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殺戮機械が思い出に浸るとき 13

「しばし待て……ねえ……」 

 アイシャは要の手元の端末に記された文字を見てただそう呟くとそのまま手元のチャーシュー麺に箸を伸ばした。

「ともかくあのネネとか言う情報屋は仕事をしている。それが分かっただけで良いじゃないか」 

 チャーハンについてきたスープを飲み終えてひとごこちついたカウラの言葉に誠は同意するように頷いた。だが要の表情は冴えない。

「こんなに時間が掛かる訳はねえと思うんだけど……このままじゃ停職が解かれる前どころか演習前に情報が集まらねえじゃねえか」 

 それだけ言うとそのまま目の前の大盛りワンタン麺のどんぶりを手に取るとずるずると麺を啜り始める。さすがに三日も寮にこもりきりの生活は若い誠達には苦行以外の何物でもなかった。相手がかなり腹を立てている東和の公安当局とあって、勝手に動き回るにも限界がある。さらに先日は東都警察に出向していたのであちこち動き回るにしても顔が割れていて余計な詮索をされるのは本意ではなかった。

「たまにはこうして外に出たけど……映画でも見る?」 

「何か面白いのはやっているのか? 」 

 カウラの言葉にアイシャはにんまりと笑う。それを見て明らかにげんなりする要。

「どうせお子様アニメでも見るんだろ? 金の無駄だだ」 

「酷い! 今度のはかなりの話題作で大人も泣けるのが売りなのよ! 」 

「お涙ちょうだいの映画は見るに堪えない」 

 鋭く言い放つカウラ。誠は最近知ったのだが、カウラはかなり映画に詳しい。特に前衛的な作品を好んでみる傾向があるのでアイシャや誠にはとてもその趣味についていくことは出来なかった。さらに要に至ってはパンフレットを見ただけで背を向けることが請け合いである。

「趣味が合わないから映画は駄目……じゃあ……ゲーム? 」 

「それこそ金の無駄だ。私はそんなことをして時間を潰すために寮を出た訳じゃない」 

 これまたばっさりとカウラが切って捨てる。

「どうするんだよ……このまま寮に帰るか? それもなんだか警察連中に遠慮しているみてえで腹が立つしな……」 

 要は明らかに苛立っている。元々狭いところにいるのが一番嫌いな質の要である。味は評判で確かに旨いがごみごみした雰囲気の中華料理屋で無意味に時間を潰すのは要には無理な話だった。

「バッティングセンターは? 」 

 アイシャの一言にカウラの大きなため息が漏れる。

「あそこはどこかの馬鹿がピッチャー返しならぬピッチングマシン返しをやって機械を壊した件以来出入り禁止だ」 

 カウラの言葉にとぼけたように笑う要。誠が店の入り口を見るとすでに席が空くのを待つ行列が誠達が店に入ったときの倍以上に伸びているのが見えた。

「やっぱり外に出てから決めましょうよ」 

 誠の言葉は珍しく三人の意見と一致していた。それぞれに黙って料理を片付けることに集中し始める。誠はようやく安心して味噌ラーメンの最後に残した麺とチャーシューを口の中で味わうことに決めた。

「神前……まだか? 」 

「ちょっと待ってください! 」 

 すでに食べ終えた要の言葉に誠は慌ててラーメンのスープを啜る。

「お会計は要ちゃん。お願いね」 

 さっさと立ち去るアイシャ。要はただ苦虫をかみつぶした顔をしてそのままカウンターの奥のレジに伝票を持って進む。

「助かったな」 

 カウラはそう言って珍しい笑みを浮かべるをそのまま店を出て行った。誠はようやくラーメンのスープを飲み終えるとそのままコップの中の水を口に流し込んで慌ててジャンバーを羽織って店の外に出た。

「ずいぶんとまあ……のんきなこと。場合によってはいつ核戦争が始まるかも知れないのに」 

 アイシャの言葉に『核』という言葉が出たのを聞いて客達が迷惑そうな表情でアイシャを見つめる。紺色の髪。普通の人間にはあり得ないその色。軍に詳しい人間なら人造人間のそれだと分かるが一般人にはバンドメンバーか何かにでも見えるのだろう。こそこそとこちらから聞こえないように言葉を交わす他人に誠もうんざりしながら要達の後に続いた。

「つまらない話をしても仕方がない。それより……どこに行く? 」 

 アイシャよりもさらに目立つエメラルドグリーンのポニーテールを揺らしながらカウラが呟いた。店からは会計を済ませた要が睨み付けながら出て来た。

「ごちそうさま」 

「いつか倍返しだな」 

「は? 貴族はラーメンなんて下賤の食べるものは食さないんではなくて? 」 

「殺す……いつか殺す」 

 殺気立つ要。歌い出しそうな調子のアイシャ。ただカウラは頭を抱えていた。

「そう言えば……今日辺り豊川市立植物園の梅祭りの最終日じゃ無かったですか?」 

 誠の何気ない提案に要の顔が曇る。アイシャはそれを見てうれしそうに懐から携帯端末を取り出した。

「ちょっと待ってね……あった。明日が日曜日で最終日よ。でも……花はあるかしら」 

「今年は遅いと聞くぞ。大丈夫なんじゃないか? 」 

 すでに行き先も無いだけに不満そうな要もついていくしかないと言う雰囲気を感じてそのままカウラの赤いスポーツカーに足を向ける。アイシャが誠の提案が通ったこととそれに要が不満なのに満足したというように誠を振り返り満面の笑みを浮かべる。

「カウラ!早くドアを開けろ!」 

 要が叫ぶのを聞くとカウラはオートロックを解除する。明らかに投げやりに後部座席に這っていく要。

「良い天気ね……梅見にはぴったり」 

 明らかに嫌みを込めたアイシャの言葉に後部座席に居を固めた要が恨みがましい視線をアイシャに向けていた。

「それじゃあ……」 

 誠は車内から睨み付けてくる要に恐れをなしてその隣に体を押し込んだ。

「狭いな……」 

 呼んでおいてこの扱い。いつものこととはいえただ苦笑いだけが浮かんでくる。

「なに……要ちゃんはとなりが私の方が良かった?」

「テメエに触れるくらいなら死んだ方がいいや」 

 アイシャの皮肉に大げさな言葉で返す要。その様子に苦笑いを浮かべながら運転席に体を沈めたカウラはエンジンをスタートさせた。

 ガソリンエンジンの軽快な作動音。遼州系ならではの光景だが、この三ヶ月ばかり原油の値上がりは続いていた。

 遼北は東和との原油のパイプラインに保安上の問題があると言うことで総点検を行っていた。それが西モスレムの挑発的行動により活動を活発化させていたイスラム過激派によるテロを警戒しての物だと言うことは誰の目にも明らかだった。

「誰か話せよ……」 

 ゆっくり車がラーメン屋の駐車場から出ようとする中、車内は沈黙に包まれていた。ガソリンエンジンの音を聞く度にこの数日は沈黙してしまうのが誠達の日常の一コマだった。誠が保安隊で過ごした9ヶ月ばかりの日々も彼等の意志とは無関係な国際的理屈の上で終わりを告げるかも知れない。そんなことを感じながら誠は黙って豊川の街を眺めていた。

「のんきなもんだな……次の瞬間には十億の人間がこの星の上から蒸発しているかも知れないって言うのにな……」 

「人間なんてそんなものよ。先の大戦で外惑星や胡州軌道域で日に何億の人が死んでいるときにこの国の人達が何をしていたか……それを思い出せば人間の想像力の限界が見えてくるものよ」 

 いつにない悲観的なアイシャの言葉に彼女がその日に失われる何億の命の補給部品として作られた人造人間だという現実を誠は改めて理解した。

 外周惑星諸国で4億、ゲルパルトで23億、胡州で12億。数を数えるのは簡単な話だが、先の大戦の死者はあまりに多かった。そしてその死と無関係どころかコロニーの破損で一千万人が窒息死した壁面の修復や核攻撃により三千万人の死者が出た衛星上都市の再建需要で急激な経済成長を遂げた東和の市民として自分が暮らしてきた事実は消すことが出来る話ではなかった。

「同情してくれれば生き返るのか? それこそ感情論で不毛だな。ここで議論をしたところで遼北と西モスレムの対立を止めることは出来ない。そして先の大戦の時も東和の市民がいくら地球と遼州の対立を止めようと叫ぼうともあの戦争は起きた……違うか? 」 

 目の前で急停車した小型車を軽いハンドルさばきで避けながらカウラが呟く。そして誠は二人の人造人間の出自を思い出した。

 ゲルパルトが劣っていた人口を補うために計画した人造人間製造プロジェクト『ラスト・バタリオン』。もしゲルパルトや胡州の枢軸陣営が優勢に戦争を進めてその必要がなくなっていたのならば、こうしてアイシャやカウラと誠が出会うこともなかった。たぶん二人はゲルパルト技術陣のゲノムサンプルとして冷凍庫の中で眠り続け、使用不能になった段階で破棄されていたことだろう。

「事実は変えられないんですね……」 

「ケッ! 今頃気づいたのか! 」 

 要が馬鹿にするように呟く。車はただいつも通りの大通りの昼下がりをいつも通りに走るだけだった。

「梅を見るのに……辛気くさいには今一ね」

 アイシャの言葉で誠は我に返った。確かにいくら思いを巡らせてもどうにもならないことは世の中にはある。

「そう言うことだ……アタシ等は謹慎中の身だ。出来ることはしたんだからいいじゃねえか」 

「なるほど、西園寺もたまには良いことを言う」 

「たまには? 聞き捨てならねえな」 

 そう言いながらも要の表情は笑っていた。確かにその笑いに力はない。諦めたような空気が漂う。ただそれ以上誠も思い悩むのは止めることにした。

 早春の街はいつもと変わる様子は無い。去年までの山奥の訓練校からすればかなり活気のある街。大学時代まで下町の実家で過ごした誠には少し寂しげに感じる豊川の郊外の商店街の景色。

 人はそれぞれにやや力を帯びてきた太陽を見上げて季節を堪能している。確かにそれが次に何が起こるか分からない国際情勢と無関係であったところで彼等を非難することは間違っているように誠には思えた。

「おい……あそこの車の列……」 

 カウラがハンドルから手を離して指さす田んぼの隣の車の列。最後部には警備員が看板を持って立っているのが見える。

『豊川市立植物園駐車場最後尾』 

 看板の赤い文字にアイシャが思わず頭を抱える。

「やっぱりみんな考えることは同じね……どこか近くに駐めて歩く? 」 

「この近辺は駐車禁止だ」 

 カウラに一言で自分の案を否定されたアイシャが情けない表情で後部座席に目を向けた。

「そんな目でアタシを見ても仕方ないだろ? 待つしかねえよ。梅は逃げたりしねえから」 

「いつもは待つのは嫌だって逃げるくせに……珍しいのね」 

 確かにいつもにないのんびりしたような表情の要を見て誠も首をひねった。あらゆる意味でまな板の上の鯉の誠達。要は彼女なりに覚悟を決めているのだろう。そう思うと誠も自然に頷いていた。

「へえ、後部座席のお二人さんはお待ちするようですよ」

「なら待つしかないだろ」 

 いつでもそのまま最後尾の車を追い越せる位置で車を停めていたカウラは覚悟を決めたようにそのまま駐車場へ続く車列の最後尾に車を着けた。

「30分くらいかしらねえ……」 

「昼過ぎだからな……確かにそのくらいは時間がかかるんじゃねえか? そう言えばここの駐車場はでかいのか? 」 

「市営施設だからそれなりにでかいはずだぞ……ちょっと待て」 

 要の質問に暇をもてあましていたカウラはナビゲーションを弄って駐車場の規模を調べる。

「二百台……多いのか少ないのか微妙だな」 

 カウラの苦笑いに誠も自然と笑みが漏れてくるのを感じていた。

 止まった車の中に入り込む日差しはまだ弱く、少しばかり眠気を誘う。

「眠いわね……」 

 思わず呟いたアイシャにカウラが苦笑いを浮かべる。

 すぐに前の車が動き出した。

「意外と早く入れたりして」 

「それは無いだろう。たまたまだ」 

 要の言葉を軽く否定するとカウラはそのまま車を動かす。

「こんな良い日より……いつまで続くか……ガイガーカウンターでも買おうかしら?」 

「ああ、売り切れ続出らしいな。そういうところはちゃっかりしている庶民様だ。まあそんなことをしたところで降り注ぐ放射線を払うことなんてできねえのによ……」 

 また振り出しに戻る会話。

 太陽の力はまだ弱く。アイシャと要に弱音を吐かせる勢いは無い。ただ、その眠気は着実に襲ってきているようで次第にアイシャの口数が減り始める。

「まあ……梅でも見て。帰りに酒でも買って帰るか? 」 

「お前はそればかりだな」 

 要の言葉にカウラはいつもの呆れたという笑みを浮かべる。誠がちらりと助手席を見れば、すでにアイシャはうたた寝を始めていた。

「眠くなるのも分かる日差しだな……暖房も適度だし……アタシも寝ようか? 」

「遠慮するな。静かで気楽になる」 

 カウラの言葉に要はパッと目を見開いて誠を睨み付ける。

「あ……ただ見てただけですよ」

「で? 見た感想は? 」 

「え? まあ……眠そうだなと……」 

「そうか……」 

 少し残念そうに俯く要。誠は彼女が何を求めていたのか分からずにただ仕方なく自分も眠れるように背もたれに頭を載せた。

「また動くな……やはり早く着くんじゃないか? 」 

 車が動き出すと要は勝手に呟いていた。確かに明らかに早めに車は動いていた。駐車場の存在を示す看板も見え始めている。

「早く着くと良いですね……」 

 睡魔と戦いながら誠は投げやりにそう呟いていた。

「梅……意外と終わってたりして」 

 不意に目を開けたアイシャのつぶやきに要が顔を顰める。

「そりゃ嫌だな。せっかく並んだのに見てみたら散った後……最悪」 

「そんなことは無いと思いますよ。今年は梅は遅いって言ってましたから」 

 誠の言葉にも要の表情は冴えない。ただ動いていく景色を眺めながら大きくため息をつく。

「でもそれは咲くときの話だろ? このところかなり暖かいじゃねえか。すぐ散ったりしてるかもしれねえだろ? 」 

「心配性ね……なんなら降りて確かめてくれば? 」 

「ふざけるな! 」 

 要の怒声にアイシャはそのまま寝たふりを再開した。カウラはそれを眺めながらじりじり進む前のバンの後ろをゆっくりと車を進める。

「全部は散って無くても……紅梅だけ散ってるとか? 」 

「それも嫌だな。紅白揃ってこその梅じゃねえか」 

「意外だな。西園寺が花にこだわるとは……」 

 カウラの何気ない一言に要が黙り込む。一応は彼女も風雅を重んじる胡州随一の名門西園寺家の次期当主である。そう言うことに疎い誠ですら殿上貴族のたしなみとして彼女が幼い頃から梅見などに興じる日々を過ごしてきたことは容易に想像がついた。

「結局……隊長が梅見でもして鋭気を養えと言ったが……そのまんまになりそうだな」 

 駐車場の入り口に立つ警備員の指示に従ってハンドルを切りながらのカウラのつぶやき。誠は目の前に臨時駐車場と書かれた看板を見てようやくこの行列がなぜ早く進んだのかを理解した。

「なんだよ……今頃臨時駐車場をオープンか? 今の季節なんだから朝から開けとけよ」 

「まああれだ。普段の駐車場がいっぱいになるまで閉めておく取り決めにでもなっていたんじゃないのか? 」 

「これだからお役所仕事は……」 

「私達も公務員じゃないの」 

 要の悪態に薄目を開けたアイシャが突っ込みを入れる。カウラはそのまま車を砂利の敷き詰められた空き地に進めて誘導員の指示に従ってバンの隣に車を停めた。

「じゃあ行くから……でかいの二人! 降りろ」 

「何よその言い方……」 

 悪態続きの要をちらりとにらんだ後、アイシャは渋々助手席のドアを開けると外に出た。誠も苦笑いを浮かべながら助手席を倒して外に出る。

「やっぱり寒いな……」 

「なら上を着てくればいいのに……」 

 ジャンバーの下はタンクトップといういつもの姿の要にアイシャが嫌みを込めた調子で呟いた。

「ぐだぐだ言っていないで行くぞ」 

 いつまでも揉めていそうなアイシャと要を横目で見ながらカウラはそう言うとそのまま植物園の入り口に向けて歩き始めた。

 平日の日中。客の多くはリタイヤした高齢者が多く見られた。仲むつまじく歩く姿、何人もでがやがやと談笑しながら入り口に向かう姿。そこにはいつもの東和の日常があった。

「いい若いのがこんな時間に梅見か? 」 

「何よ……要ちゃんだって反対しなかったじゃないの。それに他に良い場所知ってるの? 」

 アイシャに突っ込まれて要は不服そうに黙り込む。そのまま真新しい植物園の入り口のゲートが目に入る。褐色の門柱と黒い鉄柵。

「もう少し……柔らかい印象で作れないものかな」 

 カウラでさえそう言う物々しい門。そこの脇にある入場券売り場に当然のように要が歩いて行った。

「大人三枚と馬鹿一枚」 

「馬鹿? 」 

 素っ頓狂な要の言葉に彼女と同じくらいの年の職員が首をひねって誠達を眺める。

「馬鹿って要ちゃん? 」 

「オメエのことだよ……まあいいや。大人四枚」 

「はい……」 

 相変わらずよく事情を飲み込めないというように要のカードを端末でスキャンした後そのまま磁気カードを四枚要に手渡す。要はそれぞれ誠達に配るとそのまま振り向きもせずに入り口のゲートを通りすぎた。

「急いじゃって……そんなに梅が見たいの? 」 

 アイシャの皮肉に答えることもなく要はそのまま奥へと歩き続ける。誠達も仕方なく急ぎ足でゲートを通りすぎるとそのまままだ新緑には早い植物園へと足を踏みれた。

「寒々しいわね……」 

 思わずアイシャの口から漏れた言葉も尤もな話で、落葉樹にはまだ木の芽の気配が僅かにするばかり。多くの木々はまだ冬の気配を残している気温に遠慮して縮こまっているように見える。

「季節は移るものだ……いつまでもとどまると言うことは無い」 

 カウラはただそれだけ言うと一人飛び出している要に向けて急ぎ足で進む。誠も左右を見回して感心しているアイシャを置いてそのまま要のところへと急いだ。

「奥だよな……梅は」 

「知らないで急いで歩いているのか? 」 

 突然立ち止まって振り返っての要の言葉にカウラはあきれ果てながら周りを見回した。桜の木々の枝ばかりが天を覆い、季節感の感じられない松の梢が風に揺れていた。

「案内板でも捜せばいいじゃないの」 

 遅れてたどり着いたアイシャはそう言うと、そのままひときわ目立つ立派な枝振りの松に向けて歩き出した。

「勝手なことばかりして……」 

 ため息を漏らすカウラの視線の先でアイシャが誠達に手招きをしているのが見えた。

「案内板でもあったのか? 」 

 カウラの言葉にただ指を指すアイシャ。

「梅だな……そして……」 

 誠もカウラと共に松の木の隣に咲き誇る紅梅を眺めた。その目の前には三脚にカメラを載せて難しい顔で立ち並ぶ高齢の男女の姿とそれをうっとうしそうに横目で見ながら梅の花を愛でる同じ年格好の女性の群れを見つけた。

「でも……なんで? 」 

 アイシャがそう言ったのはその向こう側。柵に頬杖をついてじっと梅を眺める少女の後ろ姿を見たからだった。正確に言えばそれは少女の後ろ姿ではない。戸籍上の年齢はもう三十に手が届く。

「シャムだろ? 休暇でも取ったんじゃねえか? 」 

 全く動じずにそのまま要は一直線に梅を見ながら物思いにふけるシャムに向かって歩き出した。

「おい、そこの餓鬼! 」 

 シャムはしばらく声をかけたのが要だと分からず呆然としていたが要の特徴的なタレ目を目にするとすぐにむっと膨れた表情を浮かべて誠達に目をやった。

「餓鬼じゃないよ! 」 

「じゃあなんだ? ……梅見か? がらにも無いな」 

「それを言うなら要ちゃんの方が似合わないじゃない! 」 

「そりゃあそうか」 

 シャムにムキになられて少しばかり反省したように要はそのままシャムの隣に立つ。節くれ立った梅の木々の枝に点々と赤い花が咲いているのが見える。

「良い枝振り……そして良い梅だ」 

「要ちゃんが言うと実感わかないわね」 

「馬鹿言うな。胡州も梅はそれは大事にされているんだ。これより良い梅も散々見てきたぞ」 

「嫌々めんどくさそうにでしょ? 」 

 アイシャに図星を指されて要は黙り込んだ。そんなやりとりを乾いた笑みを浮かべて眺めていたシャムは再び視線を梅へと向けた。

「ナンバルゲニア中尉……やはり吉田少佐のことが気になるんですか? 」 

 思わず誠は本題を切り出していた。あまりにも突然だと言うように振り返ったシャムの目が誠の顔を直視できずに泳いでいる。

「う……うん。気になるよ。でも信じたいんだ。きっと何か大切な秘密があって仕方なく隠れてるだけだって」 

 それだけ言うと再びシャムは目を梅に向ける。考えてみればシャムと吉田の関係は誠から見ても不思議だった。つきあっているというわけでも無い。シャムはどう見ても色気より食い気という感じにしか見えないし、吉田は超然としていて男女関係などの情念とは無縁な冷たいイメージが誠にはあった。

「信じるねえ……確かにテメエ等のつきあいが長いのは聞いちゃあいるが……それほど奴は信用できるのか? 」 

「そう言う割には要ちゃんは心配してお金を出して俊平を捜してくれているんでしょ? 」 

 嫌みを言うつもりが逆に窘められて要は顔を真っ赤にして黙り込む。その様子に吹き出すアイシャに要は照れ隠しに拳を握りしめて振り回した。

「別にそんなに心配しなくても大丈夫。アタシ以上に俊平は強いから」 

「強い弱いの問題じゃ無いわよね……なんでも東和の公安警察が吉田少佐を追い始めたとか……」 

 アイシャの突然の言葉に誠はただ黙り込むしかなかった。

「公安が? 容疑は何だ? 今回の遼北と西モスレムの激突と……」 

「カウラちゃん興奮しないでよ! 私だって昔の知り合いのつてで噂に聞いたくらいなんだから! 」 

 振り向いて詰め寄るカウラに迷惑そうに顔を顰めるアイシャ。そんな様子もどこ吹く風で相変わらずシャムは梅を眺めていた。

「心配しねえのかよ……辛抱強いというか……ここまで行くと薄情に見えるぞ」 

 要の言葉に再び慈悲を帯びた笑みで振り返るシャム。彼女と吉田の出会いから今まで。誠が知っていることはほとんど無いと言っても良い。だがそのつながりがどこまでも特別なものなのは理解することが出来た。

「そう見えても仕方ないけど……分かるんだよ。間違いなく大丈夫だって」 

「そんなもんかねえ……」 

 理解できないというように要はそのままシャムの隣の柵に寄りかかって梅を眺める。眺めていた紅梅に降り注ぐ光が一瞬の雲の影に隠れた。

「で……吉田は何をしてると思う? 」 

 再び降り注ぐ早春の日差しを見ながらのそれと無い要のつぶやき。シャムはただ変わらぬ笑みを浮かべていた。その視線は梅の梢から逸れることがない。

「大事なこと。俊平がしなければならないと思った大事なことをしているんだよ。きっとアタシにも相談できないほど個人的で大事なこと……」 

「昔の女との別れ話か? 」 

「要ちゃんは……本当にデリカシーってものが無いのかしら? 」

 アイシャの言葉にさすがの要も苦笑いを浮かべた。シャムを見る限り吉田の目的はそのような所帯じみた話のようには誠にも思えなかった。

「しなければならないことを終えたら帰ってくるよ。その時笑顔で迎えたいんだ……だから泣かないの……」 

 光の中。シャムの眼の下に二筋の光の線が見えたのを誠は見逃すことがなかった。


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