入学篇 第4幕
「へ~哀川って下に妹がいるんだ」
帰り道の住宅街、瓢と哀川は他愛もない身の上話をしながら下校していた。話と言っても瓢が哀川に対して質問を浴びせて、それを哀川が淡々と返しているだけであるが。
「……ああ。五人いる」
「五人ッ? それは多いな。いくつ違いだ?」
「……みんな年子だ。中三から小五まで揃っている。ちなみに俺は長男だ」
「へぇ、妹かぁ。オレは一人っ子だから兄妹とかそういう感覚はわかんねーけど、年下の女の子ってなんかいい気がするな」
「やらんぞ」
突如、その場の空気をも凍らすくらいの低い声が響いた。それが哀川から放たれたとわかったのに数秒かかった。
「いやッ別にそーゆー意味で言ったわけじゃねぇってッ。ただ、オレには兄妹がいねぇから毎日賑やかで楽しいんだろうなーって思っただけだって」
天然ボケの塊である母にいつも振り回されてはいるが。
「……そうか」
「そうそう」
無表情で感情が分かりずらいが、どこか落ち着いた雰囲気の哀川に、瓢は小さく安堵の息を付いた。
「……妹はいいぞ」
瓢に振り向きもせず、前を向いたまま哀川が突然言い出した。
「……毎日お兄ちゃんと言われると胸の中が幸せで一杯になりあの発育途中の肢体で抱き付かれるとその日の疲れが一気に吹き飛びそして何よりの楽しみは一緒にお風呂に入ることで家の風呂は狭いから六人全では入れないから俺と入る順番を言い争っている妹たちを見ていると俺は愛されているのだなぁと感慨に浸ることができて俺は妹たちのためなら死ねる」
驚愕の真実。黒髪イケメン哀川君は重度のシスコンだった。瓢はその事実を茫然とした表情で、彼の横顔を見ていた。
「……どうだ。妹の良さがわかっただろう」
お前がシスコンだということがよくわかった、とは口が裂けても言えない瓢は、引き攣った笑顔で頷くしかできなかった。
「……そうだろうそうだろう」
満足げに頷き返す哀川。表情筋肉を全く使っていないので余計不気味に見えてくる。
哀川校長先生、あなたのお孫さんなんかとんでもない方向に突っ走っていますよ――! と瓢は心の中で叫んでいた。
「そういや、お前ご両親は?」
謎の妹トークから話題を逸らそうと試みる瓢。
「……両親は俺と妹たちのために共働きだ。夜も遅い」
「そうか。頑張ってるんだな、お前の両親」
「……そういう葛葉はどうなんだ?」
珍しく哀川の方から訪ねてきた。瓢は少し驚いたのち、いつもより明るい口調で話し出した。
「オレんちは母子家庭でさ。天然ボケの母さんと二人暮らしなんだ。父さんはオレの小さい頃に亡くなってる。200歳超えてたらしいけど全然覚えてねーわ」
「……そうか。なんだかすまないな」
「別に気にしてねーし、お前が気に病む事ねーよ。今となってはそれが当たり前なんだし」
「……母親は働いているのか?」
「いんや。専業主婦やってるよ。父さんの遺産が結構あるからそれで暮らしてんの」
もっとも、あの母親が働いた暁には何を起こすかわかったもんじゃない。
「ま、オレんちはそんな感じさ。つーわけでこれからもよろしくな、哀川」
そう言って瓢は哀川に手を差し伸べる。哀川は逡巡した後、その大きな手で瓢の手を握り返した。
「……よろしく」
「ああ。それで、お前帰り道はどうなんだ? オレはこの角左に行くんだけど」
「……俺はこのまま真直ぐ駅に行く。電車通学なんだ」
「へ~そうなんだ。地元はどこら辺?」
「……高野のふもとにある小さな町だ。急行が止まるから結構重宝している」
「そっか。じゃここでバイバイだな。また明日」
「……また明日」
二人は互いに小さく手を振りながら別れた。
哀川と別れた瞬間、瓢のお腹がグゥとなった。時計を見てみると既にお昼の時間を過ぎていた。校長の話が少し長かったのかもしれない。
家に帰ると恐らく母が昼食を用意して待っているだろう。それに今日は特別な日だから料理に献立はきっと豪華だ。天然ボケでドジな母だが、料理に関してはプロ級の腕前をもつ。たまに変な物体が混入していることもあるが……そこは目を瞑っておこう。
「どんな献立か楽しみだなぁ」
鼻歌交じりに呟いて、瓢は自宅へと急いだ。
途中、白黒のワゴン車とパトカーが止まっているのを目撃したが、今の瓢はさも気に留めなかった――。
「これが今回の仏さんかい……」
「はい。今月に入って初めての被害者です。過去の統計から合わせますとこれで8件目になります」
よぼよぼで黄土色のスーツを着た中年男性が、被害者にかけられていたシートを手慣れた手つきで捲った。そこには、頭部が綺麗になくなり、胸元まで抉れた首のない死体が横たわっていた。
「こりゃまたひでぇ有様だな」
中年男性が死体の状態をみて顔をしかめた。そのすぐ後ろではまだ若い青年が、顔色を悪くして口元を必死に抑えていた。
「おい、いい加減に慣れろ。そんなんじゃ一人前の刑事になれねぇぞ」
「いいいい今話し掛けないで下さいッ。……吐きそうなんです」
そんな若い青年の姿に、溜息を吐いた中年男性はシートを元の状態に掛け直した。そして現場にいた鑑識係に声をかける。
「身元はわかったのか?」
「はい。所持していた運転免許証によると、被害者の名前は西倉聡、42歳男性。服の乱れなどが見当たらないので何かと争った形跡はありません。恐らく連続通り魔殺人とみて間違いないかと」
「ご苦労さん。署に戻ったら司法解剖頼んます」
「連絡しておきます」
「それと……おおい桜井いつまでヘタレてんだ」
桜井と呼ばれたさっきの嘔吐を堪えていた若い青年は、ブロック塀にもたれかかっており、見るからに具合が悪そうだ。しかし、年上のしかも上司から呼ばれたのでおぼつかない足取りで中年男性のところへ歩いて行った。
「……なんですか如月さん……」
「なんですかじゃねぇよ。ちゃんとしろよまったく」
「すみません……」
「まあいい。目撃証言とかないのか?」
「目撃証言は今のところありません。ここは元々人通りが少ないみたいで、さっきも地元の高校の生徒が一人通っただけですし」
「お前そいつに聞き込みしろよ。駅の方角じゃなかったんならこの地域の住民だ。もしかしたら不審な人物を目撃してたかも知れんのに、お前という奴は」
「すいません……」
桜井は手帳を片手に項垂れた。これが初めてではないのだろう。如月と呼ばれた中年男性は髪の薄くなった頭に手を置いて、盛大に溜息を吐いた。
「まったく。これから聞き込み調査に行くぞ。お前も付いてこい」
「え、あのお昼は?」
「んなもんなしだ。これだけ白昼堂々犯行が行われたんだ。絶対に何か目撃しとる人物がおるはずだ」
現場に張られた立ち入り禁止のテープを潜りながら如月は、早く犯人捕まえなければと憤っていた。
これだけ立て続けに人が殺されているのに、今まで一度も目撃証言は出ていない。そろそろマスコミがスクープを狙いに嗅ぎ付けてくるはずだ。上層部が情報操作して捜査の時間を稼いではいるが、あとどれだけ持つか時間の問題だった。それまでに、何かしらの手がかりを掴んでいなくては、庶民を守る者として面目が立たない。
「ぐずぐずするな桜井。置いてくぞ」
「ッ待ってくださいよ――如月さんッ」
づかづかと住宅街に突き進んでいく如月の背中を、桜井が慌てて追いかけた――。
連続通り魔殺人が起きた現場から少し離れた、道路の片隅。そこに黒塗りの車が止めてあった。運転座席には運転手たる人物と、後部座席には若い男性が座っていた。
「また起こっちゃいましたか。これで8件目ですかね」
「……そのようで」
「警察がどこまで辿り着けるか、これは見物ですね」
後部座席に座った男がニヤリと、笑った――。
これで入学篇はお終いです。次話は入部篇(仮)がスタートします。