっている。
「でも……吉田少佐とシャムちゃん……どんな関係なのかしら? 」
突然のアイシャの問題提起に静かに要が目を開く。
「男女関係って訳じゃ無いよな……吉田はそれなりに名の知れた傭兵だ。甘い戦友としての友情なんてもんでも無いだろうしな……」
要の言葉に誠も静かに頷きながら目の前に見える白く雪を湛えた山脈を臨んだ。
「次の交差点を右だ」
流れていく景色を薄目を開けて眺めていたのか。要がぼそりと呟いた。
「便利ね……人間ナビ」
「殺すぞ」
冷やかすアイシャに殺気を向ける要。誠はただ代わり映えのしない冬枯れの森の景色を見ながらそれを瞬時に判断する要に感心していた。
「山道になるな……路面は大丈夫か? 」
「先週は……この辺も雪だったらしいからな。まあ速度は落としておいた方が良いな」
要のアドバイスにカウラはギアをさらに落としてそのまま対向車の居ない交差点を大きく右にハンドルを切る。後輪を空転させながら爆走するスポーツカー。誠はカウラのテクニックを信じて木々の根元に雪の残る山道の光景を眺めていた。
「でも……こんなに寒いところに来るなんて……」
「あの餓鬼の故郷はもっと寒いんだ。平気なんだろ」
それとないアイシャの心配もまるでどうでも良いことのように要は切って捨てると窓の外にそのタレ目を向ける。森の奥深くまで見通せるのは落葉樹の葉のない木々で覆われた森だからこそ。その森の奥深くは根雪となった雪が視界の果てまで続いていた。
「こんな景色……コロニー育ちだからわくわくするわ」
「そうか? 写真や映像で腐るほど見て飽き飽きしてたところだ」
「そうね、要ちゃんならそうかも。その重い義体じゃあ雪の中で動き回るのは難しそうだし……それにスキーとかもしないんでしょ? 」
「オメエもしねえじゃないか」
「出来ないのとやらないのはまるで意味が違うわよ」
どうでも良いことで言い争いをする二人を見ながら誠は少しばかり安心していた。シャムの動揺はそれとして他の面々までいつもの調子は失ってはいない。これならシャムを笑顔で迎えられる。そう思うとなんだか誠はうれしくなっていた。
「神前……何か良いことでもあったのか? 」
バックミラーに誠の笑顔が写っていたようでカウラが笑顔で呟く。
「うちはみんなで一つのチームなんだなって」
「みんなで一つ? よしてくれよ。こんな腐ったのと一緒にされたら迷惑だ」
「私は腐ってはいません!」
「いいんだよ!そんなこと!」
アイシャと要のやりとりはあくまでいつも通りだった。上り坂が終わり、急に道が下り始める。
「まもなくだな」
自分に言い聞かせるようなカウラの静かな声に気づいて周りを見た誠の目にこれまでの明るい森とは違う暗い森、針葉樹の濃い緑色が飛び込んできた。
「菰田の奴……うまくやってくれてるかねえ……」
「何してるの? 」
それとなく振り返るアイシャの目に革ジャンの下のホルスターから愛用の拳銃XD40を取り出す要の姿があった。
「あれだ、相手は猛獣だからな……40S&Wじゃ力不足かねえ……カウラ! 後ろのトランクにショットガン積んであったろ! 」
「お前は何がしたいんだ……あれは下ろした。クバルカ実働隊長からの指示だ」
苦笑いとともに答えるカウラに要が渋い表情をする。その姿があまりに滑稽に見えた誠が吹き出しそうになるが、要の一睨みでそのままおずおずと視線を外に向けた。
車の速度は制限速度に落ちていた。それもそのはず、急激なクランクが次々と行く手に現われ、制限速度でも十分後輪は横滑りをするほどの状況だった。
「カウラちゃん……要ちゃんじゃないんだからもっと穏やかに行きましょうよ」
「私は穏やかに運転しているつもりだ。ちゃんとメーターを見ろ。制限速度は守っているだろ?」
「確かにそうなんだけどねえ……もう、私の周りはどうしてこう言う面々ばかりなのかしら……誠ちゃんの苦労も分かるわ」
「オメエが一番苦労させているように見えるがねえ……」
自分をなだめすかすように愚痴るアイシャに一言入れると要の表情が厳しくなった。
「おい、レンタカーが一台……この先一キロだ。連絡があった西字天神下に停まってやがる……あの馬鹿! 見つかりやがった! 」
おそらく自動車のGPSシステムに介入しているからだろう。瞬時にそう言った要にさすがのアイシャの表情も硬くなった。
「レンタカー……ハイカーさんかなにかだとやっかいだわね」
そのままアイシャは親指の爪を噛みながら続くカーブの先を睨み付けている。誠は部隊配属直後の事件が頭をよぎった。
「あのー……法術反応をたどってどこかの組織が動いているとか……」
心配そうな顔の誠を瞬間あきれ果てたと言う顔で要が見つめる。そして彼女は大きくため息をついた後軽く誠の左肩に手を置いた。
「あのなあ……どこの世界にレンタカーで巨大な熊の護衛付きの法術師を拉致しようって馬鹿がいるんだ? それもこの業界じゃあ使い手で知られた遼南帝国青銅騎士団団長のナンバルゲニア・シャムラード中尉だぞ? 」
「でも暴力団とかの素人連中に実行を依頼しているとか……」
あまりにも屈辱的だったのでムキになって叫ぶ誠に今度は同じように呆れた顔のアイシャが助手席から顔を覗かせる。
「そんな時間があったと思う? 私達だってさっきまで知らなかった話じゃないの」
自分の珍しくした意思表示を完膚無きまでに叩きつぶされてぐんにゃりと俯く誠。カウラはバックミラー越しにその様子を見ながらさすがに同情を感じているのか苦笑を浮かべている。
「次のカーブを曲がれば分かることだ……それと西園寺。レンタカーの会社のデータベースにハッキングして掴んだ情報を全部話せ」
素早くハンドルを切りながらカウラが呟いた。その言葉の直後に針葉樹の深い森が一瞬で途切れて大きな丸裸にされた丘が目に飛び込んでくる。
「車種は小型のファミリーカー。四駆じゃ無いからそれほど本格的な装備の奴じゃ無いと思うけどなあ……」
今度は開き直ったように銃をホルスターから抜いてスライドを引く。
「要ちゃん……穏便に行きましょうね」
さすがのアイシャもこれはまずいとばかりに苦笑いを浮かべるが無情にも山の下に置かれた水色のハッチバックの車影は次第に近づいてくる。
「人気がないな……それにしても肝心のグリンは? 」
「見えるわよ……山の頂点」
アイシャが指さす先に小指の先ほどの茶色い塊がじっとしているのが誠にも見えた。
「本当に馬鹿だな……丸見えだぞ」
「菰田が交通規制の偽情報を流している……この車でも確認できるからな」
「冒険するわね……菰田君も。うちのカラーに染まってきてるってことかしら」
他人事のように呟くアイシャを一瞥した後、カウラは静かに枯れ草だらけの路肩に車を停めた。目の前には人気のない空色の小型車。どうにもハイキングなどの客が好みそうなはやりの新車だった。
「馬鹿! 早く降りろ! 」
「椅子を蹴らないでよ! 」
暴れる要に悲鳴を上げながら助手席からアイシャが転がり出る。素早く要は銃を構えて飛び出すとそのまま背の高い枯れ草の間の獣道の中に消えていった。
「追わないと! 要ちゃんは撃つわよ」
「軍用義体と追いかけっこか? 無茶を言う」
苦笑いを浮かべてカウラはゆったりと構えつつエンジンを止めてからドアを開けた。高原の冷たい空気が車内に流れ込んできて誠は厚着をしてこなかったことを後悔した。
「それにしても冷えるわね……」
アイシャも運を天に任せたというようにゆっくりとそのまま要の消えていった獣道に入り込む。
「荷物は無いか……おそらく女性だな……しかも一人」
レンタカーの運転席を覗き込んでいるカウラ。確かに見る限り荷物のようなものは無く、運転席側のホルダーにだけジュースの空き缶が刺さっているのが誠にも確認できた。
「カウラちゃん! 早く! 」
叫ぶアイシャの声に思わず誠に向き直り苦笑いを浮かべるとそのままカウラは空色のレンタカーから離れて獣道へと踏み込んでいく。誠もまた仕方なくその後に続いた。
草むらに入って誠はそこが切り開かれた山林であることに気づいた。この東都の北西に広がる森は落葉樹の森。針葉樹が広がっているのは要するに林業の為に植えられたものなのだろう。
「急いで! 」
すでに斜面を百メートルほど先に登っているアイシャが振り返って叫ぶ。先を行くカウラは誠に苦笑いを浮かべるとそのまま確かな足取りで滑りそうな霜でぬかるむ獣道を進む。
「西園寺がいくら馬鹿でもそう簡単には撃たないだろうな」
自分に言い聞かせるように呟くカウラを見て、ただ誠もそのことを祈りながら正面の丘を見上げた。相変わらずぽつんと茶色い塊が視線の中央でうごめいている。
「これは確かになんだか確認したくもなりますよねえ……双眼鏡でもあれば熊だと分かって警察に通報されますよ」
「すでにされたから私達はここにいるんだろ? まあいい、とにかく穏便に済ませることが一番だ」
カウラが登る速度を速める。誠はそれに息を切らせながら続いた。
一瞬、丘の上に続く獣道の全貌があらわになる地点にたどり着いた。すでに斜面をほとんど登り切って丘にたどり着こうとしているところに黒い小さな塊が見える。
「西園寺さん……あんなところまで……」
「まあそれが生身とサイボーグの差だ。それくらいの違いがないと採算が取れないだろ? 」
一瞬だけ呆れたような表情で振り返ったカウラだが、すぐに表情を引き締めて斜面を登りはじめる。先ほどまで獣道の奥にちらちら見えていたアイシャの姿ももう消えている。
「早く行かないと……」
焦った誠の右足が霜で緩んだ斜面をつかみ損ねた。もんどり打って顔面から泥のような獣道の土にまみれる誠。
「何やってるんだ? 」
「はあ……転んじゃいました」
「見れば分かる」
それだけ言うとそのまま誠を置いて歩き出すカウラ。誠は額に付いた泥をたたき落としながら今度は慎重な足取りで斜面を登りはじめた。
「早く! 」
遠くで叫ぶアイシャの声がこだまする。先ほど要を見た地点くらいにはアイシャはすでに到着しているらしい。
「こりゃあ……急がないと」
自分自身に言い聞かせるようにして誠はぬかるむ山道をただひたすらに上へと登っていった。
右足、左足。次々と滑る冬の軟弱な泥道。ただ夢中で誠は登り続けた。ただその間願うことは要の無思慮な発砲音が響かないことだけだった。次第に意識が薄くなり、足を蹴る動作だけにすべての神経が集中するようになったときに不意に傾斜が緩くなり始めた。
「終わった……」
誠はようやく泥ばかりで覆われていた視界を何とか上に持ち上げた。
そこには一本だけ残っている大きな杉の木の陰で息を潜めて先の様子をうかがうアイシャとカウラの姿があった。
「ああ、すいません……ようやくたどり着きました……」
「しっ!」
唇に人差し指を当てて沈黙するように促すアイシャ。その隣のカウラの視線の先を誠は静かに目で追った。
草むらの影で銃を構えて身を潜める要の後ろ姿が見える。そしてその向こうの枯れ草の穂の隙間からは茶色いコンロンオオヒグマの頭がちらちらと見て取れた。
「間に合ったんですね……」
「間に合ったかどうかはこれから分かることだ」
カウラの感情を押し殺したような声にそれまでの誠の到着した喜びのようなものは瞬時に吹き飛んだ。熊の周りを草の隙間から覗いていた要がそのまま銃を構えて飛び出していく。
「カウラちゃん止めないと! 」
「まったく世話が焼ける」
苦虫をかみつぶした表情のカウラが覚悟を決めて杉の木陰から飛び出して要の姿を追う。要はすぐに距離を詰めたようで先ほどまでの場所に人の気配は無い。
「キャア! 」
明らかにシャムとは違う女性の叫び声が熊の頭の見える辺りで響く。誠もその尋常ならざる驚きの声に残った力を振り絞って枯れ草の中を駆け抜けた。草のついたてを抜けて断崖絶壁にたどり着いた誠の目の前にただ銃を構えて動かないで居る要の背中が目に入った。
「なんでテメエがここに居るんだ? 」
誠達がたどり着いてもしばらくじっとしていた要がようやく口を開いた。その視線の先、手にしたバスケットからサンドイッチを取り出して頬張っているシャムの隣には技術部所属の女性士官、レベッカ・シンプソン中尉が腰を抜かして倒れていた。
「その……あの……」
「だからなんでテメエが居るんだよ! 」
いつまで経っても驚きの中から抜け出せずにおたおたしているレベッカに要のかんしゃく玉が炸裂した。カウラが要の銃を掲げた手に静かに手を添えてその銃を下ろさせる間もレベッカはただずり落ちた眼鏡を直すのとなんとか先ほどまで座っていた石の上に座り直すのが精一杯で要の質問に答える余裕は無かった。
「レベッカさん……シャムちゃんから頼まれたんでしょ? 何か食べるものを持ってきてくれって」
にこやかな表情を作りつつアイシャがゆっくりとレベッカに歩み寄る。ようやく現われた自分の理解者を見つけたというようにレベッカは引きつった笑みを浮かべつつおずおずと頷いた。
「あ! でも連絡はさっき入れましたよ……班長も本当に困った顔してましたけど……」
自分の不始末に謝るレベッカだが、その島田を指す『班長』という言葉を聞くとアイシャと要は顔を見合わせてにんまりと笑った。
「おう、確かに島田には連絡は行ってるみてえだなあ……通信記録もある。島田も……すぐに本部とやらに連絡はしているな」
脳内の端末を確認して要が呟く。アイシャはにこやかな笑みをレベッカに向ける。レベッカは先ほどの慌てた表情からようやく落ち着いてきたようでまるで他人事のようにことの顛末を眺めているシャムの隣で大きなため息をついた。
アイシャはジャンバーから携帯端末を取り出すと笑顔のまま菰田に連絡を入れた。
『あ!』
茶を啜っていた菰田の顔が誠が覗き込んだアイシャの端末の中で次第に青ざめていく。
「菰田ちゃん……いいえ、本部長とでも呼んだ方が良いかしら……」
『シンプソン中尉のことでしたら……忘れてました! 済みません! 』
ごたごた言うだけ無駄だと諦めた菰田は素早く頭を下げてみせる。ただ相手はアイシャである。にこやかな笑みを浮かべながらもその表情は怒りで青ざめているように誠には見えた。
「良いわ……後で折檻だから」
一言言い残してアイシャが通信を切る。その様子に満足げに頷く要。一方、カウラは最後のサンドイッチを飲み下したシャムのところへと足を向けていた。
「ずいぶんと悠長な態度だな」
「別に悠長なんかじゃ無いよ」
それまでののんびりとした表情がすぐにシャムから消えた。そのまま彼女は断崖絶壁の向こうに目をやる。しばらく続く針葉樹の森。それも限りがありそのまま落葉樹の冬枯れに飲み込まれていくのが見える。
「思い出でも探しに来たか? 」
「いつも通り直球だね要ちゃんは……でもまあそんなところかな」
冷やかす要に苦笑いを浮かべるシャム。その姿はどう見ても小学校高学年という感じだが、浮かんでいる憂いの表情には年輪のようなものが感じられるように誠には見えた。
「吉田少佐の失踪……それなりにショックだったんだな」
カウラの言葉にしばらく彼女を見つめた後、静かにシャムは頷いた。
「単純にショックという訳じゃ無いんだけど……なんだかせっかく手に入れた何かをなくしちゃったような感じというか……ああ! なんだか説明できなくてわかんなくなっちゃうよ! 」
自分の語彙の少なさに叫んで気を落ち着けようとするシャム。そんな主を静かに心配そうにグレゴリウスは見下ろしていた。
「まあショックならショックでいいじゃないか。心配なら私達に何か言えばいい……」
緑色の髪を崖を吹き上げてくる風になびかせながらそっとカウラはその手をシャムの頬に寄せた。シャムは静かに俯く。ただ強い風だけが舞っていた。
「ショックというか……俊平が居なくなってからなんだか思い出しそうなことがあって……それでそれを思い出すとなんだか悪いことが起きそうで……」
「鉄火場の思い出か……陵南内戦の地獄の戦場。確かに悪夢だな」
うんざりした表情の要がタバコを咥えながら呟いた。静かにそのままジッポで火を付けようとするが強い風に煽られてなかなか火が付く様子がない。それでもいつもなら苛立って叫ぶ要も落ち着いた様子で静かに試行錯誤を繰り広げている。
「そんな最近の話じゃ無いんだ……俊平と会う前……それ以前に明華や隊長と出会う前……ううん。もっと前だよ、オトウやグンダリと出会う前……うわ! 頭がウニになる! 」
頭を抱えて俯くシャム。カウラは何も出来ずにただシャムの隣で立ち尽くしている。
「ナンバルゲニアの名前を継ぐ前か……遼南第一王朝壊滅以前ねえ……それこそ吉田や叔父貴に聞くしかないな」
ようやくタバコに火を付けることが出来た要のつぶやきに誠はただしばらく黙り込んで思いを巡らせていた。
ムジャンタ・カオラに始まった遼南王朝は廃帝ハドの乱行などの混乱はあったもののその血脈は三百年あまりにわたって延々と続くことになった。有力諸侯や藩鎮達が外戚としてのさばり、傀儡に過ぎない皇帝ばかりが続いたとはいえ、王朝が揺らぐことは彼等にも損害をもたらすことになり、また東和や胡州、遼北、西モスレムなどの近隣諸国も大国の崩壊に伴う難民の流出を恐れて形ばかりの王朝は長々と続くことになった。
そんな王朝に現われた寡婦帝ムジャンタ・ラスバ。兼州侯カグラーヌバが送り込んだ操り人形の二人の子持ちの女帝は諸侯達の思惑を超えて傾いた遼南を再建していった。太祖カオラの作った遼南人の海外コネクションを再生し、細心かつ大胆な外交施策は遼州のお荷物と呼ばれた遼南を確かに一列強に変貌させることになった。
さらに彼女が帝位に就く前に古代遼州文明の研究者であったことが遼南の再建へと導く力となった。鉄器さえも封印した遼州文明がかつては遺伝子工学や素材加工技術、反物質エンジン搭載の戦闘兵器や宇宙戦艦を建造していたことは誠も教科書で習った程度には知っていた。その技術の研究者であるラスバは多くの先遼南文明の再生に取り組み、独自の技術をそこから得て海外に売りつけて王朝の財源として次第に朝廷の力はそれまでぶら下がってきた諸侯達を圧倒し始めていった。
ただしそのような独断的な政策が有力諸侯や軍部、他国に歓迎されるはずもなかった。母に暗愚と烙印を押されて東宮を廃されたムジャンタ・ムスガは次期皇帝と決められた息子のラスコーを追い落とすべく、野心家である近衛軍司令官ガルシア・ゴンザレス大佐と結託。彼等の動向に注視していた胡州宰相西園寺重基は彼等の協力を取り付けて東モスレムのイスラム教徒暴動鎮圧部隊の視察をしていたラスバ爆殺した。静養中の北兼御所にあったラスコーだが、近衛軍が央都を制圧したために静養中の北兼御所を動くことが出来ず、央都のムスガと北兼のラスコーという二人の皇帝が並立する事態へと発展した。
有能に過ぎる皇帝を失った遼南の没落はあっけないものだった。東海の花山院、南都のブルゴーニュなどの有力諸侯は胡州の工作を受けてあっさり央都側に寝返った。頼りの北天軍閥は遼州北部の利権を狙った遼北の侵攻によりあっさりと崩壊。ラスバ崩御から四年後、北兼御所を捨ててカグラーヌバ一族が守る兼南基地に籠城した遼南朝廷軍は央都軍の圧倒的な物量の前に全滅。ただラスコー一人は家臣の必死の抵抗で難を逃れて東和へと亡命を余儀なくされ、これを持って遼南第一王朝は滅亡することになる。
そんな遼南王朝滅亡の際に、シャムは記憶を失って森をさまよっていた彼女を拾った義父ナンバルゲニア・アサドは帝国騎士団に所属していた経歴があったため、彼女の村は央都軍の襲撃を受け、彼女以外は老若男女問わず皆殺しにされたと言う話を誠も耳にしていた。
そんな悲しすぎる過去。それでもシャムは笑顔を絶やすことなくいつも隊でグレゴリウスと一緒に元気に走り回っていた。忘れるのが人間の才能の一つならその才を遺憾なく生かしている人物。誠はシャムのことをそう思っていた。
しかし、目の前のシャムはそんな悲劇よりも何か大きな忘れ物を捜している。誠にはそんな風に思えた。たぶんそのことに気づくきっかけになったのが吉田の失踪なのだろう。
「今分からないのなら……こんなことしか私には言えないが、気にしない方が良い」
言葉を選びながらのカウラのつぶやきにシャムは静かに頷く。その視線の先には東都の北に広がる山脈地帯が見えている。シャムが望むような針葉樹の森はその山脈の僅かに上部に広がるのみ。それ以外は落葉樹の森が寒々しく広がっているのが見えるだけだった。
「ああ、シャム。帰りは……」
「うん、跳べるよ。レベッカも心配しなくて良いから」
面倒見の良い言葉に少し涙目のレベッカが頷く。グレゴリウスは相変わらず心配そうに主人の落ちたままの肩を眺めていた。
「でもね……もう少しで思い出せそうなんだ。なんであの森にあたしが一人で居たか……それ以前にあたしが何者なのか……」
「過去か。知っていい話なら知るのも悪くないな」
「何よ、まるで知らない方が良いってことを要ちゃんが知っているみたいじゃないの」
アイシャの冷やかすような言葉にタバコを咥えた要は下卑た笑みを浮かべた後、静かに煙を口から吐き出す。吐き出された煙はそのまま強い風に流され視界から消え去る。
「いい話じゃ無いと思うよ……でも一度は思い出したいんだ……なんて言えば良いのかな……喉に小骨がつかえたみたいな感じ……それともちょっと違うな」
「無理に思い出す必要は無いだろ。四日後には演習に出るために新港に行かなければならないんだ。まずは予定が優先だ」
カウラの冷淡な言葉にレベッカが少しばかりむっとしたようにエメラルドグリーンの瞳でシャムを見下ろすカウラを睨み付けた。カウラの表情はいつものように押し殺したというように感情の起伏の見えない顔をしている。
「そう言えば明日で謹慎も解けますよね。明日からは……」
「あのー、誠ちゃん。明日はあたしが出張の準備のためにお休みを取っているんだけど……」
シャムの一言に自分の間の悪さを実感する誠。冷ややかにそれを笑いながらタバコをもみ消す要。
「誠ちゃんらしいわね……じゃあ撤収しましょう」
一言アイシャが言ったのを聞くと素早くカウラは元の獣道に足を向けた。
「ちゃんと帰れよ! 」
革ジャンのポケットに手を突っ込んだままカウラに続いて走っていく要の言葉に、シャムは力ない笑みを浮かべた。そんなシャムの頬を悲しげな表情のグレゴリウスが優しく舐めているのが誠の目に映っていた。




