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ぐう
お腹が鳴る。
ぐうぅぐりゅゆゆ
お腹がさらになる。
ごりゅぉおおおお
「もう何なんだよ私の腹!!落ち着けよ!もちつけよ!ないものはないんだから仕方ないだろ!!」
自分のお腹に怒る人、なんとも虚しい光景か・・・。
けれど気付いた事実。
私文無し。
仕方あるまい、寝床と衣装と就職先は見つかっているものの、私異世界トリップしてきて初めての食事が昨日のおっさんのサンドイッチだったんだ。
もしかしたら食堂があるかもしれないと思ったけど、もしかしたらお金いる!?とか、知らない人いっぱい、とか場所わかんない、とか考えたら倉庫から動く気にもなれず、いっそ今日先輩におごってもらおうとか思った。
うん、そうだよね。先輩って後輩におごるのが仕事だから!!
「うー腹減ったーお腹減ったーもう正直何でもいい、パンの耳でもかじりたい」
「しょっぱなから考え方が乞食だなお前は」
「うおぉおう!」
唐突に声をかけられベッドの上で飛び上がった。
出入り口を見るときっちりと制服を着込んだ先輩がいた。
「先輩いたんですか!」
「お前な。明日から面倒見るっつったろうが、ってか何でまだ寝巻きなんだよ、さっさと制服に着替えやがれ」
「へーい・・・」
昨日机の上に用意しておいた真新しい青い制服を広げる。
白いワイシャツに青色のベスト、金縁の刺繍がキラキラ光っていて綺麗だ。ズボンは茶色、こちらは地味だけど来てみれば品良くまとまることだろう。
「・・・あの」
「なんだよ」
いや、なんだよじゃなくてね?何で入口の木箱に背中預けて腕組んで待ってるんですか?いや、様になってるけど、かっこいいけどさ!
「出てってくださいよ!着替えらんないじゃないですか!」
「はあ?何女みたいなこと言ってやがんだよ!男だったらさっさと着替えろ!」
そうでしたーーー!!私今男でした!!
でも心は女!体は男で心は女・・・って私はオカマかっ!!
オカマだろうとなんだろうと無理!無理無理、人前でしかも男の人の前で着替えるとか!!
「無理です!ちょ、本当数秒でいいんであっち向いててください!」
「はあ?何気持ち悪いこと言ってんだよ」
「いいから!!」
私の鬼気迫る態度に押されたのか先輩は黙って後ろを向いてくれた。
今だ!と即座にシャツをひっつかみボタンを二つほど開けて上からかぶるように着る。
見よ!更衣室でも最速だった私の着替えテクを!!
ズボンも今のものよりもちょっと生地が上そうなズボンに手をかけて、さっさと着替えてしまう。
ウエストがブカブカだったのでバックルの派手な支給品のベルトで締め上げた。
女のままだったら入らなかったかもしれない・・・うう・・・何か悲しいぞ?
自分の体なのに全く自分の体の感じがしないから悲しいものだ。
「終わりました!」
3分も経っていないはずだ。
急いで先輩の方を見るとちゃんと後ろを向いててくれた。案外律儀。
「じゃ、行くぞ」
「え?どこへですか?」
「街散策、道具を買うにしても店なんかを一通り知っておいたほうがいいだろ?レットのおっさんのほうが立ち入った店は知ってるだろうが一応困らない程度にはな」
「なるほど」
確かにこれからここで暮らしていくなら街の様子・・・ていうか寧ろこの騎士団の建物もよく知らないわけだ。
「後この敷地内も案内してくれると嬉しいです」
「ん?ああ、そういや案内してなかったなついでにな」
「へあーい」
最後に机の上のブレスレットをつけて完了。
通り際会議場に立て掛けた姿見で自分の姿をチェックしておかしいところはないか確認してから前を行く先輩の後に続いた。
相変わらず可愛らしい男の子が慣れない制服に着られてそこに立っているだけだったけど。
倉庫から出るときにすれ違いぐらいにおっさんがのんびりした足取りでやってきた。
「おーお二人さん、どこ行くんだよー」
「こいつの街とこの施設案内だよ。団長に頼まれてんだ」
「ほーん。じゃ、気ぃつけて・・・人を襲うんじゃねえぞ」
「人によります!!」
「いや、よるな」
普通逆じゃないか?と思う言葉も真面目に受け取っておいて、もちろんイケメンとかだったら襲うかもね!!
それにしてもおっさん、家に帰っていたっていうのに相変わらず服装は一辺倒だしボサボサなの変わらないし、本当に家に帰ってんのかなあ?
「お、そうだ。“荷物持ち”」
「はい?」
あ、もうこれで反応してる自分がいる畜生!!
振り向くとおっさんが胸のポケットに指した万年筆で紙に何か書いている途中だった。
そしてそれをそのまま「ほい」と渡される。
「おつかい。これ代金」
メモ用紙にはこの大掃除のときに消費期限切れとなっていた薬類の文字が書いてあった。
あれ、これ確か全部瓶とかじゃなかったか?
渡された革袋の中に入ったお金は見たこともないほどのきらめきを放っている金貨で、これはそうとうな値段なんじゃないだろうか。
「ちょ、先輩待ってて」
「は?急げよ」
「はーい」
これは両手で抱え切れる量じゃない、と発掘しておいたリュックサックを扉近くの木箱から取り出した。
かなり大きくて全部がパンパンになったら横幅は私の二倍は出るんじゃないだろうかってぐらいのリュック。
その分背負うところが痛くないようにクッション素材になってるし大分広めに作られていて、つなぎ目や底なんかがしっかりしていてこれなら冒険にでも出かけられそうな雰囲気をしている。
空っぽのそれを面倒なので金貨の入った革袋を突っ込んで早速背負って先輩のところに小走りで戻った。
「準備完了です!」
「お、おう。それお前全部背負えんの?」
「んー、どうでしょか?」
結構重いところまで抱え込めたけどこの量の薬瓶背負えるかはやってみないとわからない。
外に一歩足を踏み出すと弱い朝日が目に入った。
まだ朝の早い方だったらしく温かみの少ない太陽は視線のまっすぐ直線上に見える。
その下にはすぐに林、というか木が数本整列していてその向こう側に人が数人走っているのが見える。
ここに来てまだ二日、倉庫の物を出したり引いたりしていただけなのであちらのほうには本当に足を踏み込んでいない。
というより私の記憶の中に倉庫とその前の広場以外のものが存在しない。
つまり、今初めて私は外の世界というものを知るのだ。
ああ、何かちょっとだけわくわくしてきたぞ!
浮き足立ちながら前を行く先輩の背中を見た。
朝日を浴びた髪は何だか炎を思わせるほど鮮やかに赤い。
私とそう歳も違いそうにないのに背は一つ分ほど高く、同じクラスメイトとは全く比較にならないほど鍛えられた背中。
長袖を着ていたからわからないけど腕もきっと筋肉がほどよくついて逞しいことだろう。
何ていうか・・・おいしそうよねー。
「・・・何か変なこと考えてねえだろうな・・・?」
「でゅふっなんにもないですよ?」
じろりと金色の瞳がこちらを振り向いた。
思わずよだれが出そうだったので変な笑いからになってしまい、かなり白々しいが明後日の方向を見ながらごまかす。
「なーんか思ったんだが、お前、あっちのケはないだろうな?」
「あっちの毛?どっちの毛?腋毛なら生えてませんでしたよ」
この体どうやら無駄毛がはえてないようで、あそこの・・・毛は見ないようにしてるからあれだけど・・・すね毛とか脇毛とかは生えてなかった。つるんつるん。
「違ぇ。男色家じゃねえだろうなってことだよ!」
「・・・私女の子好きです」
「なら、いいけどよ」
イマイチ信用を得ていないようで、先輩は顔を歪めた。
うん、嘘は言ってないよ。
女の子はかわいい、特に恋する女の子は最強だと思う。でもそれはあくまで鑑賞物としてのかわいさ、愛玩動物をかわいがるような感情であって、私は正常な女の子なのだ。
林という名の木々を抜けると、どこか学校の運動場を思わせる訓練場が顔を出した。
常に踏んでいるせいかそこだけ雑草が生えておらずむき出しの土。
そこを走り抜ける・・・裸体・・・そう裸体。
熱いのか何なのかわかんないけど皆さん揃いも揃って見事な肌色率!!しかもいい体つきしてるじゃないですか!!
「ちょっ!!ちょ!先輩見てくださいいい体!!」
べしべし先輩の背中を叩きながら悶絶する。
ほら見て!ボディビルダーとかそんな筋肉じゃないんだよ!ちゃんと実用的な筋肉を見て!!
「おい、テメェさっきの言葉撤回するつもりか・・・?」
「何をいいますか!それとこれとは違うでしょう!いい筋肉があるのなら見たい!触りたい!これぞ人間の三大欲求というものです」
「後一つは?」
「愛でたいですかね?主に動物とかお姉さんとか」
あともふりたいとかありますかね!!
本気で力説する私に先輩は「うわ、なにこいつ本物のあほだ」みたいな目を向けてきました。ちょっと傷つく!
蹴られても虐げられてもいいけど呆れられるのはちょっと傷つくんだよなー。
「おーい、フォルグー」
鍛錬している人たちを邪魔しないように外周を通ってその向こうにある建物へ行こうとすると、後ろから男の人に声をかけられた。
振り返ると例に漏れず上半身裸のとてもとても眩しい男の人が大きく手を振りながら走ってきていた。
背丈は先輩よりも高く、大柄というか細マッチョどころの話じゃない。
短く切った髪は茶色で活発そうなイメージになっているし、浮かべた笑みが人懐っこくてどこか大型犬を思わせる。
っていうか今フォルグって言った?先輩の名前フォルグなんですか。
「へー先輩フォルグっていうんですかー」
「ちっ」
「何で舌打ち!?いいじゃないですか別に名前ぐらい!!」
何でそこにこだわるかな!!
「デュオ、何しに来た汗臭い」
「いきなりそれかよ」
確かに今まで鍛錬に励んでいたお兄さんはとてもいい汗をかいてらっしゃるけどそれをあえてけなすとは・・・。
先輩のこの態度は私だけじゃなかったのか。
先輩の暴言にも慣れているのかけらけら軽く笑って流すお兄さん。
「そいつが管理官とこに派遣された新人かー?」
「おう、適当に“荷物持ち”とでも呼べや」
「そこ適当どころか指定してきてますよね!?」
「にしてもあのおっさん誰かをあの倉庫に入れる気あったんだなー、意外」
私のせっかくの抗議もさらっと流されてしまった。
あれ・・・何だろうこのスルースキル!
「今ままでどんな人間も入んじゃねえ!って追い出してたのになー。あんた何か無茶ぶりとかされた?」
「来て早々倉庫の前整理と掃除させられました」
「あははは、やっぱりなー」
「そして先輩のせいで二日間でやることになりました」
「お前そんなことしてたの」
「やる気のねえやつと能力ねえやつはいらんからな」
「そういやここ数日えらい音とかしてたもんなーあそこ。にしてもあんたあそこを一人で掃除しちまったのか、新人にしてはすごいすごい」
このお兄さんすっごく爽やかだ。
けらけら笑いながら私の頭を大きな手でガシガシと撫で繰り回してくる。
この人絶対弟さんとかいっぱいいるタイプだ、お兄さんタイプだ!
っていうか昨日からえらく頭撫でられるな!
「俺はデュオ、フォルグと同じく新人だよ」
「俺より先に正式入隊したけどな」
何だかすねたように言うフォルグ先輩、横目で見るとやっぱり不服そうだ。
「それはお前あれだろ、背後に逃げ遅れた人がいたのに幻獣殲滅を優先しちまったからだろ」
「俺達は竜騎士だぞ、幻獣を殲滅して何が悪い」
「悪かねえけどよ。住人の安全確保が第一優先だ。そんなこと、お前が一番よく知ってるはずだろ」
「うるせえよ」
あれ・・・何だろうこの雰囲気。
いきなりデュオお兄さんは本当に弟をたしなめるような口調になっているし、先輩の方が叱られて反発する弟のようだ。
小さく下で先輩の手が握りこまれるのが見えた。
何かに耐えるように。
「フォルグ、俺達にとって本当に大切なことがわかんねえと、お前このままだと除籍処分にされちまうんだぞ」
「うるせえ!わかってんだよそれぐらい!けどよ・・・駄目なんだよ。あいつら目の前にするとっ」
「・・・悪い。変なこと言った。お前ら今からどこ行くんだ?」
「あ、えっと、あっちの建物の案内と街の案内です!私ここに来たばかりで本当に何も知らないので!!」
何か変な雰囲気になりそうだったので極めて明るい声を出して場を明るくしようと努める。
お兄さんもそれにのってくれたようで「そうか!なら今度安くて旨い食堂とか教えてやんよ!」と言ってくれた。
先輩に「行くぞ」と声をかけられるとその後へ続く。
振り向きながら大きく手を振るとデュオお兄さんは「ごめん!」と口を動かして両手を合わる。
本当にいい人なんだな。
建物に行くまでの少しの間、先輩の背中は触れるな、声をかけるなと全てを拒絶するようだった。