20話 授業再開はじめました
「右鬼ぃ。ごめん、本当にごめん!」
私はパンと音を立てて手を合わせ、右鬼に平謝りした。
「だから、そろそろ現実に戻ってきてぇ!!」
私は右鬼の目の前で、大きな声で呼びかけるが、右鬼はピクリとも動かない。……返事がない、屍のようだ――って、死んでない、死んでない。
頭の中で、とんでもないナレーションが浮かんで、ぶんぶんと私は首を振った。
右鬼は、閻魔王としての勉強が嫌になった私が『楽しく覚えられる方法考えて』と無理難題を吹っかけて以来フリーズしてしまっている。
うん。分かるよ。脳筋族な私が楽しく覚えられる方法って難しいもんね。でもそこまで深く考え込んでも思い浮かばないとか、ちょっとへこむから。
それに、よし、真面目に勉強するぞー!!と思ったのに、講師である右鬼がこの状態では、勉強が進まない。自業自得というものだけど、まさかこんなに右鬼に考え込まれるとは思ってもいなかったのだ。
「これは難しそうですね。ちょっと叩いてみますか?」
「いやいや。いくらコンピューターぽくても暴力反対だから。そもそも、叩いてどうにかなるのは昭和世代のテレビだけだからね」
「そうなんですか?以前機械は叩けば直ると聞いたことがありましたので」
誰だ。そんな物騒な事を教えたのは。
「そもそも機械云々の前に女の子に手を上げちゃいけません。お母さんにそう習わなかったの?」
……でも待てよ。左鬼は人間出身か?
この並はずれた美貌とか、同じ人間とは思えないというか、思いたくないというか。左鬼と並ぶと、私が並み以下の外見に見えてくるので、どちらかというとあまり並んで町は歩きたくない。
「僕の母親は、例え女だろうと、やられる前にやれと言っていた気がします」
「それは、ワイルドなお母様で……」
何だ?左鬼は紛争地域の生まれなのか?
左鬼、斜め上な答えに私は顔を干引きつらせた。うん、この息子にしてこの親ありというのは、なんと的を得た言葉だろう。どうやら左鬼だけならず、その母親までも、私の常識とは違うタイプらしい。
「……とりあえず、今日から女の子は殴らないようにして。勿論、自分の命の危険がある時とかは仕方がないけどさ」
悪霊に襲われても、ただ逃げろなんて言ってられないのは、十分理解したつもりだ。ただ、普段から暴力とかは良くないと思うんだよね。特に考え込んで動かなくなっただけの右鬼をたたくとか、言語道断。
「冬夜がそう言うなら」
左鬼が素直に納得してくれてほっとする。私が言うならというあたり、根本的な部分は理解してくれてなさそうだけど。でも進歩だ。私としてはあまりワイルドすぎる左鬼は見たくない。
「でも右鬼を叩いてはいけないとしますと、これからどうします?自然に動き出すのを待つならば、もう少し時間がかかるかと思いますが」
「うーん。そこなのよねぇ」
右鬼が居なければ、勉強が進まない。ならばどうするべきなのか。
自分で自習するという方法もあるが、右鬼が用意してくれた分厚くて細かい文字がびっしりと書き込まれた教科書を開いた瞬間に寝る自信がある。あれは立派な凶器だ。私の予想では、悪霊を1人ぐらい仕留められると思う。
「……あ、そうだ。エドガーの仕事の様子を見に行ったらどうかな?とりあえず、裁判とか見ていたら、少しは感覚的に閻魔王の仕事が分かるかもだし」
思いついた事を私はそのまま左鬼に提案した。
理論的な部分ももちろん覚えていかないとだけど、まずは閻魔王や地蔵菩薩の仕事がどんなものかを知らないといけない気がする。
凜ちゃんとのことだって、私が理解してたら問題ない話だったのだ。いや、別れるのだからやっぱり寂しいには変わりないか。でももっと晴れやかな気分で送ってあげられたはずだ。
思いつきだけど、我ながらいい線いってるんじゃないだろうか。
「確かに、色々見て回るのもいい勉強になりますからね」
「でしょでしょ?私の場合、基本よりもさらにその下の部分で知らないことが多すぎると思うんだよね。勿論、法律とかだって順番に覚えていかないとだけどさ」
覚えられるかどうかはまた別問題として。
でも私は、知らなければいけない事がたくさんあるんだと思う。人の運命というか人生?に関わっていくならば、納得できるだけの知識が欲しい。
「決めた」
「ふへっ?」
左鬼ととりあえず右鬼が動き出すまで何をしようかと話し合っていると、唐突に右鬼が声を出した。あまりに唐突で、私は変な声を出してしまう。
左鬼の話だと、まだまだ右鬼が動き出すのには時間がかかるという事だったのに。
「……えっと、右鬼。何を決めたわけ?」
しかしここで話を折って、再び右鬼がフリーズして困るととっさに判断した私は、言葉の続きを促した。また同じ状態は繰り返したくはない。
「楽しく学びたいと言った冬夜への答え」
「えっ、あ、うん。そりゃまあ……。あ、でも。少しぐらいは我慢しようと反省したから。手加減はしてほしいけど」
阿呆のままで、このままマジに閻魔王とか、地蔵菩薩になったとき、色々申し訳無さ過ぎるし。馬鹿は死んでも治らないのだから、治せるのは自分だけだ。
後悔したくないならば、ちゃんと学ばないとだ。
「だからその方法を考えた。冬夜は、じっとしているのが苦手。ならば動くしかない」
「動くしかないって……もしかして、武術訓練やるとか?」
前に空太が、死神は武術訓練をやると言っていた気がする。実際空太はどちらかと言ったらインテリっぽいのに、全然武闘派だった。
閻魔王だって悪霊に襲われることだってあるだろうし、そもそも現在の閻魔王であるエドガーは悪霊を一人で追い返していた。そもそも、私が地蔵菩薩に弟子入りしようとか思ったのは、そのあたりが原因だったはずで……。
ん?何で私は今、閻魔王になろうと頑張ってるんだ?
考え始めると、自分で自分の事が分からなくなってきた。
ちょっと待てよ。そもそも、私って肉体の治療が終わって、ひき肉じゃなくなったら生き返る予定なんだよね。でも治るまでに時間がかかって、その間働かずプー状態で冥界の滞在はできなくて。その為に閻魔王見習いとして働くわけで……。
あれ?なら真面目に頑張って勉強しても、最終的に私は閻魔王になるのではなく、生き返るんじゃないだろうか?どれぐらいの治療に時間かかるのか分からないけれど、このままだと右鬼の求めるレベルまで到達する前に、私は現世へさようならでは?
「武術訓練はもう少し後。冬夜はまだ小さいから」
「いやいや。小さいって、右鬼の方がたぶん小さいよね」
右鬼の背丈はとてもちんまりしている。年齢は私と同じぐらいと思いたいが……知識量を考えると、どうやって身に着けたんだと言いたくなるのでなんとも言えないけれど。
「私は外見の事を言ってるのではない」
「あ、やっぱり?というか、右鬼って、いくつなわけ?」
「いくつ……年齢換算は冥界と現世で違う。分かりやすく現世換算でいくなら、Win●ow●98世代」
「あー……うん。私より年上だって事が良く分かったよ。ごめん、女性に年齢を聞いて」
Win●ow●98と言ったら、お母さんやお父さんが若い時に使っていたもの。……つまりはそういう世代だ。
冥界と現世で年齢が違うという意味は良く分からないけれど、きっと数え年と満年齢との違いみたいなものだろう。どちらにしろ、パソコン換算で十分良く分かった。
「年齢を聞くのは問題ない。ただ冬夜に分かりやすく説明しようと思うと――」
「えっと。私は馬鹿よりだけど、一応数は数えられるからね」
むしろパソコン換算の方がハードルが高いと思うのは私だけか?
……一体私の事をなんだと。あ、馬鹿だと思ってるんだよね。うん、理解した。でもこうあからさまな嫌味を言うなんて、もしかして、無理難題を言った事を地味に怒っているんだろうか?
右鬼は無表情なので、どうにも分かりにくい。
「まあ、いいや。武術訓練じゃないなら、体を動かすって、何やるの?」
状況的に今から勉強をしても、私の体の治療が終了する方が早そうなので、できたら誰でもできる雑務とかをやらせてくれてもいいのにと思えてきた。なんというか、勉強だけして働かないというのは、色々心苦しい。
「それを説明したいが、先に許可を取る必要がある」
「許可?えっと、雑務とかどんとこいだからね?あの、無理しなくていいから。掃除でも子守でもがんばるよ?」
許可って、なんか大事になってない?
一定時期を過ぎればいなくなってしまうのに、もしも許可を取った大がかりな勉強が途中で終了になってしまったら色々気まずい。
「気にする必要はない」
「いや、気にするぅぅぅぅぅぅっ!!」
突然襲う浮遊感。
まさか。これはっ?!
「嫌あぁぁぁぁぁぁ。またこれかあぁぁぁぁっ!!」
「あ、今回は僕がやったわけじゃないですよ?」
そんな言い訳聞いてないからっ!!左鬼の天然っ!!ここは助けるべきでしょっ!!
私は届くことのない天井に手を伸ばしたまま重力に引っ張られ、紐なしバンジーを久々に体験した。




