4.坂本寛貴 はじらひ
なんで幼馴染みに突然殺されそうにならなきゃならねえんだ。
幼馴染みの恋愛事情なんか知ったこっちゃねえし。
理に適わない幼馴染みの暴走をかわした翌日、オレは市内の総合病院に足を運んでいた。
この病院に通うのもそろそろ二ヶ月が経過する。
仕事で右腕と右大腿部を骨折した姉が入院中で、身の回りの世話兼荷物の運搬係に命じられているヒエラルキー最下層の弟であるオレは、渋々従うしかない。
片付けを終えて洗濯物を受け取ったオレは、忘れ物はないかと辺りを見回す。
「それじゃあ一姉、また明日来るよ」
三人姉弟の長女にあたる一葉姉さんが、何気なく言う。
「明日こそは優哉くんを連れてきなさいよ?」
妙な釘の刺され方に軽く引く。
「あいつにはあいつの予定があるんだよ」
言うや姉がオレを射抜かんばかりに凝視した。
身体中に震えが走る。
「予定? まさか……デートとかじゃないよね?」
「……それはない。あ、あいつモテないから」
四人部屋にも関わらず、声を張り上げる姉から逃げ出した。
頼むからTPOを辨えてくれ、姉よ。
あと優哉は何気にモテモテだ。嘘をついてゴメンよ。
用件を終えたオレは、いつもなら、三階にある姉の病室から、そのままさっさと帰宅するルートをとるのだが、ここ二週間ばかりは違った。
「あ、ヒロくん」
前髪パッツンボブカットの黒髪をどうにかツインテールにした女の子が、姉の病室近くの寄合所から、こちらに手を振っている。
オレもつられて手を振り替えした。
「顔色が良いな。今日は調子が良さそうじゃねえか」
「ヒロくんも調子が良いみたいだね。また彼女さんを泣かせてるんでしょ?」
「あゆみからは、オレサマが女の子を泣かせるようなやつに見えんのか?」
「ヒロくんはカッコイイからねぇ。泣かせてないと思っていても、彼女さんは影で泣いてるよ」
そばに寄りながら互いに軽めのジャブ。彼女の隣に腰掛ける。
この女の子とは、知り合ってまだ二週間だが、そこそこ仲が良くなっている。
容姿は可愛い系で年齢は十六歳の高校一年生。同じ高校の後輩だとか。
ふとしたことで、見知った仲となり、病院へ訪れた際は、彼女と会うことが日課になりつつある。
この女の子――後輩は小児喘息で入院しているらしい。
しかし、病状は快復傾向だとかで、進行具合を知った時、オレサマ一安心した覚えがある。
ちなみに、後輩は病院着のパジャマではなく、キャミソールの上にカーディガンを羽織り、下はミニスカート姿と言う、入院患者に似つかわしくない格好をしていた。曰く「女の子ですから」だそうだ。
「影で泣いてる? そりゃ偏見だ。こう見えてもオレサマは優しいんだぞ?」
「はいはい、そういうことにしておいてあげる」
……後輩は手厳しいな。大抵の女はこれで、コロッと騙されるんだが。
「まぁ、良いか。それより――」
最近は病院へ向かうと帰宅が遅くなる。
後輩と話をするからに他ならない。
「そうなんだ。ヒロくんて面白い人だよね」
「……それ、誉め言葉だよな?」
あっけらかんと笑む後輩の表情が眩しい。直視できず、つい視線を逸らしてしまう。
後輩に惹かれている。それが実感できる。
恐らく、これはオレにとっての初恋だ。
「ヒロくん? そっちになにかあるの? さっきから頻繁に見てるけど」
「あ、いや、ちょっとした考えごとをしてた」
「も〜、あゆみと話してるのに上の空なの?」
頬を膨らませて怒る姿まで、反則的なくらいに可愛い。
「わりい」
好きでもない女には歯の浮くような台詞が平然と言い回せるのに、後輩を前にするとそのような台詞がなぜか吐けない。躊躇どころか、頭に回ってこないのだ。
いつもなら、美女を発見すると即ナンパ→デート→エッチと一日のコースを悠々自適に組んでいるオレサマが、後輩には一切手が出せていない。
他人が羨む程のイケメンと言葉運びを持つオレサマが、奥手と言うか、不甲斐ない小学生レベルにまで成り下がっているのだ。
「今の彼女さんとは付き合ってどれくらいになるの?」
「あ〜……四週間くらいかな。二日程前に別れたけど」
オレサマは普段から隠しごとをしない。股をかけることに罪悪感を覚えないが、なぜ後輩に答える時は、後ろ目たさでいっぱいになる。
これが初恋効果か。
神妙な面持ちで「……そうなんだ」と後輩が首肯した。
「あの、ヒロくんは何人くらいの人と付き合ってきたの?」
「え〜と……四十ちょいくらいかな」
オブラートに包めばよいマイナス印象をぶっちゃけてしまった。
後輩がちょっと引いてる。
「よ、四十人も!? す、凄いね! ひ、ヒロくんは告白する方が多いの? される方が多いの?」
「……される方が多いかな」
好きな相手に「僕はモテますアピール」をしてどうするよオレ!
茶化されるかと思いきや、後輩は「……そうなんだ」とそれだけをブツブツ繰り返している。
窓の外の雲行きも、ここ数日の後輩の雲行きもおかしい。そろそろ帰る頃合いか。
「雨が降りそうだし、そろそろ、帰るよ」
「え、あ、うん」
あくびを噛み殺しながらオレが立ち上がると、後輩も釣られて席をたつ。
彼女は誰かの見送りをするのが趣味らしく、オレに連れ添いながら病院玄関口のロビーまでやってきた。
「明日もお姉さんのお見舞いに来るの?」
オレは片腕のバッグ――荷物を見せつけるように言う。
「それ昨日も一昨日も訊いてきたな。あゆみって健忘症の気があるんじゃねえの?」
「あ、酷い! そんな言い方はないよ! あゆみはヒロくんがちゃんとお姉さんに気を使っているか、確かめてるだけなのに」
後輩は表情が豊かだ。
ちょっとつっつくだけで、すぐにコロコロと変わる。
「あゆみはオレの母さんかよ」
「もぉ、母さんじゃないよ」
「いや、冗談だって。明日も、明後日も、姉ちゃんが退院するまでここに来るし」
「うんうん、ちゃんとお姉さんのところに行くんだよ? 入院中はかなり暇で、ちょっとだけ人恋しくなったりするし」
一姉に該当するのは『暇』だけだ。性格的に考えても人恋しくはならない。
さりげなく後輩の肩をぽんぽんと軽く叩く。
「わかったわかった。じゃあ、あゆみ母さん、また明日な」
「あゆみはお母さんじゃない! ヒロくんのバカァ!」
オレは母さんの絶叫を尻目に病院をあとにした。
病院の外は今にも雨が降りそうな景色だった。
傘を持参し忘れたオレは、タクシー乗り場に向かいながら、今日も後輩は可愛いかったな、と内心で呟く。
姉の身の回りの世話は二の次で、今は専ら後輩に会うことが病院へ赴く理由となっている。
病院へ足を運べばいつもそこに後輩が居て、必ず会える。
明日も、明後日も会える。
不謹慎だが、後輩が入院してくれて良かったとすら思う。
思ったところで、冷静になった。
先ほどの『姉ちゃんが退院するまでここに来る』と言う自分の発言を思い出してしまったのだ。
つまり、姉か後輩が退院すると、後輩との接点がなくなってしまう。
今の関係を維持するにしても、進展させるにしても、後輩との接点がなくなってしまっては、身動きが取れ難くなる。
「……仮に、先に姉ちゃんが退院したあと、あゆみに会いに行ったら、オレが、あゆみのことを好きだってさすがにバレるよな」
――いっそのこと、今のうちにコクるか。
――いやいやいやいや、まだ早くね?
――でももう二週間だぞ?
――いつもならコクるなり、コクられるなりアクションがあるだろ。
――それはそうなんだが……。
脳内でのオレ会議は混迷を極めていて纏まる様子がまるでない。
自分の奥手具合に歯噛みする。
言い訳になるが、オレサマが奥手になっていることには理由がしっかりとある。
理由――それは後輩が入院していることだ。
後輩は病状が軽いとは言え、病気で弱っている状態だ。
相手の弱味に突け込むようで、オレはそこに引け目を感じていて、気が引けているのだ。
本来のオレサマならば、相手の都合は構わないはずなのに。
――初恋恐るべし。




